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今年は講談社ブルーバックス創刊50周年。僕にとっていちばん印象に残っているのは「マイ・コンピュータ」3部作だ。著者は東京電機大学で助教授をされていた安田寿明先生で、最初の2冊が刊行されたのが1977年、3冊目は1978年に刊行された。先生が42歳の頃にお書きになった本である。
ひとつ前の「1970年代の関数電卓について記事」の最後のほうでは「この時期、あるとんでもないモノが私たちの知らないところで開発されていたのだ。私たちはそれを1976年の秋に初めて目にすることになる。」と書いた。この年に私たちがいったい何を目にしたのか、当時にタイムスリップする小説仕立てで記事を書いてみることにしよう。
昭和51年(1976年)の秋葉原
昭和51年の秋のとある週末、中学2年生の僕は国電の秋葉原駅で電車を降り、いつものように使用済みの切符を改札で駅員に渡してから外に出た。すがすがしい秋晴れの土曜日の午後だった。小学生の頃は万世橋のところにある交通博物館に何度も行っていたから、この界隈は僕にとってすでに馴染みの場所になっていた。
駅舎は戦後建てられたそうだがいったい何年経っているのだろう。晴れているのに改札の外は薄暗く、駅舎の古さをよけいに印象付けている。後で混雑しているといけないので帰りの切符も先に買っておくことにした。
駅前広場は最新型のラジカセやオーディオ機器、アマチュア無線機、電子部品などを目当てに来た大人たちで混雑している。歩いているのは男性ばかりである。このような電気街に買い物に来る女性はごく少数派だ。大学生のカップルはときどき見かけるけれども、30分も歩いているうちにきっと女の子は退屈してしまうだろう。秋葉原はそんな街だった。
近くに人だかりができていたので行ってみると、台所用品の実演販売をしているのが見えた。小学生の頃から僕はこういうのを見るのが好きだった。同じ実演を繰り返しているだけなのに1時間以上見ていたこともある。
その日は2パターンほど実演販売を見てから、すぐ前のラジオ会館に入った。僕はこの建物をとても巨大な生き物のように感じていた。巨大生物の体内には宝物のような電気製品や電子部品があふれていて、たくさんの人間を空気のように吸い込んだり吐き出したりしている。1階から最上階まで電気製品や電子部品を売っている店しか入っていないこのビルに一歩でも足を踏み入れると、そこには日常から切り離された別世界が広がっていた。整然と秩序に従って商品を陳列してある新宿の京王デパートなどとは興奮の度合いが全く違う。
ラジオ会館にはデパートと決定的に違うことがある。デパートだとどの階のどの売場に行ってもそこに何が売られているのか中学生の僕でもすぐわかる。けれどもラジオ会館は違っていた。アマチュア無線機売り場に行くと、確かに無線機が何台も置いてあるのだが、どれがどう違うのかさっぱりわからない。さらにその周辺機器らしきものも陳列されている。いったいこれは何のために使うのだろう?オーディオ機器売り場でも同じことだ。値段の安いものから高いものまで、チューナーやアンプくらいならわかるが、意味不明な機材がたくさん並んでいる。おそらくこのビルで売っている品物の半分くらいは僕が知らないものだ。理解できないものがたくさんあるのは、こんなにワクワクするものなのだ。
「電子頭脳」との出会い
フロアの奥のほうに人が集まっているのが見えた。いったい何だろう?吸い寄せられるように僕は歩いていく。見物人たちの視線の先にあったのは緑色のプリント基板にICがたくさん取り付けられた「何か」だった。横にはこんな張り紙がある。
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「無限の可能性を秘めた身近なマイクロコンピュータ?」
にわかには信じられなかった。
「コンピュータって、あのコンピュータのこと??」
数週間前、中野ブロードウェイの明屋書店で立ち読みした学習図鑑にコンピュータの写真があったのを思い出した。それはこういう感じの大型コンピュータで、まさに「電子頭脳」と呼ぶにふさわしい巨大な装置だった。
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この巨大な電子頭脳がいったい何をするものか僕にはさっぱり理解できていなかった。それが「計算機」であることは図鑑の説明に書かれていたけれども、それほどすごい計算が必要なことってあるのだろうか?関数電卓までしか知らない僕には全く想像がつかなかった。それでもひとつだけわかっていたのは、それは膨大な知識を記憶していて、それらの知識を使った難しい問題を自動的に計算し、答を出してくれる神様のような存在であるということだ。人間が何百年かけてもできない計算を数分のうちに解いてしまう万能装置である。
僕を含めて一般の人が持っていたコンピュータのイメージは当時そのようなものだったのだ。それが今ここで売られている。しかもたった8万8千円で。。。
僕の目は30分ほどその「電子頭脳」を離れることはできなかった。できることならずっとそこにいたかった。基板丸出しの状態なのに、このコンピュータは格好良すぎる。正方形に25個のキーが配置され、その上に8桁の赤い発光ダイオードで数字が表示できるようになっている。コンピュータには「NEC TK-80」という「名前」がつけられていた。
