「四千万歩の男(五): 井上ひさし」(Kindle版)
内容:
青年二宮金次郎と“百姓論語”を闘わせ鰹節騒動では危うく情事の罠に。とかく学問より俗事に心奪われる伊能隊、再三の“測量中止”の危機を脱し、有望な孤児や人気女形をお伴に江戸へ。忠敬が“人生二山”を生きた江戸後期の、新しい文化の旗手を多士済々に登場させ、人間忠敬とその時代を縦横に描く大作、完結。全5巻。(講談社文庫)
1993年刊行、712ページ。
著者について:
井上ひさし: 公式サイト: http://www.inouehisashi.jp/
1934年-2010年。山形県生れ。上智大学文学部卒業。浅草フランス座で文芸部進行係を務めた後に放送作家としてスタートする。以後『道元の冒険』(岸田戯曲賞、芸術選奨新人賞)、『手鎖心中』(直木賞)、『吉里吉里人』(読売文学賞、日本SF大賞)、『東京セブンローズ』など戯曲、小説、エッセイ等に幅広く活躍している。’84年に劇団「こまつ座」を結成し、座付き作者として自作の上演活動を行う。こまつ座は現在、次女の井上麻矢さんが社長を務めている。
第4巻の次はこの最終巻だ。やけに読むのに時間がかかっていると思い、Amazonでページ数を確認したら700ページを超えている。といっても終わりの5パーセントは「あとがき」のようなものと、井上ひさし自身が書いた「自分史」に割かれているから、本編の分量は他の4巻と同じである。
この第5巻は忠敬の第2次測量の始まりの時期が舞台である。家出をしてしまった妻のお栄は、とうとう見つからず、後ろ髪を引かれながらの出発となった。このページに書かれている次の部分の道中での出来事が語られる。(もちろんほとんどが創作。)
「●第二次測量(1801年)~伊豆・東日本太平洋側
蝦夷地の地図に対する高い評価が郷土の藩主・堀田正敦(まさあつ)の耳に届いたこともあり、忠敬は周囲から第二次測量を勧められ、伊豆から太平洋側北端・尻屋崎までの測量を決意する。享和元年(1801年)4月2日に江戸を出発した。今回は街道を管理する道中奉行から測量隊来訪の先触れが出され、各地で地元の協力を得やすくなった。また、前回のような歩測ではなく、一間(いっけん、約180cm)ごとに印がついた縄=間縄(けんなわ)を使って測量することにした。三浦半島、鎌倉と回って伊豆下田に到着したのが5月13日。伊豆の断崖絶壁の測量は海上で縄を張るなど苦労した。いったん江戸によって6月19日に房総半島へ出発。」
最初にでくわす事件は忠敬率いる測量隊が根府川の関所を通るときにおこる。蝦夷地の地図で高い評判を得ていたにもかかわらず扱いが手厳しい。忠敬一行がニセモノだと決めつけていたからだ。本物の測量隊はその日の朝に関所を通ったのだという。測量に使う道具もその一行は持っていたというのだから不思議である。いったい誰が何のためにそんなことをしたのか。
この一件には天下に名高い伊豆大権現の別当寺般若院がかかわっていた。三人の娘を積荷に潜ませて関所破りさせるために仕組んだことだったのである。また若き日の二宮金次郎もかかわっている。背景には百姓たちの苦しい暮らしがあった。いくら一所懸命に働いてもいっこうに良くならない彼らの生活を、金次郎は助けたいと思い、とても奇抜なアイデアを思いつく。そのためにはまず資金を集めなくてはならない。事件の発端はここにあったのだ。
ある宿場で女性が頭につける櫛が相場よりかなり安い値で売られているのを忠敬は目にした。不信に思った忠敬はほどなくそれが現代で言うところの「ネズミ講」、「マルチ商法」であることに気が付く。算術に長けていた忠敬は、それがいずれ破たんすることを知っている。しかしその悪徳商法は百姓たちを苦しい生活から救うためのものである。理性と人情のせめぎ合い。完全に善悪を分けることのできないのは今も昔も変わらない。最終的にそのツケを払うのは誰になるのか。
この後、いくつかの事件に巻き込まれるのだがこれまでと同様、省略させていただく。Amazonの内容紹介にある「鰹節騒動では危うく情事の罠に」のところが気になる方がいらっしゃるだろうが、本書を読んでのお楽しみということにしたい。いちばん面白いところなのでネタバレしてはいけないと思う。江戸を離れた地方の街で人々がどのように暮らしていたか、どのような悪だくみが行われていたか、その原因が明らかにされつつ物語が進むのである。
本書の後半で別の宿場で忠敬はとある遊女を助けることになる。その遊女は宿場でいちばん人気があったのだが、客の財布を盗んだ疑いで牢に入れられていた。そしてそれは濡れ衣だった。真犯人は彼女がその宿場に来る前に人気を独占していた遊女である。客をてなづけてライバルを蹴落とそうとするものだった。
