「数学とは何か―アティヤ 科学・数学論集」
内容紹介
20世紀を代表する数学者マイケル・アティヤのエッセイ・講演録を独自に編訳した世界初の試み。数学と物理的実在/科学者の責任/20世紀後半の数学などを題材に,深く・やさしく読者に語りかける。数学者としての高い視点に立って語られる数学論、科学論である。アティヤによる日本の読者に向けた書き下ろし序文付き。2010年刊行、185ページ。
著者略歴
アティヤ,マイケル・F.
1929年英国生まれの数学者。ケンブリッジ大学で博士号を取得したのち、同大学をはじめオックスフォード大学、プリンストン高等研究所など多くの機関で数学研究を行い、幾何学・トポロジーを中心とする様々な分野の発展に貢献した。1966年にフィールズ賞受賞。1970年代からは理論物理学と密接に関わりながら数学の新しい展開を示した。1983年に英国王室よりナイトの爵位を授与され、1990~95年には英国王立協会の会長を務めた。
ウィキペディア:人物紹介
翻訳者略歴
志賀浩二
1930年新潟市に生まれる。1955年東京大学大学院数物系数学科修士課程修了。現在、東京工業大学名誉教授、理学博士。「数学30講シリーズ」をはじめ、一般向け、中級者向けの数学書を多数お書きになっている。
アマゾンで志賀先生の著書を新しい順に: 検索する
理数系書籍のレビュー記事は本書で260冊目。
「数学とは何か(原書第2版):R.クーラント、H.ロビンズ、I.スチュアート」とタイトルは同じだが、本書はまったく別の方向性で書かれた本だ。クーラント博士の本は数学の歴史をたどりながら各分野を学ぶ教科書である。それに対し本書はアティヤ博士による科学や数学についての講演会や論文、ご自身のたどってきた研究の道のりを紹介した本だ。
僕が本書に興味をもったのは博士がシンガー博士とともに1963年に発表、1968年に証明した「アティヤ=シンガーの指数定理」のことを知ったのがきっかけだ。スピンc多様体 の上の複素ベクトル束の間の楕円型微分作用素について、解析的指数と呼ばれる量と位相的指数と呼ばれる量とが等しいという定理である。この定理はその後の数学の発展に影響を与えただけでなく、素粒子物理学(場の量子論、ゲージ理論)や超弦理論との結びつきが明らかになり、物理学者と数学者の交流や共同研究を促進する役割を果たす大きなきっかけになったのだと僕は理解している。そのことは「ゲージ理論とトポロジーの年表」という記事からおわかりになるだろう。
ちなみに「アティヤ=シンガーの指数定理」の証明は「超弦理論:ミチオ・カク」の437ページに載っている。(「超弦理論とM理論:ミチオ・カク」には載っていない。)
というわけで僕がいちばん読みたかった本書の第3部、博士の研究テーマや博士が交流した数学者や物理学者の話は、すべて大学院もしくは研究者レベルなので「大学で学ぶ数学とは」の内容をはるかに超えるものだ。
章立ては次のとおり。(詳細目次は記事のいちばん最後に書いておいた。)
第1部:数学と科学
知性・物・数学(2008年:エジンバラ王立協会会長講演)
数学--科学の女王と召使い(1993年:アメリカ哲学会 数学・物理シンポジウム講演)
科学の良心(1997年:シュレディンガーレクチュア、インペリアルカレッジ)
第2部:数学と社会
数学とコンピュータ革命(1984年)
数学の進歩の確認(1985年:ヨーロッパ科学財団会議での講演)
研究はどのように行なわれるか(1974年)
第3部:数学と数学者
マイケル・アティヤ教授へのインタビュー(1984年:聞き手はロベルト・ミニオ)
個人的な歴史(2003年)
第1部は科学に向けての論説で、科学と数学の関わり合いがテーマである。第2部では、さまざまな分野で急速に展開している数学について、どのように学んでいくべきか、数学者がどのように数学を育てていくべきかが示されている。第3部では20世紀の数学がさまざまな分野で展開してきた姿と、今後の発展の中で意味するものがテーマになっている。
僕が知りたいと思っていたのは特に第3部だ。アティヤ博士の研究に影響を与えた数学理論や数学者のこと、博士の定理が影響した物理や数学の内容について、少なくとも学者たちや関連する定理の名前とその関連性を知るだけでも十分である。(今の段階ではそれらの定理を理解できるはずがないわけであるし。)
アティヤ博士がもっとも尊敬する数学者はヘルマン・ワイル博士だそうだ。晩年のワイル博士の講演を聴きに行ったときに興奮したときのことが紹介されている。「ゲージ理論とトポロジーの年表」に名を連ねる先生方や研究テーマのこと、超弦理論、M理論では主導的役割を果たしているエドワード・ウィッテン博士がまだハーバード大学の学生だったころの印象も紹介されている。あとめぼしいところではペンローズ博士、サーストン博士、コンヌ博士の研究テーマの意味合いと意義が紹介されているのが印象に残った。
