「超ひも理論を疑う:ローレンス M.クラウス」―「見えない次元」はどこまで物理学か?
内容
私たちの世界のすぐ向こう側に、目に見えない別世界が広がっている。こういう設定はSF小説や映画、テレビドラマなどの娯楽では定番で、私たちはそういった考えかたが大好きだ。面白いことに、科学者でも事情は同じで、11とも26ともいう次元の存在を前提とした超ひも理論の出現を経て、私たちのすぐそばにあって、目に見えるほど大きいかもしれない膜状の「別世界」、ブレーンワールドが提唱されるに至り、私たちは最先端科学のファンタスティックなヴィジョンの虜になっている。しかし、物理学者のなかには、この超ひも理論、ブレーンワールド理論に異を唱えるものもいる――いくら数学的に美しくても、実験による裏づけを持たず、有効な予言も立てられずにいる理論が物理学の名に値するのか、と。「見えない次元」にどうしようもなく惹かれる人間の性を、娯楽作品と奔放な物理理論の双方の具体例を豊富にちりばめて描き、最先端理論のすばらしさとその弱点を、健全な懐疑主義の立場から鋭く検証する科学ノンフィクション。2008年刊、333ページ。
著者略歴
ローレンス・M・クラウス(Lawrence M. Krauss): 1954年生まれ。ケース・ウェスタン・リザーヴ大学のアンブローズ・スウェージー記念教授にして、同大学の宇宙論・天体物理学教育研究センター所長を務める理論物理学者。一般市民を対象にした科学教育にも熱心で、ポピュラー・サイエンスの著書も多く、先端科学のわかりやすい解説と読者の興味を巧みにそそる筆致には定評がある。著書に『物理学者はマルがお好き』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)、『コスモス・オデッセイ――酸素原子が語る宇宙の物語』(紀伊國屋書店)ほか。
翻訳者略歴
斉藤隆央(さいとうたかお)
1967年生まれ。東京大学工学部工業化学科卒業。訳書に『なぜこの方程式は解けないのか?』、『黄金比はすべてを美しくするか?』リヴィオ、『ガリレオの指』アトキンス、『タングステンおじさん』サックス(以上早川書房刊)、『ミトコンドリアが進化を決めた』レーン、『パラレルワールド』カク、『生命最初の30億年』ノールほか多数。
理数系書籍のレビュー記事は本書で235冊目。
「超ひも理論を疑う」というタイトルなので批判本だと思って読んだら、そうではなかった。筆者は超弦理論を詳しく学んだ上で、この理論の弱点を指摘し、公平な立場から意見を述べるというスタイルで書いていた。弱点だからといって頭ごなしに否定しているわけではない。
そもそも著者は超弦理論の生みの親であるシュワルツと20年来の交流があり、ウィッテン、グリーンなどこの理論の立役者の協力のもと、本書は書かれているのだ。著者の誠実さは文章からもうかがい知ることができる。
著者の名前はどこかで聞いたことがあると思って調べてみると、僕は昨年の2月に「ファインマンさんの流儀:ローレンス M.クラウス」を読んでいた。著者の印象がとてもよかったことを覚えている。
翻訳の元になった英語版は2005年に出版された「Hiding in the Mirror: Lawrence M. Krauss」で、日本語版は2008年に刊行された。
目次はこの記事のいちばん下に書いておいたが、章のタイトルだけ見てもさっぱりわからないと思うので、全体の流れをざっと解説しよう。
導入は1950年代にアメリカで放送された「トワイライトゾーン」というSFドラマである。日常の空間とは別の場所にある空間や異次元の話は、いつの時代も魅力的なテーマであること、不思議な場所があるに違いないと人は信じたがるものだということが語られる。ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」や平面世界のことを書いた風刺小説「フラットランド」も同じような趣向の小説だ。冒頭以外の章でも本書にはSF小説やSF映画がたくさん紹介されている。
物理学の話は第2章から始まる。電気と磁気の話からなのが意外だった。この手の本はケプラーやニュートンあたりから始まるのがたいていのパターンだからだ。物理学史を解説するのだということはわかるが、電磁気学から始める理由が見えなかった。
結局著者は何が言いたかったかというと、電場と磁場の話から電磁波の話をし、光も結局は電磁波であるという展開にもって行きたかったわけだ。その後、電磁気力と重力の統一のために晩年のアインシュタインが研究した統一場理論や5次元空間を前提とするカルツァ-クライン理論が紹介された。
