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ストリング理論は科学か―現代物理学と数学:ピーター・ウォイト

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ストリング理論は科学か―現代物理学と数学:ピーター・ウォイト

内容
現代物理学最大の主流派であるスーパーストリング理論。提唱から二十年以上たっても一つの物証もなく、検証可能な予測をたてることすらできないこの理論は、間違ってさえいない!数学との関係を中心に素粒子物理学の歴史をたどりなおし、使えない理論を見限って新たな展開を呼びかける、科学界話題の論争の書。2007年10月刊行、366ページ。

著者略歴
ピーター・ウォイト: ホームページ: http://www.math.columbia.edu/~woit/wordpress/
1979年ハーバード大学卒、85年プリンストン大学で理論物理学博士号。現在、ニューヨーク市のコロンビア大学で数学の講師を勤める。ブログNot Even Wrongが有名

翻訳者略歴
松浦俊輔
名古屋工業大学助教授を経て翻訳家


理数系書籍のレビュー記事は本書で234冊目。

初級講座弦理論 基礎編、発展編:B.ツヴィーバッハ」を見たところ、僕にも読めそうな気がしてきたので挑戦しようと思う。

でもその前に超弦理論に対する批判にも目を通しておいたほうがよいと思い、アンチ超弦理論系の本を2冊読んでみることにした。超弦理論批判についてはおよそのことは知っているが、それに反論できるだけの成果を超弦理論の研究者が提示できていないのも事実である。極論すれば「超弦理論の可能性を信じるか、信じないか」に尽きると思う。まして、この理論を学んでいない(僕のような)素人に判断できる事柄ではない。

僕の関心はむしろ、そのような本が説得力のある文章、構成で書かれているのか、感情的な批判になっていないかということに向いている。淡々と冷静かつ具体的に書かれた批判ならば、超弦理論を学ぶ前に読んでおく価値があると思ったのだ。

著者はピーター・ウォイトというコロンビア大学で数学の講師をしている物理学者/数学者で、ご本人によると「数学指向の素粒子物理学者」である。彼は「Not Even Wrong. (それは間違ってさえいない。)」という超弦理論批判のウェブサイトを書いていることで知られている。

Not Even Wrong.
http://www.math.columbia.edu/~woit/wordpress/

翻訳の元になった英語版は「Not Even Wrong:Peter Woit」でハードカバー版は2006年に出版されている。


本書は一般向けの読者をターゲットに書かれているが、物理学上、数学上の専門用語が多用されていて、かつその説明が身近な例を使って解説しているわけではないので、ひととおり物理学を学んだ人や、他の一般書籍で学んだことのある人でないと理解できないと思った。


第1章:千年紀末の素粒子物理学
第2章:生産用具
第3章:量子論
第4章:量子場の理論
第5章:ゲージ対称性とゲージ理論
第6章:標準モデル
第7章:標準モデルの勝利
第8章:標準モデルの問題点

前半の第8章までは特殊相対論、一般相対論、量子論、ゲージ理論、素粒子物理学の標準理論までの流れを詳しく説明し、これらの理論に数学がどのような使われ方をしていたかが詳細に語られる。ひととおり学んだ人にとっては知識の整理にうってつけで、数理物理学的な観点からとてもお勧めできる内容だと思った。

数学者だけあってゲージ理論の対称性が詳しく解説されているのはもちろん、ゲージ理論とトポロジーの関係がどのようになっているのか説明しているのが僕には目新しかった。また「標準理論の問題点」として印象に残ったのは、この理論では自明でないパラメータ(物理定数)が17個残っていて18番目のパラメータがゼロになる理由がわかればいいということだ。自明でない17個のうち15個はヒッグス場の性質のパラメータとして標準理論にあらわれているという。


第9章:標準モデルの先
第10章:量子場の理論と数学における新しい見通し

続く第9章と第10章では、標準理論以降の取り組みが紹介される。僕にとってはこの2つの章が本書の中で特に興味深かった。

第9章で紹介されるのは大統一理論(GUT、SU(5)の対称性)、テクニカラー理論、超対称性理論や超重力理論(11次元の理論、N=8の対称性をもった理論)などだ。しかしこれらの理論はうまくいっていない。