忠敬一行の中には旅先で知り合った女形の役者がいた。江戸で大人気だった若者である。その男が思いついたある方法で何人もいる遊女の中から犯人を特定する。無実の罪を着せられた遊女は忠敬一行に感謝する。
この遊女にはご主人と息子がいて宿場から離れた小屋に住んでいた。彼女の主人はもともと藩の剣術指南役をしていた武士なのだが、降りかかった災難のようにしてしなくてはならなくなった真剣勝負で片腕を落としたため、役職を解かれて妻の収入に頼らなければならない境遇になっていたのだ。妻は夫と幼い息子のために遊女になって生活を支えていたのである。息子の名は「夢太郎」。とても利口な男の子だった。忠敬もすぐそのことに気が付く。
翌朝、宿を発とうとしているところに夢太郎が目をきらきら輝かせてやってきた。なんでも両親から忠敬の弟子になってこいと言われて来たそうだ。このままここで暮らしていてはお前のためによくない。算術や測天術を身に着けて出世してほしいと言われたそうである。夢太郎にとってもそれは願ったり叶ったりだった。夢太郎は両親から忠敬に宛てた手紙を持っていた。
手紙には忠敬へのお礼と、息子の弟子入りのお願いが書かれていたわけだが、その後を読んで忠敬は絶句する。夢太郎の父と母は息子には告げずに自害してしまったのだ。妻を遊女に出しながら、これまで何度死のうと思ったか、そして息子の無邪気な笑顔を見るたびにそれを思いとどまったことなどがつづられていたのだ。何も知らされていない夢太郎はこれから始まる旅への期待感で嬉々として目を輝かせている。このようにして夢太郎を加えた一行は江戸へ向けて出立することになった。
江戸へ向かう道中でも、そして江戸へ着いてからもいくつかの出来事に遭遇する。本書の最後は夢太郎が引き起こした事件とその決着でしめくくられている。
家出してしまった妻のお栄については、本書の最後の最後でその消息が明らかになる。
本あとがきに相当する箇所で、井上ひさしは本書全体をとおして言いたかったことをお書きになっている。それは「第二の人生」のことである。忠敬はもともと百姓であり、農家を束ねる名主の家に婿入りした人物だ。そして50歳で隠居するまでは士農工商の「農」の身分で人生を送った。星学(現在の天文学)や測地学、測天学を学んで測量の旅を始めたのは50歳から亡くなる73歳までのことだ。井上ひさしは忠敬を現代人に必要な「第二の人生」のパイオニアだと主張しているのである。
定年や年金支給開始が60歳から65歳に引き上げられたのは数年前のこと。年金制度が始まった頃は定年を迎えてからせいぜい5~6年支給すれば十分だろうという時代のことである。その後、平均寿命がどんどん伸びているのはみなさんもご承知のとおりだ。そして井上ひさしが触れなかった少子化の流れもとどまるところを知らない。
「第二の人生」は本書が書かれた1990年代よりもますます重要になってきている。僕も自分自身のことを考えてみて、定年退職後の生活を設計し、準備を始めなければと思っているところだった。おそらく年金支給開始年齢は70歳まで引き上げられることだろうし。
楽しい小説を読みながら、最後はこんなオチになってしまった。井上ひさしも本書を執筆している最中に家庭崩壊(そして離婚)してしまったことをあとがきにお書きになっている。自業自得とはいえ人生は何がおこるかわからない。心配のしすぎも精神的によくないから、将来の自分の在り方を具体的に思い描きながら忠敬のように一歩一歩、着実に進んでいくのがよいのだろう。
さて、次は少し薄い本になるが本シリーズのまとめとして書かれた「四千万歩の男 忠敬の生き方」に進もう。
「四千万歩の男(五): 井上ひさし」(Kindle版)
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関連ページ:
【 あの人の人生を知ろう~伊能忠敬編 】
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/tadataka.html
伊能忠敬e資料館
https://www.inopedia.tokyo/
日本国地図の歴史的変遷?やっぱ伊能忠敬って天才だわ。凄すぎる・・・
https://matome.naver.jp/odai/2136439442534894801
伊能大図彩色図の閲覧
http://www.gsi.go.jp/MAP/KOTIZU/sisak/ino-main.html
関連記事:
吉里吉里人:井上ひさし
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/7830d542844bf6f4f6b702e081aa3be7
追悼:井上ひさしさん
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/8b68249f7d2070726183c6f9e8fb71dd