そう、余剰次元のはしりは時空の4次元のほかに1次元の円筒形に丸まったカルツァ-クライン理論の余剰次元のことだ。この話をするために本書は電磁気の話から始まったのだと途中で気が付くことになる。この理論は電磁気力と重力を統一するための理論だった。しかしその後、うまくいかないことがわかったのと原子核内部の構造が解明されてきて、強い核力や弱い核力などの力が存在することもわかってきたため、この理論は次第に忘れられていった。
その後、本書の記述は科学史に沿う形で量子力学→相対論的量子力学→量子電磁力学、ゲージ理論→非可換ゲージ理論という流れになる。本書全体を通じて言えることなのだが、著者はなるべく日常的な言葉で説明し読者に理解してもらおうというスタイルをとっている。けれどもそのために専門用語を極力使わない方針をとっているので、僕にとってはいくぶん読みづらいものになっていた。説明をひととおり読んでから「ああ、これは〜のことを説明していたんだな!」と気が付くような按配だ。そのためゲージ理論や非可換ゲージ理論の説明でU(1)やSU(2)などのリー群も紹介されていなかった。「くりこみ」という言葉も出てこない。
超対称性や超重力理論、大統一理論については特に詳しく書かれていた。このあたりは僕も理論はもちろんのこと専門用語の知識さえ不足しているので、逆に本書の平易な言葉での解説がありがたかった。この流れの中でより複雑化した余剰次元が自然な形で仮定されていくさまが上手に解説されていたのが印象的だった。
そして特に超弦理論に入ってからの説明が詳しいのだ。「大栗先生の超弦理論入門」よりもページ数が多いぶんたくさんの事柄を知ることができる。グラスマン数や弦理論の次元数=25の計算方法も示されていた。キーワードで示せば、ヘテロな弦理論、Dブレーン、M理論、AdS/CFT、ホログラフィー原理、ブラックホールの情報問題などについて解説が行なわれている。
一昨日紹介した「ストリング理論は科学か―現代物理学と数学:ピーター・ウォイト」のほうは超弦理論の内容はほとんど説明されず、批判するために必要な事柄のみ取り上げられていた。それに対し本書は超弦理論自体の説明に手抜かりがない。
また、余剰次元については超弦理論のカラビ-ヤウ空間の他、ランドール-サンドラム理論、量子重力理論での余剰次元などが、重力理論をどのように説明するのかという視点から紹介されていた。
本書では超弦理論に批判的な箇所はほんの数ページだけだった。この理論が何も予測しないこと、ウィッテンも認めているM理論の不完全性、無数の物理法則が記述できてしまう問題などが批判の主なポイントである。けれども、余剰次元への過度な期待も含めて超弦理論を批判した後、すぐこれらの問題が当事者にとっても理解されている事柄であり、慎重に成り行きを見守っていきたいという「大人らしさ」でしめくくっている。
このように超弦理論に疑問を投げかける本であるにもかかわらず、著者の人間性や公平な記述スタイルのおかげで全体的には好印象を持った。お勧めできる本である。
なお、超弦理論に反対の立場、賛成の立場の読者の意見が対立しやすいので、他の読者が不快に感じる可能性のあるコメントが投稿された場合、僕は公開を承認しないことがあることをあらかじめご了承いただきたい。
さて次は「初級講座弦理論 基礎編、発展編:B.ツヴィーバッハ」を読むことにしよう。超弦理論を理解することはこのブログの目標のひとつだ。
他にも目標がいくつかあったが、それぞれ理解して次のような記事を書いている。(場の量子論は何種類か読んだが、まだまだこれからという感じなので今のところ目標未達成だと思っている。)
一般相対性理論についての記事: 2007年12月、2008年3月、2009年7月
量子テレポーテーションについての記事: 2012年10月
応援クリックをお願いします!
「超ひも理論を疑う:ローレンス M.クラウス」―「見えない次元」はどこまで物理学か?
追憶―次元に魅せられて
第1章:空間に住む特権?
第2章:カエルの脚から「場」に至る
第3章:相対論への道
第4章:第四の次元
第5章:宇宙をかき乱す
第6章:宇宙を測る
第7章:『平面国』からピカソまで
第8章:最初の隠れた世界―余剰次元の物理学
第9章:回り道
第10章:どんどん変に…
第11章:混沌のなかから…
第12章:異次元からのエイリアン
第13章:もつれた結び目
第14章:超世界の超時間
第15章:Mはマザー(母)のM
第16章:DはブレーンワールドのD
第17章:空虚な理論?