第10章では主にウィッテンを中心とした物理学者、数学者の研究成果が紹介される。著者はウィッテンの天才ぶりは認めていた。標準理論が完成した後、素粒子物理学の研究課題は、クォークに対してのQCD(量子色力学)に対する摂動展開以外の方法を模索していた。キーワードとしてはヤン-ミルズ方程式のBPSTインスタントン解、アティヤ-シンガーの指数定理、ウィッテンによる現代数学と超対称性のかかわりの研究、トポロジーとゲージ理論のかかわり、格子ゲージ理論、SU(N)ゲージ理論への一般化、2次元量子場の理論、共形場の理論、ウェズ-ズミーノ-ウィッテン・モデル、無限次元の群の表現論、(カック-ムーディ群)、頂点作用素代数、アノマリー(シュウィンガー項の問題)、ウィッテンのトポロジー的量子場理論、トポロジー的シグマ・モデルなどだ。しかし、これらの理論は成果を上げていないのが現状だ。

用語だけ並べられてもさっぱり理解できないだろうが、本書のこの部分を詳細に読んでも理解できないのは同じだ。ただ全体的に混迷の度合いを深めていったことと、もしこのあたりの理論を学ぶのであればここに書かれている順番で学んでいけばいいのだろうということがわかるくらいだ。この章で紹介されているあたりの理論を一般人向けに説明した書籍はないので、本書のこの部分の記述は貴重だと思った。


ここまでが本書の前半だ。後半から157ページに渡って超弦理論批判が展開される。著者は冒頭で「科学の話は必ず元気のいい話であってほしいと思われる方は、ここで本書を読むのをやめてもっと肯定的な本を読んだほうがよい。」という意味のことを述べている。

第11章:ストリング理論―歴史
第12章:ストリング理論と超対称―評価

第11章では非可換ゲージ理論、QCDに対するアプローチとしてリー群を好む物理学者とS行列を好む物理学者いることを述べた後、弦理論の誕生、第1次超弦理論革命、第2次超弦理論革命までの歴史を解説する。「歴史」とはいうものの、かなり否定的なトーンで超弦理論の複雑さ、困難さを印象づけている。

第12章では「超対称性理論」の困難さが解説されている。素粒子の標準理論ではこの世界を決定する18個のパラメータのうち17個が非自明であることが述べられたが、超対称性理論では非自明なパラメータの数が105個になってしまうのだそうだ。それに超対称性粒子はまだひとつも発見されていないことが強調されている。

第13章:美しさと難しさ
第14章:スーパーストリング理論は科学か
第15章:ボグダノフ事件
第16章:他にゲームをやっていない―ストリング理論の威力と栄光
第17章:ストリング理論の景観
第18章:他の見方
第19章:結論

第13章から第19章が本書の核心部分だ。これでもかと言わんばかりに批判が展開される。なにもこれほどのページを割く必要はないだろうにというのが読後の感想だ。要約すれば20ページほどで十分伝えられる内容だと思った。批判の論点を箇条書きすると次のようになる。

- 実証されるとは思えない超対称性理論を前提とする超弦理論を考えること自体ナンセンスである。

- 超弦理論では10次元空間、M理論では11次元空間が必要だというが、弦が動ける空間の選び方は無数にあるのでナンセンス。

- 6次元のカラビ-ヤウ空間の選び方は10の500乗もあり、超弦理論が示す物理法則の自由度も同じ数だけある。

- コンパクト化されたカラビ-ヤウ空間の存在の根拠や次元数の根拠が示されていない。

- ファインマンやグラショウも超弦理論に反対の立場をとっていた。詳細は本書を参照。

- 超弦理論は現実世界のことを何も予想しない。だから反証することも不可能で、それは科学とは呼べない。超弦理論は物理学ではない、そして数学でもない。

- ウィッテンの提唱するM理論は理論ですらない。これはウィッテン自身の言葉だそうだ。M理論というのは理論が存在することをうかがわせる事実と論拠の集合である。理論があることを示す証拠はまったくない。

