「科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで : 三田一郎」(Kindle版)
内容紹介:
宇宙や物質の究極のなりたちを追究している物理学者が、なぜ万物の創造主としての「神」を信じられるのか? それは矛盾ではないのか? 物理学史に偉大な業績を残したコペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、ボーア、ディラック、ホーキングらが神をどう考えていたのかを手がかりに、科学者にとって神とはなにかを考える異色の一冊。しかし、この試みは「科学とは何か」という根源的な問いを考えることでもある。
聖書が教える「天地創造」の物語はもはや完全に覆され、「神は死んだ」といわれて久しい。しかし実は、宇宙創成に関わる重要な発見をした科学者の多くは、神を信じていた。天動説を葬り去ったコペルニクスとガリレオ、物体の運行を神によらず説明したニュートン、宗教に強く反発して「光」だけを絶対としたアインシュタインらも神への思いを熱く語り、さらには量子力学を創ったボーアやハイゼンベルク、ディラック、シュレーディンガー、特異点なき宇宙を考えたホーキングら、「無神論者」といわれた現代物理学者たちさえも実は神の存在を強く意識していたのだ。彼らの神への考え方を追うことで見えてくる、宇宙論を発展させた本当の原動力とは? 日本人には理解しにくい世界標準の「宗教観」を知るためにも最適の一冊!
2018年6月20日刊行、272ページ。
著者について:
1944年生まれ。1965年6月イリノイ大学工学部物理学科卒業。1969年6月プリンストン大学大学院博士課程修了、Ph.D.の学位を取得。コロンビア大学研究員、フェルミ国立加速器研究所研究員、ロックフェラー大学準教授などを経て、1992年より名古屋大学理学部教授、2006年4月より名古屋大学名誉教授、神奈川大学工学部教授。 2007年より東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構プログラムオフィサーを兼務。『B中間子系でのCP対称性の破れの理論』で1993年度井上学術賞、1997年度仁科記念賞、2002年度中日文化賞、2004年J・J・サクライ賞、2015年度折戸周治賞を受賞。2002年紫綬褒章受章。2017年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。B中間子系でのCP対称性の破れの測定によって小林・益川模型の検証理論を展開。
理数系書籍のレビュー記事は本書で387冊目。
2013年に放送されたNHKスペシャル「神の数式」を見たとき、タイトルに違和感を感じた。わざわざ神などを持ち出さなくてもよいのにと思ったからだ。
ところが本書によると国連のある調査では、過去300年間に大きな業績をあげた世界中の科学者300人のうち、8割ないし9割が神を信じていたそうなのだ。これはとても不思議なことで、神を否定するかのような研究をしている人たちがなぜ、神を信じることができるのだろうか?これが本書のテーマである。
著者の三田先生ご自身も素粒子物理学者であるとともに、カトリック教会で助祭として神に仕えている方だ。あるとき、高校生を相手に科学についての講演をしていたところ、ある生徒から次のような質問をされたそうだ。
「先生は科学者なのに、科学のなかで神を持ち出すのは卑怯ではないですか。」
三田先生はそのとき、「科学によって宇宙のはじまりや物質のはじまりを少し理解したら、同時に、いままで気がつかなかった疑問が湧いてくる。人間には神の業を完全に理解することはできない」という話をされたのだが、高校生は「科学とは、神の力を借りずに宇宙や物質のはじまりを説明するものであるはずなのに、最後には神を持ち出すのは卑怯ではないか。」と言っていたそうだ。
三田先生の中では、科学者であることと、神を信じていることが矛盾しているわけではない。本書はそのことを、この高校生を含め、一般の人にどのように説明したらわかってもらえるか、その思考の遍歴から生まれたものである。
コペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、ボーアやハイゼンベルク、ディラック、そしてホーキングなど、彼らのなかにはごく自然に神を信じていた者もいれば、はじめは神を否定していながら、あとで信じるようになった者、最後まで否定しつづけた者もいる。
