「素粒子標準模型入門: W.N.コッティンガム、D.A.グリーンウッド」(シュプリンガー版)
内容紹介:
本書は理工系の学部上級から大学院初年の学生を対象として、素粒子物理学における標準理論(最小の標準模型)の概要を本格的に解説した教科書である。読者の水準に充分に配慮しをして、過度に専門的な内容に深入りすることを避けながら、大局的に要点を抑えた的確な構成と記述によって、標準模型の理論構造を明快に提示してある。また模型の正当性を支持する主要な実験結果も、よく整理した形で紹介されている。素粒子論の基礎を習得しようと考える理工系学生のみならず、おそらくこの分野に関心を持つ関連分野の研究者・技術者にとっても有用な、正統的で完成度の高い、優れた素粒子論の入門書である。
2005年10月刊行、316ページ。
著者について:
Noel Cottingham and Derek Greenwood are theoreticians working in the H. H. Wills Physics Laboratory at the University of Bristol.
訳者について:
樺沢宇紀(かばさわ うき): 訳書: https://adx50150.wixsite.com/kabasawa-yakusho
1990年大阪大学大学院基礎工学研究科物理系専攻前期課程修了。(株)日立製作所中央研究所研究員。1996年(株)日立製作所電子デバイス製造システム推進本部技師。1999年(株)日立製作所計測器グループ技師。2001年(株)日立ハイテクノロジーズ技師。
樺沢先生の訳書: Amazonで検索
理数系書籍のレビュー記事は本書で344冊目。
日ごろから、ツイッター上でやり取りをさせていただいている樺沢先生(@adx50150)が2005年に翻訳された素粒子物理学の入門書である。
物理学を学び始めて10年以上になる。量子力学までは2007年から2010年にかけて比較的スムーズに進み、2012年くらいまでに相対論的量子力学を何冊かの教科書で学ぶに至っていた。ところが場の量子論に入ってワインバーグ博士による大著に手を出したために、あえなく撃沈。
その後、坂井典佑先生や柏太郎先生の本で難しさを痛感して「ああ、僕には無理かも。」とトラウマになりそうになった。その後、最もやさしいとされるF. マンドル, G. ショーの教科書(これも樺沢先生の訳書)で救われた感がある。しかし、ちゃんと理解できたかと言われると自信がない。当時の記事を読むと「理解度は7~8割」と書いてある。
素粒子物理学系の教科書についても、これまで何冊も買って積読状態になっている。いつか読めるようになるのではという甘い期待でときどき本を開くが、とても読めそうにない。
そのような状況の中で本書を読み終えたことは、僕にとって次のステップへの突破口になったといえよう。なんと学部上級レベルから読める素粒子物理学、特に標準模型に焦点をしぼった入門書である。
通読したところ、場の量子論がおぼつかない僕でも8~9割くらい理解できた。「素粒子物理学ってそんなにたやすく学べるの?」と疑問を持つ方もいらっしゃるだろう。もちろん「学問に王道なし。」のはずである。
つまり僕のような初学者がギブアップしないで読み通せるような本になっているのには、次のような理由があるのだ。
- 事前に「強い力と弱い力:大栗博司」や「「標準模型」の宇宙:ブルース・シューム」を読み、教養書レベルで標準模型を理解していたこと。
- 事前に「場の量子論〈第1巻〉量子電磁力学:F.マンドル、G.ショー」と「場の量子論〈第2巻〉素粒子の相互作用:F.マンドル、G.ショー」で学び、理論として標準模型に含まれる項目と、どのような計算が行われるのかを知っていたこと。
- 高度なテクニックが要求される、経路積分や繰り込みなど具体的な計算の方法を本書では思い切って省略したこと。これによって、標準模型の全体像がつかみやすくなるような分量に抑えていること。
- まず、具体的に粒子の名前を示して衝突や崩壊などを例示し、そのうえで理論を解説、さらに実験結果を示して理論が正しいことの裏付けをとっている。量子電磁気学から量子色力学に至るそれぞれの章で、このスタイルが徹底されているから、安心して読むことができる。また、このスタイルによって物理現象と抽象的な数理を関連付けて理解することができる。つまり、記憶に残りやすい。
- より発展的で難解な理論に言及せず、初学者が理解可能な事柄だけを解説している。
- 読者が息切れしないように、各章を適度なページ数に抑えていること。
- 数式の導出過程はほとんど省略してあるが、文脈を理解するために必要なレベルでの数式はふんだんに記述している。数式の導出を身につけたい読者のためには、練習問題も設けている。
- 数式を参照するために他のページを見なければならないことがあるが、すぐ近くの数式を参照させたり、参照の回数を減らすなど、読者に思考の中断をなるべくさせないような配慮がされている。
本書は読みやすいのは、このような理由による。