- M理論のMは「マスターベーション」のMというのがいちばんぴったりするように見えると宇宙論学者のマゲーショは著書に書いている。

- 超弦理論は「万物の理論(Theory of Everything)」ではなく「何でもないものの理論(Theory of Nothing)」である。

- 超弦理論は何でも説明できてしまう「万物以上の理論(Theory of more than Everything.)」である。

- 現在、超弦理論は天才ウィッテンの影響力が強すぎ、誰も反論を言えない状況にある。ウィッテンが超弦理論が正しくないことを認めてしまうと、超弦理論は神格化され宗教のようになってしまう危険性すらある。

- 天才といえども間違いを犯すことがある。アインシュタインでさえ晩年量子力学を頑なに拒否していた。この例と同様、ウィッテンは間違いを犯している。

- 超弦理論が幅をきかせすぎているので、それ以外の物理学へ配分される予算が少ない。若い研究者は超弦理論以外の道を選択することが非常に難しい。

- 「他にゲームをやっていない。」という言葉は現在超弦理論以外に有望な理論がないので、その道に進むしかないという意味だ。そのため多くの若い研究者が「就職事情」という理由で、強制的にこの研究をしなければならない状況になっている。

- 超弦理論の美しさが人によって異なるのはシュワルツ自身が認めている。その美はミステリーやマジックの美しさである。この手の美しさは筋書きが明らかになってしまえば跡形もなく消えてしまうものだ。

- サスキンドによれば超弦理論の入り組み方と醜さを示した上で、これは実はよいことなのだという特異な論証を立ている。


本書はアマゾンの読者レビューで高い評価を得ている。しかし、上記の批判が正しいものかどうか(僕を含めて)素人には判断できないものだ。極論すれば超弦理論の将来を信じるか信じないかの選択になってしまうのだと思う。

けれども僕が重視したのは内容そのものではなく、この著者の批判の展開の仕方である。本書前半までの冷静さはどこへ行ったやらで、まくしたてるように批判を長々とぶちまけている。他人の弁とはいえ超弦理論を「マスターベーション」とまで言うことはないだろうに。この言葉が引き合いに出された時点でアウトだと思った。

内容が正当なものかどうかを別にしても、批判を延々と聞かされるのはストレスがたまるものだ。後半を読んでいて僕は疲れてしまった。もともと超弦理論に批判的な立場の人が本書を読んだらどういう気持になるのだろうか?「そうだ!そうだ!もっと批判してほしい!」となるのだろうか?

超弦理論賛成派が大多数をしめる中で、これだけ強い批判を主張するのはとても勇気のいることだと思う。自らのキャリアさえ危うくしてしまうことだろう。間違っていると思うことを主張するのは正しいことだと思う。書き方をもう少し穏やかにし、感情を入れずに学問的な主張にとどめてめていれば、本書はもう少し多くの共感者を得ただろうと僕は思った。


なお、今回は批判意見が満載の本の紹介記事なので超弦理論に反対の立場、賛成の立場の読者の意見が対立しやすく、それぞれ過激なコメントをいただく可能性が高い。であるから他の読者が不快に感じる可能性のあるコメントが投稿された場合、僕は公開を承認しないことがあるのであらかじめご了承いただきたい。


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ストリング理論は科学か―現代物理学と数学:ピーター・ウォイト


序論

第1章:千年紀末の素粒子物理学
第2章:生産用具
第3章:量子論
第4章:量子場の理論
第5章:ゲージ対称性とゲージ理論
第6章:標準モデル
第7章:標準モデルの勝利
第8章:標準モデルの問題点
第9章:標準モデルの先
第10章:量子場の理論と数学における新しい見通し
第11章:ストリング理論―歴史
第12章:ストリング理論と超対称―評価
第13章:美しさと難しさ
第14章:スーパーストリング理論は科学か
第15章:ボグダノフ事件
第16章:他にゲームをやっていない―ストリング理論の威力と栄光
第17章:ストリング理論の景観
第18章:他の見方
第19章:結論

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