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マッハと現代物理学: 伏見康治

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ひとつ前の記事で紹介した「マッハ力学―力学の批判的発展史」を翻訳した伏見譲先生は、著名な理論物理学者、伏見康治先生の息子さんである。

本書に対し、伏見康治先生が「マッハと現代物理学」と題して寄稿された文章を紹介しておこう。マッハが20世紀の物理学に与えた影響がわかるはずだ。


マッハと現代物理学
伏見康治

マッハ主義なるものが、レーニンの「唯物論と経験批判論」なる本で、こっぴどくやっつけられたことは、マッハにとってきわめて不幸なことであった。マッハはバークレー流の観念論者にされてしまい、アベナリウスやポアンカレと十把一からげに非難された。恐らくボグダノフとルナチャルスキーがマッハの影響を受けてその哲学を宣伝したのに腹を立てたのだろう。その結果、マッハはソビエト、ロシアでは国禁的なものとなり、さらにそのつながりから、明らかにマッハの影響を受けたと思われるアインシュタインの相対性理論が同じく国禁的なとりあつかいを受けることになる。

日本でも「進歩的」といわれる学者たちは、マッハに触れることを自ら拒んだらしい。9版まで出た原著の「力学」が、日本の青木一郎さんの翻訳ではほとんど読まれなかったし、久しく絶版状態にほおっておかれた。私は文庫本の出版編集者に向かって、マッハの「力学」を採用するように何度も要請したことがあるが、誰もきいてくれなかった。

しかし、武谷三男さんのようなまじめな学者は、マッハが現代物理学、相対論と量子論とに決定的な影響を与えたことをよく知っているので、それを無視することはできなかった。もちろんマッハは批判されなければなかった。しかし、その批判の仕方はレーニンとはちがっている。

この「力学」を読めば明らかなように、マッハは(レーニンもそうだと思うが)筆の勢いでものを書く癖があって、その主張は必ずしも首尾一貫しているわけではない。ちがった場所で明らかに正反対なことを言っている場合がある。それで、あげ足とりをはじめれば、限りがなく、末端的なことでマッハの何が20世紀物理学に積極的な影響を与えたかの点にあろう。

それに、マッハの考えも年令とともにかわっており、いつの時代でも彼のいっていることが意味のあることであったとは言えなかろう。マッハの影響を強く受けたアインシュタインの物理的業績を考えてみると、人間の役割が年令とともに変わるのがよくわかる。---1905年のアナーレン・デア・フィジクにはアインシュタインの三つの論文が出ているが、それは光量子論とブラウン運動論と特殊相対性理論とであって、どれもこれも革命的で、古典物理学の考えを破壊するものであった。することなすことがすべて前向きで、まさにその後の物理学の進むべき道を指し示すものであった。完成した合理的量子力学を受け付けることができず、特にその統計的解釈に対して否定的であった。ブラウン運動論に至っては、その熱輻射論でプランク定数を提案しながら、それが古典的物理学との決定的な別れみちになっていることを自覚していなかったし、従って当然なことになるが、量子論の創設者が量子論ないし量子力学が理解できなかったという悲喜劇になる。---物理学上の論文の成否は短期決戦的に勝負がつくので、その論文の著者と論文との運命が別々になっても人は怪しまない。哲学上の論文となるとそうはいかないように人は思うらしい。

こういう一般的な注意をしたあとで、マッハの何が現代物理学に影響を与えたかをながめてみよう。アメリカで出ているペーパーバックスの英訳に、カール・メンガーが序文を書いているが、それによるとマッハの主張点は次の5点になる:

(1)ニュートンの質量の定義がおかしいとして、作用反作用の法則を基として質量を定義しようとした態度、これは後に、プリッヂマンの操作主義に形式化されていく。

(2)絶対空間のような、観測の手がかりのない要素を物理学から排除しようという態度、これから、反形而上学的実証主義が育っていく。

(3)科学の目的は精神的労力をできるだけ軽減しようとするところにあるという態度、法則という形でものをとらえるほうが、個々の事実を羅列するより楽だ、...等。この思惟経済説はアベナリウスの経験批判論と共通する。

(4)原因結果(因果関係)のつながりで物を考えるのをやめて、関数関係で置き換えていく態度、ニュートンの万有引力論がそのお手本であって、例の「われわれは仮説を作らず」で、万有引力の原因をさぐることをやめ、逆平方の法則を立てるだけで満足した(もしくはそれで辛抱した)。これは1億5千万キロメートルの彼方から直接力がとどくとする遠隔力の考えが、近接力に親しんでいる人間にとっては全く不可思議なものであることを考えると、大した決断なのである。

