「日の名残り: カズオ・イシグロ」(Kindle版)
内容紹介:
品格ある執事の道を追求し続けてきたスティーブンスは、短い旅に出た。美しい田園風景の道すがら様々な思い出がよぎる。長年仕えたダーリントン卿への敬慕、執事の鑑だった亡父、女中頭への淡い想い、二つの大戦の間に邸内で催された重要な外交会議の数々―過ぎ去りし思い出は、輝きを増して胸のなかで生き続ける。失われつつある伝統的な英国を描いて世界中で大きな感動を呼んだ英国最高の文学賞、ブッカー賞受賞作。
英語版は1989年刊行、日本語版は2001年5月刊行、365ページ。
著者について:
カズオ・イシグロ: ウィキペディア
1954年11月8日長崎生まれ。1960年、5歳のとき、家族と共に渡英。以降、日本とイギリスの2つの文化を背景にして育つ。ケント大学で英文学を、イースト・アングリア大学大学院で創作を学ぶ。1982年の長篇デビュー作『女たちの遠い夏』は王立文学協会賞を、1986年に発表した『浮世の画家』でウィットブレッド賞を受賞。1989年には長篇第三作の『日の名残り』でブッカー賞を受賞。2017年ノーベル文学賞を受賞。
著書を検索: 日本語版 英語版
訳者について:
土屋政雄
英米文学翻訳家。訳書『イギリス人の患者』オンダーチェ。『アンジェラの灰』マコート。『コールドマウンテン』フレイジャー他。
訳書を検索
今年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏が35歳のときに出版した小説である。文学賞受賞が決まってから、どれを読もうか迷っていたところ、知り合いが「これがいいんじゃない?」と勧めてくれた。「わたしを離さないで」はテレビドラマで見終えていた。
上の「内容紹介:」で書かれているような作品であるわけだが、「とても優れた作品」だというのが読後の感想である。といはうものの「好きになった」とは言えない。僕の好みではなかったというだけのこと。描写のしかた、話の展開のしかたは素晴らしいのだが、ストーリーが好きでなかったのと主人公スティーブンスに共感できなかったというのが理由である。
品格ある執事であろうと最善を尽くすあまり、自分にとっての自由はプライベートの時間も含めてほとんどない。みずからそうしているのだ。執事としては大先輩の父親が年老いて、職務をじゅうぶんにこなすことができなくなったとき、そして亡くなるときでさえ父を看取らず仕事を優先してしまうことに、融通のきかないスティーブンスに辟易してしまった。愚直を通り越して、まるで愚鈍ではないか。
物語は長年仕えてきたダーリントン卿から「たまには旅行でもしてきたらどうか?」と勧められて、主人から借りた車で旅に出るところから始まる。屋敷の外に出ることなどは滅多になかったから、とまどうことばかりである。旅先で出会う人に、どのように接すればよいかスティーブンスはいちいち考えるわけだが、これまでの執事としての経験と思考パターンで考えてしまう。つまり、一から十まで礼儀正しく、堅苦しい接し方だ。
旅先で回想するのはこれまでしてきた仕事のことばかり。彼にとっては輝かしいキャリアだ。いかに完璧に自分が執事としての役割をこなす努力をしてきたか、そしてうまく物事を運んできたか。伝統を重んじる英国で、彼のように紳士的に振舞うことは美徳であり、尊ばれる。スティーブンスは最高の執事であろうと常に心掛けてきた。
しかし、外の世界にいるのは庶民であり、自由気ままな生活をしている人たちだ。礼儀正しい彼の振る舞いや応答は可笑しくもあり、ギャップを感じながらも自分らしさを保とうとするスティーブンスは滑稽にさえ思えてしまう。感情を表に出さず、ジョークもきわめて婉曲に言うから、周囲の人には伝わらない。人生の大半をそうしてすごした彼には自分を変えようとする意識はなかなか芽生えない。
もちろん著者は、僕を含めて読者がそのように感じるだろうということを想定済みだ。ノーベル賞記念講演で次のようにお話になったことからもわかる。
『「日の名残り」は、晩年を迎えた英国人の執事が、これまで誤った価値観を守って生きてきたこと、人生の最も大切な年月をナチス支持者の主人に仕えてきたこと、倫理的そして政治的に責任を取らなかったことに気づき、人生を無駄にしたという思いに至る物語です。さらに、この主人公は完全な執事になろうとして、人を愛することと、ひとりの好きな女性に愛されることを、自分に禁じてもいました。』