科学史の流れを追いながら、彼ら科学者たちが創造主としての神をどのように考えていたかを辿る本である。章立ては次のとおり。
第1章 神とはなにか、聖書とはなにか
第2章 天動説と地動説 ――コペルニクスの神
第3章 宇宙は第二の聖書である ――ガリレオの神
第4章 すべては方程式に ――ニュートンの神
第5章 光だけが絶対である ――アインシュタインの神
第6章 世界は一つに決まらない ――ボーア、ハイゼンベルク、ディラックらの神
第7章 「はじまり」なき宇宙を求めて ――ホーキングの神
終章 最後に言っておきたいこと ――私にとっての神
かねがね考えてみたいテーマだったこともあって読んでみたわけだが、納得できる点もあれば、あてが外れたところもあった。
まず、本書が前提としている神とは「キリスト教の神」であること。それは人間の形をしておらず、そして宇宙の創造主であるという意味だ。引用している科学者はみな欧米で生まれ育ったのだから、生活環境とキリスト教社会が密接に結びついている。仏壇に手を合わせ、初詣には神社に行き、結婚式は教会で行う日本人とはまったく違う。
そのようなわけで、本書では聖書の記述や教会の教えと科学上の発見の矛盾を取り上げて考察することになる。自分としては既存の宗教にとらわれない形で「創造主=神」を考えてみたかった。しかし、そのように考えるのも大半の国民が特定の宗教を信じない日本という国で生まれ育ったからなのだろう。
通読してみると、本の最初の3割はキリスト教や聖書の歴史、そして残りの7割のうちのほとんどが科学史の説明にあてられていた。科学者が宗教、神をどのように考えていたかという点に関する記述は本書全体の2割ほどである。科学教養書を読み込んでいる人は知っている内容で、読み飛ばしてすんでしまうページが多いと思う。科学史に詳しくない人にとっては最初から最後まで興味深く読める本だ。
コペルニクス、ガリレオ、ニュートンあたりまではキリスト教が宗教的、政治的にヨーロッパ世界を支配し、悪名高き宗教裁判が行われていた時代である。コペルニクスは教会からの迫害を恐れて著書「天球の回転について(1534年)」は死後に出版した。ガリレオも生涯2度の異端審問を受け、公式には地動説を撤回している。しかし真理を追究することと神を信じることは彼らの内心で矛盾していたのだろうか?学術とは切り離してキリスト教を信じていたのだろうか?
ニュートンが神の存在を信じていたこと、必要としていたことは「古典力学の形成―ニュートンからラグランジュへ:山本義隆」の中の「キリスト教徒としてのNewton」で解説されている。ニュートンの学説とキリスト教信者としての立場は矛盾していない。
さらに「神はサイコロを振らない。」と言ったアインシュタインはどうだったのか?そして量子力学の創成期に貢献した物理学者たちはどのように神を考えていたのか?このあたりになると、一般の科学書では知ることができない領域になってくる。
そして神の存在を最後まで否定したホーキング博士はどうだろうか?イギリスというキリスト教の国で生まれ、生活している彼が神を否定することを、一般のイギリス人はどのように感じているのか。日本人の僕には想像がつかないものがある。
海外で働くビジネスマンのマナーの中で「あなたは神を信じていますか?」と聞かれたときに「特定の宗教を信じてるわけではありません。」と正直に話すのはタブーとされていることがある。宗教と無縁の生活を送ることがよくないとされる社会で育った欧米人に「日本流」は理解されないのである。そのように聞かれたときは「仏教に従って祖先を祀っています。」とか「神道が日本古来の宗教です。」のように回答するのが無難なところ。
だから、ホーキング博士の発言を欧米人がどのように感じるかは、機会があったら聞いてみたいと思った。いちばん面白く読めたのは、ホーキング博士のこと、ホーキング理論に対してのローマ教会の反応について解説している第7章だった。
科学者たちがそれぞれどのように神を考えていたかは、ネタバレになるのでここには書かないが、ローマ教会の法王ヨハネ・パウロ二世が宗教裁判の誤りを認め、正式に謝罪してガリレオの名誉回復がされたのは350年近く経った西暦1983年のことである。
- 1983年5月9日にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、バチカンで開かれたシンポジウムで謝罪
- 1992年のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の謝罪によりガリレオの破門措置が解かれた
- 2008年12月21日、ローマ法王ベネディクト16世は公式に地動説を認める
