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アインシュタインの反乱と量子コンピュータ: 佐藤文隆

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アインシュタインの反乱と量子コンピュータ: 佐藤文隆

内容紹介:
「同じモノやコトが、同時に複数の姿をとる」などあり得るのか?―アインシュタインが提起したパラドックス“EPR”。量子力学の創業者たちを当惑させた「理論」が、21世紀の先端技術を目指す量子情報研究で「何の疑いもせずに」使われている。真理と制度をめぐり“科学とは何か”で揺れる現代科学の転換期を、「物理学の世紀」で消されたマッハにまで遡り、“物理帝国の埋蔵金”を理論物理学の泰斗がスリリングに描く。
2009年2月刊行、315ページ。

著者について:
佐藤文隆(さとうふみたか):ウィキペディアの記事
1938年生まれ。京都大学名誉教授。1960年京都大学理学部卒業、京都大学助手、助教授、教授、京都大学基礎物理学研究所長、京都大学理学部長、日本物理学会会長、日本学術会議会員、甲南大学教授を歴任。“裸の特異点”の存在を示唆するアインシュタイン方程式における「富松-佐藤の解」を発見。この業績によって仁科記念賞を受賞。一般相対論、宇宙物理を専攻。湯川秀樹の全集、ビデオなどを編纂、湯川記念財団理事長。
著書 『物理学の世紀--アインシュタインの夢は報われるか』(集英社)、『孤独になったアインシュタイン』(岩波書店)、『異色と意外の科学者列伝』(岩波書店)、ほか多数。

インタビュー:「教育も含め人の行き来する社会に」
https://scienceportal.jst.go.jp/columns/interview/20091225_01.html


理数系書籍のレビュー記事は本書で334冊目。

久しぶりに素晴らしい科学教養書に巡り合うことができた。本書は「量子論はなぜわかりにくいのか「粒子と波動の二重性」の謎を解く: 吉田伸夫」という記事のコメント欄を通じて「dhoshu58さん」から教えていただいたものだ。いただいたコメントには次のように書かれている。

光子の二重スリット干渉(Yang干渉)についての通常の量子力学的説明の不正確さを正すとして、場の量子論からのていねいな解説が佐藤文隆「アインシュタインの反乱と量子コンピュータ」の巻末補遺に載っています。最近この本を読みました。参考になると思います。


巻末だけ読むのはもったいないから最初から読み通したわけなのだが、読み始めてすぐに「まさしくこれが読みたかった本だ」ということがわかった。半分くらい読み進めたところで、次のように僕はツイートしている。

- この本は大学レベルの物理学を学んだ人に向いている素晴らしい教養書。書かれていることのひとつひとつをすべてツイートしたくなる。

- 目からウロコの記述ばかり。感動しながら精読中。さらっと読んでしまうのはあまりにももったいない良書だ。


数式がほとんど書かれていない科学教養書なのだが、意味をくみ取るためには大学レベルの物理学をひととおり学んでいるのが望ましい。そして欲をいえば場の量子論もである。そしてさらに欲をいえば「量子革命―アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突:マンジット・クマール」のような本で量子力学史の知識を得ていること。アマゾンのレビューに「本書が難解だ」と書いている読者がいるのはそのような前提知識を必要とする本だからなのだ。

数式を理解できない物理ファンが読んだ場合は、おそらく4割程度の理解にとどまると思う。

章立てはこのとおり。

第1章 「起こる」と「知る」の差EPR―パラドックス
第2章 アインシュタインと量子力学―創業者の反逆?
第3章 量子力学解釈問題小史―「世界」と「歴史」の作り方
第4章 力学理論の構造―「起こる」か?「ある」か?
第5章 量子力学理論の切り分け―hのない量子力学
第6章 量子力学とマッハの残照
第7章 「非決定論」のウイーン
第8章 湯川秀樹にとっての量子力学
第9章 確率と不安―ランダムか情報不足か
第10章 「科学」という制度をマッハから問う

本書のタイトル「アインシュタインの反乱と量子コンピュータ」に違和感を感じた方が多いと思う。その違和感は2つの意味についてだ。

1つめはアインシュタインは量子論の生みの親であっても、その後量子力学は「不完全な理論だ」とし、ハイゼンベルクの不確定性原理やボルンの確率解釈を否定した。亡くなるまでこの新しい理論を受け入れず、EPR論文に書かれているように「気味の悪い遠隔作用」を否定的にとらえたと通常は理解されているからだ。いまさら「反乱」と言われても何についての反乱なのかよくわからない。

