「四千万歩の男(三): 井上ひさし」(Kindle版)
内容:
お上の刺客をなんとかかわし、一行は8月霜柱立つニシベツで折り返した。喘息の発作に見舞われながら、息子の一途な恋に心を砕き、はたまた弟子の片思いから母娘の仇討ち事件に首を突っ込み、“臆病剣”達人の命の洗濯の会を開くなど、奥州111次、“全き善人”忠敬の一歩は事件をかい潜りかい潜り江戸へ。全5巻。(講談社文庫)
1993年刊行、606ページ。
著者について:
井上ひさし: 公式サイト: http://www.inouehisashi.jp/
1934年-2010年。山形県生れ。上智大学文学部卒業。浅草フランス座で文芸部進行係を務めた後に放送作家としてスタートする。以後『道元の冒険』(岸田戯曲賞、芸術選奨新人賞)、『手鎖心中』(直木賞)、『吉里吉里人』(読売文学賞、日本SF大賞)、『東京セブンローズ』など戯曲、小説、エッセイ等に幅広く活躍している。’84年に劇団「こまつ座」を結成し、座付き作者として自作の上演活動を行う。こまつ座は現在、次女の井上麻矢さんが社長を務めている。
第2巻の紹介記事を投稿したのは2月8日だから5週間経っている。通勤電車の往復1時間の読書。オフィスへは週に2回出社しているので第3巻を読むのには10時間かかったことになる。600ページほどの本だから1分1ページ。わかりやすい。
第3巻で蝦夷地での測量を終えた忠敬一行が測量をしながら江戸に戻るまでの旅を描いている。西暦1800年の秋から暮れにかけてのこと。蝦夷地ではいくつかの事件に巻き込まれたことや厳しい地形に難儀したためスケジュールどおりに測量をすることはできなかった。結局測量できたのは「東蝦夷」つまり北海道の東半分だけである。
今回の測量は2つの理由で切り上げなければならなかった。1つは蝦夷地が秋を迎え、寒冷のため測量すること自体が不可能になったことだ。おまけに忠敬は持病の喘息が悪化していた。
理由の2つめは、測量が遅れている間に江戸の幕府役人たちが忠敬の測量部隊に不審を抱いていることを知ったからだ。役目として与えられた蝦夷地測量以外に本邦子午線一度の距離を実測するという「忠敬個人の関心ごと」に時間を割いていたことがばれてしまったのだ。幕府の与える貴重な支出が蝦夷地測量以外の私事に使うことは当時の社会では厳しく罰せられる。忠敬は釈明をするために江戸へ急ぐ必要があったのだ。
帰路でも忠敬はいくつかの事件に巻き込まれてしまう。
往路で滞在した松前藩に再び通りかかった忠敬の測量隊は藩から思わぬ厚遇を受ける。往路で恩を売ったとはいえ宿の世話、豪勢な食事、そして隊員ひとりずつに対して夜伽(よとぎ)をする女性まであてがわれてしまう。
このような過剰接待には裏があった。松前藩は蝦夷地の統治がうまくいっているという報告を幕府に報告してほしいと、忠敬に頼み込んできたのだ。忠敬からの報告だったら幕府も信用するだろうという目算である。
蝦夷を直轄統治したい幕府は、すでに何人もの監視役を松前藩に送り込んでいた。松前藩に少しでも落ち度があれば、それを理由に蝦夷地の統治権を取り上げようとしていたからだ。しかし、すぐに幕府の監視役だということはバレてしまい、彼らは松前藩から過剰接待を受け、監視役は松前藩の言いなりになってしまう。「役人は賄賂に弱い」という現代にも通じる井上ひさし流の皮肉が込められた挿話だ。
それを知った幕府は、監視役を監視するために新たに役人を松前藩に送り込む。しかし、その監視役もほどなく見つかってしまい、過剰接待を受けて松前藩の操り人形になる。そして幕府は「監視役の監視役の監視役」を送り込む羽目になる。このようなことの繰り返しで、正しい情報が幕府に報告されることがない冗談のような状況に陥っていたのだ。人間に欲がある限り、物事は決められたとおりには運ばないものなのだなと納得させれて可笑しかった。今も昔も同じである。
松前藩は監視役からもたらされた報告を幕府が信用しなくなっていることを知り、利害関係のない忠敬が松前藩に都合のよい報告をしてくれれば幕府をだませると思って忠敬一行に過剰接待をしたわけである。忠敬も松前藩には別件で恩義がある。しかし虚偽の報告をしたことが発覚すれば忠敬の身は危うくなる。清廉潔白な忠敬は、そもそもそのような申し出を受けるのだろうか?恩義と誠実のどちらを優先すべきなのだろうか?
