「ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環: ダグラス・R. ホフスタッター」
内容紹介:
世界を揺るがした衝撃の超ベストセラーは「本当は何を書いた本なのか?」多くの読者を悩ませ楽しませてきた問いに、ついに著者自ら答える序文収録。20周年記念版。
『ゲーデル、エッシャー、バッハ - あるいは不思議の環』(ダグラス・ホフスタッター著、野崎昭弘、はやしはじめ、柳瀬尚紀 訳、原題は Gödel, Escher, Bach: an Eternal Golden Braid)は1979年に米国で刊行された一般向けの科学書。単に GEB とも呼ばれる。 1985年に白揚社から日本語訳が発行され、1980年代後半から90年代前半にかけて日本でも小ブームが起きた。1980年ピューリッツァー賞受賞。 GEBの内容を一言で説明するのはむずかしい。中心となっているテーマは「自己言及」だが、これが数学におけるゲーデルの不完全性定理、計算機科学におけるチューリングの定理、そして人工知能の研究と結びつけられ、渾然一体となっている。エッシャーのだまし絵やバッハのフーガはこれらをつなぐメタファーとして機能している。ホフスタッター自身、本書の中で「これは自分にとっての信仰告白である」といっているように、おそらくこの本は特定の概念を読者に説明するといった目的のものではない。むしろ人間は自分自身に興味をもつことを永久にやめられないであろうという、ホフスタッターの信念をひたすら熱狂的に記述したものとなっている。 GEBでは自己言及を人間の知性のもっとも高度な形態として位置づけており、それゆえに人工知能の研究を礼讃している。また随所に自己言及のパラドックスや言葉遊び、数学パズル、そして禅などがちりばめられており、この本自体も自己言及をおこなっている。このようなスタイルは当時の計算機にかかわる研究者やプログラマーから生まれたハッカー文化に類似している。
2005年10月1日刊行、763ページ。
著者について:
ダグラス・ホフスタッター: ウィキペディアの記事
1945年2月15日生まれ。ニューヨーク生まれのアメリカの学者。2014年現在、インディアナ大学ブルーミントン校教授。専門は認知科学および計算機科学。ホフスタッターは多くの一般書を執筆しており、その中でも特に有名なのが『ゲーデル、エッシャー、バッハ - あるいは不思議の環』(1979)。 ホフスタッターは1980年に同書でピュリッツァー賞の一般ノンフィクション部門及び全米図書賞を受賞した。この本は人工知能の問題を高エネルギー物理学、音楽、芸術、分子生物学、文学、といった多彩なテーマに絡めて記述し、多くの人々の興味を惹いた。この本がきっかけになって、人工知能分野へ進むことを決めた学生も大勢いると言われている。
翻訳者について:
野崎 昭弘: ウィキペディアの記事
はやし はじめ: ウィキペディアの記事
柳瀬 尚紀: ウィキペディアの記事
理数系書籍のレビュー記事は本書で452冊目。
僕が大学を卒業したのは1987年のことだ。数学(応用数学)を専攻していて4年生のときから週1で内定していた会社で機械翻訳システムのソフトウェア開発のバイトや家庭教師をして過ごしていた。今回紹介する本の初版はその2年前の1985年に刊行されていて、およそ35年ぶりに20周年記念版(2005年刊行)を読み直してみた。
本書の概要
本書は数理論理学とソフトウェアのアルゴリズムを主軸に置き、形式的で厳密なシステムを考察することで、人間が意識を持ったり思考したり、意味や概念をどのように獲得しているのかを解明しようとする壮大な試みを紹介する本である。生物の設計図としてのDNAの4種類の塩基配列は、ありとあらゆる生物の根源が本質的には分子という化学物質に帰着されることを意味している。脳をはじめあらゆる器官、臓器の設計図もDNAの塩基配列として書かれている。DNAという無生物から人間という生物へ至るしくみは、何層もの階層の間で行われている働きにより理解されるはずだが、数理論理学をもとにした形式的なシステムの演繹によって、それを説明し、模倣することができるのだろうか。
著者のホフスタッターはバッハの音楽、エッシャーの絵画をこよなく愛する科学者だ。自身の研究テーマの認知科学と計算機科学を結びつけてこの問題を解決しようと試みる中で、現代数学、数理論理学に大きな問題として立ちはだかった「ゲーデルの不完全性定理(1930年)」がひとつのカギを握っていることに気がつく。わかりやすいが不正確な言い方になるが、これは「閉じた数学理論の体系には、それがどのようなものであっても必ず穴があり、完全なものにはなりえない」ということを証明した定理である。この定理が発表されたことで数学そのものへの信頼を根底から揺さぶられることになった。
論理的な推論を無限回繰り返すこと、論理式自体をその論理式の中で言及すること(再帰的なプロセス)により、そこに「意味」や「意識」が生まれることを彼は本書で示している。再帰的とは自己言及的ということであり、ゲーデルの不完全性定理にも、その証明の中に自己言及が含まれている。再帰性とは、たとえばテレビを見ている自分が映っているテレビ番組を見ている自分のことであり、このような入れ子構造の階層の繰り返しは無限に続いていく。(再帰的なアルゴリズムは「階乗を求めるプログラム」や「クイックソートのプログラム」に使われることがある。)そしてその「再帰的な繰り返し」により生じる環(ループ)には、交差したよじれが生じているのだという。このよじれた環の構造は無限に続く階層を構成しており、蟻の群れがコロニー(巣)を建設する過程、DNAの複製プロセス、脳が意識や概念を獲得する過程など、複雑な生命現象を彼が理解しようとする上で欠かせないものとなった。