科学的事実と聖書の記述の乖離がますます進んでいく中、現代のキリスト教はその矛盾に対し、どのように折り合いをつけ、矛盾を解消しているのか。このあたりも本書で述べられている。
最終章では著者の三田先生の「科学とキリスト教は矛盾しない」というお考えが述べられている。読者は納得する人としない人に分かれるだろう。本書の冒頭で「先生は科学者なのに、科学のなかで神を持ち出すのは卑怯ではないですか。」と疑問を投げかけた高校生が納得できる回答になっているだろうか?実際に本書をお読みになって判断してほしい。
読後に思ったことがある。イスラム教国で生まれ育った科学者たちは、どのように科学とイスラム教の教えと折り合いをつけているのかということだ。いずれそれらの国から来ている人と話す機会が持てたら聞いてみたいと思う。
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「科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで : 三田一郎」(Kindle版)
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第1章 神とはなにか、聖書とはなにか
- なぜ科学者が神を信じられるのか
- キリスト教の特徴とは
- 「三位一体論」とイエスの降臨
- キリスト教ができるまで
- 聖書の成立と「創成期」
- 「聖書」の写本の驚くべき正確さ
第2章 天動説と地動説 ――コペルニクスの神
- 世界最大の宗教になったキリスト教
- 意外に知られていない真実
- 地動説の祖はピタゴラス派だった
- アリストテレス
- なぜ教会は天動説を採ったのか
- 宇宙はこれほど複雑なのか
- 「火星の謎」を解いた地動説
- ついに「天球の回転」を執筆
- 書き加えられた「前書き」
第3章 宇宙は第二の聖書である ――ガリレオの神
- アリストテレス自然学への反発
- 2000年の常識を覆した「落体の法則」
- 27歳で背負った「生活」という重荷
- 地動説を裏付ける観測成果
- ガリレオ、ついに訴えられる
- 第1回ガリレオ裁判
- 火あぶりになったブルーノ
- 第2回ガリレオ裁判
- 350年後の謝罪
- 現在の境界が考える「聖書の読み方」
- 「天地」の概念も変わった
第4章 すべては方程式に ――ニュートンの神
- 神の存在意義を問いただす革命
- ガリレオの好敵手
- 惑星は楕円を描く
- ケプラーの神
- 驚異の1年半
- ニュートンが発見したこと1:運動方程式
- ニュートンが発見したこと2:万有引力
- 万有引力を証明したケプラーの観測
- 「神」の矮小化と「悪魔」の誕生
- 「創造主としての神」への信仰
- 信じたものは「科学と神」
第5章 光だけが絶対である ――アインシュタインの神
- 「光」を解明する物理学
- 二つの遠隔力
- ファラデーが発見した「電場」と「磁場」
- 「光」を数学の言葉で表したマクスウェル
- ファラデーとマクスウェルの神
- 「二度とだまされない
- スピノザの決定論への共感
- 「奇跡の年」をもたらしたもの
- ガリレオの相対性原理
- 相対性原理と矛盾するマクスウェル方程式
- 光速だけが絶対である
- 万有引力も近接力だった
- 宇宙はつぶれるのか
- ルメートルの膨張宇宙とビッグバン理論
- 教会は「ビッグバン」を歓迎した
- 宗教者としてのアインシュタイン
第6章 世界は一つに決まらない ――ボーア、ハイゼンベルク、ディラックらの神
- 思いもよらなかった迷路
- キルヒホッフの黒体放射
- プランクの苦し紛れ
- 陰極線の謎
- アインシュタインの光量子仮説
- 光は粒でもあり波でもある
- ありえないが必要な力学
- ボーアの原子モデル
- ハイゼンベルクの不確定性原理
- パウリの排他原理
- ディラックの反粒子
- アインシュタインとボーアの「サイコロ問答」
- 量子力学の俊英たちの神々
- アインシュタインVSボーア
- ディラックの”変心”
第7章 「はじまり」なき宇宙を求めて ――ホーキングの神
- 天動説とビッグバン
- 特異点定理の発見
- 神なき宇宙創成への思い
- 宇宙の量子化とホーキング放射
- ヨハネ・パウロ2世の戒め
- 「虚時間宇宙」の完成
- 量子的にみた虚時間宇宙
- 宇宙無境界仮説のその後
- 量子宇宙論から生まれたインフレーション理論
- 15ページにわたって書かれた「God」
- 最後の論文が求めたもの