全体の流れは、次のとおりだ。第1章ではまず本書の主役となる素粒子を紹介した後、実験で得られるエネルギー準位ダイヤグラムから、クォークが確かに存在することが示される。そして第2章から第4章まででローレンツ変換、ラグランジュ形式、古典電磁気学など基礎的な事項を解説する。次に原子から原子核へ、そして原子核内部へとまるで「Powers of Ten」の後半のようにスケールアップしながら、だんだんと小さな世界での物理現象と理論の解説が進んでいく。
第1章:素粒子物理の概観
第2章:Lorentz変換
第3章:Lagrange形式
第4章:古典電磁気学
第5章:Dirac方程式とDirac場
第6章:自由空間におけるDirac方程式の解
第7章:荷電粒子場の電磁力学
第8章:場の量子化:量子電磁力学
第9章:弱い相互作用:低エネルギー現象論
第10章:自発的な対称性の破れ
第11章:電弱ゲージ場
第12章:レプトンのWeinberg-Salam理論
第13章:Weinberg-Salam理論の検証
第14章:クォークの電弱相互作用
第15章:ウィークボゾンの強粒子崩壊
第16章:強い相互作用の理論:量子色力学
第17章:量子色力学の計算
第18章:小林-益川行列
第19章:量子異常
付録A:線形代数の復習
付録B:標準模型で扱う群
付録C:消滅演算子・生成演算子
付録D:部分子模型
本書については樺沢先生が「訳者あとがき」で、きわめて的確かつユーモラスに紹介文をお書きになっているので、僕としてはこの記事をとても書きにくい。樺沢先生がお書きになった、以下の紹介ページをお読みになるがよいと思う。
《樺沢の訳書》No.7『素粒子標準模型入門』
https://adx50150.wixsite.com/kabasawa-yakusho/07
以下、ざっくばらんに僕の理解度と感想を述べておこう。
「第2章:Lorentz変換」から「第8章:場の量子化:量子電磁力学」までは、きわめて順調に読み進めることができた。もともと理解していた内容だったからだ。場の量子化をすることでDiracの海を持ち出す必要がなくなることも理解できた。摂動論や繰り込み理論の解説は簡潔だが、計算手順は示さないまでも計算結果と実験結果の比較について解説しているので、理論の意義はじゅうぶん伝わるから、いつか自分で計算してみようという意欲が芽生えた。
「第9章:弱い相互作用:低エネルギー現象論」から「第13章:Weinberg-Salam理論の検証」までは、いわゆる弱い相互作用、電弱相互作用の理論である。本書ではニュートリノの質量はゼロとして扱われている。ヒッグス場の理論もこの中で解説される。「質量の獲得」は僕がいちばん萌えるところ。少し難しくなったが、まだまだ大丈夫。F.マンドル、G.ショーの場の量子論で学んだときよりも、知識がずっと明瞭になった。
「第14章:クォークの電弱相互作用」と「第15章:ウィークボゾンの強粒子崩壊」に至って、あれ?クォークが登場するのが早いことに気が付いた。あ、そうか。クォークには電荷も弱荷もあるから、電弱相互作用もするのだなと思い出して読み進めた。小林-益川行列の導入も第14章で行われる。(そして第18章でより具体的に解説される。)この2つの章は少し難しく感じた。
「第16章:強い相互作用の理論:量子色力学」から「第18章:小林-益川行列」は、本書の中ではいちばん難しい部分。特に第16章と第18章を慎重に読み進めた。大まかなところは理解できたが、じゅうぶん満足とは言えない。全体の理解度が8~9割となったのは、この部分の理解がおぼつかなかったからだ。特に格子QCDの箇所はちんぷんかんぷん。これは他書で学んだほうがよいのだろうと思った。
「第19章:量子異常」は特に興味深かった。標準模型にはいくつかの量子異常が残っている。紹介されるのは「カイラル量子異常」、「電弱カレントの量子異常」、「レプトン数と重粒子数の量子異常」である。これら量子異常の存在は標準模型が究極の理論ではないことを示している。(標準模型が重力理論を含んでいないという意味ではなく。)その先は、おそらくより深いレベルでの理解を必要とする理論の発見によって可能になるのだろう。標準模型をもってしてもたどり着けない自然の有り様の神秘を感じた。
あと数式上での問題としてあらわれているわけではないが、標準模型では解明されていない謎が残っている。素粒子がなぜ3世代あるか、世代の違いにより質量がなぜこれほど大きく異なるのかなどだ。また理論に含まれるパラメータの数が18個もあり、それぞれが独立なのか疑問である。そしてニュートリノに質量があることがわかったために、パラメータの数は25個にもなってしまった。これは理論が未完成なことを意味している。
付録のAからCは線形代数、群論、消滅演算子・生成演算子など基礎的な事がらなので、最初にお読みになるとよい。付録Dは「部分子(いわゆるパートン)」の解説。クォーク理論を受け入れなかったファインマンが作り上げた理論だ。しかし、この付録を読むと部分子とクォークの関係がよくわかるようになる。本編の章を読み終えてから、この付録をお読みになるとよい。