2つめはアインシュタインと量子コンピュータを結び付けるものは、おそらくEPR論文に書かれている遠隔作用=量子エンタングルメントなのだろうけど、アインシュタインが量子コンピュータを発案したわけではない。

しかしながらこの2つの違和感が本書の前半で解消されることなのである。アインシュタインの功績は原子の理論的実証、光量子説、相対論だけでなく、現代の量子情報物理や量子コンピュータ、量子テクノロジーの父でもあるのではないか、死して60年経った現代にも影響力(反乱)を及ぼしているのではないかというのが佐藤先生が主張していることなのだ。

アインシュタインといえども、さすがにそこまでは達していなかっただろうというのが僕を含め、おおかたの人の理解だと思う。ところが読み進めるうちに「ああ、本当だ。」と思えてくるのだ。


プランク、アインシュタイン、ド・ブロイ、ハイゼンベルク、シュレディンガー、ボーア、ボルンなど量子力学創成期の歴史をポイントをつかんで解説する中で、アインシュタインがどのような信念のもとに疑問や異論を投げかけていたかを解説する。結局のところ「コペンハーゲン解釈」という名で呼ばれる考え方が主流となるわけだが、この新理論のもつ不可解な物理解釈を解明することを禁止したまま現在に至っている。

本書の後半で佐藤先生がそろそろ「ウソを教えない工夫」をしましょうと呼びかけているのも、現在まで至っている不可解な物理解釈の一例である。それは高校物理で教えられている「原子は原子核のまわりを電子が回っている」のことだ。電子に「軌道」などない。水素原子の電子の基底状態での角運動量はゼロである。

アインシュタインはその後、量子力学を研究せず亡くなるまで統一場理論の研究をしていたという僕の知識も間違いであることがわかった。ボーアとの論争に敗れてもなお量子力学に関心をもっていたことが書かれている。

そして本書の解説はEPR論文からベルの不等式、アスペの実験、最新の量子コンピュータの話まで一気に進む。解釈の問題を積み残したまま理論が発展し、技術として実現するまでに至ったのはどうしてなのか。量子力学は「h(プランク定数)のない量子力学」、「奇妙さを意識させない量子力学」として枝を伸ばし始めたからだと佐藤先生は語る。

たしかに「量子コンピュータ、量子アルゴリズムを学びたい高校生のために」という記事で紹介した「高校数学でわかるシュレディンガー方程式:竹内淳」や「クラウド量子計算入門: 中山茂」では、不可解さを意識せずに量子力学が使われている。

でもそれはなぜかというと、量子情報に焦点をあてているからである。では量子情報とは何かというと「量子の状態」のことである。

そもそも「情報」は物理学なのだろうか?この世界で人間がとらえることのできるのは「観測できるもの」でありそれは「多数の原子の状態」がマクロな意味で測定できることが前提になる。


情報理論は量子的になる以前、古典物理にもあった。現在使われているノイマン型コンピュータである。また、集団としての原子がどのようにマクロな世界に測定値としてあらわれてくるかは、アインシュタインが原子説を立証する以前、19世紀にボルツマンが「ボルツマンの公式」として導いている。ニュートン力学と電磁気学だけでは解明できない「ミクロとマクロのつながり」、「マクロの世界にあらわれる不可逆性のよりどころ」は19世紀末に研究が始まっていた。

また、ニュートン力学を一般化した解析力学も量子力学への架け橋になったことは「よくわかる量子力学:前野昌弘」に書かれているようによく知られていることだが、ハミルトニアン流の解析力学とは、つまり相空間における状態から状態への遷移の法則を明らかにすることであり、これが時間の経過を必要としない電子の遷移の本質を示しているのだと佐藤先生は解説している。

つまり解析力学は古典力学を楽に解くだけでなく、ハイゼンベルク流の量子力学の本質を理解するために必要だというわけだ。大学で学ぶ力学、解析力学、熱力学・統計力学が19世紀にそれぞれどのような形でミクロとマクロの世界を結び付けていったかが本書を読むとよく理解できるのである。ここが素晴らしい。

そしてこのような古典物理がどのように量子物理に引き継がれていったかが、明瞭に理解できるようになるのだ。このあたりは「量子力学の数学的基礎: J.v.ノイマン」に通じるものがある。つまり情報(状態)の古典計算、量子計算における不可逆性、可逆性がどのようにマクロな世界で観測される物理になるのか、現在研究されている量子アルゴリズム、量子プログラミングにまで解説が及んでいる。