失われつつある伝統的な英国を描いて世界中で大きな感動を呼んだ英国最高の文学賞を受賞したのは、「伝統的な英国が好きな人たち」が感動したからなのだろう。僕は「階級社会」が嫌いだから「ハリーポッター」シリーズも好きではない。だから「英国の伝統」にも感動しなかったのだろう。生まれながらに上限が決められた人生は受け入れがたいのだ。
ただし文学作品としての素晴らしさは感じ取ることができた。物語は頭にすっと入ってくるし、他の小説を読んだときのように途中で中断してからしばらくたって再開しても、少し前から読み直す必要もなかった。これは翻訳者の技量によるところが大きいためだと思われるが、もとの英文の優れた文学性がうかがえる。
本のかなり最後のほうまで、スティーブンの回想を交えた話が続く。著者の作品全体を象徴する「記憶と忘却」は、初期に書かれた本書ですでに見ることができる。人生で経験した何を記憶しておくべきか、そして前へ進むために何を忘却すべきか。。。
そして最後の最後で、スティーブンスの気持にようやく変化が訪れる。これまで信じてきた自分の生き方の中に、かすかに芽生えた「変えよう」とする意識だ。それが何であるかはネタバレになるから伏せておくが、僕はここに至ってやっとすがすがしい気持になることができた。全体として好きなタイプの物語ではないが、読後感は爽快である。
カズオ・イシグロ氏の場合、1冊だけ読んで評価をすべきではないと思った。ノーベル賞記念講演や晩餐会スピーチでおっしゃっていたような、世界の分断を修復したいとか、戦争の記憶を子孫にどう伝えていくかとか、文学によって「感情」を伝えたいなどの意識は、作家デビューして間もない頃に書かれた本書では、ほとんど感じ取ることができなかった。
まだまだ読んでみたい作品がありそうだ。いずれまた読書感想文を書くことになるだろう。
「日の名残り: カズオ・イシグロ」(Kindle版)
「The Remains of the Day: Kazuo Ishiguro」(Kindle版)
DVD&Blu-ray Amazonビデオ
カズオ・イシグロ氏のノーベル賞記念講演はこちら。(全文)(晩餐会スピーチ全文)
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内容紹介:
品格ある執事の道を追求し続けてきたスティーブンスは、短い旅に出た。美しい田園風景の道すがら様々な思い出がよぎる。長年仕えたダーリントン卿への敬慕、執事の鑑だった亡父、女中頭への淡い想い、二つの大戦の間に邸内で催された重要な外交会議の数々―過ぎ去りし思い出は、輝きを増して胸のなかで生き続ける。失われつつある伝統的な英国を描いて世界中で大きな感動を呼んだ英国最高の文学賞、ブッカー賞受賞作。
英語版は1989年刊行、日本語版は2001年5月刊行、365ページ。
著者について:
カズオ・イシグロ: ウィキペディア
1954年11月8日長崎生まれ。1960年、5歳のとき、家族と共に渡英。以降、日本とイギリスの2つの文化を背景にして育つ。ケント大学で英文学を、イースト・アングリア大学大学院で創作を学ぶ。1982年の長篇デビュー作『女たちの遠い夏』は王立文学協会賞を、1986年に発表した『浮世の画家』でウィットブレッド賞を受賞。1989年には長篇第三作の『日の名残り』でブッカー賞を受賞。2017年ノーベル文学賞を受賞。
著書を検索: 日本語版 英語版
訳者について:
土屋政雄
英米文学翻訳家。訳書『イギリス人の患者』オンダーチェ。『アンジェラの灰』マコート。『コールドマウンテン』フレイジャー他。
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今年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏が35歳のときに出版した小説である。文学賞受賞が決まってから、どれを読もうか迷っていたところ、知り合いが「これがいいんじゃない?」と勧めてくれた。「わたしを離さないで」はテレビドラマで見終えていた。
上の「内容紹介:」で書かれているような作品であるわけだが、「とても優れた作品」だというのが読後の感想である。といはうものの「好きになった」とは言えない。僕の好みではなかったというだけのこと。描写のしかた、話の展開のしかたは素晴らしいのだが、ストーリーが好きでなかったのと主人公スティーブンスに共感できなかったというのが理由である。