江戸へ向けてさらに南下を続けていくと、とある村で測量隊のメンバーで忠敬の息子の秀蔵が、通りがかった村で娘と恋に落ちてしまう。その村では多くの若者が蝦夷地統治、対ロシア警備のため蝦夷地に出向いてしまっていたため結婚問題が深刻になっていた。この問題を解決するため、決められた日に年頃の男女が村の神社に集められ婚活、出会いの場が提供されていたのだ。
村のそのしきたりを知らず、その神社にたまたま立ち寄った秀蔵は、婚活にきていた村娘から声をかけられ恋に落ちる。女性などこれまで知らなかったから秀蔵の初恋は激しい。その日のうちに結婚を決めてしまう。「父上はこのまま江戸にお戻りください。私はこの娘と結婚し、この地に留まることにいたします。」と秀蔵から告白された忠敬はびっくり仰天する。測量隊員が欠けてしまうと幕府の役人からあらぬ嫌疑をかけられかねない。なんとしても秀蔵を江戸まで同行させなければ。しかし親としては息子の恋をかなえてあげたい。さて秀蔵の恋の行方はどうなるか。続きは本書でお楽しみいただきたい。
次は入水自殺をしようとしていた母娘を助ける話。身の上話を聞いた忠敬はその母娘が仇討ちをしようとしていること、刀など持ったことがない母と娘では返り討ちにあうのは明らかなこと。仇討ちを果たせない無念から命を絶とうとしていることを知る。その相手は母親の亭主を切り殺した侍である。今では藩お抱えの剣術指南役になっていた。周囲の評判はすこぶるよい。同情した忠敬は母娘の知り合いであることを隠し、侍と直接会って本当に悪人なのか確かめに行く。弟子ともども仇討ち話に巻き込まれた忠敬一行はどうなるのか。以外な結末を迎えることになるのだ。
江戸に入る前、忠敬は北千住で足止めをくらう。測量が予定の期日に間に合わなかったことや命じられた仕事以外に時間を割いていたことなど、忠敬は厳しい取り調べを受けた。本邦子午線一度の実測にかまけて西蝦夷地の測量をしないで戻ってきたという悪い噂に基づいた取り調べである。幕府の役人には測量の大変さ、地図を作ることの大変さなどわかるはずがない。そしてなぜ星の位置を測るのか、子午線一度の距離が大切なのかになるとなおさら理解してもらえない。なんとか危機を乗り越え、江戸に入ることが許された。
忠敬は大勢の家族や親族に迎えられ、帰還と再会の喜びを分かち合う。しかしそれもつかの間、急いで地図を完成させ幕府に提出しなければならない。
忠敬以前、地図は「絵図」と呼ばれていた。呼び名からわかるように、それまでの地図は極めて不正確だった。大まかなことがわかれば十分だったのである。忠敬は土地や地形のすべてをありのままに紙の上に写し取ることが最重要だと思っていた。だから「絵図」ではなく「地図」を描かなければならない。
忠敬は江戸から東北、そして蝦夷地の東半分までを描いた「大図」と各地域を描いた何枚もの「小図」、そしてそれらの写しを完成させる。作業するにあたって迷ったのが縮尺をどうするかだ。できることならば街道や宿場町、海岸線の様子などをすべて地図に描き込みたい。しかし、いざ縮尺を決めようとすると忠敬や弟子は次のようなことに気が付くのだ。
- 縮尺を大きくして広い範囲を描くと、街道はあまりに細くて描けない。また村も描くには小さすぎる。これでは「使えない地図」になってしまう。
- 地球が丸いため、広い範囲で地面は曲面である。これをどのように平面の紙に写し取るのか。北へ行くほど経度線どうしの間隔が狭くなることに日本で初めて気づいたのは忠敬だと本書には書かれている。
結局、使い物になる地図にするためには、本来の縮尺では描かれないはずの街道や村を描くという妥協を忠敬は決断する。
また、海岸線を正確に写し取ることにも忠敬は問題があることに気が付いていた。問題を解決し、地図を描くためにいくつもの決め事や妥協をすることになった。