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青年二宮金次郎と“百姓論語”を闘わせ鰹節騒動では危うく情事の罠に。とかく学問より俗事に心奪われる伊能隊、再三の“測量中止”の危機を脱し、有望な孤児や人気女形をお伴に江戸へ。忠敬が“人生二山”を生きた江戸後期の、新しい文化の旗手を多士済々に登場させ、人間忠敬とその時代を縦横に描く大作、完結。全5巻。(講談社文庫)
1993年刊行、712ページ。
著者について:
井上ひさし: 公式サイト: http://www.inouehisashi.jp/
1934年-2010年。山形県生れ。上智大学文学部卒業。浅草フランス座で文芸部進行係を務めた後に放送作家としてスタートする。以後『道元の冒険』(岸田戯曲賞、芸術選奨新人賞)、『手鎖心中』(直木賞)、『吉里吉里人』(読売文学賞、日本SF大賞)、『東京セブンローズ』など戯曲、小説、エッセイ等に幅広く活躍している。’84年に劇団「こまつ座」を結成し、座付き作者として自作の上演活動を行う。こまつ座は現在、次女の井上麻矢さんが社長を務めている。
第4巻の次はこの最終巻だ。やけに読むのに時間がかかっていると思い、Amazonでページ数を確認したら700ページを超えている。といっても終わりの5パーセントは「あとがき」のようなものと、井上ひさし自身が書いた「自分史」に割かれているから、本編の分量は他の4巻と同じである。
この第5巻は忠敬の第2次測量の始まりの時期が舞台である。家出をしてしまった妻のお栄は、とうとう見つからず、後ろ髪を引かれながらの出発となった。このページに書かれている次の部分の道中での出来事が語られる。(もちろんほとんどが創作。)
「●第二次測量(1801年)~伊豆・東日本太平洋側
蝦夷地の地図に対する高い評価が郷土の藩主・堀田正敦(まさあつ)の耳に届いたこともあり、忠敬は周囲から第二次測量を勧められ、伊豆から太平洋側北端・尻屋崎までの測量を決意する。享和元年(1801年)4月2日に江戸を出発した。今回は街道を管理する道中奉行から測量隊来訪の先触れが出され、各地で地元の協力を得やすくなった。また、前回のような歩測ではなく、一間(いっけん、約180cm)ごとに印がついた縄=間縄(けんなわ)を使って測量することにした。三浦半島、鎌倉と回って伊豆下田に到着したのが5月13日。伊豆の断崖絶壁の測量は海上で縄を張るなど苦労した。いったん江戸によって6月19日に房総半島へ出発。」
最初にでくわす事件は忠敬率いる測量隊が根府川の関所を通るときにおこる。蝦夷地の地図で高い評判を得ていたにもかかわらず扱いが手厳しい。忠敬一行がニセモノだと決めつけていたからだ。本物の測量隊はその日の朝に関所を通ったのだという。測量に使う道具もその一行は持っていたというのだから不思議である。いったい誰が何のためにそんなことをしたのか。
この一件には天下に名高い伊豆大権現の別当寺般若院がかかわっていた。三人の娘を積荷に潜ませて関所破りさせるために仕組んだことだったのである。また若き日の二宮金次郎もかかわっている。背景には百姓たちの苦しい暮らしがあった。いくら一所懸命に働いてもいっこうに良くならない彼らの生活を、金次郎は助けたいと思い、とても奇抜なアイデアを思いつく。そのためにはまず資金を集めなくてはならない。事件の発端はここにあったのだ。
ある宿場で女性が頭につける櫛が相場よりかなり安い値で売られているのを忠敬は目にした。不信に思った忠敬はほどなくそれが現代で言うところの「ネズミ講」、「マルチ商法」であることに気が付く。算術に長けていた忠敬は、それがいずれ破たんすることを知っている。しかしその悪徳商法は百姓たちを苦しい生活から救うためのものである。理性と人情のせめぎ合い。完全に善悪を分けることのできないのは今も昔も変わらない。最終的にそのツケを払うのは誰になるのか。
この後、いくつかの事件に巻き込まれるのだがこれまでと同様、省略させていただく。Amazonの内容紹介にある「鰹節騒動では危うく情事の罠に」のところが気になる方がいらっしゃるだろうが、本書を読んでのお楽しみということにしたい。いちばん面白いところなのでネタバレしてはいけないと思う。江戸を離れた地方の街で人々がどのように暮らしていたか、どのような悪だくみが行われていたか、その原因が明らかにされつつ物語が進むのである。
本書の後半で別の宿場で忠敬はとある遊女を助けることになる。その遊女は宿場でいちばん人気があったのだが、客の財布を盗んだ疑いで牢に入れられていた。そしてそれは濡れ衣だった。真犯人は彼女がその宿場に来る前に人気を独占していた遊女である。客をてなづけてライバルを蹴落とそうとするものだった。