エピローグ:真理と美
謝辞
用語集
訳者あとがき
事項索引
人名索引
内容
私たちの世界のすぐ向こう側に、目に見えない別世界が広がっている。こういう設定はSF小説や映画、テレビドラマなどの娯楽では定番で、私たちはそういった考えかたが大好きだ。面白いことに、科学者でも事情は同じで、11とも26ともいう次元の存在を前提とした超ひも理論の出現を経て、私たちのすぐそばにあって、目に見えるほど大きいかもしれない膜状の「別世界」、ブレーンワールドが提唱されるに至り、私たちは最先端科学のファンタスティックなヴィジョンの虜になっている。しかし、物理学者のなかには、この超ひも理論、ブレーンワールド理論に異を唱えるものもいる――いくら数学的に美しくても、実験による裏づけを持たず、有効な予言も立てられずにいる理論が物理学の名に値するのか、と。「見えない次元」にどうしようもなく惹かれる人間の性を、娯楽作品と奔放な物理理論の双方の具体例を豊富にちりばめて描き、最先端理論のすばらしさとその弱点を、健全な懐疑主義の立場から鋭く検証する科学ノンフィクション。2008年刊、333ページ。
著者略歴
ローレンス・M・クラウス(Lawrence M. Krauss): 1954年生まれ。ケース・ウェスタン・リザーヴ大学のアンブローズ・スウェージー記念教授にして、同大学の宇宙論・天体物理学教育研究センター所長を務める理論物理学者。一般市民を対象にした科学教育にも熱心で、ポピュラー・サイエンスの著書も多く、先端科学のわかりやすい解説と読者の興味を巧みにそそる筆致には定評がある。著書に『物理学者はマルがお好き』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)、『コスモス・オデッセイ――酸素原子が語る宇宙の物語』(紀伊國屋書店)ほか。
翻訳者略歴
斉藤隆央(さいとうたかお)
1967年生まれ。東京大学工学部工業化学科卒業。訳書に『なぜこの方程式は解けないのか?』、『黄金比はすべてを美しくするか?』リヴィオ、『ガリレオの指』アトキンス、『タングステンおじさん』サックス(以上早川書房刊)、『ミトコンドリアが進化を決めた』レーン、『パラレルワールド』カク、『生命最初の30億年』ノールほか多数。
理数系書籍のレビュー記事は本書で235冊目。
「超ひも理論を疑う」というタイトルなので批判本だと思って読んだら、そうではなかった。筆者は超弦理論を詳しく学んだ上で、この理論の弱点を指摘し、公平な立場から意見を述べるというスタイルで書いていた。弱点だからといって頭ごなしに否定しているわけではない。
そもそも著者は超弦理論の生みの親であるシュワルツと20年来の交流があり、ウィッテン、グリーンなどこの理論の立役者の協力のもと、本書は書かれているのだ。著者の誠実さは文章からもうかがい知ることができる。
著者の名前はどこかで聞いたことがあると思って調べてみると、僕は昨年の2月に「ファインマンさんの流儀:ローレンス M.クラウス」を読んでいた。著者の印象がとてもよかったことを覚えている。
翻訳の元になった英語版は2005年に出版された「Hiding in the Mirror: Lawrence M. Krauss」で、日本語版は2008年に刊行された。
目次はこの記事のいちばん下に書いておいたが、章のタイトルだけ見てもさっぱりわからないと思うので、全体の流れをざっと解説しよう。
導入は1950年代にアメリカで放送された「トワイライトゾーン」というSFドラマである。日常の空間とは別の場所にある空間や異次元の話は、いつの時代も魅力的なテーマであること、不思議な場所があるに違いないと人は信じたがるものだということが語られる。ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」や平面世界のことを書いた風刺小説「フラットランド」も同じような趣向の小説だ。冒頭以外の章でも本書にはSF小説やSF映画がたくさん紹介されている。
物理学の話は第2章から始まる。電気と磁気の話からなのが意外だった。この手の本はケプラーやニュートンあたりから始まるのがたいていのパターンだからだ。物理学史を解説するのだということはわかるが、電磁気学から始める理由が見えなかった。
結局著者は何が言いたかったかというと、電場と磁場の話から電磁波の話をし、光も結局は電磁波であるという展開にもって行きたかったわけだ。その後、電磁気力と重力の統一のために晩年のアインシュタインが研究した統一場理論や5次元空間を前提とするカルツァ-クライン理論が紹介された。