ひとつ例をあげれば「おばあさん」という概念は、脳の中にどのように格納されているのだろうか?あなたが「おばあさん」を思い浮かべるとき、脳の中にあるシナプスのうちどの部分が活性化するのだろうか?また、構造がほぼ同型と考えられる私の脳は「おばあさん」を思い浮かべるとき、あなたの脳と同じ部位のシナプスが活性化するのだろうか?電気信号を伝達する複雑な脳の回路の本質は「物質」である。物質がどのように概念を格納しているのかは、まだ解明されていない。しかし、著者は果敢にこの問題の解明に取り組んでいる。
彼はエッシャーの絵画や、バッハの「音楽の捧げもの」という曲の中にも「よじれた環の構造」、「無限に繰り返される再帰的な構造」があることに気がついた。本書は数理論理学者ゲーデル、画家のエッシャー、大作曲家バッハの頭文字をとって「GEB本」と呼ばれている。著者は理論を構築しながら、数理論理学、エッシャーの絵画、バッハの曲をかわるがわる紹介することで、同じ構造が3つの世界に見て取れることを読者に示している。
また、各章には「アキレスと亀」が登場する著者オリジナルの対話が載せられている。「飛ぶ矢は止まっている」という古代ギリシアの自然哲学者ゼノンが主張したパラドックスに登場するアキレスと亀だ。本書には加えて「蟹」も登場する。論理学が好きな人にはこの3者による対話がたまらないだろう。蟹はバッハの「音楽の捧げもの」に含まれている「蟹のカノン(YouTubeで再生)」からやってきた蟹だ。バッハの天才ぶりの一端を感じさせてくれるのがこの曲である。そしてアキレス(Achilles)、遺伝子(Gene)、蟹(Crab)、亀(Tortoise)の頭文字がAGCTというDNAの4つの塩基、アデニン、グアニン、シトシン、チミンの頭文字になっているのは偶然ではない。
昔と今のコンピュータに対するイメージ
たいていの人にとってパソコンはオフィスソフトを使ったりオンライン会議をするために使う事務用品のひとつであり、大型コンピュータの「富岳」はコロナの飛沫感染をシミュレーションしたり気象予測をするための超高速計算機である。コンピュータのことを考えるとワクワクしてくるという人は、ごく一部に限られていることだろう。
本書の初版を読んだ1986年頃は違っていた。国産初のパソコンNEC PC-8001が発売されたのは1979年であり、漢字が自由に扱えるようになったPC-9800シリーズは1982年から販売されていた。本書の日本語版の初版が刊行された1985年はWindows以前のMS-DOSパソコンとしてこのような機種が売られていた時代である。日本語ワープロソフト「一太郎」バージョン1が発売されたのも1985年だが、ほとんどの会社ではワープロ専用機が使われていた。また、プログラミングするために無料で使えるのはBASIC言語と機械語だけで、C言語やFortranのコンパイラは5万円以上していた。それにもかかわらずパソコンはヒットして爆発的に売れた。それは粗いドット絵で表示されるゲームをするために買った人が多かったからである。
当時、大型コンピュータのほうは、まだまだイメージしにくいものであり、神とは言わないまでも、SF映画の『2001年宇宙の旅』にでてきた「HAL 9000」のように意識をもつ何かが宿っていてもおかしくない存在だったのが1970年代から1980年代の感覚である。しかし現代は違う。スパコンに飛沫感染シミュレーションをさせて大々的に報じたことで、一般の人が最先端のテクノロジーに抱いていた夢や期待、その神秘的なイメージは大きく損なわれてしまったと僕は思う。
これが当時の一般人のコンピュータに対して抱いていたイメージだったわけだが、機械翻訳システムの開発者を志していた僕は少し違っていた。アルバイト先では大型のシステムを使うことができ、石田晴久先生がUNIXやC言語の入門書を刊行していた時代でもあるからだ。どのようにすればコンピュータソフトが翻訳をすることができるようになるのかというテーマは僕の興味の中心であり、インタープリタやコンパイラのしくみだけでなく、人間の知性を超える人工知能への夢を掻き立てる本書は、モチベーションを高めてくれる本だったのだ。
原書が書かれたのは1970年代
けれども、翻訳のもとになった原書が刊行されたのは1979年である。ホフスタッター氏が本書を書き始めたのは1973年、そして集中的に書いていたのは彼が30歳を迎えた1976年から1979年にかけてのことだ。大型計算機を使ったとしても、僕が読んだ80年代後半とはコンピュータやソフトウェアでできることは制限されていた。人工知能の歴史にあてはめると第1次ブームと第2次ブームの間の冬の時代である。本書で紹介されている人工知能プログラムは第1次ブームの頃のものがほとんどんだ。本書の最後のほうで「未来のコンピュータについての10の質問」に著者は回答を与えている。その中で「世界チャンピオンを打ち負かすチェスプログラムは将来開発されるか?」という質問に著者は否定的な回答をしている。その後、世界チャンピオンを打ち負かすソフトウェアは、チェスでは1997年に登場し、囲碁では2016年、将棋では2017年に登場している。