「たった8万8千円」とはいえ僕の小遣いで買える金額ではない。こういうのを買える大人たちがうらやましかった。買えるはずもないのに売り切れにならないか心配になった。そしてその日は後ろ髪を引かれながらもパンフレットだけもらって帰ることにしたのだ。
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「自分で組立て、使いこなすコンピュータ。週刊誌大のボディに秘められた性能は無限です。」
胸が熱くなった。電子工作はかじったことがあるので説明書どおりにやれば僕にも作ることができる。半田ごてはすでに持っているのであとはこれを買うだけだ。自分だけのコンピュータを持つなんて昨日までは夢にも思わなかったことなのだ。けれども数ヶ月前に天体望遠鏡を買ってもらったばかりなので、とても親にねだれるタイミングではなかった。
その年の6月と9月にはNASAのバイキング1号とバイキング2号が火星に相次いで着陸し、赤茶けた火星表面の鮮明なカラー画像を地球に送り、世界中が火星ブームに沸き立っていた。買ってもらたばかりの天体望遠鏡で見る小さな火星とコンピュータを買ってもらえない無力でちっぽけな自分が重なって見えた。
それから数ヶ月、僕は何度もそのパンフレットを見たり秋葉原にマイコンキットを見に行ったりしていた。その頃には同じようなマイコンキットやその完成品が次々と各社から発売されていて、その年が終わる頃にはどれを買ってよいのか僕はわからなくなっていた。
翌年「マイ・コンピュータ入門」が刊行された
年が明けて昭和52年になり4月、僕は中学3年生になった。クラス替えはなかったが担任は体育担当から理科担当の先生に変わっていた。高校受験やクラスの友達との関係(恋愛問題も含む)を抱えた多感な年頃である。
その当時、最寄りの京王線笹塚駅は改札も含めて地上にあったのだが、3年後の都営新宿線開通を目指して高架化の工事が始まっていた。(参考記事:「むかしの笹塚」、参考ページ:「1980年3月笹塚、都営新宿線開業」)
京王線は甲州街道と平行して走っているのだが、駅から甲州街道を渡ったところから始まる笹塚十号通り商店街には山田書店という小さな本屋さんがあった。(2013年現在、その場所は「お菓子のまちおか」になっている。)
中学3年の夏休みのある日、僕は山田書店にとある本が売られているのに気がついた。
「マイ・コンピュータ入門―コンピュータはあなたにもつくれる:安田寿明」
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「マイ・コンピュータ」という略称は聞いたことがない。マイクロを「マイ」と略すのは不自然だから、普通に解釈すれば「私のコンピュータ」だ。店番をしていた山田書店のおばあちゃんに僕は本の代金を払った。いつもニコニコして愛嬌たっぷりのおばあちゃんだった。
僕はこの本をむさぼるように読んだ。冒頭には秋葉原や大阪の電気街で個人用のコンピュータが発売開始されたときのことを「みなさんはご存知だったでしょうか?」と驚きをもって紹介している。
何より僕が驚いたのはこの本を書いた先生がマイコンキットが登場するはるか以前から「マイ・コンピュータ(=自分のコンピュータ)」を自作していたという事実だった。部品を自分で選び、ひとつづつ丹念にプリント基板に半田付けしていく。そうやって先生はコンピュータを6台も完成させてしまった。。。。
次の写真が先生のお作りになった第1号機である。7セグメントLEDを使った16進で表示をするのではなく、豆電球のようなLEDによる2進数で表示される。もちろんデータやプログラムの入力もスイッチを使った2進数方式で行う。Intel 8008 CPUが使われている。
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この本にはコンピュータの原理が回路図とともに詳しく解説されていた。CPUという中央演算処理を行うシリコンチップと情報やプログラムの記憶をするメモリーからコンピュータが構成されていること。世界で最初のCPUは1971年に開発され、量産することでそれが個人でも買える時代になっていること。コンピュータは2進法や16進法で命令やデータを処理することなどだ。
世界初のCPUとして開発されたIntel 4004やその翌年に発表されたIntel 8008には嶋正利という日本人技術者が大きな役割を果たしており、その開発の経緯は「マイクロコンピュータの誕生―わが青春の4004:嶋正利」として出版されている。
Intel 4004
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マイコンキットとは
「マイ・コンピュータ入門―コンピュータはあなたにもつくれる:安田寿明」には前の年に僕が秋葉原で目撃したNEC TK-80や他社のマイコンキットについても解説されていたので、結局それがどういうものであるのかが中学生の僕にも理解することができた。そしてわかったのは次のようなことだったのである。
まずこのセットは「トレーニングキット」であるというのがミソだ。コンピュータの原理の学習をするために、自分で半田付けをして組み立てる未完成品だということ。そしてこれは電子頭脳の「頭」の部分であって、手足に相当する周辺機器は自分で用意する必要があることだ。電源さえ自分で用意してボードにつなげなければならない。