そして第3部の「個人的な歴史」では、次のような理論がどのような経緯で研究されたのかが紹介されている。
- K理論
- 指数定理
- K理論の指数定理との相互作用
- 不動点定理
- 熱方程式の方法
- エータ不変量
- 双曲型方程式
- ヤン-ミルズ方程式
- リーマン面上のバンドル
- 同変コホモロジー
- 位相的場の量子論
そしてもともと僕が予想していなかったのが第1部の中の「科学の良心」という比較的長い講演を文章にまとめたものだ。つまり科学がもたらす功と罪のことである。科学や技術は軍需産業に利用されるものが多いから科学者は特に気をつけて仕事をするべきだと忠告している。政府に対して、産業に対して、国民に対して科学者はどのように働きかけるかということについてお考えを述べている。
この講演が行なわれたのは1997年だが、その後の世界の戦争や紛争、日本の自衛権や再軍備が行われそうな状況を思うと「教訓は何も活かされていないじゃないか。」と複雑な気持になった。経済や国防上の「国益」の名のもとに軍備の増強が肯定され、軍需産業を維持するためには常にマーケットが必要なこと、そのためには紛争地帯に武器を輸出することが必要になるという一連の流れをアティヤ博士は詳しく解説している。
第2部で目を引いたのはコンピュータの発展と数学についてだ。みなさんご存知のように「四色問題」はコンピュータの支援によって証明されて「四色定理」になったわけだが、数学の定理の証明に対してコンピュータを使うことにアティヤ博士は疑問を投げかけている。数学者は今後コンピュータとどのように利用していけばよいのかということに本書でお考えを述べている。数学の証明とはだいぶ違うが、ちょうど僕は将棋や詰将棋のアプリで遊んだり、また「将棋電王戦」に興味がでてきているのでコンピュータと数学の関わりについての文章は深く考えさせられた。
本書を翻訳をされたのは志賀浩二先生だ。「訳者序」の中には特に僕の心を惹きつけた文章があったので紹介しておこう。
「まず20世紀における数学をかんたんにふり返っておきましょう。20世紀数学における最初の大きな衝撃は、カントルによる無限認識を通しての、数学におけるさまざまな概念のはたらきと、そこから自然に湧き上がってきた抽象化の波でした。その中から抽象代数と呼ばれるものや、位相という広がりや、関数空間のようなものが登場してきました。さらにそこで起きたもっとも劇的な出来事は、量子力学が無限概念に支えられた抽象空間(ヒルベルト空間)の上で、その理論構成を展開していくようになったことです。
20世紀前半に生まれた新しい数学分野への研究は急速に進みましたが、それとともに概念のもつ深みもしだいに明らかとなり、そこに数学の方法が入りこむことが非常に難しい局面も現れてきました。それは次元に関してもっとも顕著に現れます。たとえば微分トポロジーでは、5次元以上は比較的扱いやすい局面をもちますが、3次元、4次元にはなお解明されていないことが多く残されています。代数幾何では複素3次元以上は近づき難いものになっています。個々の次元の球面のホモトピー群にも規則性は現れません。数学は、それぞれの次元のもつ特性を明らかにしようと試みますが、各次元のもつ個性はそれを頑なに阻んでいるように見えます。
20世紀も後半を迎える頃になると、さまざまな抽象数学の枠組みもはっきりしてきて、相互の関係に複雑さも増してきましたが、そこにはまた新しい局面も生まれてきました。それは有限次元の中で得られた量の中には、次元を大きくしていくとある安定性を示すものがあるということです。また位相的な量と解析的な量との結びつきが、数学の深層ともいえるところにはたらきかけている状況も、しだいに明らかになってきました。1960年代のアティヤ=シンガーの指数定理が、その方向へ向けて最初に光を投げかけることになりました。これを契機として、現在の理論物理学におけるもっとも深淵なテーマである場の量子論へ向かって数学が動き始め、その動きは1990年代に急速に深まり、ここでは無限は単なる概念ではなく、数学と物理の出会う深層へ向けての総合的なはたらきを支える場となってきたようです。
アティヤは、つねにこの動きの中心にあって指導的な役割を果たしてきました。この理論は、私にはあまりにも深淵で、理解することなどできないのですが、それでも数学は、これから出会ったこともないような未知の世界の奥へ向かって、一体、どのような道を選んで進んでいくのだろうかと見守っていきたいと思います。」
関連記事:
数学とは何か(原書第2版):R.クーラント、H.ロビンズ、I.スチュアート