とはいえ、本質的には何も変わっていないのだ。コンピュータであるかぎり昔であっても現代であっても避けられない限界がある。それはどのようなシステムにも数理論理学に裏打ちされたアルゴリズムに従っているという縛りがあるからだ。
万能なアルゴリズムは可能か
ゲーデルの業績のひとつに「ゲーデル数(1931年)」がある。それは形式的な論理式、演繹はすべて数に置き換えることができるというものだ。「すべてのAはBである」、「Aの倍数から2を引いたものはBに属さない」、「AにBの操作を行って得た結果をCに加える」など、あらゆる規則は、A、B、Cなどの対象だけでなく、操作(演算)を含めて符号化された自然数で置き換え、それらの算術演算(加減乗除)に写像できることをゲーデルは証明した。つまり、すべての形式的な論理演算、演繹は数論(整数論)という数学の問題に帰着されるのである。
コンピュータは0と1の二進数の計算しているというのはよく聞くフレーズだが、これには深い意味がある。0と1という数字は数であるとともに、その演算は2進数の計算をするAND回路、NOT回路などの0と1の入力から0または1を出力するゲート回路によって実現され、計算操作自身にも2進数を割り当てることができる。Excelのような計算を行うソフトだけでなく、YouTubeやTwitterやInstagram、Facebook、Amazonなどのショッピングアプリ、初音ミクのようなボーカロイド、シンセサイザー、OSやコンパイラ、Mathematicaのような数式処理ソフト、Google翻訳のような自然言語の翻訳ソフトなど、この世のありとあらゆるソフトウェアは2進数の算術だけで実現されているのだ。ピタゴラスが発した「万物は数である」という言葉を思い起こさずにはいられない。
2進数の算術を具体的に実現するのがアルゴリズムである。そしてゲーデル以後に証明された「チューリングの停止性問題(1936年)」がアルゴリズムの可能性に立ちはだかった。正しい論理式を使った演繹を繰り返していけば、どのような問題でも解けるようになるかもしれないという万能なアルゴリズムへの期待は、ゲーデルの不完全性定理(1930年)だけでなく、停止性問題によっても否定されてしまったからだ。チューリングが証明したのは「任意のプログラムが停止する(無限ループしない)ことを判定するようなプログラムは計算可能でない」ということである。コンピュータにいくら計算させようと、そしてアルゴリズムをどのように工夫しても有限時間では解決できな問題が存在するということが証明されたのだ。
スパコンの富岳であれ、量子コンピュータであれ、ありとあらゆるコンピュータはゲーデルの定理とチューリングの定理の2つの縛りを宿命として背負っている。
現在のAI技術
それにも関わらず、人工知能は劇的な進化をとげ、現在は第3次ブームの真っ最中である。その発端は2016年から脚光を浴びているディープラーニング(深層学習)というアルゴリズムであり、ビッグデータを扱えるようになったからである。この2つのおかげでゴッホやゴーギャンの新作絵画を描かせたり、初期のガンを発見させたり、3D CGの技術を援用することで美空ひばりを舞台に再現してコンサートを開くことができるようになった。AIの技術はそれだけでなく自動車の自動運転から犯罪捜査まで、ありとあらゆる方面での可能性が有望視されている。今では髭を剃るために使う電気シェーバーに搭載されているほどAIは普及している。(参考ページ)
しかし、第3次ブームを支えているAI技術は、圧倒的な計算速度の向上と膨大なデータ量の利用が可能になったことのおかげであり、1970年代に本書の著者が目指していたのとはまったく異なる「力技」、「力任せ」が実現できるようになったからに過ぎない。人間が物事を認知する仕組みが解明されていないという点では、昔も今も同じで、本書が書かれていた第1次ブームの頃の方法論とは論理的な飛躍がある。この飛躍はブレイクスルーであるが、それと同時に人間による理解を阻むという2つの側面をもっている。
また、昨年のノーベル化学賞はゲノム編集技術の開発に対して授賞されたことは記憶に新しい。(参考記事:「2020年 ノーベル化学賞はシャルパンティエ博士、ダウドナ博士に決定!」)人間のすべてのDNAの解析が可能になっただけでなく、編集できるようになったのである。しかし、本書の著者が目指しているようにDNAの塩基配列と生命現象との関係の謎は、ほとんど解明されていない。そのスタートラインに立っているという状況は昔も今もほとんど変わっていない。
今回読んだ20周年記念版が刊行されたのは2005年、すでに16年経っている。(20周年記念版の原著は1999年に刊行されているから22年経っている。)古い本であるとはいえ、語られていることの本質は変わっていない。本書が今でも魅力にあふれ、深い思索をもたらしてくれる理由は、この本質の不変性にある。人間の知性や記憶の神秘、コンピュータや人工知能に関心がある方だけでなく、ソフトウェア開発に携わっているすべての人に読んでいただきたい本なのだ。ぜひ書店で手にとっていただきたい。
日本語、英語、フランス語版
