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贅沢ランチ: 市ヶ谷 六番館(鉄板焼ステーキ)

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今日は午前中に新宿での用事が早めに終わったので、ふと思いついて友達が働いている店でランチをとることにした。僕にとっては贅沢な食事だ。

この店は「ドクターX ~外科医・大門未知子~」のロケで使われていたし、今放送中の「ブラックスキャンダル」のロケ地でもある。先日、ロケが行われ、これから放送される第5話でこの店で撮影したシーンが映されるそうだ。ドラマ好きとしては実際に見ておかないと気が済まない。


鉄板焼ステーキ 六番館(東京、市ヶ谷、麹町)
https://www.rokuban-kan.com/

食べログ(鉄板焼ステーキ 六番館)
https://tabelog.com/tokyo/A1308/A130803/13011392/

店は地下1階だが、スマホはまったく問題なく使える。

突然の来店に友達は驚いたようだが、これも想定済み。昼時だからもし混雑していたら、よそで時間をつぶしてから入ろうと思っていた。

幸い(店にとってはよくないことだが)店内は空いていたので、そのまま入店。これほど空いているのはとても珍しいのだと友達は言っていた。(そりゃそうだよな。)

食べている途中でたまたま僕の視界から他のお客さんが見えないタイミングができたから、急いで写真を撮らせていただいた。このような雰囲気だ。

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ランチは2500円から。それだとお肉が物足りないので3500円のを注文した。オーストラリア産の牛肉ステーキ。目の前で焼いてくれるだけでなく、食べやすいサイズに切ってくれる。

いつものように飲み食いしたものを載せておこう。焼いている最中も、食事しているときも調理人やスタッフ、友達が話しかけてくれるので「おひとり様状態」を感じなくてすむのがよい。ひとりで黙々と肉を頬張る中年男は絵にならない。









牛スジのスープを注文。このほか赤だしの味噌汁が選べる。ご飯とスープはお代わり自由。(ダイエット中なのでご飯のお代わりは1回だけにした。)


まぁ、美味しいことこの上ない。いつも食べている肉は、いったい何だったのだろう?

デザートはコーヒーとアイスクリーム。紫芋のモンブラン仕立てと白いのは薩摩芋のアイスクリームだ。




久しぶりに友達とも話できたし、ドラマのロケ地確認もできたのがよかった。調理人やスタッフも感じがよい。

会計を済ませて出ようとしたところ、このような注意書きが目にとまった。建物の老朽化のため、今年12月26日(木)からお休みになるそうだ。忘年会をこの店でと考えている方は注意していただきたい。

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店は来年40周年を迎えるそうだ。友達が説明してくれたのだが、この秋には「革新的な創造する秋」をコンセプトにした新メニューを用意しているという。(9月25日~10月27日まで。茜コース:14,000円、宴コース:17,000円)

「ん?40周年?」僕は気が付いた。市ヶ谷は1987年に社会人になり、1年目に働いた会社があった馴染みの場所である。勤務していたビルは市ヶ谷駅の反対側にあった。クレーンが立っているビルである。オフィスは8階の防衛庁省側にあった。(壁面が工事中で見えなかったが。)

橋の上から撮影


どうりで「六番館」という店名には聞き覚えがあったわけだ。でも、なぜ「六番館」なのだろう?駅に向かって歩くうちにこのエリアが「六番町」であることにも思い当った。

六番館はここである。(Googleマップで開く

gooの地図だと赤い四角で囲った場所だ。店の周辺は六番町である。




ここをクリックすると現代の地図のほかに3つの年代の古地図や航空写真が見れる。(明治、昭和22年、昭和38年。昭和の2つは航空写真)
たとえば下の地図は明治の中頃。市谷門(現在の市ヶ谷駅)から麹町につながる形で斜めに伸びる道(日本テレビ通り)はまだない。




次は1898年(明治31年)の番町全体の鳥観図。現在の市ヶ谷から九段下まではこのような景色が広がっていた。赤丸が現在「六番館」がある位置。赤丸にかぶってしまったが、当時から近所には「女子学院」や「番町小学校」があったようだ。この景色の右下が靖国神社や九段下のあたり、右上が飯田橋駅あたりである。(九段下の坂道も見ることができる。(明治時代の写真を検索))

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女子学院(1910年頃):ホームページ



六番町は「番町」の一部で武家屋敷が広がっていた。江戸時代の旗本のうち、将軍を直接警護するものを大番組と呼び、大番組の住所があったことから番町と呼ばれた。大番組は設立当初、一番組から六番組まであり、これが現在も名目だけ一番町から六番町に引き継がれている。

塀をめぐらし、樹木が鬱蒼とした中に、人気のない古い旗本屋敷が連なる地域であったことから、「番町皿屋敷」や「吉田御殿」「番町七不思議」などの怪談が生まれた。表札もなく、同じような造りの旗本屋敷ばかりが密集しており、住民でさえ地理を認識することが困難であったため「番町の番町知らず」という諺が流布した。

番町皿屋敷は架空の怪談話だが、恨めしそうに「一枚、二枚……」と数えるお菊さんが住んでいた江戸の牛込御門あたり(現在の飯田橋駅近く)の江戸時代の地図も載せておこう。赤丸は現在の「六番館」の位置。

上の地図と上下が逆なのでご注意。

拡大 上下逆にして拡大



お肉を頬張りながら、昔の風景を空想するのもひとつの楽しみ方である。


おまけの写真:

1870年頃(明治初め)の市谷門。(現代だと橋の反対側、外堀通りからの撮影。門の右端が市ヶ谷駅の改札、門の左側の石垣の裏が交番あたり。)


上の写真は鉄道開通前である。この区間に鉄道が開通(新宿-牛込間)したのは1894年(明治27年)10月9日 だ。上の写真の撮影状況を明治時代の地図に書いた矢印で示すとこのようになる。(参考:甲武鉄道



1872年(明治初め)の市谷門の前の橋。(現代だと橋の向こうが防衛省、僕が初めて勤務したビルのあたり。)


1964年(昭和39年、東京オリンピックの年)の市ヶ谷駅前。(電話ボックスの右の木の当たりが、現在交番があるあたり。)



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