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/e2b02a51b73a9716b077da16a102aaff
無限をつかむ: イアン・スチュアートの数学物語
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/2307174ab3fd537695b1287f059f2304
量子力学の数学的構造 I:新井朝雄、江沢洋
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/196b59dc50fca361ba523036e7eeb908
量子力学の数学的構造 II:新井朝雄、江沢洋
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/a4ef01e94a8c0384cec353ebe4d542e4
理論物理学のための幾何学とトポロジー I:中原幹夫
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/ef0b2fcb7c87aabfcd68bbe2a567840e
理論物理学のための幾何学とトポロジー II:中原幹夫
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/9fd93716929786316ee234a66ec4d32b
ゲージ理論とトポロジーの年表
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/1050f5ac88c40f83f566ba52c142c565
時間とは何か、空間とは何か: S.マジッド、A.コンヌ、R.ペンローズ他
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d80d021f4fba492bf0e3f47615289422
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「数学とは何か―アティヤ 科学・数学論集」
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第1部:数学と科学
知性・物・数学(2008年:エジンバラ王立協会会長講演)
- はじめに
- 物理的実在とは何か
- 知識は生まれつきのものなのか、経験から得られるものなのか
- 数学とは何か?
- 数学と物理学の関係はどのようなものか
- 人間的な範囲
- 現代物理学
数学--科学の女王と召使い(1993年:アメリカ哲学会 数学・物理シンポジウム講演)
- 数学における二分法
- ふつうの言葉
- 数学
- 数学と物理学
科学の良心(1997年:シュレディンガーレクチュア、インペリアルカレッジ)
第2部:数学と社会
数学とコンピュータ革命(1984年)
- 歴史的展望
- 数学と理論コンピュータサイエンス
- 数学研究の一助としてのコンピュータ
- 人間の知能と人工知能
- 知性の危機
- 経済からもたらされる危機
- 教育上の危機
- 結論
数学の進歩の確認(1985年:ヨーロッパ科学財団会議での講演)
- はじめに
- 数学の特別な様相
- 問題の役割
- 革新
- 審美的な成分
- 統合と分裂
- 応用数学
- 社会との関係
- 不一致
- 結論
研究はどのように行なわれるか(1974年)
第3部:数学と数学者
20世紀における数学(2000年:フィールズ研究所(トロント)での講演に基づく)
- 局所から大域へ
- 次元の増加
- 可換から非可換へ
- 線形から非線形へ
- 幾何 対 代数
- 共通のテクニック
- 物理学からの影響
- 歴史的な概要
マイケル・アティヤ教授へのインタビュー(1984年:聞き手はロベルト・ミニオ)
個人的な歴史(2003年)
- はじめに
- K理論
- 指数定理
- K理論の指数定理との相互作用
- 不動点定理
- 熱方程式の方法
- エータ不変量
- 双曲型方程式
- ヤン-ミルズ方程式
- リーマン面上のバンドル
- 同変コホモロジー
- 位相的場の量子論
人名索引
事項索引
内容紹介
20世紀を代表する数学者マイケル・アティヤのエッセイ・講演録を独自に編訳した世界初の試み。数学と物理的実在/科学者の責任/20世紀後半の数学などを題材に,深く・やさしく読者に語りかける。数学者としての高い視点に立って語られる数学論、科学論である。アティヤによる日本の読者に向けた書き下ろし序文付き。2010年刊行、185ページ。
著者略歴
アティヤ,マイケル・F.