終章 最後に言っておきたいこと ――私にとっての神
- 素粒子物理学の難題
- 小林・益川理論の実証に貢献
- 科学法則への感動
- 神を信じることは思考停止か
- 科学と神は矛盾しない
参考文献
内容紹介:
宇宙や物質の究極のなりたちを追究している物理学者が、なぜ万物の創造主としての「神」を信じられるのか? それは矛盾ではないのか? 物理学史に偉大な業績を残したコペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、ボーア、ディラック、ホーキングらが神をどう考えていたのかを手がかりに、科学者にとって神とはなにかを考える異色の一冊。しかし、この試みは「科学とは何か」という根源的な問いを考えることでもある。
聖書が教える「天地創造」の物語はもはや完全に覆され、「神は死んだ」といわれて久しい。しかし実は、宇宙創成に関わる重要な発見をした科学者の多くは、神を信じていた。天動説を葬り去ったコペルニクスとガリレオ、物体の運行を神によらず説明したニュートン、宗教に強く反発して「光」だけを絶対としたアインシュタインらも神への思いを熱く語り、さらには量子力学を創ったボーアやハイゼンベルク、ディラック、シュレーディンガー、特異点なき宇宙を考えたホーキングら、「無神論者」といわれた現代物理学者たちさえも実は神の存在を強く意識していたのだ。彼らの神への考え方を追うことで見えてくる、宇宙論を発展させた本当の原動力とは? 日本人には理解しにくい世界標準の「宗教観」を知るためにも最適の一冊!
2018年6月20日刊行、272ページ。
著者について:
1944年生まれ。1965年6月イリノイ大学工学部物理学科卒業。1969年6月プリンストン大学大学院博士課程修了、Ph.D.の学位を取得。コロンビア大学研究員、フェルミ国立加速器研究所研究員、ロックフェラー大学準教授などを経て、1992年より名古屋大学理学部教授、2006年4月より名古屋大学名誉教授、神奈川大学工学部教授。 2007年より東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構プログラムオフィサーを兼務。『B中間子系でのCP対称性の破れの理論』で1993年度井上学術賞、1997年度仁科記念賞、2002年度中日文化賞、2004年J・J・サクライ賞、2015年度折戸周治賞を受賞。2002年紫綬褒章受章。2017年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。B中間子系でのCP対称性の破れの測定によって小林・益川模型の検証理論を展開。
理数系書籍のレビュー記事は本書で387冊目。
2013年に放送されたNHKスペシャル「神の数式」を見たとき、タイトルに違和感を感じた。わざわざ神などを持ち出さなくてもよいのにと思ったからだ。
ところが本書によると国連のある調査では、過去300年間に大きな業績をあげた世界中の科学者300人のうち、8割ないし9割が神を信じていたそうなのだ。これはとても不思議なことで、神を否定するかのような研究をしている人たちがなぜ、神を信じることができるのだろうか?これが本書のテーマである。
著者の三田先生ご自身も素粒子物理学者であるとともに、カトリック教会で助祭として神に仕えている方だ。あるとき、高校生を相手に科学についての講演をしていたところ、ある生徒から次のような質問をされたそうだ。
「先生は科学者なのに、科学のなかで神を持ち出すのは卑怯ではないですか。」
三田先生はそのとき、「科学によって宇宙のはじまりや物質のはじまりを少し理解したら、同時に、いままで気がつかなかった疑問が湧いてくる。人間には神の業を完全に理解することはできない」という話をされたのだが、高校生は「科学とは、神の力を借りずに宇宙や物質のはじまりを説明するものであるはずなのに、最後には神を持ち出すのは卑怯ではないか。」と言っていたそうだ。
三田先生の中では、科学者であることと、神を信じていることが矛盾しているわけではない。本書はそのことを、この高校生を含め、一般の人にどのように説明したらわかってもらえるか、その思考の遍歴から生まれたものである。
コペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、ボーアやハイゼンベルク、ディラック、そしてホーキングなど、彼らのなかにはごく自然に神を信じていた者もいれば、はじめは神を否定していながら、あとで信じるようになった者、最後まで否定しつづけた者もいる。