周辺機器なしで使えるのは、もともとついている電卓のようなキーボードと8桁の7セグメントの数字表示ユニットだけである。プログラムを組むためには紙にアセンブリ言語というCPU固有の言語を使って手書きし、表を見ながらひとつづつそれらを16進数の「数字」に置き換えてキーボードからひたすら打ち込まなければならない。しかも電源を切ると入力したプログラムやデータは消えてしまうのだ。
このキットはCPUとメモリーは備えてあるものの、今日で言うところのOSや素人でも簡単に使えるBASICなどのようなプログラミング言語、ハードディスクなどの記憶装置は備えられていない。もちろんディスプレイもない。「裸の本体」だけなのである。
メモリーといっても現在とは比べ物にならないくらい小さい。記憶できるのはたった512バイト(キロバイトではない)だけなのだ。それにCPUの処理速度も遅い。現代のCPUとは命令の構成が違うので単純比較はできないが、クロック数だけとってみてもTK-80のCPU(Intel 8080Aとほぼ互換のμPD8080A)のクロック数は2.048MHzであるから、現代のIntel Core i7の4コアCPU(3.5GHz x 4)と比べると7000分の1、8ビットCPUと64ビットCPUのデータ処理量を考慮すれば56000分の1の処理能力しかなかったのである。(ちなみに1979年に日本で最初に発売されたパソコンNEC PC-8001に搭載されたZ80互換のCPUのクロック数はTK-80のほぼ2倍の4MHzほどだった。)
安田先生の手作りコンピュータも、NEC TK-80も結局同じことになるが、プログラムやデータの記憶や呼び出しをしたければカセットテープレコーダやオープンリール式のオーディオ用テープレコーダを使わなければならなかった。そしてコンピュータとそれらの機器を接続するために「インタフェース」と呼ばれる電子回路を自作しなければならなかった。英字タイプライターのようなキーボードや画面表示のためのテレビをつなげたいときもインタフェースのための回路を自作する必要があったのだ。
だからこれを買ったほとんどの人が落胆した。「電卓に毛が生えた程度もの」にもすることができず、「ただ眺めているだけ。」とか「友達に見せて自慢する。」という状況だった。この本を読んでいちばんためになったのはそういう状況がわかったことだったのかもしれない。
それにもかかわらずこの本は多くのマニアの心をつかみ、TK-80の売り上げに拍車をかけた。使いこなせる人にとっては無限の可能性があり、そうではないほとんどの人は大金をはたいて「夢」を買ったのだ。次の写真は「使いこなせた人」が機能拡張した例である。
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翌年の11月にはTK-80キットの機能拡張ボードTK-80BSを発売し、BASICが使用でき、出力用のCRTディスプレイとして家庭用のテレビ受像機が使用できるようになった。こうして、TK-80は発売後2年間で約6万6,000台にのぼる売上を記録した。
TK-80BS
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この本の中で安田先生は自作コンピュータとエレクトーンをつなげて自動演奏させ、その方法を詳しく解説されている。またどこかの大学の学園祭で展示していたTK-80の出力をテレビに映して遊ぶ「じゃんけんゲーム」やTiny BASICで組んだスタートレック・ゲームなどの例を紹介している。
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安田先生は未来社会のことを楽しそうに予言している。「今後、冷蔵庫やテレビ、洗濯機、炊飯器をはじめ、自動車や飛行機など身の回りのあらゆる物にマイコンが組み込まれることになるでしょう。」そしてまた先生は「将来はコンピュータを使って音楽や写真、映画なども楽しめるようになるでしょう。」とお書きになっている。36年も前に先生は自作コンピュータを作りながら、今私たちが経験している世界を想像されていたのだ。
2冊目と3冊目の内容
その後、1冊目と同じ年の秋に安田先生は2冊目の「マイ・コンピュータ入門―コンピュータはあなたにもつくれる:安田寿明」を出版し「それでは実際にコンピュータはどのようにして作るのか。」を半田付けの仕方から詳しく解説され、翌年の春に3冊目「マイ・コンピュータをつくる―組み立てのテクニック:安田寿明」を出版して「コンピュータと周辺機器はどのようなインタフェース回路を作ってつなげればよいのか。」ということを解説した。これで「安田3部作」が完結する。
「マイ・コンピュータ入門―コンピュータはあなたにもつくれる:安田寿明」の裏書き:
もはや、コンピュータがガラス張りの部屋に置かれ、ひとにぎりのエリート・ビジネスマンやエンジニアだけがそれを操作する時代は終わった。
神様扱いされたコンピュータは死に、だれもが気軽に使え、持つことができる新しいコンピュータ時代がやってきたのである。そして、その新型コンピュータ―マイ・コンピュータは、中学生でも、その気になれば、自作できるようになったのである。
さて、コンピュータを手づくりする人たちまで出現したいま、これからの私たちの前にどのようなコンピュータ文化が展開されていくのだろうか?