そう、余剰次元のはしりは時空の4次元のほかに1次元の円筒形に丸まったカルツァ-クライン理論の余剰次元のことだ。この話をするために本書は電磁気の話から始まったのだと途中で気が付くことになる。この理論は電磁気力と重力を統一するための理論だった。しかしその後、うまくいかないことがわかったのと原子核内部の構造が解明されてきて、強い核力や弱い核力などの力が存在することもわかってきたため、この理論は次第に忘れられていった。
その後、本書の記述は科学史に沿う形で量子力学→相対論的量子力学→量子電磁力学、ゲージ理論→非可換ゲージ理論という流れになる。本書全体を通じて言えることなのだが、著者はなるべく日常的な言葉で説明し読者に理解してもらおうというスタイルをとっている。けれどもそのために専門用語を極力使わない方針をとっているので、僕にとってはいくぶん読みづらいものになっていた。説明をひととおり読んでから「ああ、これは〜のことを説明していたんだな!」と気が付くような按配だ。そのためゲージ理論や非可換ゲージ理論の説明でU(1)やSU(2)などのリー群も紹介されていなかった。「くりこみ」という言葉も出てこない。
超対称性や超重力理論、大統一理論については特に詳しく書かれていた。このあたりは僕も理論はもちろんのこと専門用語の知識さえ不足しているので、逆に本書の平易な言葉での解説がありがたかった。この流れの中でより複雑化した余剰次元が自然な形で仮定されていくさまが上手に解説されていたのが印象的だった。
そして特に超弦理論に入ってからの説明が詳しいのだ。「大栗先生の超弦理論入門」よりもページ数が多いぶんたくさんの事柄を知ることができる。グラスマン数や弦理論の次元数=25の計算方法も示されていた。キーワードで示せば、ヘテロな弦理論、Dブレーン、M理論、AdS/CFT、ホログラフィー原理、ブラックホールの情報問題などについて解説が行なわれている。
一昨日紹介した「ストリング理論は科学か―現代物理学と数学:ピーター・ウォイト」のほうは超弦理論の内容はほとんど説明されず、批判するために必要な事柄のみ取り上げられていた。それに対し本書は超弦理論自体の説明に手抜かりがない。
また、余剰次元については超弦理論のカラビ-ヤウ空間の他、ランドール-サンドラム理論、量子重力理論での余剰次元などが、重力理論をどのように説明するのかという視点から紹介されていた。
本書では超弦理論に批判的な箇所はほんの数ページだけだった。この理論が何も予測しないこと、ウィッテンも認めているM理論の不完全性、無数の物理法則が記述できてしまう問題などが批判の主なポイントである。けれども、余剰次元への過度な期待も含めて超弦理論を批判した後、すぐこれらの問題が当事者にとっても理解されている事柄であり、慎重に成り行きを見守っていきたいという「大人らしさ」でしめくくっている。
このように超弦理論に疑問を投げかける本であるにもかかわらず、著者の人間性や公平な記述スタイルのおかげで全体的には好印象を持った。お勧めできる本である。
なお、超弦理論に反対の立場、賛成の立場の読者の意見が対立しやすいので、他の読者が不快に感じる可能性のあるコメントが投稿された場合、僕は公開を承認しないことがあることをあらかじめご了承いただきたい。
さて次は「初級講座弦理論 基礎編、発展編:B.ツヴィーバッハ」を読むことにしよう。超弦理論を理解することはこのブログの目標のひとつだ。
他にも目標がいくつかあったが、それぞれ理解して次のような記事を書いている。(場の量子論は何種類か読んだが、まだまだこれからという感じなので今のところ目標未達成だと思っている。)
一般相対性理論についての記事: 2007年12月、2008年3月、2009年7月
量子テレポーテーションについての記事: 2012年10月
応援クリックをお願いします!
「超ひも理論を疑う:ローレンス M.クラウス」―「見えない次元」はどこまで物理学か?
追憶―次元に魅せられて
第1章:空間に住む特権?
第2章:カエルの脚から「場」に至る
第3章:相対論への道
第4章:第四の次元
第5章:宇宙をかき乱す
第6章:宇宙を測る
第7章:『平面国』からピカソまで
第8章:最初の隠れた世界―余剰次元の物理学
第9章:回り道
第10章:どんどん変に…
第11章:混沌のなかから…
第12章:異次元からのエイリアン
第13章:もつれた結び目
第14章:超世界の超時間
第15章:Mはマザー(母)のM
第16章:DはブレーンワールドのD
第17章:空虚な理論?
エピローグ:真理と美
謝辞
用語集
訳者あとがき
事項索引
人名索引