量子コンピュータまで説明したのだから「量子論の奇妙さ、不思議さばかりを強調する科学教養書は、そろそろ卒業しましょうよ。」といきたいところだが、本書ではそう簡単にはいかないのである。

本書後半の第6章「量子力学とマッハの残照」から始まる科学哲学の話だ。19世紀の物理学者エルンスト・マッハに関する本は読んだことがないが、ニュートン力学の絶対時間・絶対空間を否定した学者だということは知っていた。しかし前提知識がなく、わかりにくかったので松岡正剛の千夜千冊「157夜『マッハ力学』エルンスト・マッハ」を事前に読んでおいた。

なぜいまさらマッハなの?と思われる方が多いと思う。でもそれは古典物理の時代から「観測問題」はあったのであり、その時代の物理学者の研究方法に対して疑問を投げかけ、物理学を超えて思想的にも影響力のあったマッハの業績は重要だと佐藤先生はおっしゃっている。

それはマッハが没した1916年以降の物理学の方法、つまり量子力学に始まり素粒子物理学に至るまで現代行われている科学の方法にまで影響を与える内容なのだ。科学哲学には関心がなかった僕であるが、湯川秀樹先生がお書きになった思想的、哲学的な背景が感じられる文章を読んでいると、無視してはならない事がらなのだということが(少しだけ)理解できた。


「量子力学のもつ魔性」、つまり「波なのか粒子なのか?」から始まり瞬間的に軌道をジャンプする電子、二重スリットの実験、電子に軌道があるのかないのか、複素値をもつ波動関数の解釈、観測すると状態が収縮する、不確定性関係、多世界解釈などは、結局のところハイゼンベルクやシュレディンガーの段階の量子力学では理解できず、場の量子論によって説明できることがあるというのが「量子論はなぜわかりにくいのか「粒子と波動の二重性」の謎を解く: 吉田伸夫」の主張だった。

この点についての一例が本書の巻末補遺「光子によるヤング干渉の誤解を正す」に書かれている。ご存知のとおりヤングの干渉実験によって示されたのは光子の波動性であるが、量子としての光子の波動方程式はシュレディンガー方程式ではない。(このことは8年ほど前にT_NAKAさんから教えていただいた。)光子の波動方程式はマックスウェル方程式である。

では光子を量子とみなしたときヤング干渉を導くことができるのだろうか?それを数式で示したのがこの巻末補遺なのだ。光子の生成演算子(本書では「作用素」という言葉を使っている)と消滅演算子を使って行う計算は学んだことがある。その次にマクスウェル方程式を量子化して計算を続けることによって無数の調和振動子によって表現される量子場が導かれ、干渉縞が見事に再現されるのだ。このような計算を見たのは初めてである。

そしてその後、相対論化したシュレディンガー方程式(ディラック方程式)の誤解と正しい解釈、ファインマンの繰り込み理論と経路積分、朝永振一郎の超多時間理論のもつ意味、不完全な量子力学、量子情報理論の基礎となる「hのない量子力学」をどのように考えるべきかなどが語られる。


あと全体をとおして言えることだが、佐藤先生の文章力、解説力、斬新な語り口に圧倒された。いつも同じような言葉を使って、凡庸な言い回ししかできない自分の未熟さを思い知った。ブログを書く身としてこれから書く記事では大いに参考にしたい。

「書かれていることのひとつひとつをすべてツイートしたくなる。」本であるから、紹介記事にはとても書ききれない。本書に書かれていることの1パーセント、伝えたいことの1割でもこの記事でご理解いただければ僕としてはじゅうぶん満足である。

本の表紙に描かれているのは「シュレディンガーの猫」ではなく鏡の国のアリスに登場する「チェシャ猫」である。なぜそうしたのかは本書に書かれていない。僕はふたつの答を思いついたが、ぜひ本書をお読みになってご自身の答を見つけてほしい。




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アインシュタインの反乱と量子コンピュータ: 佐藤文隆



はしがき
第1章 「起こる」と「知る」の差EPR——パラドックス
 「手袋事件」
 手袋事件の原子版
 EPR論文の衝撃とシュレーディンガーの猫
 学界はEPRを無視
 無視しても支障ないことの不思議
 コペンハーゲン精神
 統計理論か?
 隠れた変数
 ベルの不等式
  コラム1 ベル不等式の証明
 実験で量子力学に軍配
 アスペの実験
 局所因果性
 量子的絡み合いとホリズム