「マイ・コンピュータをつくる―組み立てのテクニック:安田寿明」の裏書き:
“人工頭脳”とあがめられていたコンピュータが、「マイコン」という、だれもが気軽に使え、持つことができる、じつに楽しい機械となって出現した。
「マイ・コンピュータ入門」の続篇としての本書は、マイ・コンピュータのつくり方の初歩テキストである。どうせ手づくりするなら、本格的なコンピュータが良い。そこで、昭和52年春に開発されたばかりの、最も優秀な性能を有するLSI(大規模集積回路)を利用して、最終的には、大型電子計算機メーカー顔負けの本格的コンピュータを手づくりする方法について、くわしく解説しよう。
「マイコンピュータをつかう―周辺機器と活用の実際:安田寿明」の裏書き:
マイクロ・コンピュータは本体だけでは飾りものでしかない。自分自身の生活設計や仕事に活用しようと思えば、付属機器やソフトウェアの知識が、必要となってくる。これらの理解のため、本書では、マイクロ・コンピュータではじめて「ファイル」という概念で解説を進めた。
グレード・アップには欠くことのできない大容量のメモリの増設や、基本的入出力機器の活用法はもとより、データ通信、テレビジョン受像機によるディスプレイに至るまでを丁寧に処方している。最後に、付録として初歩的な台数知識で複雑な計算が望むままにできる電大版タイニイBASICを掲載したことも本書の特色である。
2冊目、3冊目と進むにつれてどんどん難しくなっている。中学生のときに3冊とも買ったのだが、2冊目の途中でギブアップしてしまった。
安田先生は昭和10年生まれだから現在78歳になっておられるはずだ。僕の父と同じ年齢なので戦時中は小学生で学童疎開を経験した世代である。お元気にされているのだろうか?先生がお作りになった自作コンピュータたちは今もどこかにあるのだろうか?その後のコンピュータやソフトウェアの発展をどのように先生はお感じになっているのだろうか?そのようなことが気になっている。
その後の展開
現代の生活ではコンピュータはたいていの人が持っていて、日々の生活に欠かせないものになっている。そしてパソコンやスマートフォンはもはや文房具や通信手段として、コンピュータのしくみを理解していなくても使えるまでに進化している。(もちろん使いこなせない人もいるわけではあるが。)けれどもパソコンやスマートフォンはきわめて高度に進化しているため、もはや素人がその動作原理を想像する余地は無い。今の時代にパソコンやスマートフォンのしくみ自体に興味を持ち、ワクワクするような人はほとんどいないことだろう。
しかし、この「安田3部作」が世に出た頃は違っていた。理数工学系という垣根を超えて、かなり多くの人々の知的好奇心を掻き立てていたのである。その後1979年に、買ったその日にすぐ使えるNEC PC-8001パソコンが発売され、それらはほとんどゲームをするために使われるようになった。BASIC言語やアセンブリ言語でプログラミングを学んでいたのは少数派である。MS-DOSがリリースされたのはさらに2年後の1981年のこと、任天堂の初代ファミコンが発売されたのは1983年のことである。
ブルーバックス創刊50周年に寄せて
今回ブルーバックス創刊50周年に合わせて「安田3部作」を中古で購入した。その後、コンピュータのハードウェアやソフトウェアの勉強をしてきたので今なら読むことができる。
この3部作によってマイコンというものが広く、そして正確な形で日本社会に知られるようになり、その後のパソコン・ブームに引き継がれていった。
安田先生のこの功績を若い人にも知っておいてもらいたいと思い、今回紹介させていただいた。本も1冊ずつ読んでレビュー記事を書いてみようと思う。「また寄り道するのか?」とか「場の量子論の勉強はどうするんだ?」とかいう声が聞こえてきそうだが、とりあえず物理の勉強は後回しだ。
また、NEC TK-80やその他のワンボードマイコンについての解説記事も書いてみたい。これは長くなりそうなので別記事にということにしよう。
個人用コンピュータ黎明期の活気と未来への期待感を教えてくれる名著なのだが36年が経っているので3冊とも絶版状態だ。「安田3部作」を中古本を購入される方はこちらからどうぞ。
「マイ・コンピュータ入門―コンピュータはあなたにもつくれる:安田寿明」(リンク2)
「マイ・コンピュータをつくる―組み立てのテクニック:安田寿明」(リンク2)
「マイコンピュータをつかう―周辺機器と活用の実際:安田寿明」
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最後になるが1970年代の後半、ブルーバックスでは次のような本に人気があったそうだ。(画像はクリックで拡大する。)
数学・物理学系:
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生物医学・地球物理学系:
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関連記事:
真空管式コンピュータへのノスタルジア(EDSAC)
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/14c9aeedfcda78c9fd9ff4b677435283