科学史の流れを追いながら、彼ら科学者たちが創造主としての神をどのように考えていたかを辿る本である。章立ては次のとおり。
第1章 神とはなにか、聖書とはなにか
第2章 天動説と地動説 ――コペルニクスの神
第3章 宇宙は第二の聖書である ――ガリレオの神
第4章 すべては方程式に ――ニュートンの神
第5章 光だけが絶対である ――アインシュタインの神
第6章 世界は一つに決まらない ――ボーア、ハイゼンベルク、ディラックらの神
第7章 「はじまり」なき宇宙を求めて ――ホーキングの神
終章 最後に言っておきたいこと ――私にとっての神
かねがね考えてみたいテーマだったこともあって読んでみたわけだが、納得できる点もあれば、あてが外れたところもあった。
まず、本書が前提としている神とは「キリスト教の神」であること。それは人間の形をしておらず、そして宇宙の創造主であるという意味だ。引用している科学者はみな欧米で生まれ育ったのだから、生活環境とキリスト教社会が密接に結びついている。仏壇に手を合わせ、初詣には神社に行き、結婚式は教会で行う日本人とはまったく違う。
そのようなわけで、本書では聖書の記述や教会の教えと科学上の発見の矛盾を取り上げて考察することになる。自分としては既存の宗教にとらわれない形で「創造主=神」を考えてみたかった。しかし、そのように考えるのも大半の国民が特定の宗教を信じない日本という国で生まれ育ったからなのだろう。
通読してみると、本の最初の3割はキリスト教や聖書の歴史、そして残りの7割のうちのほとんどが科学史の説明にあてられていた。科学者が宗教、神をどのように考えていたかという点に関する記述は本書全体の2割ほどである。科学教養書を読み込んでいる人は知っている内容で、読み飛ばしてすんでしまうページが多いと思う。科学史に詳しくない人にとっては最初から最後まで興味深く読める本だ。
コペルニクス、ガリレオ、ニュートンあたりまではキリスト教が宗教的、政治的にヨーロッパ世界を支配し、悪名高き宗教裁判が行われていた時代である。コペルニクスは教会からの迫害を恐れて著書「天球の回転について(1534年)」は死後に出版した。ガリレオも生涯2度の異端審問を受け、公式には地動説を撤回している。しかし真理を追究することと神を信じることは彼らの内心で矛盾していたのだろうか?学術とは切り離してキリスト教を信じていたのだろうか?
ニュートンが神の存在を信じていたこと、必要としていたことは「古典力学の形成―ニュートンからラグランジュへ:山本義隆」の中の「キリスト教徒としてのNewton」で解説されている。ニュートンの学説とキリスト教信者としての立場は矛盾していない。
さらに「神はサイコロを振らない。」と言ったアインシュタインはどうだったのか?そして量子力学の創成期に貢献した物理学者たちはどのように神を考えていたのか?このあたりになると、一般の科学書では知ることができない領域になってくる。
そして神の存在を最後まで否定したホーキング博士はどうだろうか?イギリスというキリスト教の国で生まれ、生活している彼が神を否定することを、一般のイギリス人はどのように感じているのか。日本人の僕には想像がつかないものがある。
海外で働くビジネスマンのマナーの中で「あなたは神を信じていますか?」と聞かれたときに「特定の宗教を信じてるわけではありません。」と正直に話すのはタブーとされていることがある。宗教と無縁の生活を送ることがよくないとされる社会で育った欧米人に「日本流」は理解されないのである。そのように聞かれたときは「仏教に従って祖先を祀っています。」とか「神道が日本古来の宗教です。」のように回答するのが無難なところ。
だから、ホーキング博士の発言を欧米人がどのように感じるかは、機会があったら聞いてみたいと思った。いちばん面白く読めたのは、ホーキング博士のこと、ホーキング理論に対してのローマ教会の反応について解説している第7章だった。
科学者たちがそれぞれどのように神を考えていたかは、ネタバレになるのでここには書かないが、ローマ教会の法王ヨハネ・パウロ二世が宗教裁判の誤りを認め、正式に謝罪してガリレオの名誉回復がされたのは350年近く経った西暦1983年のことである。
- 1983年5月9日にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、バチカンで開かれたシンポジウムで謝罪
- 1992年のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の謝罪によりガリレオの破門措置が解かれた