勢いあまって原書とフランス語版も買ってしまった。いずれ読みたいと思う。知的なアナロジーや駄洒落、言葉遊びが満載の本書を訳した翻訳者の技量に驚くのが、もうひとつの楽しみ方である。このように高度な翻訳技術をもった翻訳者が活躍していたのが1980年代なのである。本書の訳者のおひとりの柳瀬尚紀氏は、20世紀最大の奇書「フィネガンズ・ウェイク」を和訳したことで知られている超一流の翻訳者である(参考記事:「フィネガンズ・ウェイク: ジェイムズ・ジョイス、柳瀬尚紀 訳」)
「ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環: ダグラス・R. ホフスタッター」
「Godel, Escher, Bach: An Eternal Golden Braid: Douglas R Hofstadter」
「Gödel, Escher, Bach - Les brins d'une guirlande éternelle: Douglas R Hofstadter」
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3冊並べると圧巻だ。
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1985年版はとても安く買うことができる。本編は20周年記念版とまったく同じなので、お金をかけたくない方には1985年版のほうをお勧めする。
「ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環: ダグラス・R. ホフスタッター」
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不完全性定理を知るために
本書を読むために前提知識は必要ない。必要なのはある程度の忍耐力だけだ。しかし、読んだからといってゲーデルの不完全性定理が理解できるわけではない。不完全性定理を事前に知っておくと、本書の理解がずっと深まると思う。本書を翻訳した野崎昭弘先生が勧めているのは、この2冊である。
「ゲーデルの世界―完全性定理と不完全性定理」
「ゲーデルは何を証明したか―数学から超数学へ」
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そして僕がお勧めするのは次の4冊だ。
「不完全性定理とはなにか: 竹内薫」(Kindle版)
「数学ガール/ゲーデルの不完全性定理: 結城浩」(Kindle版)(紹介記事)
「今度こそわかるゲーデル不完全性定理: 本橋信義」(Kindle版)
「不完全性定理―数学的体系のあゆみ: 野崎昭弘」(Kindle版)
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関連動画:
日本語動画ではよいものが見つからなかった。英語の動画でお勧めのものを紹介したおこう。
You Are A Strange Loop(あなたは不思議な環である)
Limits of Logic: The Gödel Legacy(著者による講演)
Douglas Hofstadter on the Singularity(著者による講演)
GEB MIT(本書についての全7回の講義): プレイリスト
BWV 1079 - Musical Offering (Scrolling):J.S.バッハ『音楽の捧げもの』全曲
映画『エッシャー 視覚の魔術師』予告編
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「ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環: ダグラス・R. ホフスタッター」
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GEB20周年記念版のために
感謝の言葉
GEB概要
PART I: GEB
序論:音楽=論理学の捧げもの *三声の創意
第1章:MUパズル *二声の創意
第2章:数学における意味と影 *無伴奏アキレスのためのソナタ
第3章:図と地 *洒落対放題
第4章:無矛盾性、完全性、および幾何学 *小さな和声のための迷路
第5章:再帰的構造と再帰的過程 *音程拡大によるカノン
第6章:意味の所在 *半音階色の幻想曲、そしてフーガ演争
第7章:命題計算 *蟹のカノン
第8章:字形的数論 *無の捧げもの
第9章:無門とゲーデル
PART II: EGB
*前奏曲
第10章:記述のレベルとコンピュータ・システム *・・・とフーガの技法
第11章:脳と思考 *英仏独日組曲
第12章:心と思考 *アリアとさままざまの変奏
第13章:ブーとフーとグー *G線上のアリア
第14章:形式的に決的不可能なTNTと関連するシステムの命題 *誕生日のカンタータータータ
第15章:システムからの脱出 *パイプ愛好家の教訓的思索
第16章:自己言及と自己増殖 *マニフィ蟹ト、ほんまニ調
第17章:チャーチ、チューリング、タルスキ、その他 *SHRDLUよ、人の巧みの慰みよ
第18章:人工知能=回顧 *コントラファクトゥス
第19章:人工知能=展望 *樹懶のカノン