忠敬一行の中には旅先で知り合った女形の役者がいた。江戸で大人気だった若者である。その男が思いついたある方法で何人もいる遊女の中から犯人を特定する。無実の罪を着せられた遊女は忠敬一行に感謝する。
この遊女にはご主人と息子がいて宿場から離れた小屋に住んでいた。彼女の主人はもともと藩の剣術指南役をしていた武士なのだが、降りかかった災難のようにしてしなくてはならなくなった真剣勝負で片腕を落としたため、役職を解かれて妻の収入に頼らなければならない境遇になっていたのだ。妻は夫と幼い息子のために遊女になって生活を支えていたのである。息子の名は「夢太郎」。とても利口な男の子だった。忠敬もすぐそのことに気が付く。
翌朝、宿を発とうとしているところに夢太郎が目をきらきら輝かせてやってきた。なんでも両親から忠敬の弟子になってこいと言われて来たそうだ。このままここで暮らしていてはお前のためによくない。算術や測天術を身に着けて出世してほしいと言われたそうである。夢太郎にとってもそれは願ったり叶ったりだった。夢太郎は両親から忠敬に宛てた手紙を持っていた。
手紙には忠敬へのお礼と、息子の弟子入りのお願いが書かれていたわけだが、その後を読んで忠敬は絶句する。夢太郎の父と母は息子には告げずに自害してしまったのだ。妻を遊女に出しながら、これまで何度死のうと思ったか、そして息子の無邪気な笑顔を見るたびにそれを思いとどまったことなどがつづられていたのだ。何も知らされていない夢太郎はこれから始まる旅への期待感で嬉々として目を輝かせている。このようにして夢太郎を加えた一行は江戸へ向けて出立することになった。
江戸へ向かう道中でも、そして江戸へ着いてからもいくつかの出来事に遭遇する。本書の最後は夢太郎が引き起こした事件とその決着でしめくくられている。
家出してしまった妻のお栄については、本書の最後の最後でその消息が明らかになる。
本あとがきに相当する箇所で、井上ひさしは本書全体をとおして言いたかったことをお書きになっている。それは「第二の人生」のことである。忠敬はもともと百姓であり、農家を束ねる名主の家に婿入りした人物だ。そして50歳で隠居するまでは士農工商の「農」の身分で人生を送った。星学(現在の天文学)や測地学、測天学を学んで測量の旅を始めたのは50歳から亡くなる73歳までのことだ。井上ひさしは忠敬を現代人に必要な「第二の人生」のパイオニアだと主張しているのである。
定年や年金支給開始が60歳から65歳に引き上げられたのは数年前のこと。年金制度が始まった頃は定年を迎えてからせいぜい5~6年支給すれば十分だろうという時代のことである。その後、平均寿命がどんどん伸びているのはみなさんもご承知のとおりだ。そして井上ひさしが触れなかった少子化の流れもとどまるところを知らない。
「第二の人生」は本書が書かれた1990年代よりもますます重要になってきている。僕も自分自身のことを考えてみて、定年退職後の生活を設計し、準備を始めなければと思っているところだった。おそらく年金支給開始年齢は70歳まで引き上げられることだろうし。
楽しい小説を読みながら、最後はこんなオチになってしまった。井上ひさしも本書を執筆している最中に家庭崩壊(そして離婚)してしまったことをあとがきにお書きになっている。自業自得とはいえ人生は何がおこるかわからない。心配のしすぎも精神的によくないから、将来の自分の在り方を具体的に思い描きながら忠敬のように一歩一歩、着実に進んでいくのがよいのだろう。
さて、次は少し薄い本になるが本シリーズのまとめとして書かれた「四千万歩の男 忠敬の生き方」に進もう。
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関連ページ:
【 あの人の人生を知ろう~伊能忠敬編 】
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/tadataka.html
伊能忠敬e資料館
https://www.inopedia.tokyo/
日本国地図の歴史的変遷?やっぱ伊能忠敬って天才だわ。凄すぎる・・・
https://matome.naver.jp/odai/2136439442534894801
伊能大図彩色図の閲覧
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関連記事:
吉里吉里人:井上ひさし
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/7830d542844bf6f4f6b702e081aa3be7
追悼:井上ひさしさん
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