ファインマン計算機科学:ファインマン, A.ヘイ, R.アレン
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/4f7f453019fd463ed2bfdeaa7b288d79
量子コンピュータ入門:宮野健次郎、古澤明
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/ef75709187cf4b35a12f2d9fdf73a320
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昭和51年(1976年)の秋葉原
昭和51年の秋のとある週末、中学2年生の僕は国電の秋葉原駅で電車を降り、いつものように使用済みの切符を改札で駅員に渡してから外に出た。すがすがしい秋晴れの土曜日の午後だった。小学生の頃は万世橋のところにある交通博物館に何度も行っていたから、この界隈は僕にとってすでに馴染みの場所になっていた。
駅舎は戦後建てられたそうだがいったい何年経っているのだろう。晴れているのに改札の外は薄暗く、駅舎の古さをよけいに印象付けている。後で混雑しているといけないので帰りの切符も先に買っておくことにした。
駅前広場は最新型のラジカセやオーディオ機器、アマチュア無線機、電子部品などを目当てに来た大人たちで混雑している。歩いているのは男性ばかりである。このような電気街に買い物に来る女性はごく少数派だ。大学生のカップルはときどき見かけるけれども、30分も歩いているうちにきっと女の子は退屈してしまうだろう。秋葉原はそんな街だった。
近くに人だかりができていたので行ってみると、台所用品の実演販売をしているのが見えた。小学生の頃から僕はこういうのを見るのが好きだった。同じ実演を繰り返しているだけなのに1時間以上見ていたこともある。
その日は2パターンほど実演販売を見てから、すぐ前のラジオ会館に入った。僕はこの建物をとても巨大な生き物のように感じていた。巨大生物の体内には宝物のような電気製品や電子部品があふれていて、たくさんの人間を空気のように吸い込んだり吐き出したりしている。1階から最上階まで電気製品や電子部品を売っている店しか入っていないこのビルに一歩でも足を踏み入れると、そこには日常から切り離された別世界が広がっていた。整然と秩序に従って商品を陳列してある新宿の京王デパートなどとは興奮の度合いが全く違う。
ラジオ会館にはデパートと決定的に違うことがある。デパートだとどの階のどの売場に行ってもそこに何が売られているのか中学生の僕でもすぐわかる。けれどもラジオ会館は違っていた。アマチュア無線機売り場に行くと、確かに無線機が何台も置いてあるのだが、どれがどう違うのかさっぱりわからない。さらにその周辺機器らしきものも陳列されている。いったいこれは何のために使うのだろう?オーディオ機器売り場でも同じことだ。値段の安いものから高いものまで、チューナーやアンプくらいならわかるが、意味不明な機材がたくさん並んでいる。おそらくこのビルで売っている品物の半分くらいは僕が知らないものだ。理解できないものがたくさんあるのは、こんなにワクワクするものなのだ。
「電子頭脳」との出会い
フロアの奥のほうに人が集まっているのが見えた。いったい何だろう?吸い寄せられるように僕は歩いていく。見物人たちの視線の先にあったのは緑色のプリント基板にICがたくさん取り付けられた「何か」だった。横にはこんな張り紙がある。
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にわかには信じられなかった。
「コンピュータって、あのコンピュータのこと??」
数週間前、中野ブロードウェイの明屋書店で立ち読みした学習図鑑にコンピュータの写真があったのを思い出した。それはこういう感じの大型コンピュータで、まさに「電子頭脳」と呼ぶにふさわしい巨大な装置だった。
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この巨大な電子頭脳がいったい何をするものか僕にはさっぱり理解できていなかった。それが「計算機」であることは図鑑の説明に書かれていたけれども、それほどすごい計算が必要なことってあるのだろうか?関数電卓までしか知らない僕には全く想像がつかなかった。それでもひとつだけわかっていたのは、それは膨大な知識を記憶していて、それらの知識を使った難しい問題を自動的に計算し、答を出してくれる神様のような存在であるということだ。人間が何百年かけてもできない計算を数分のうちに解いてしまう万能装置である。
僕を含めて一般の人が持っていたコンピュータのイメージは当時そのようなものだったのだ。それが今ここで売られている。しかもたった8万8千円で。。。
僕の目は30分ほどその「電子頭脳」を離れることはできなかった。できることならずっとそこにいたかった。基板丸出しの状態なのに、このコンピュータは格好良すぎる。正方形に25個のキーが配置され、その上に8桁の赤い発光ダイオードで数字が表示できるようになっている。コンピュータには「NEC TK-80」という「名前」がつけられていた。