第20章:不思議の環、あるいはもつれた階層 *六声のリチェルカーレ
訳者あとがき・著者紹介
参考文献
索引
内容紹介:
世界を揺るがした衝撃の超ベストセラーは「本当は何を書いた本なのか?」多くの読者を悩ませ楽しませてきた問いに、ついに著者自ら答える序文収録。20周年記念版。
『ゲーデル、エッシャー、バッハ - あるいは不思議の環』(ダグラス・ホフスタッター著、野崎昭弘、はやしはじめ、柳瀬尚紀 訳、原題は Gödel, Escher, Bach: an Eternal Golden Braid)は1979年に米国で刊行された一般向けの科学書。単に GEB とも呼ばれる。 1985年に白揚社から日本語訳が発行され、1980年代後半から90年代前半にかけて日本でも小ブームが起きた。1980年ピューリッツァー賞受賞。 GEBの内容を一言で説明するのはむずかしい。中心となっているテーマは「自己言及」だが、これが数学におけるゲーデルの不完全性定理、計算機科学におけるチューリングの定理、そして人工知能の研究と結びつけられ、渾然一体となっている。エッシャーのだまし絵やバッハのフーガはこれらをつなぐメタファーとして機能している。ホフスタッター自身、本書の中で「これは自分にとっての信仰告白である」といっているように、おそらくこの本は特定の概念を読者に説明するといった目的のものではない。むしろ人間は自分自身に興味をもつことを永久にやめられないであろうという、ホフスタッターの信念をひたすら熱狂的に記述したものとなっている。 GEBでは自己言及を人間の知性のもっとも高度な形態として位置づけており、それゆえに人工知能の研究を礼讃している。また随所に自己言及のパラドックスや言葉遊び、数学パズル、そして禅などがちりばめられており、この本自体も自己言及をおこなっている。このようなスタイルは当時の計算機にかかわる研究者やプログラマーから生まれたハッカー文化に類似している。
2005年10月1日刊行、763ページ。
著者について:
ダグラス・ホフスタッター: ウィキペディアの記事
1945年2月15日生まれ。ニューヨーク生まれのアメリカの学者。2014年現在、インディアナ大学ブルーミントン校教授。専門は認知科学および計算機科学。ホフスタッターは多くの一般書を執筆しており、その中でも特に有名なのが『ゲーデル、エッシャー、バッハ - あるいは不思議の環』(1979)。 ホフスタッターは1980年に同書でピュリッツァー賞の一般ノンフィクション部門及び全米図書賞を受賞した。この本は人工知能の問題を高エネルギー物理学、音楽、芸術、分子生物学、文学、といった多彩なテーマに絡めて記述し、多くの人々の興味を惹いた。この本がきっかけになって、人工知能分野へ進むことを決めた学生も大勢いると言われている。
翻訳者について:
野崎 昭弘: ウィキペディアの記事
はやし はじめ: ウィキペディアの記事
柳瀬 尚紀: ウィキペディアの記事
理数系書籍のレビュー記事は本書で452冊目。
僕が大学を卒業したのは1987年のことだ。数学(応用数学)を専攻していて4年生のときから週1で内定していた会社で機械翻訳システムのソフトウェア開発のバイトや家庭教師をして過ごしていた。今回紹介する本の初版はその2年前の1985年に刊行されていて、およそ35年ぶりに20周年記念版(2005年刊行)を読み直してみた。
本書の概要
本書は数理論理学とソフトウェアのアルゴリズムを主軸に置き、形式的で厳密なシステムを考察することで、人間が意識を持ったり思考したり、意味や概念をどのように獲得しているのかを解明しようとする壮大な試みを紹介する本である。生物の設計図としてのDNAの4種類の塩基配列は、ありとあらゆる生物の根源が本質的には分子という化学物質に帰着されることを意味している。脳をはじめあらゆる器官、臓器の設計図もDNAの塩基配列として書かれている。DNAという無生物から人間という生物へ至るしくみは、何層もの階層の間で行われている働きにより理解されるはずだが、数理論理学をもとにした形式的なシステムの演繹によって、それを説明し、模倣することができるのだろうか。
著者のホフスタッターはバッハの音楽、エッシャーの絵画をこよなく愛する科学者だ。自身の研究テーマの認知科学と計算機科学を結びつけてこの問題を解決しようと試みる中で、現代数学、数理論理学に大きな問題として立ちはだかった「ゲーデルの不完全性定理(1930年)」がひとつのカギを握っていることに気がつく。わかりやすいが不正確な言い方になるが、これは「閉じた数学理論の体系には、それがどのようなものであっても必ず穴があり、完全なものにはなりえない」ということを証明した定理である。この定理が発表されたことで数学そのものへの信頼を根底から揺さぶられることになった。
論理的な推論を無限回繰り返すこと、論理式自体をその論理式の中で言及すること(再帰的なプロセス)により、そこに「意味」や「意識」が生まれることを彼は本書で示している。再帰的とは自己言及的ということであり、ゲーデルの不完全性定理にも、その証明の中に自己言及が含まれている。再帰性とは、たとえばテレビを見ている自分が映っているテレビ番組を見ている自分のことであり、このような入れ子構造の階層の繰り返しは無限に続いていく。(再帰的なアルゴリズムは「階乗を求めるプログラム」や「クイックソートのプログラム」に使われることがある。)そしてその「再帰的な繰り返し」により生じる環(ループ)には、交差したよじれが生じているのだという。このよじれた環の構造は無限に続く階層を構成しており、蟻の群れがコロニー(巣)を建設する過程、DNAの複製プロセス、脳が意識や概念を獲得する過程など、複雑な生命現象を彼が理解しようとする上で欠かせないものとなった。