(5)感覚の要素とその複合、相対的にいって寿命の長い複合が、物とか、自分自身とかいう概念になる。これが、バークレーの哲学ときわめて似かよっていて、観念論的であるときめつけられる原因である。しかしバークレーは、この複合のよって来るところを、物理以外のもの、神学的なものに求めたのに対し、マッハはそういう事実を指摘するという段階にとどまって、いわゆる現象論に終始したのである。

以上の5点、メンガーが指摘したところであるが、大変よくマッハの特徴をえぐり出していると思う。もし付け加えるとすれば、それらすべてを畜って、あらゆる権威に挑戦する旺盛な批判精神があることを言っておかなければなるまい。

このうちどの主張が、20世紀物理学の代表である、相対論と量子論との形成に影響をおよぼしたのか。

特殊相対性理論は、よく知られているように、「同時刻」という概念に疑問を抱いたところに出発点がある。隔たった2地点間の光の信号のやりとりで、時間的前後をきめる操作を、思考実験の上で、やってみて、同時刻概念の不確かなことをつきとめる。これはまさに(1)でいう操作主義である。

全く同じ特質は、量子力学の完成時に現れる。特にいわゆるハイゼンベルク、ボーアの不確実性原理の確定は、実験操作の原理的分析に基づくもので、マッハの操作主義を地で行なったようなものである。それに、ハイゼンベルクが前期量子論の苦心惨憺のあとで、「古典力学量の量子力学的書き換え」を敢えて行なったのは、自然の不条理を、説明するのではなく、素直に受け入れようという態度であって、(1)と(4)との観点がものを言っている。

一般相対論の確定には、明らかに(2)の実証主義の立場および(4)の因果関係を関数でおきかえる立場が強く働いている。この「力学」では、いわゆる「マッハの原理」は、不完全な形で漠然とした強迫観念として述べられているにすぎないが、しかし、その主張は、誰も反駁ができないものであって、一般相対性理論がそれに部分的に答えようとしていることは事実だが、その全体的意義は、将来になって解明されるはずのものである。

これらは、マッハの影響の積極面であるが、消極面ももちろんある。その中でいちばんわかりやすい過ちは、マッハが「原子論」を否定したことであろう。なぜ彼が原子の実在をみとめなかったか。それに正確に答えるのは実にむずかしいが、もちろんどの時代に彼が生きていたかをよく知っておかなければならない。この時代の原子論の勝利というのは、たとえば気体運動論による期待の比熱の計算などにあると言われているが、もし本当に気体分子に真っ正直に古典力学を適用したら、単原子分子と2原子分子との区別が起こるはずがなく、その結論がたまたま当たったのは、量子論の結論を先取りして、非古典的考察をしのびこませていたところにあったのであるから、マッハがもしもその批判精神からそのことに気付いていなかったとはいえない。

それはともかく、ひとりの学者の評価を行なうにあたっては、次のアインシュタインのことばを思い出そう。

「理論物理学者が使う方法について何かを探り出したいのなら、彼のいうことばに惑わされてはならない。彼が何をしたかに注意すればよいのだ。しかし、マッハの場合、彼は批判者なのだからこの文句を少し変える必要があるかもしれない。マッハについてあれこれ言われていることに気をとられる必要はない。マッハ当人が本当に言おうとしていることを理解しなければならない。」

1969年、盛夏


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マッハ力学―力学の批判的発展史:伏見譲訳」(リンク2



著者の序文

初版から第9版への序文

第1章 静力学の原理の発達
- テコの原理
- 斜面の原理
- 力の合成則
- 仮想仕事の原理
- 静力学の発達の回顧
- 静力学の原理の液体への応用
- 静力学の原理の気体への応用

第2章 動力学の原理の発達
- ガリレイの業績
- ホイヘンスの業績
- ニュートンの業績
- 作用反作用の法則の詳論と具体例
- 作用反作用の法則と質量概念の批判
- ニュートンの時間・空間・運動
- ニュートンの力学の包括的批判
- 動力学の発展への回顧
- ヘルツの力学
- 本章の思想に対する種々の意見について

第3章 力学の原理の応用と演繹的発展
- ニュートン的諸法則の適用範囲
- 力学の量と単位
- 運動量保存法則・重心の定理・面積の定理
- 衝突の法則
- ダランベールの原理
- 力学的エネルギー保存の法則
- 最小拘束の原理
- 最小作用の原理
- ハミルトンの原理
- 力学の原理の流体力学への応用

第4章 力学の形式的発展
- 等周問題
- 力学における神学的、アニミズム的、神秘主義的観点について
- 解析力学
- 科学の経済

第5章 力学の他の知識領域への関係
- 力学の物理学への関係
- 力学の生理学への関係
- おわりに

マッハと現代物理学 伏見康治
訳者注
マッハ略年譜その他
付記
年表(秀でた科学者とその力学の基礎に関する重要な論文)
人名索引
事項索引

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