1929年英国生まれの数学者。ケンブリッジ大学で博士号を取得したのち、同大学をはじめオックスフォード大学、プリンストン高等研究所など多くの機関で数学研究を行い、幾何学・トポロジーを中心とする様々な分野の発展に貢献した。1966年にフィールズ賞受賞。1970年代からは理論物理学と密接に関わりながら数学の新しい展開を示した。1983年に英国王室よりナイトの爵位を授与され、1990~95年には英国王立協会の会長を務めた。
ウィキペディア:人物紹介
翻訳者略歴
志賀浩二
1930年新潟市に生まれる。1955年東京大学大学院数物系数学科修士課程修了。現在、東京工業大学名誉教授、理学博士。「数学30講シリーズ」をはじめ、一般向け、中級者向けの数学書を多数お書きになっている。
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理数系書籍のレビュー記事は本書で260冊目。
「数学とは何か(原書第2版):R.クーラント、H.ロビンズ、I.スチュアート」とタイトルは同じだが、本書はまったく別の方向性で書かれた本だ。クーラント博士の本は数学の歴史をたどりながら各分野を学ぶ教科書である。それに対し本書はアティヤ博士による科学や数学についての講演会や論文、ご自身のたどってきた研究の道のりを紹介した本だ。
僕が本書に興味をもったのは博士がシンガー博士とともに1963年に発表、1968年に証明した「アティヤ=シンガーの指数定理」のことを知ったのがきっかけだ。スピンc多様体 の上の複素ベクトル束の間の楕円型微分作用素について、解析的指数と呼ばれる量と位相的指数と呼ばれる量とが等しいという定理である。この定理はその後の数学の発展に影響を与えただけでなく、素粒子物理学(場の量子論、ゲージ理論)や超弦理論との結びつきが明らかになり、物理学者と数学者の交流や共同研究を促進する役割を果たす大きなきっかけになったのだと僕は理解している。そのことは「ゲージ理論とトポロジーの年表」という記事からおわかりになるだろう。
ちなみに「アティヤ=シンガーの指数定理」の証明は「超弦理論:ミチオ・カク」の437ページに載っている。(「超弦理論とM理論:ミチオ・カク」には載っていない。)
というわけで僕がいちばん読みたかった本書の第3部、博士の研究テーマや博士が交流した数学者や物理学者の話は、すべて大学院もしくは研究者レベルなので「大学で学ぶ数学とは」の内容をはるかに超えるものだ。
章立ては次のとおり。(詳細目次は記事のいちばん最後に書いておいた。)
第1部:数学と科学
知性・物・数学(2008年:エジンバラ王立協会会長講演)
数学--科学の女王と召使い(1993年:アメリカ哲学会 数学・物理シンポジウム講演)
科学の良心(1997年:シュレディンガーレクチュア、インペリアルカレッジ)
第2部:数学と社会
数学とコンピュータ革命(1984年)
数学の進歩の確認(1985年:ヨーロッパ科学財団会議での講演)
研究はどのように行なわれるか(1974年)
第3部:数学と数学者
マイケル・アティヤ教授へのインタビュー(1984年:聞き手はロベルト・ミニオ)
個人的な歴史(2003年)
第1部は科学に向けての論説で、科学と数学の関わり合いがテーマである。第2部では、さまざまな分野で急速に展開している数学について、どのように学んでいくべきか、数学者がどのように数学を育てていくべきかが示されている。第3部では20世紀の数学がさまざまな分野で展開してきた姿と、今後の発展の中で意味するものがテーマになっている。
僕が知りたいと思っていたのは特に第3部だ。アティヤ博士の研究に影響を与えた数学理論や数学者のこと、博士の定理が影響した物理や数学の内容について、少なくとも学者たちや関連する定理の名前とその関連性を知るだけでも十分である。(今の段階ではそれらの定理を理解できるはずがないわけであるし。)
アティヤ博士がもっとも尊敬する数学者はヘルマン・ワイル博士だそうだ。晩年のワイル博士の講演を聴きに行ったときに興奮したときのことが紹介されている。「ゲージ理論とトポロジーの年表」に名を連ねる先生方や研究テーマのこと、超弦理論、M理論では主導的役割を果たしているエドワード・ウィッテン博士がまだハーバード大学の学生だったころの印象も紹介されている。あとめぼしいところではペンローズ博士、サーストン博士、コンヌ博士の研究テーマの意味合いと意義が紹介されているのが印象に残った。
そして第3部の「個人的な歴史」では、次のような理論がどのような経緯で研究されたのかが紹介されている。
- K理論
- 指数定理
- K理論の指数定理との相互作用
- 不動点定理
- 熱方程式の方法
- エータ不変量
- 双曲型方程式
- ヤン-ミルズ方程式
- リーマン面上のバンドル
- 同変コホモロジー
- 位相的場の量子論
そしてもともと僕が予想していなかったのが第1部の中の「科学の良心」という比較的長い講演を文章にまとめたものだ。つまり科学がもたらす功と罪のことである。科学や技術は軍需産業に利用されるものが多いから科学者は特に気をつけて仕事をするべきだと忠告している。政府に対して、産業に対して、国民に対して科学者はどのように働きかけるかということについてお考えを述べている。
この講演が行なわれたのは1997年だが、その後の世界の戦争や紛争、日本の自衛権や再軍備が行われそうな状況を思うと「教訓は何も活かされていないじゃないか。」と複雑な気持になった。経済や国防上の「国益」の名のもとに軍備の増強が肯定され、軍需産業を維持するためには常にマーケットが必要なこと、そのためには紛争地帯に武器を輸出することが必要になるという一連の流れをアティヤ博士は詳しく解説している。