ひとつ例をあげれば「おばあさん」という概念は、脳の中にどのように格納されているのだろうか?あなたが「おばあさん」を思い浮かべるとき、脳の中にあるシナプスのうちどの部分が活性化するのだろうか?また、構造がほぼ同型と考えられる私の脳は「おばあさん」を思い浮かべるとき、あなたの脳と同じ部位のシナプスが活性化するのだろうか?電気信号を伝達する複雑な脳の回路の本質は「物質」である。物質がどのように概念を格納しているのかは、まだ解明されていない。しかし、著者は果敢にこの問題の解明に取り組んでいる。
彼はエッシャーの絵画や、バッハの「音楽の捧げもの」という曲の中にも「よじれた環の構造」、「無限に繰り返される再帰的な構造」があることに気がついた。本書は数理論理学者ゲーデル、画家のエッシャー、大作曲家バッハの頭文字をとって「GEB本」と呼ばれている。著者は理論を構築しながら、数理論理学、エッシャーの絵画、バッハの曲をかわるがわる紹介することで、同じ構造が3つの世界に見て取れることを読者に示している。
また、各章には「アキレスと亀」が登場する著者オリジナルの対話が載せられている。「飛ぶ矢は止まっている」という古代ギリシアの自然哲学者ゼノンが主張したパラドックスに登場するアキレスと亀だ。本書には加えて「蟹」も登場する。論理学が好きな人にはこの3者による対話がたまらないだろう。蟹はバッハの「音楽の捧げもの」に含まれている「蟹のカノン(YouTubeで再生)」からやってきた蟹だ。バッハの天才ぶりの一端を感じさせてくれるのがこの曲である。そしてアキレス(Achilles)、遺伝子(Gene)、蟹(Crab)、亀(Tortoise)の頭文字がAGCTというDNAの4つの塩基、アデニン、グアニン、シトシン、チミンの頭文字になっているのは偶然ではない。
昔と今のコンピュータに対するイメージ
たいていの人にとってパソコンはオフィスソフトを使ったりオンライン会議をするために使う事務用品のひとつであり、大型コンピュータの「富岳」はコロナの飛沫感染をシミュレーションしたり気象予測をするための超高速計算機である。コンピュータのことを考えるとワクワクしてくるという人は、ごく一部に限られていることだろう。
本書の初版を読んだ1986年頃は違っていた。国産初のパソコンNEC PC-8001が発売されたのは1979年であり、漢字が自由に扱えるようになったPC-9800シリーズは1982年から販売されていた。本書の日本語版の初版が刊行された1985年はWindows以前のMS-DOSパソコンとしてこのような機種が売られていた時代である。日本語ワープロソフト「一太郎」バージョン1が発売されたのも1985年だが、ほとんどの会社ではワープロ専用機が使われていた。また、プログラミングするために無料で使えるのはBASIC言語と機械語だけで、C言語やFortranのコンパイラは5万円以上していた。それにもかかわらずパソコンはヒットして爆発的に売れた。それは粗いドット絵で表示されるゲームをするために買った人が多かったからである。
当時、大型コンピュータのほうは、まだまだイメージしにくいものであり、神とは言わないまでも、SF映画の『2001年宇宙の旅』にでてきた「HAL 9000」のように意識をもつ何かが宿っていてもおかしくない存在だったのが1970年代から1980年代の感覚である。しかし現代は違う。スパコンに飛沫感染シミュレーションをさせて大々的に報じたことで、一般の人が最先端のテクノロジーに抱いていた夢や期待、その神秘的なイメージは大きく損なわれてしまったと僕は思う。
これが当時の一般人のコンピュータに対して抱いていたイメージだったわけだが、機械翻訳システムの開発者を志していた僕は少し違っていた。アルバイト先では大型のシステムを使うことができ、石田晴久先生がUNIXやC言語の入門書を刊行していた時代でもあるからだ。どのようにすればコンピュータソフトが翻訳をすることができるようになるのかというテーマは僕の興味の中心であり、インタープリタやコンパイラのしくみだけでなく、人間の知性を超える人工知能への夢を掻き立てる本書は、モチベーションを高めてくれる本だったのだ。
原書が書かれたのは1970年代
けれども、翻訳のもとになった原書が刊行されたのは1979年である。ホフスタッター氏が本書を書き始めたのは1973年、そして集中的に書いていたのは彼が30歳を迎えた1976年から1979年にかけてのことだ。大型計算機を使ったとしても、僕が読んだ80年代後半とはコンピュータやソフトウェアでできることは制限されていた。人工知能の歴史にあてはめると第1次ブームと第2次ブームの間の冬の時代である。本書で紹介されている人工知能プログラムは第1次ブームの頃のものがほとんどんだ。本書の最後のほうで「未来のコンピュータについての10の質問」に著者は回答を与えている。その中で「世界チャンピオンを打ち負かすチェスプログラムは将来開発されるか?」という質問に著者は否定的な回答をしている。その後、世界チャンピオンを打ち負かすソフトウェアは、チェスでは1997年に登場し、囲碁では2016年、将棋では2017年に登場している。