場の量子論は標準模型を学ぶ上で必要不可欠だが、場の量子論は標準模型のためだけのものではない。また、本書を読んだからといって、これまでに難儀しながら読んだり、挫折して途中で投げ出した場の量子論の教科書が易しくなるわけでもない。詳しく学んだ人のアドバイスやアマゾンのレビューを参考にして、いろいろな本でチャレンジしていくのがよいと思う。そして高度な技巧が必要な計算も、一度くらいは経験してみるのがよいのだろう。
しかし、本書は初学者に達成感、充実感をもたらしてくれる。それは次のステップへ進もうとする意欲を生み出してくれるのだから、とても意味のあることだ。お勧めな教科書である。このような良書を翻訳してくださった樺沢先生に感謝したい。
これまで買い置きしていた素粒子物理の教科書も、もしかしたら読めるようになるかもという気分になってきた。大きな勘違いかもしれないけれど、前進しようという度胸がついたのは確かである。
本書の訳のもとになった原書は青い表紙の初版でペーパーバックである。1998年に刊行された。いつもながら、樺沢先生の翻訳はとても正確で読みやすいが、原書が気になる方のために紹介しておく。
「An Introduction to the Standard Model of Particle Physics: W.N.Cottingham, D.A.Greenwood」
その後、第2版が2007年に刊行されている。Kindle版もでているので、お買い求めになるのならこちらがよいだろう。第2版では強い相互作用に関する説明の追加と、初版ではゼロとされていたニュートリノの質量が存在するという実験結果を受けて内容を改訂したそうだ。
「An Introduction to the Standard Model of Particle Physics 2nd Ed: W.N.Cottingham, D.A.Greenwood」(Kindle Edition)
関連記事:
強い力と弱い力:大栗博司
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/06c3fdc3ed4e0908c75e3d7f20dd7177
「標準模型」の宇宙:ブルース・シューム
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/25297abb5d996b0c1e90b623a475d1aa
量子物理学の発見: レオン・レーダーマン、クリストファー・ヒル
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/0be01aa80fe038ae361fdd259b3532f2
物質のすべては光: フランク・ウィルチェック
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d592b55383ccecae76959446c0292d7b
場の量子論〈第1巻〉量子電磁力学:F.マンドル、G.ショー
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/08726ab931904f76d9c26ff56d219e53
場の量子論〈第2巻〉素粒子の相互作用:F.マンドル、G.ショー
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/95d908cd752af642964cbff7ea7f0301
大著に挑む (ワインバーグの「場の量子論」)
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/95ac4b64aa4eaf70608088006813cbf5
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「素粒子標準模型入門: W.N.コッティンガム、D.A.グリーンウッド」(シュプリンガー版)
序
本書の表記について
第1章:素粒子物理の概観
- はじめに
- 標準模型の構築
- レプトン
- クォークとクォーク系
- 軽いクォーク系のスペクトル
- その他のクォーク
- クォークの色
- 核子による電子の散乱
- 素粒子の加速器
- 単位系
第2章:Lorentz変換
- 回転・等速推進・固有Lorentz変換
- スカラーと反変・共変4元ベクトル
- 相対論的な場
- Levi-Civitaテンソル
- 時間反転と空間反転
- 練習問題
第3章:Lagrange形式
- Hamiltonの原理
- エネルギーの保存
- 連続系
- Lorentz共変な場の理論
- Klein-Gordon方程式
- エネルギー・運動量テンソル
- 複素スカラー場
- 練習問題
第4章:古典電磁気学
- Maxwell方程式
- 電磁場のラグランジアン密度
- ゲージ変換
- Maxwell方程式の解
- 空間反転
- 荷電共役変換
- 光子のスピン
- 電磁場のエネルギー密度
- 質量を持つベクトル場
- 練習問題
第5章:Dirac方程式とDirac場
- Dirac方程式
- Lorentz変換とLorentz不変性
- パリティ変換