- 2008年12月21日、ローマ法王ベネディクト16世は公式に地動説を認める
科学的事実と聖書の記述の乖離がますます進んでいく中、現代のキリスト教はその矛盾に対し、どのように折り合いをつけ、矛盾を解消しているのか。このあたりも本書で述べられている。
最終章では著者の三田先生の「科学とキリスト教は矛盾しない」というお考えが述べられている。読者は納得する人としない人に分かれるだろう。本書の冒頭で「先生は科学者なのに、科学のなかで神を持ち出すのは卑怯ではないですか。」と疑問を投げかけた高校生が納得できる回答になっているだろうか?実際に本書をお読みになって判断してほしい。
読後に思ったことがある。イスラム教国で生まれ育った科学者たちは、どのように科学とイスラム教の教えと折り合いをつけているのかということだ。いずれそれらの国から来ている人と話す機会が持てたら聞いてみたいと思う。
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第1章 神とはなにか、聖書とはなにか
- なぜ科学者が神を信じられるのか
- キリスト教の特徴とは
- 「三位一体論」とイエスの降臨
- キリスト教ができるまで
- 聖書の成立と「創成期」
- 「聖書」の写本の驚くべき正確さ
第2章 天動説と地動説 ――コペルニクスの神
- 世界最大の宗教になったキリスト教
- 意外に知られていない真実
- 地動説の祖はピタゴラス派だった
- アリストテレス
- なぜ教会は天動説を採ったのか
- 宇宙はこれほど複雑なのか
- 「火星の謎」を解いた地動説
- ついに「天球の回転」を執筆
- 書き加えられた「前書き」
第3章 宇宙は第二の聖書である ――ガリレオの神
- アリストテレス自然学への反発
- 2000年の常識を覆した「落体の法則」
- 27歳で背負った「生活」という重荷
- 地動説を裏付ける観測成果
- ガリレオ、ついに訴えられる
- 第1回ガリレオ裁判
- 火あぶりになったブルーノ
- 第2回ガリレオ裁判
- 350年後の謝罪
- 現在の境界が考える「聖書の読み方」
- 「天地」の概念も変わった
第4章 すべては方程式に ――ニュートンの神
- 神の存在意義を問いただす革命
- ガリレオの好敵手
- 惑星は楕円を描く
- ケプラーの神
- 驚異の1年半
- ニュートンが発見したこと1:運動方程式
- ニュートンが発見したこと2:万有引力
- 万有引力を証明したケプラーの観測
- 「神」の矮小化と「悪魔」の誕生
- 「創造主としての神」への信仰
- 信じたものは「科学と神」
第5章 光だけが絶対である ――アインシュタインの神
- 「光」を解明する物理学
- 二つの遠隔力
- ファラデーが発見した「電場」と「磁場」
- 「光」を数学の言葉で表したマクスウェル
- ファラデーとマクスウェルの神
- 「二度とだまされない
- スピノザの決定論への共感
- 「奇跡の年」をもたらしたもの
- ガリレオの相対性原理
- 相対性原理と矛盾するマクスウェル方程式
- 光速だけが絶対である
- 万有引力も近接力だった
- 宇宙はつぶれるのか
- ルメートルの膨張宇宙とビッグバン理論
- 教会は「ビッグバン」を歓迎した
- 宗教者としてのアインシュタイン
第6章 世界は一つに決まらない ――ボーア、ハイゼンベルク、ディラックらの神
- 思いもよらなかった迷路
- キルヒホッフの黒体放射
- プランクの苦し紛れ
- 陰極線の謎
- アインシュタインの光量子仮説
- 光は粒でもあり波でもある
- ありえないが必要な力学
- ボーアの原子モデル
- ハイゼンベルクの不確定性原理
- パウリの排他原理
- ディラックの反粒子
- アインシュタインとボーアの「サイコロ問答」
- 量子力学の俊英たちの神々
- アインシュタインVSボーア
- ディラックの”変心”
第7章 「はじまり」なき宇宙を求めて ――ホーキングの神
- 天動説とビッグバン
- 特異点定理の発見
- 神なき宇宙創成への思い
- 宇宙の量子化とホーキング放射
- ヨハネ・パウロ2世の戒め
- 「虚時間宇宙」の完成
- 量子的にみた虚時間宇宙
- 宇宙無境界仮説のその後
- 量子宇宙論から生まれたインフレーション理論
- 15ページにわたって書かれた「God」
- 最後の論文が求めたもの
終章 最後に言っておきたいこと ――私にとっての神
- 素粒子物理学の難題
- 小林・益川理論の実証に貢献
- 科学法則への感動
- 神を信じることは思考停止か
- 科学と神は矛盾しない
参考文献