「たった8万8千円」とはいえ僕の小遣いで買える金額ではない。こういうのを買える大人たちがうらやましかった。買えるはずもないのに売り切れにならないか心配になった。そしてその日は後ろ髪を引かれながらもパンフレットだけもらって帰ることにしたのだ。
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胸が熱くなった。電子工作はかじったことがあるので説明書どおりにやれば僕にも作ることができる。半田ごてはすでに持っているのであとはこれを買うだけだ。自分だけのコンピュータを持つなんて昨日までは夢にも思わなかったことなのだ。けれども数ヶ月前に天体望遠鏡を買ってもらったばかりなので、とても親にねだれるタイミングではなかった。
その年の6月と9月にはNASAのバイキング1号とバイキング2号が火星に相次いで着陸し、赤茶けた火星表面の鮮明なカラー画像を地球に送り、世界中が火星ブームに沸き立っていた。買ってもらたばかりの天体望遠鏡で見る小さな火星とコンピュータを買ってもらえない無力でちっぽけな自分が重なって見えた。
それから数ヶ月、僕は何度もそのパンフレットを見たり秋葉原にマイコンキットを見に行ったりしていた。その頃には同じようなマイコンキットやその完成品が次々と各社から発売されていて、その年が終わる頃にはどれを買ってよいのか僕はわからなくなっていた。
翌年「マイ・コンピュータ入門」が刊行された
年が明けて昭和52年になり4月、僕は中学3年生になった。クラス替えはなかったが担任は体育担当から理科担当の先生に変わっていた。高校受験やクラスの友達との関係(恋愛問題も含む)を抱えた多感な年頃である。
その当時、最寄りの京王線笹塚駅は改札も含めて地上にあったのだが、3年後の都営新宿線開通を目指して高架化の工事が始まっていた。(参考記事:「むかしの笹塚」、参考ページ:「1980年3月笹塚、都営新宿線開業」)
京王線は甲州街道と平行して走っているのだが、駅から甲州街道を渡ったところから始まる笹塚十号通り商店街には山田書店という小さな本屋さんがあった。(2013年現在、その場所は「お菓子のまちおか」になっている。)
中学3年の夏休みのある日、僕は山田書店にとある本が売られているのに気がついた。
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「マイ・コンピュータ」という略称は聞いたことがない。マイクロを「マイ」と略すのは不自然だから、普通に解釈すれば「私のコンピュータ」だ。店番をしていた山田書店のおばあちゃんに僕は本の代金を払った。いつもニコニコして愛嬌たっぷりのおばあちゃんだった。
僕はこの本をむさぼるように読んだ。冒頭には秋葉原や大阪の電気街で個人用のコンピュータが発売開始されたときのことを「みなさんはご存知だったでしょうか?」と驚きをもって紹介している。
何より僕が驚いたのはこの本を書いた先生がマイコンキットが登場するはるか以前から「マイ・コンピュータ(=自分のコンピュータ)」を自作していたという事実だった。部品を自分で選び、ひとつづつ丹念にプリント基板に半田付けしていく。そうやって先生はコンピュータを6台も完成させてしまった。。。。
次の写真が先生のお作りになった第1号機である。7セグメントLEDを使った16進で表示をするのではなく、豆電球のようなLEDによる2進数で表示される。もちろんデータやプログラムの入力もスイッチを使った2進数方式で行う。Intel 8008 CPUが使われている。
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この本にはコンピュータの原理が回路図とともに詳しく解説されていた。CPUという中央演算処理を行うシリコンチップと情報やプログラムの記憶をするメモリーからコンピュータが構成されていること。世界で最初のCPUは1971年に開発され、量産することでそれが個人でも買える時代になっていること。コンピュータは2進法や16進法で命令やデータを処理することなどだ。
世界初のCPUとして開発されたIntel 4004やその翌年に発表されたIntel 8008には嶋正利という日本人技術者が大きな役割を果たしており、その開発の経緯は「マイクロコンピュータの誕生―わが青春の4004:嶋正利」として出版されている。
Intel 4004
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マイコンキットとは
「マイ・コンピュータ入門―コンピュータはあなたにもつくれる:安田寿明」には前の年に僕が秋葉原で目撃したNEC TK-80や他社のマイコンキットについても解説されていたので、結局それがどういうものであるのかが中学生の僕にも理解することができた。そしてわかったのは次のようなことだったのである。
まずこのセットは「トレーニングキット」であるというのがミソだ。コンピュータの原理の学習をするために、自分で半田付けをして組み立てる未完成品だということ。そしてこれは電子頭脳の「頭」の部分であって、手足に相当する周辺機器は自分で用意する必要があることだ。電源さえ自分で用意してボードにつなげなければならない。