第2部で目を引いたのはコンピュータの発展と数学についてだ。みなさんご存知のように「四色問題」はコンピュータの支援によって証明されて「四色定理」になったわけだが、数学の定理の証明に対してコンピュータを使うことにアティヤ博士は疑問を投げかけている。数学者は今後コンピュータとどのように利用していけばよいのかということに本書でお考えを述べている。数学の証明とはだいぶ違うが、ちょうど僕は将棋や詰将棋のアプリで遊んだり、また「将棋電王戦」に興味がでてきているのでコンピュータと数学の関わりについての文章は深く考えさせられた。
本書を翻訳をされたのは志賀浩二先生だ。「訳者序」の中には特に僕の心を惹きつけた文章があったので紹介しておこう。
「まず20世紀における数学をかんたんにふり返っておきましょう。20世紀数学における最初の大きな衝撃は、カントルによる無限認識を通しての、数学におけるさまざまな概念のはたらきと、そこから自然に湧き上がってきた抽象化の波でした。その中から抽象代数と呼ばれるものや、位相という広がりや、関数空間のようなものが登場してきました。さらにそこで起きたもっとも劇的な出来事は、量子力学が無限概念に支えられた抽象空間(ヒルベルト空間)の上で、その理論構成を展開していくようになったことです。
20世紀前半に生まれた新しい数学分野への研究は急速に進みましたが、それとともに概念のもつ深みもしだいに明らかとなり、そこに数学の方法が入りこむことが非常に難しい局面も現れてきました。それは次元に関してもっとも顕著に現れます。たとえば微分トポロジーでは、5次元以上は比較的扱いやすい局面をもちますが、3次元、4次元にはなお解明されていないことが多く残されています。代数幾何では複素3次元以上は近づき難いものになっています。個々の次元の球面のホモトピー群にも規則性は現れません。数学は、それぞれの次元のもつ特性を明らかにしようと試みますが、各次元のもつ個性はそれを頑なに阻んでいるように見えます。
20世紀も後半を迎える頃になると、さまざまな抽象数学の枠組みもはっきりしてきて、相互の関係に複雑さも増してきましたが、そこにはまた新しい局面も生まれてきました。それは有限次元の中で得られた量の中には、次元を大きくしていくとある安定性を示すものがあるということです。また位相的な量と解析的な量との結びつきが、数学の深層ともいえるところにはたらきかけている状況も、しだいに明らかになってきました。1960年代のアティヤ=シンガーの指数定理が、その方向へ向けて最初に光を投げかけることになりました。これを契機として、現在の理論物理学におけるもっとも深淵なテーマである場の量子論へ向かって数学が動き始め、その動きは1990年代に急速に深まり、ここでは無限は単なる概念ではなく、数学と物理の出会う深層へ向けての総合的なはたらきを支える場となってきたようです。
アティヤは、つねにこの動きの中心にあって指導的な役割を果たしてきました。この理論は、私にはあまりにも深淵で、理解することなどできないのですが、それでも数学は、これから出会ったこともないような未知の世界の奥へ向かって、一体、どのような道を選んで進んでいくのだろうかと見守っていきたいと思います。」
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第1部:数学と科学
知性・物・数学(2008年:エジンバラ王立協会会長講演)
- はじめに
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- 知識は生まれつきのものなのか、経験から得られるものなのか
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- 人間的な範囲
- 現代物理学
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- ふつうの言葉
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- 知性の危機
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- 問題の役割
- 革新
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- 不一致
- 結論
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第3部:数学と数学者
20世紀における数学(2000年:フィールズ研究所(トロント)での講演に基づく)
- 局所から大域へ
- 次元の増加
- 可換から非可換へ
- 線形から非線形へ
- 幾何 対 代数
- 共通のテクニック
- 物理学からの影響
- 歴史的な概要
マイケル・アティヤ教授へのインタビュー(1984年:聞き手はロベルト・ミニオ)
個人的な歴史(2003年)
- はじめに
- K理論
- 指数定理
- K理論の指数定理との相互作用
- 不動点定理
- 熱方程式の方法
- エータ不変量
- 双曲型方程式
- ヤン-ミルズ方程式
- リーマン面上のバンドル
- 同変コホモロジー
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人名索引
事項索引