- スピノル
- γ行列
- ラグランジアン密度の実数化
- 練習問題
第6章:自由空間におけるDirac方程式の解
- 静止をしているDirac粒子
- Dirac粒子のスピン
- 平面波とヘリシティ
- 負エネルギーの解
- Dirac場のエネルギーと運動量
- m=0の場合:ニュートリノ
- 練習問題
第7章:荷電粒子場の電磁力学
- 確率密度と確率の流れ
- 電磁場を伴うDirac方程式
- ゲージ変換と対称性
- 荷電共役変換
- ニュートリノと荷電共役変換
- 荷電スカラー場の電磁力学
- 低エネルギーの粒子とDiracの磁気能率
- 練習問題
第8章:場の量子化:量子電磁力学
- ボゾン場とフェルミオン場の量子化
- 時間依存
- 摂動論
- 繰り込みと繰り込み可能性
- 電子の磁気能率
- 標準模型の量子化
- 練習問題
第9章:弱い相互作用:低エネルギー現象論
- 原子核のβ崩壊
- π中間子の崩壊
- レプトン数の保存
- ミュー粒子の崩壊
- ミュー・ニュートリノと電子の相互作用
- 練習問題
第10章:自発的な対称性の破れ
- 大域的な対称性の破れとGoldstoneボゾン
- 局所的な対称性の破れとHiggsボゾン
- 練習問題
第11章:電弱ゲージ場
- SU(2)対称性
- ゲージ場
- SU(2)対称性の破れ
- 場の物理的な同定
- 練習問題
第12章:レプトンのWeinberg-Salam理論
- レプトン2重項とWeinberg-Salam理論
- レプトンのW^±への結合
- レプトンのZへの結合
- レプトン数の保存と電荷保存
- CP対称性
- Lの質量項の一般化
- 練習問題
第13章:Weinberg-Salam理論の検証
- ウィークボゾンの探索
- W^±ボゾンのレプトン化崩壊
- Zボゾンのレプトン化崩壊
- レプトンの世代数
- 部分幅の測定
- Zボゾン生成の左右非対称とレプトン化崩壊の前後非対称
- 練習問題
第14章:クォークの電弱相互作用
- ラグランジアン密度の構築
- クォークの質量と小林-益川混合行列
- KM行列のパラメーター表示
- CP対称性とKM行列
- 低エネルギー極限における弱い相互作用
- 練習問題
第15章:ウィークボゾンの強粒子崩壊
- Zボゾンの強粒子化崩壊
- クォーク生成の非対称性
- W^±ボゾンの強粒子化崩壊
- 練習問題
第16章:強い相互作用の理論:量子色力学
- 局所的SU(3)ゲージ理論
- 重粒子と中間子の色ゲージ変換
- 閉じ込めと漸近的自由性
- 短距離のクォーク-反クォーク相互作用
- クォーク数の保存
- アイソスピン対称性
- カイラル対称性
- 練習問題
第17章:量子色力学の計算
- 格子QCDと閉じ込め
- チャーモニウムとボトモニウム
- 摂動的QCDと深非弾性散乱
- 摂動的e^+ e^-衝突の物理
第18章:小林-益川行列
- 弱い相互作用によるクォークの半レプトン化崩壊
- Vcbと|Vub|
- Vudと原子核のβ崩壊
- 中性K中間子の崩壊におけるCP対称性の破れ
- B中間子の崩壊におけるCP対称性の破れ
- CPT定理
- 訳者補遺:KM行列の数値
- 練習問題
第19章:量子異常
- Adler-Bell-Jackiw量子異常
- 電弱カレントにおける量子以上の相殺
- レプトン数と重粒子数の量子異常
- ゲージ変換の位相数
- 物質の不安定性と物質の起源
付録A:線形代数の復習
- 定義と表記
- n x n行列の性質
- Hermite行列とユニタリー行列
付録B:標準模型で扱う群
- 群の定義
- 座標軸の回転とSO(3)
- SU(2)
- SL(2,C)と固有Lorentz群
- Pauli行列の変換
- スピノル
- SU(3)
- 練習問題
付録C:消滅演算子・生成演算子
- 調和振動子
- ボゾン系
- フェルミオン系
- 練習問題
付録D:部分子模型
- 核子を標的とした電子の弾性散乱
- 核子を標的とした電子の非弾性散乱
- 強粒子状態
- 練習問題
参考文献
練習問題のヒント
訳者あとがき
内容紹介:
本書は理工系の学部上級から大学院初年の学生を対象として、素粒子物理学における標準理論(最小の標準模型)の概要を本格的に解説した教科書である。読者の水準に充分に配慮しをして、過度に専門的な内容に深入りすることを避けながら、大局的に要点を抑えた的確な構成と記述によって、標準模型の理論構造を明快に提示してある。また模型の正当性を支持する主要な実験結果も、よく整理した形で紹介されている。素粒子論の基礎を習得しようと考える理工系学生のみならず、おそらくこの分野に関心を持つ関連分野の研究者・技術者にとっても有用な、正統的で完成度の高い、優れた素粒子論の入門書である。
2005年10月刊行、316ページ。
著者について:
Noel Cottingham and Derek Greenwood are theoreticians working in the H. H. Wills Physics Laboratory at the University of Bristol.