- 干潮時と満潮時には海岸線の位置は大きく違う。どのような潮の状態で海岸線を決めればよいのか。
- 海岸線の長さは正しく得ることはできない。海岸線は複雑に入り組んでいる。縮尺を小さく、狭い範囲を描けば海岸線のギザギザは目に見えるが、縮尺を大きくとり、広い範囲を描けば海岸線のギザギザは見えなくなってしまう。ギザギザの有無を距離に含めるかどうかで、海岸線の長さは大きく違ってしまうのだ。
忠敬は生涯4人の妻をめとっていた。先妻たちはみな早世し、江戸で忠敬の帰りを首を長くして待っていた現在の妻のお栄は吉原上がりである。蝦夷へ向けて江戸を発つ忠敬にお栄は「私だって生身の人間ですよ。あなたが長い間いないなんて寂しくてなりません。浮気してしまうかもしれませんよ。」となじっていた。蝦夷地測量という大役を果たし、大好きな忠敬がやっと戻ってきてくれたのだ。
ところが、忠敬は今回の旅で行くことがかなわなかった西蝦夷の地図を描くために、再度蝦夷地へ向かうことを心に決めていた。そしてお栄の前でうっかりそれを口にしてしまったのだ。
お栄はショックを受ける。「私のことなんて、どうでもいいのね?」そう思ったお栄は忠敬に気づかれないよう、家を出てしまう。
忠敬は慌てた。お栄を探しに心当たりの場所を訪ね歩く。どうやってお栄をなだめようか?蝦夷行きのことをどうやってわかってもらおうか?
心配しながら妻の捜索を続ける忠敬の様子が描かれ、第3巻が終わる。
引き続き第4巻に進もう。
「四千万歩の男(三): 井上ひさし」(Kindle版)
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関連ページ:
【 あの人の人生を知ろう~伊能忠敬編 】
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/tadataka.html
伊能忠敬e資料館
https://www.inopedia.tokyo/
日本国地図の歴史的変遷?やっぱ伊能忠敬って天才だわ。凄すぎる・・・
https://matome.naver.jp/odai/2136439442534894801
伊能大図彩色図の閲覧
http://www.gsi.go.jp/MAP/KOTIZU/sisak/ino-main.html
関連記事:
吉里吉里人:井上ひさし
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/7830d542844bf6f4f6b702e081aa3be7
追悼:井上ひさしさん
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お上の刺客をなんとかかわし、一行は8月霜柱立つニシベツで折り返した。喘息の発作に見舞われながら、息子の一途な恋に心を砕き、はたまた弟子の片思いから母娘の仇討ち事件に首を突っ込み、“臆病剣”達人の命の洗濯の会を開くなど、奥州111次、“全き善人”忠敬の一歩は事件をかい潜りかい潜り江戸へ。全5巻。(講談社文庫)
1993年刊行、606ページ。
著者について:
井上ひさし: 公式サイト: http://www.inouehisashi.jp/
1934年-2010年。山形県生れ。上智大学文学部卒業。浅草フランス座で文芸部進行係を務めた後に放送作家としてスタートする。以後『道元の冒険』(岸田戯曲賞、芸術選奨新人賞)、『手鎖心中』(直木賞)、『吉里吉里人』(読売文学賞、日本SF大賞)、『東京セブンローズ』など戯曲、小説、エッセイ等に幅広く活躍している。’84年に劇団「こまつ座」を結成し、座付き作者として自作の上演活動を行う。こまつ座は現在、次女の井上麻矢さんが社長を務めている。
第2巻の紹介記事を投稿したのは2月8日だから5週間経っている。通勤電車の往復1時間の読書。オフィスへは週に2回出社しているので第3巻を読むのには10時間かかったことになる。600ページほどの本だから1分1ページ。わかりやすい。