周辺機器なしで使えるのは、もともとついている電卓のようなキーボードと8桁の7セグメントの数字表示ユニットだけである。プログラムを組むためには紙にアセンブリ言語というCPU固有の言語を使って手書きし、表を見ながらひとつづつそれらを16進数の「数字」に置き換えてキーボードからひたすら打ち込まなければならない。しかも電源を切ると入力したプログラムやデータは消えてしまうのだ。
このキットはCPUとメモリーは備えてあるものの、今日で言うところのOSや素人でも簡単に使えるBASICなどのようなプログラミング言語、ハードディスクなどの記憶装置は備えられていない。もちろんディスプレイもない。「裸の本体」だけなのである。
メモリーといっても現在とは比べ物にならないくらい小さい。記憶できるのはたった512バイト(キロバイトではない)だけなのだ。それにCPUの処理速度も遅い。現代のCPUとは命令の構成が違うので単純比較はできないが、クロック数だけとってみてもTK-80のCPU(Intel 8080Aとほぼ互換のμPD8080A)のクロック数は2.048MHzであるから、現代のIntel Core i7の4コアCPU(3.5GHz x 4)と比べると7000分の1、8ビットCPUと64ビットCPUのデータ処理量を考慮すれば56000分の1の処理能力しかなかったのである。(ちなみに1979年に日本で最初に発売されたパソコンNEC PC-8001に搭載されたZ80互換のCPUのクロック数はTK-80のほぼ2倍の4MHzほどだった。)
安田先生の手作りコンピュータも、NEC TK-80も結局同じことになるが、プログラムやデータの記憶や呼び出しをしたければカセットテープレコーダやオープンリール式のオーディオ用テープレコーダを使わなければならなかった。そしてコンピュータとそれらの機器を接続するために「インタフェース」と呼ばれる電子回路を自作しなければならなかった。英字タイプライターのようなキーボードや画面表示のためのテレビをつなげたいときもインタフェースのための回路を自作する必要があったのだ。
だからこれを買ったほとんどの人が落胆した。「電卓に毛が生えた程度もの」にもすることができず、「ただ眺めているだけ。」とか「友達に見せて自慢する。」という状況だった。この本を読んでいちばんためになったのはそういう状況がわかったことだったのかもしれない。
それにもかかわらずこの本は多くのマニアの心をつかみ、TK-80の売り上げに拍車をかけた。使いこなせる人にとっては無限の可能性があり、そうではないほとんどの人は大金をはたいて「夢」を買ったのだ。次の写真は「使いこなせた人」が機能拡張した例である。
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翌年の11月にはTK-80キットの機能拡張ボードTK-80BSを発売し、BASICが使用でき、出力用のCRTディスプレイとして家庭用のテレビ受像機が使用できるようになった。こうして、TK-80は発売後2年間で約6万6,000台にのぼる売上を記録した。
TK-80BS
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この本の中で安田先生は自作コンピュータとエレクトーンをつなげて自動演奏させ、その方法を詳しく解説されている。またどこかの大学の学園祭で展示していたTK-80の出力をテレビに映して遊ぶ「じゃんけんゲーム」やTiny BASICで組んだスタートレック・ゲームなどの例を紹介している。
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安田先生は未来社会のことを楽しそうに予言している。「今後、冷蔵庫やテレビ、洗濯機、炊飯器をはじめ、自動車や飛行機など身の回りのあらゆる物にマイコンが組み込まれることになるでしょう。」そしてまた先生は「将来はコンピュータを使って音楽や写真、映画なども楽しめるようになるでしょう。」とお書きになっている。36年も前に先生は自作コンピュータを作りながら、今私たちが経験している世界を想像されていたのだ。
2冊目と3冊目の内容
その後、1冊目と同じ年の秋に安田先生は2冊目の「マイ・コンピュータ入門―コンピュータはあなたにもつくれる:安田寿明」を出版し「それでは実際にコンピュータはどのようにして作るのか。」を半田付けの仕方から詳しく解説され、翌年の春に3冊目「マイ・コンピュータをつくる―組み立てのテクニック:安田寿明」を出版して「コンピュータと周辺機器はどのようなインタフェース回路を作ってつなげればよいのか。」ということを解説した。これで「安田3部作」が完結する。
「マイ・コンピュータ入門―コンピュータはあなたにもつくれる:安田寿明」の裏書き:
もはや、コンピュータがガラス張りの部屋に置かれ、ひとにぎりのエリート・ビジネスマンやエンジニアだけがそれを操作する時代は終わった。
神様扱いされたコンピュータは死に、だれもが気軽に使え、持つことができる新しいコンピュータ時代がやってきたのである。そして、その新型コンピュータ―マイ・コンピュータは、中学生でも、その気になれば、自作できるようになったのである。
さて、コンピュータを手づくりする人たちまで出現したいま、これからの私たちの前にどのようなコンピュータ文化が展開されていくのだろうか?