とはいえ、本質的には何も変わっていないのだ。コンピュータであるかぎり昔であっても現代であっても避けられない限界がある。それはどのようなシステムにも数理論理学に裏打ちされたアルゴリズムに従っているという縛りがあるからだ。
万能なアルゴリズムは可能か
ゲーデルの業績のひとつに「ゲーデル数(1931年)」がある。それは形式的な論理式、演繹はすべて数に置き換えることができるというものだ。「すべてのAはBである」、「Aの倍数から2を引いたものはBに属さない」、「AにBの操作を行って得た結果をCに加える」など、あらゆる規則は、A、B、Cなどの対象だけでなく、操作(演算)を含めて符号化された自然数で置き換え、それらの算術演算(加減乗除)に写像できることをゲーデルは証明した。つまり、すべての形式的な論理演算、演繹は数論(整数論)という数学の問題に帰着されるのである。
コンピュータは0と1の二進数の計算しているというのはよく聞くフレーズだが、これには深い意味がある。0と1という数字は数であるとともに、その演算は2進数の計算をするAND回路、NOT回路などの0と1の入力から0または1を出力するゲート回路によって実現され、計算操作自身にも2進数を割り当てることができる。Excelのような計算を行うソフトだけでなく、YouTubeやTwitterやInstagram、Facebook、Amazonなどのショッピングアプリ、初音ミクのようなボーカロイド、シンセサイザー、OSやコンパイラ、Mathematicaのような数式処理ソフト、Google翻訳のような自然言語の翻訳ソフトなど、この世のありとあらゆるソフトウェアは2進数の算術だけで実現されているのだ。ピタゴラスが発した「万物は数である」という言葉を思い起こさずにはいられない。
2進数の算術を具体的に実現するのがアルゴリズムである。そしてゲーデル以後に証明された「チューリングの停止性問題(1936年)」がアルゴリズムの可能性に立ちはだかった。正しい論理式を使った演繹を繰り返していけば、どのような問題でも解けるようになるかもしれないという万能なアルゴリズムへの期待は、ゲーデルの不完全性定理(1930年)だけでなく、停止性問題によっても否定されてしまったからだ。チューリングが証明したのは「任意のプログラムが停止する(無限ループしない)ことを判定するようなプログラムは計算可能でない」ということである。コンピュータにいくら計算させようと、そしてアルゴリズムをどのように工夫しても有限時間では解決できな問題が存在するということが証明されたのだ。
スパコンの富岳であれ、量子コンピュータであれ、ありとあらゆるコンピュータはゲーデルの定理とチューリングの定理の2つの縛りを宿命として背負っている。
現在のAI技術
それにも関わらず、人工知能は劇的な進化をとげ、現在は第3次ブームの真っ最中である。その発端は2016年から脚光を浴びているディープラーニング(深層学習)というアルゴリズムであり、ビッグデータを扱えるようになったからである。この2つのおかげでゴッホやゴーギャンの新作絵画を描かせたり、初期のガンを発見させたり、3D CGの技術を援用することで美空ひばりを舞台に再現してコンサートを開くことができるようになった。AIの技術はそれだけでなく自動車の自動運転から犯罪捜査まで、ありとあらゆる方面での可能性が有望視されている。今では髭を剃るために使う電気シェーバーに搭載されているほどAIは普及している。(参考ページ)
しかし、第3次ブームを支えているAI技術は、圧倒的な計算速度の向上と膨大なデータ量の利用が可能になったことのおかげであり、1970年代に本書の著者が目指していたのとはまったく異なる「力技」、「力任せ」が実現できるようになったからに過ぎない。人間が物事を認知する仕組みが解明されていないという点では、昔も今も同じで、本書が書かれていた第1次ブームの頃の方法論とは論理的な飛躍がある。この飛躍はブレイクスルーであるが、それと同時に人間による理解を阻むという2つの側面をもっている。
また、昨年のノーベル化学賞はゲノム編集技術の開発に対して授賞されたことは記憶に新しい。(参考記事:「2020年 ノーベル化学賞はシャルパンティエ博士、ダウドナ博士に決定!」)人間のすべてのDNAの解析が可能になっただけでなく、編集できるようになったのである。しかし、本書の著者が目指しているようにDNAの塩基配列と生命現象との関係の謎は、ほとんど解明されていない。そのスタートラインに立っているという状況は昔も今もほとんど変わっていない。
今回読んだ20周年記念版が刊行されたのは2005年、すでに16年経っている。(20周年記念版の原著は1999年に刊行されているから22年経っている。)古い本であるとはいえ、語られていることの本質は変わっていない。本書が今でも魅力にあふれ、深い思索をもたらしてくれる理由は、この本質の不変性にある。人間の知性や記憶の神秘、コンピュータや人工知能に関心がある方だけでなく、ソフトウェア開発に携わっているすべての人に読んでいただきたい本なのだ。ぜひ書店で手にとっていただきたい。
日本語、英語、フランス語版