訳者について:
樺沢宇紀(かばさわ うき): 訳書: https://adx50150.wixsite.com/kabasawa-yakusho
1990年大阪大学大学院基礎工学研究科物理系専攻前期課程修了。(株)日立製作所中央研究所研究員。1996年(株)日立製作所電子デバイス製造システム推進本部技師。1999年(株)日立製作所計測器グループ技師。2001年(株)日立ハイテクノロジーズ技師。
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理数系書籍のレビュー記事は本書で344冊目。
日ごろから、ツイッター上でやり取りをさせていただいている樺沢先生(@adx50150)が2005年に翻訳された素粒子物理学の入門書である。
物理学を学び始めて10年以上になる。量子力学までは2007年から2010年にかけて比較的スムーズに進み、2012年くらいまでに相対論的量子力学を何冊かの教科書で学ぶに至っていた。ところが場の量子論に入ってワインバーグ博士による大著に手を出したために、あえなく撃沈。
その後、坂井典佑先生や柏太郎先生の本で難しさを痛感して「ああ、僕には無理かも。」とトラウマになりそうになった。その後、最もやさしいとされるF. マンドル, G. ショーの教科書(これも樺沢先生の訳書)で救われた感がある。しかし、ちゃんと理解できたかと言われると自信がない。当時の記事を読むと「理解度は7~8割」と書いてある。
素粒子物理学系の教科書についても、これまで何冊も買って積読状態になっている。いつか読めるようになるのではという甘い期待でときどき本を開くが、とても読めそうにない。
そのような状況の中で本書を読み終えたことは、僕にとって次のステップへの突破口になったといえよう。なんと学部上級レベルから読める素粒子物理学、特に標準模型に焦点をしぼった入門書である。
通読したところ、場の量子論がおぼつかない僕でも8~9割くらい理解できた。「素粒子物理学ってそんなにたやすく学べるの?」と疑問を持つ方もいらっしゃるだろう。もちろん「学問に王道なし。」のはずである。
つまり僕のような初学者がギブアップしないで読み通せるような本になっているのには、次のような理由があるのだ。
- 事前に「強い力と弱い力:大栗博司」や「「標準模型」の宇宙:ブルース・シューム」を読み、教養書レベルで標準模型を理解していたこと。
- 事前に「場の量子論〈第1巻〉量子電磁力学:F.マンドル、G.ショー」と「場の量子論〈第2巻〉素粒子の相互作用:F.マンドル、G.ショー」で学び、理論として標準模型に含まれる項目と、どのような計算が行われるのかを知っていたこと。
- 高度なテクニックが要求される、経路積分や繰り込みなど具体的な計算の方法を本書では思い切って省略したこと。これによって、標準模型の全体像がつかみやすくなるような分量に抑えていること。
- まず、具体的に粒子の名前を示して衝突や崩壊などを例示し、そのうえで理論を解説、さらに実験結果を示して理論が正しいことの裏付けをとっている。量子電磁気学から量子色力学に至るそれぞれの章で、このスタイルが徹底されているから、安心して読むことができる。また、このスタイルによって物理現象と抽象的な数理を関連付けて理解することができる。つまり、記憶に残りやすい。
- より発展的で難解な理論に言及せず、初学者が理解可能な事柄だけを解説している。
- 読者が息切れしないように、各章を適度なページ数に抑えていること。
- 数式の導出過程はほとんど省略してあるが、文脈を理解するために必要なレベルでの数式はふんだんに記述している。数式の導出を身につけたい読者のためには、練習問題も設けている。
- 数式を参照するために他のページを見なければならないことがあるが、すぐ近くの数式を参照させたり、参照の回数を減らすなど、読者に思考の中断をなるべくさせないような配慮がされている。
本書は読みやすいのは、このような理由による。
全体の流れは、次のとおりだ。第1章ではまず本書の主役となる素粒子を紹介した後、実験で得られるエネルギー準位ダイヤグラムから、クォークが確かに存在することが示される。そして第2章から第4章まででローレンツ変換、ラグランジュ形式、古典電磁気学など基礎的な事項を解説する。次に原子から原子核へ、そして原子核内部へとまるで「Powers of Ten」の後半のようにスケールアップしながら、だんだんと小さな世界での物理現象と理論の解説が進んでいく。
第1章:素粒子物理の概観
第2章:Lorentz変換