品格ある執事であろうと最善を尽くすあまり、自分にとっての自由はプライベートの時間も含めてほとんどない。みずからそうしているのだ。執事としては大先輩の父親が年老いて、職務をじゅうぶんにこなすことができなくなったとき、そして亡くなるときでさえ父を看取らず仕事を優先してしまうことに、融通のきかないスティーブンスに辟易してしまった。愚直を通り越して、まるで愚鈍ではないか。
物語は長年仕えてきたダーリントン卿から「たまには旅行でもしてきたらどうか?」と勧められて、主人から借りた車で旅に出るところから始まる。屋敷の外に出ることなどは滅多になかったから、とまどうことばかりである。旅先で出会う人に、どのように接すればよいかスティーブンスはいちいち考えるわけだが、これまでの執事としての経験と思考パターンで考えてしまう。つまり、一から十まで礼儀正しく、堅苦しい接し方だ。
旅先で回想するのはこれまでしてきた仕事のことばかり。彼にとっては輝かしいキャリアだ。いかに完璧に自分が執事としての役割をこなす努力をしてきたか、そしてうまく物事を運んできたか。伝統を重んじる英国で、彼のように紳士的に振舞うことは美徳であり、尊ばれる。スティーブンスは最高の執事であろうと常に心掛けてきた。
しかし、外の世界にいるのは庶民であり、自由気ままな生活をしている人たちだ。礼儀正しい彼の振る舞いや応答は可笑しくもあり、ギャップを感じながらも自分らしさを保とうとするスティーブンスは滑稽にさえ思えてしまう。感情を表に出さず、ジョークもきわめて婉曲に言うから、周囲の人には伝わらない。人生の大半をそうしてすごした彼には自分を変えようとする意識はなかなか芽生えない。
もちろん著者は、僕を含めて読者がそのように感じるだろうということを想定済みだ。ノーベル賞記念講演で次のようにお話になったことからもわかる。
『「日の名残り」は、晩年を迎えた英国人の執事が、これまで誤った価値観を守って生きてきたこと、人生の最も大切な年月をナチス支持者の主人に仕えてきたこと、倫理的そして政治的に責任を取らなかったことに気づき、人生を無駄にしたという思いに至る物語です。さらに、この主人公は完全な執事になろうとして、人を愛することと、ひとりの好きな女性に愛されることを、自分に禁じてもいました。』
失われつつある伝統的な英国を描いて世界中で大きな感動を呼んだ英国最高の文学賞を受賞したのは、「伝統的な英国が好きな人たち」が感動したからなのだろう。僕は「階級社会」が嫌いだから「ハリーポッター」シリーズも好きではない。だから「英国の伝統」にも感動しなかったのだろう。生まれながらに上限が決められた人生は受け入れがたいのだ。
ただし文学作品としての素晴らしさは感じ取ることができた。物語は頭にすっと入ってくるし、他の小説を読んだときのように途中で中断してからしばらくたって再開しても、少し前から読み直す必要もなかった。これは翻訳者の技量によるところが大きいためだと思われるが、もとの英文の優れた文学性がうかがえる。
本のかなり最後のほうまで、スティーブンの回想を交えた話が続く。著者の作品全体を象徴する「記憶と忘却」は、初期に書かれた本書ですでに見ることができる。人生で経験した何を記憶しておくべきか、そして前へ進むために何を忘却すべきか。。。
そして最後の最後で、スティーブンスの気持にようやく変化が訪れる。これまで信じてきた自分の生き方の中に、かすかに芽生えた「変えよう」とする意識だ。それが何であるかはネタバレになるから伏せておくが、僕はここに至ってやっとすがすがしい気持になることができた。全体として好きなタイプの物語ではないが、読後感は爽快である。
カズオ・イシグロ氏の場合、1冊だけ読んで評価をすべきではないと思った。ノーベル賞記念講演や晩餐会スピーチでおっしゃっていたような、世界の分断を修復したいとか、戦争の記憶を子孫にどう伝えていくかとか、文学によって「感情」を伝えたいなどの意識は、作家デビューして間もない頃に書かれた本書では、ほとんど感じ取ることができなかった。
まだまだ読んでみたい作品がありそうだ。いずれまた読書感想文を書くことになるだろう。
「日の名残り: カズオ・イシグロ」(Kindle版)
「The Remains of the Day: Kazuo Ishiguro」(Kindle版)
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カズオ・イシグロ氏のノーベル賞記念講演はこちら。(全文)(晩餐会スピーチ全文)
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