勢いあまって原書とフランス語版も買ってしまった。いずれ読みたいと思う。知的なアナロジーや駄洒落、言葉遊びが満載の本書を訳した翻訳者の技量に驚くのが、もうひとつの楽しみ方である。このように高度な翻訳技術をもった翻訳者が活躍していたのが1980年代なのである。本書の訳者のおひとりの柳瀬尚紀氏は、20世紀最大の奇書「フィネガンズ・ウェイク」を和訳したことで知られている超一流の翻訳者である(参考記事:「フィネガンズ・ウェイク: ジェイムズ・ジョイス、柳瀬尚紀 訳」)
「ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環: ダグラス・R. ホフスタッター」
「Godel, Escher, Bach: An Eternal Golden Braid: Douglas R Hofstadter」
「Gödel, Escher, Bach - Les brins d'une guirlande éternelle: Douglas R Hofstadter」
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3冊並べると圧巻だ。
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1985年版はとても安く買うことができる。本編は20周年記念版とまったく同じなので、お金をかけたくない方には1985年版のほうをお勧めする。
「ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環: ダグラス・R. ホフスタッター」
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不完全性定理を知るために
本書を読むために前提知識は必要ない。必要なのはある程度の忍耐力だけだ。しかし、読んだからといってゲーデルの不完全性定理が理解できるわけではない。不完全性定理を事前に知っておくと、本書の理解がずっと深まると思う。本書を翻訳した野崎昭弘先生が勧めているのは、この2冊である。
「ゲーデルの世界―完全性定理と不完全性定理」
「ゲーデルは何を証明したか―数学から超数学へ」
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そして僕がお勧めするのは次の4冊だ。
「不完全性定理とはなにか: 竹内薫」(Kindle版)
「数学ガール/ゲーデルの不完全性定理: 結城浩」(Kindle版)(紹介記事)
「今度こそわかるゲーデル不完全性定理: 本橋信義」(Kindle版)
「不完全性定理―数学的体系のあゆみ: 野崎昭弘」(Kindle版)
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関連動画:
日本語動画ではよいものが見つからなかった。英語の動画でお勧めのものを紹介したおこう。
You Are A Strange Loop(あなたは不思議な環である)
Limits of Logic: The Gödel Legacy(著者による講演)
Douglas Hofstadter on the Singularity(著者による講演)
GEB MIT(本書についての全7回の講義): プレイリスト
BWV 1079 - Musical Offering (Scrolling):J.S.バッハ『音楽の捧げもの』全曲
映画『エッシャー 視覚の魔術師』予告編
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「ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環: ダグラス・R. ホフスタッター」
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GEB20周年記念版のために
感謝の言葉
GEB概要
PART I: GEB
序論:音楽=論理学の捧げもの *三声の創意
第1章:MUパズル *二声の創意
第2章:数学における意味と影 *無伴奏アキレスのためのソナタ
第3章:図と地 *洒落対放題
第4章:無矛盾性、完全性、および幾何学 *小さな和声のための迷路
第5章:再帰的構造と再帰的過程 *音程拡大によるカノン
第6章:意味の所在 *半音階色の幻想曲、そしてフーガ演争
第7章:命題計算 *蟹のカノン
第8章:字形的数論 *無の捧げもの
第9章:無門とゲーデル
PART II: EGB
*前奏曲
第10章:記述のレベルとコンピュータ・システム *・・・とフーガの技法
第11章:脳と思考 *英仏独日組曲
第12章:心と思考 *アリアとさままざまの変奏
第13章:ブーとフーとグー *G線上のアリア
第14章:形式的に決的不可能なTNTと関連するシステムの命題 *誕生日のカンタータータータ
第15章:システムからの脱出 *パイプ愛好家の教訓的思索
第16章:自己言及と自己増殖 *マニフィ蟹ト、ほんまニ調
第17章:チャーチ、チューリング、タルスキ、その他 *SHRDLUよ、人の巧みの慰みよ
第18章:人工知能=回顧 *コントラファクトゥス
第19章:人工知能=展望 *樹懶のカノン
第20章:不思議の環、あるいはもつれた階層 *六声のリチェルカーレ
訳者あとがき・著者紹介
参考文献
索引