第3章:Lagrange形式
第4章:古典電磁気学
第5章:Dirac方程式とDirac場
第6章:自由空間におけるDirac方程式の解
第7章:荷電粒子場の電磁力学
第8章:場の量子化:量子電磁力学
第9章:弱い相互作用:低エネルギー現象論
第10章:自発的な対称性の破れ
第11章:電弱ゲージ場
第12章:レプトンのWeinberg-Salam理論
第13章:Weinberg-Salam理論の検証
第14章:クォークの電弱相互作用
第15章:ウィークボゾンの強粒子崩壊
第16章:強い相互作用の理論:量子色力学
第17章:量子色力学の計算
第18章:小林-益川行列
第19章:量子異常
付録A:線形代数の復習
付録B:標準模型で扱う群
付録C:消滅演算子・生成演算子
付録D:部分子模型
本書については樺沢先生が「訳者あとがき」で、きわめて的確かつユーモラスに紹介文をお書きになっているので、僕としてはこの記事をとても書きにくい。樺沢先生がお書きになった、以下の紹介ページをお読みになるがよいと思う。
《樺沢の訳書》No.7『素粒子標準模型入門』
https://adx50150.wixsite.com/kabasawa-yakusho/07
以下、ざっくばらんに僕の理解度と感想を述べておこう。
「第2章:Lorentz変換」から「第8章:場の量子化:量子電磁力学」までは、きわめて順調に読み進めることができた。もともと理解していた内容だったからだ。場の量子化をすることでDiracの海を持ち出す必要がなくなることも理解できた。摂動論や繰り込み理論の解説は簡潔だが、計算手順は示さないまでも計算結果と実験結果の比較について解説しているので、理論の意義はじゅうぶん伝わるから、いつか自分で計算してみようという意欲が芽生えた。
「第9章:弱い相互作用:低エネルギー現象論」から「第13章:Weinberg-Salam理論の検証」までは、いわゆる弱い相互作用、電弱相互作用の理論である。本書ではニュートリノの質量はゼロとして扱われている。ヒッグス場の理論もこの中で解説される。「質量の獲得」は僕がいちばん萌えるところ。少し難しくなったが、まだまだ大丈夫。F.マンドル、G.ショーの場の量子論で学んだときよりも、知識がずっと明瞭になった。
「第14章:クォークの電弱相互作用」と「第15章:ウィークボゾンの強粒子崩壊」に至って、あれ?クォークが登場するのが早いことに気が付いた。あ、そうか。クォークには電荷も弱荷もあるから、電弱相互作用もするのだなと思い出して読み進めた。小林-益川行列の導入も第14章で行われる。(そして第18章でより具体的に解説される。)この2つの章は少し難しく感じた。
「第16章:強い相互作用の理論:量子色力学」から「第18章:小林-益川行列」は、本書の中ではいちばん難しい部分。特に第16章と第18章を慎重に読み進めた。大まかなところは理解できたが、じゅうぶん満足とは言えない。全体の理解度が8~9割となったのは、この部分の理解がおぼつかなかったからだ。特に格子QCDの箇所はちんぷんかんぷん。これは他書で学んだほうがよいのだろうと思った。
「第19章:量子異常」は特に興味深かった。標準模型にはいくつかの量子異常が残っている。紹介されるのは「カイラル量子異常」、「電弱カレントの量子異常」、「レプトン数と重粒子数の量子異常」である。これら量子異常の存在は標準模型が究極の理論ではないことを示している。(標準模型が重力理論を含んでいないという意味ではなく。)その先は、おそらくより深いレベルでの理解を必要とする理論の発見によって可能になるのだろう。標準模型をもってしてもたどり着けない自然の有り様の神秘を感じた。
あと数式上での問題としてあらわれているわけではないが、標準模型では解明されていない謎が残っている。素粒子がなぜ3世代あるか、世代の違いにより質量がなぜこれほど大きく異なるのかなどだ。また理論に含まれるパラメータの数が18個もあり、それぞれが独立なのか疑問である。そしてニュートリノに質量があることがわかったために、パラメータの数は25個にもなってしまった。これは理論が未完成なことを意味している。
付録のAからCは線形代数、群論、消滅演算子・生成演算子など基礎的な事がらなので、最初にお読みになるとよい。付録Dは「部分子(いわゆるパートン)」の解説。クォーク理論を受け入れなかったファインマンが作り上げた理論だ。しかし、この付録を読むと部分子とクォークの関係がよくわかるようになる。本編の章を読み終えてから、この付録をお読みになるとよい。