第2章 アインシュタインと量子力学——創業者の反逆?
 「月は見ているときしか存在しない?」
 “ハイテクの父”アインシュタイン
 「物理学の世紀」
 原子の世界へ——量子の発見
 相対論とは何か
 ボーアの大方針——古典論から新理論へ
 数理理論の構築へ——行列力学と波動力学
 アインシュタインの関与
 強引な伝道師ボーア
 物理的総仕上げ——不確定性関係
 ボーア—アインシュタイン論争
 ナチスのアインシュタイン攻撃
 アメリカ亡命
 アインシュタインの誤り
 「孤独になったアインシュタイン」

第3章 量子力学解釈問題小史——「世界」と「歴史」の作り方
 「驚天動地のスーパーサイエンス物語」
 『ネーチャー』のスタンス
 量子情報のアインシュタイン
 異端の列伝
 「不可分の宇宙」——ボーム
 「多世界」——エヴェレ
 「遅れた選択干渉実験」——ホイラー
 「隠れた変数」——ベル
 古典と量子の切り替へ——デコヒーレンス
 古典的存在論——無撞着歴史
 人類の特殊性を炙り出す
 コラム2 ヒュー・エヴェレ(Hugh Everett 1930.11.11—1982.6.19)

第4章 力学理論の構造——「起こる」か?「ある」か?
 基礎概念の定義不在
 作用量子——非連続
 小さい作用量
 古典と量子
 古典力学の拡張
 境界条件
 最小作用原理
 配位空間と位相空間
 解析力学——演算子、正準変換、ハミルトン・ヤコビ方程式
 解析力学の言葉と量子力学の言葉
 有限の状態数
 “出来事がある”
 量子力学の三要素
 水素原子の波動関数——誤解の源泉
 ベクトルのイメージ
 状態ベクトルへの飛躍
 素材と情報
 状態ベクトルの変化——UとR
 写像と復元
 ミクロのマクロへの還元

第5章 量子力学理論の切り分け——hのない量子力学
 量子コンピュータ
 多世界解釈
 ビットからq—ビットへ
 hのない量子力学
 どっちが幹でどっちが小枝か?
 思わぬ伏兵参入
 コンピュータは電子で動くのか? OSで動くのか?
 量子情報のハードとソフト
 論理ゲート
 物理過程か?情報処理か?
 量子テレポテーションと量子暗号
 デコヒーレンス
 宇宙は計算過程

第6章 量子力学とマッハの残照
 ハイゼンベルグの一九二五年論文
 物理学者マッハ
 「アインシュタインの立場」
 マッハの過ち
 アインシュタインとの対話
 マッハをめぐる思想状況の変化
 マッハとは何者か
 名士マッハ
 物理学では負け組となった大人物
 20世紀のマッハ
 「職業としての学問」
 「唯物論と経験批判論」
 マッハの真骨頂
 マッハの時代の終焉
 マッハ再論

第7章 「非決定論」のウイーン
 「ボルツマン」の継承とは?
 三つの座標軸
 文理融合の学問を求めて——エクスナー
 自由人——マッハ
 専門科学界の守護神——プランク
 力学の統計——ボルツマン
 情報の学問
 一元論主義——オストワルド
 再び大教授エクスナー
 学者の一家
 非決定論思潮

第8章 湯川秀樹にとっての量子力学
 湯川の世界一周
 「アメリカ日記」
 アインシュタインとの対話
 量子力学不信
 解析力学経由で量子力学へ
 量子力学の最前線に追いつく
 意外と国際的な日本
 「向こう側」からみる
 「観測の理論」一九四七—四八年
 遠隔相関でないEPR
 「人間的立場の二重性」
 「ひとつの法」

第9章 確率と不安——ランダムか情報不足か
 不安解消?
 ラプラスの「無知の度合い」
 過去未来の対称、非対称
 ランダム
 形式主義と直観主義
 違うものの同一視
 コロモゴロフの公理——予測を数字へ「写像」
 写像と復元
 「再チャレンジ」
 統計と推測
 大数の法則
 ギブスのアンサンブル=多世界解釈
 年金記録騒動とデカルト的座標系

第10章 「科学」という制度をマッハから問う
 量子力学の魔性に見るもの
 万事平常な量子力学の姿
 言葉の健康度
 マッハの知覚とは
 測定機器で拡大した知覚
 実在論批判
 ポジテヴィズムと科学
 動機的実在論
 「三つの世界」
 「真の理論」か「良い理論」か?
 「ウソを教えない工夫」

 あとがき
 引用・参考文献
 図版出典一覧
 光子によるヤング干渉の誤解を正す
 索引

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