「マイ・コンピュータをつくる―組み立てのテクニック:安田寿明」の裏書き:
“人工頭脳”とあがめられていたコンピュータが、「マイコン」という、だれもが気軽に使え、持つことができる、じつに楽しい機械となって出現した。
「マイ・コンピュータ入門」の続篇としての本書は、マイ・コンピュータのつくり方の初歩テキストである。どうせ手づくりするなら、本格的なコンピュータが良い。そこで、昭和52年春に開発されたばかりの、最も優秀な性能を有するLSI(大規模集積回路)を利用して、最終的には、大型電子計算機メーカー顔負けの本格的コンピュータを手づくりする方法について、くわしく解説しよう。
「マイコンピュータをつかう―周辺機器と活用の実際:安田寿明」の裏書き:
マイクロ・コンピュータは本体だけでは飾りものでしかない。自分自身の生活設計や仕事に活用しようと思えば、付属機器やソフトウェアの知識が、必要となってくる。これらの理解のため、本書では、マイクロ・コンピュータではじめて「ファイル」という概念で解説を進めた。
グレード・アップには欠くことのできない大容量のメモリの増設や、基本的入出力機器の活用法はもとより、データ通信、テレビジョン受像機によるディスプレイに至るまでを丁寧に処方している。最後に、付録として初歩的な台数知識で複雑な計算が望むままにできる電大版タイニイBASICを掲載したことも本書の特色である。
2冊目、3冊目と進むにつれてどんどん難しくなっている。中学生のときに3冊とも買ったのだが、2冊目の途中でギブアップしてしまった。
安田先生は昭和10年生まれだから現在78歳になっておられるはずだ。僕の父と同じ年齢なので戦時中は小学生で学童疎開を経験した世代である。お元気にされているのだろうか?先生がお作りになった自作コンピュータたちは今もどこかにあるのだろうか?その後のコンピュータやソフトウェアの発展をどのように先生はお感じになっているのだろうか?そのようなことが気になっている。
その後の展開
現代の生活ではコンピュータはたいていの人が持っていて、日々の生活に欠かせないものになっている。そしてパソコンやスマートフォンはもはや文房具や通信手段として、コンピュータのしくみを理解していなくても使えるまでに進化している。(もちろん使いこなせない人もいるわけではあるが。)けれどもパソコンやスマートフォンはきわめて高度に進化しているため、もはや素人がその動作原理を想像する余地は無い。今の時代にパソコンやスマートフォンのしくみ自体に興味を持ち、ワクワクするような人はほとんどいないことだろう。
しかし、この「安田3部作」が世に出た頃は違っていた。理数工学系という垣根を超えて、かなり多くの人々の知的好奇心を掻き立てていたのである。その後1979年に、買ったその日にすぐ使えるNEC PC-8001パソコンが発売され、それらはほとんどゲームをするために使われるようになった。BASIC言語やアセンブリ言語でプログラミングを学んでいたのは少数派である。MS-DOSがリリースされたのはさらに2年後の1981年のこと、任天堂の初代ファミコンが発売されたのは1983年のことである。
ブルーバックス創刊50周年に寄せて
今回ブルーバックス創刊50周年に合わせて「安田3部作」を中古で購入した。その後、コンピュータのハードウェアやソフトウェアの勉強をしてきたので今なら読むことができる。
この3部作によってマイコンというものが広く、そして正確な形で日本社会に知られるようになり、その後のパソコン・ブームに引き継がれていった。
安田先生のこの功績を若い人にも知っておいてもらいたいと思い、今回紹介させていただいた。本も1冊ずつ読んでレビュー記事を書いてみようと思う。「また寄り道するのか?」とか「場の量子論の勉強はどうするんだ?」とかいう声が聞こえてきそうだが、とりあえず物理の勉強は後回しだ。
また、NEC TK-80やその他のワンボードマイコンについての解説記事も書いてみたい。これは長くなりそうなので別記事にということにしよう。
個人用コンピュータ黎明期の活気と未来への期待感を教えてくれる名著なのだが36年が経っているので3冊とも絶版状態だ。「安田3部作」を中古本を購入される方はこちらからどうぞ。
「マイ・コンピュータ入門―コンピュータはあなたにもつくれる:安田寿明」(リンク2)
「マイ・コンピュータをつくる―組み立てのテクニック:安田寿明」(リンク2)
「マイコンピュータをつかう―周辺機器と活用の実際:安田寿明」
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最後になるが1970年代の後半、ブルーバックスでは次のような本に人気があったそうだ。(画像はクリックで拡大する。)
数学・物理学系:
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生物医学・地球物理学系:
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