場の量子論は標準模型を学ぶ上で必要不可欠だが、場の量子論は標準模型のためだけのものではない。また、本書を読んだからといって、これまでに難儀しながら読んだり、挫折して途中で投げ出した場の量子論の教科書が易しくなるわけでもない。詳しく学んだ人のアドバイスやアマゾンのレビューを参考にして、いろいろな本でチャレンジしていくのがよいと思う。そして高度な技巧が必要な計算も、一度くらいは経験してみるのがよいのだろう。
しかし、本書は初学者に達成感、充実感をもたらしてくれる。それは次のステップへ進もうとする意欲を生み出してくれるのだから、とても意味のあることだ。お勧めな教科書である。このような良書を翻訳してくださった樺沢先生に感謝したい。
これまで買い置きしていた素粒子物理の教科書も、もしかしたら読めるようになるかもという気分になってきた。大きな勘違いかもしれないけれど、前進しようという度胸がついたのは確かである。
本書の訳のもとになった原書は青い表紙の初版でペーパーバックである。1998年に刊行された。いつもながら、樺沢先生の翻訳はとても正確で読みやすいが、原書が気になる方のために紹介しておく。
「An Introduction to the Standard Model of Particle Physics: W.N.Cottingham, D.A.Greenwood」
その後、第2版が2007年に刊行されている。Kindle版もでているので、お買い求めになるのならこちらがよいだろう。第2版では強い相互作用に関する説明の追加と、初版ではゼロとされていたニュートリノの質量が存在するという実験結果を受けて内容を改訂したそうだ。
「An Introduction to the Standard Model of Particle Physics 2nd Ed: W.N.Cottingham, D.A.Greenwood」(Kindle Edition)
関連記事:
強い力と弱い力:大栗博司
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/06c3fdc3ed4e0908c75e3d7f20dd7177
「標準模型」の宇宙:ブルース・シューム
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/25297abb5d996b0c1e90b623a475d1aa
量子物理学の発見: レオン・レーダーマン、クリストファー・ヒル
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/0be01aa80fe038ae361fdd259b3532f2
物質のすべては光: フランク・ウィルチェック
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d592b55383ccecae76959446c0292d7b
場の量子論〈第1巻〉量子電磁力学:F.マンドル、G.ショー
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/08726ab931904f76d9c26ff56d219e53
場の量子論〈第2巻〉素粒子の相互作用:F.マンドル、G.ショー
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/95d908cd752af642964cbff7ea7f0301
大著に挑む (ワインバーグの「場の量子論」)
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「素粒子標準模型入門: W.N.コッティンガム、D.A.グリーンウッド」(シュプリンガー版)
序
本書の表記について
第1章:素粒子物理の概観
- はじめに
- 標準模型の構築
- レプトン
- クォークとクォーク系
- 軽いクォーク系のスペクトル
- その他のクォーク
- クォークの色
- 核子による電子の散乱
- 素粒子の加速器
- 単位系
第2章:Lorentz変換
- 回転・等速推進・固有Lorentz変換
- スカラーと反変・共変4元ベクトル
- 相対論的な場
- Levi-Civitaテンソル
- 時間反転と空間反転
- 練習問題
第3章:Lagrange形式
- Hamiltonの原理
- エネルギーの保存
- 連続系
- Lorentz共変な場の理論
- Klein-Gordon方程式
- エネルギー・運動量テンソル
- 複素スカラー場
- 練習問題
第4章:古典電磁気学
- Maxwell方程式
- 電磁場のラグランジアン密度
- ゲージ変換
- Maxwell方程式の解
- 空間反転
- 荷電共役変換
- 光子のスピン
- 電磁場のエネルギー密度
- 質量を持つベクトル場
- 練習問題
第5章:Dirac方程式とDirac場
- Dirac方程式
- Lorentz変換とLorentz不変性
- パリティ変換
- スピノル
- γ行列
- ラグランジアン密度の実数化
- 練習問題
第6章:自由空間におけるDirac方程式の解
- 静止をしているDirac粒子
- Dirac粒子のスピン
- 平面波とヘリシティ
- 負エネルギーの解
- Dirac場のエネルギーと運動量
- m=0の場合:ニュートリノ
- 練習問題
第7章:荷電粒子場の電磁力学
- 確率密度と確率の流れ
- 電磁場を伴うDirac方程式
- ゲージ変換と対称性
- 荷電共役変換
- ニュートリノと荷電共役変換
- 荷電スカラー場の電磁力学
- 低エネルギーの粒子とDiracの磁気能率
- 練習問題
第8章:場の量子化:量子電磁力学
- ボゾン場とフェルミオン場の量子化
- 時間依存
- 摂動論
- 繰り込みと繰り込み可能性
- 電子の磁気能率
- 標準模型の量子化
- 練習問題
第9章:弱い相互作用:低エネルギー現象論
- 原子核のβ崩壊
- π中間子の崩壊
- レプトン数の保存
- ミュー粒子の崩壊
- ミュー・ニュートリノと電子の相互作用
- 練習問題
第10章:自発的な対称性の破れ
- 大域的な対称性の破れとGoldstoneボゾン
- 局所的な対称性の破れとHiggsボゾン
- 練習問題
第11章:電弱ゲージ場
- SU(2)対称性
- ゲージ場
- SU(2)対称性の破れ
- 場の物理的な同定
- 練習問題
第12章:レプトンのWeinberg-Salam理論
- レプトン2重項とWeinberg-Salam理論
- レプトンのW^±への結合
- レプトンのZへの結合
- レプトン数の保存と電荷保存
- CP対称性
- Lの質量項の一般化
- 練習問題
第13章:Weinberg-Salam理論の検証
- ウィークボゾンの探索
- W^±ボゾンのレプトン化崩壊
- Zボゾンのレプトン化崩壊
- レプトンの世代数
- 部分幅の測定
- Zボゾン生成の左右非対称とレプトン化崩壊の前後非対称
- 練習問題
第14章:クォークの電弱相互作用
- ラグランジアン密度の構築
- クォークの質量と小林-益川混合行列
- KM行列のパラメーター表示
- CP対称性とKM行列
- 低エネルギー極限における弱い相互作用
- 練習問題
第15章:ウィークボゾンの強粒子崩壊
- Zボゾンの強粒子化崩壊
- クォーク生成の非対称性
- W^±ボゾンの強粒子化崩壊
- 練習問題
第16章:強い相互作用の理論:量子色力学
- 局所的SU(3)ゲージ理論
- 重粒子と中間子の色ゲージ変換
- 閉じ込めと漸近的自由性
- 短距離のクォーク-反クォーク相互作用
- クォーク数の保存
- アイソスピン対称性
- カイラル対称性
- 練習問題
第17章:量子色力学の計算
- 格子QCDと閉じ込め
- チャーモニウムとボトモニウム
- 摂動的QCDと深非弾性散乱
- 摂動的e^+ e^-衝突の物理
第18章:小林-益川行列
- 弱い相互作用によるクォークの半レプトン化崩壊
- Vcbと|Vub|
- Vudと原子核のβ崩壊
- 中性K中間子の崩壊におけるCP対称性の破れ
- B中間子の崩壊におけるCP対称性の破れ
- CPT定理
- 訳者補遺:KM行列の数値
- 練習問題
第19章:量子異常
- Adler-Bell-Jackiw量子異常
- 電弱カレントにおける量子以上の相殺
- レプトン数と重粒子数の量子異常
- ゲージ変換の位相数
- 物質の不安定性と物質の起源
付録A:線形代数の復習
- 定義と表記
- n x n行列の性質
- Hermite行列とユニタリー行列
付録B:標準模型で扱う群
- 群の定義
- 座標軸の回転とSO(3)
- SU(2)
- SL(2,C)と固有Lorentz群
- Pauli行列の変換
- スピノル
- SU(3)
- 練習問題
付録C:消滅演算子・生成演算子
- 調和振動子
- ボゾン系
- フェルミオン系
- 練習問題
付録D:部分子模型
- 核子を標的とした電子の弾性散乱
- 核子を標的とした電子の非弾性散乱
- 強粒子状態
- 練習問題
参考文献
練習問題のヒント
訳者あとがき