第3巻で蝦夷地での測量を終えた忠敬一行が測量をしながら江戸に戻るまでの旅を描いている。西暦1800年の秋から暮れにかけてのこと。蝦夷地ではいくつかの事件に巻き込まれたことや厳しい地形に難儀したためスケジュールどおりに測量をすることはできなかった。結局測量できたのは「東蝦夷」つまり北海道の東半分だけである。
今回の測量は2つの理由で切り上げなければならなかった。1つは蝦夷地が秋を迎え、寒冷のため測量すること自体が不可能になったことだ。おまけに忠敬は持病の喘息が悪化していた。
理由の2つめは、測量が遅れている間に江戸の幕府役人たちが忠敬の測量部隊に不審を抱いていることを知ったからだ。役目として与えられた蝦夷地測量以外に本邦子午線一度の距離を実測するという「忠敬個人の関心ごと」に時間を割いていたことがばれてしまったのだ。幕府の与える貴重な支出が蝦夷地測量以外の私事に使うことは当時の社会では厳しく罰せられる。忠敬は釈明をするために江戸へ急ぐ必要があったのだ。
帰路でも忠敬はいくつかの事件に巻き込まれてしまう。
往路で滞在した松前藩に再び通りかかった忠敬の測量隊は藩から思わぬ厚遇を受ける。往路で恩を売ったとはいえ宿の世話、豪勢な食事、そして隊員ひとりずつに対して夜伽(よとぎ)をする女性まであてがわれてしまう。
このような過剰接待には裏があった。松前藩は蝦夷地の統治がうまくいっているという報告を幕府に報告してほしいと、忠敬に頼み込んできたのだ。忠敬からの報告だったら幕府も信用するだろうという目算である。
蝦夷を直轄統治したい幕府は、すでに何人もの監視役を松前藩に送り込んでいた。松前藩に少しでも落ち度があれば、それを理由に蝦夷地の統治権を取り上げようとしていたからだ。しかし、すぐに幕府の監視役だということはバレてしまい、彼らは松前藩から過剰接待を受け、監視役は松前藩の言いなりになってしまう。「役人は賄賂に弱い」という現代にも通じる井上ひさし流の皮肉が込められた挿話だ。
それを知った幕府は、監視役を監視するために新たに役人を松前藩に送り込む。しかし、その監視役もほどなく見つかってしまい、過剰接待を受けて松前藩の操り人形になる。そして幕府は「監視役の監視役の監視役」を送り込む羽目になる。このようなことの繰り返しで、正しい情報が幕府に報告されることがない冗談のような状況に陥っていたのだ。人間に欲がある限り、物事は決められたとおりには運ばないものなのだなと納得させれて可笑しかった。今も昔も同じである。
松前藩は監視役からもたらされた報告を幕府が信用しなくなっていることを知り、利害関係のない忠敬が松前藩に都合のよい報告をしてくれれば幕府をだませると思って忠敬一行に過剰接待をしたわけである。忠敬も松前藩には別件で恩義がある。しかし虚偽の報告をしたことが発覚すれば忠敬の身は危うくなる。清廉潔白な忠敬は、そもそもそのような申し出を受けるのだろうか?恩義と誠実のどちらを優先すべきなのだろうか?
江戸へ向けてさらに南下を続けていくと、とある村で測量隊のメンバーで忠敬の息子の秀蔵が、通りがかった村で娘と恋に落ちてしまう。その村では多くの若者が蝦夷地統治、対ロシア警備のため蝦夷地に出向いてしまっていたため結婚問題が深刻になっていた。この問題を解決するため、決められた日に年頃の男女が村の神社に集められ婚活、出会いの場が提供されていたのだ。
村のそのしきたりを知らず、その神社にたまたま立ち寄った秀蔵は、婚活にきていた村娘から声をかけられ恋に落ちる。女性などこれまで知らなかったから秀蔵の初恋は激しい。その日のうちに結婚を決めてしまう。「父上はこのまま江戸にお戻りください。私はこの娘と結婚し、この地に留まることにいたします。」と秀蔵から告白された忠敬はびっくり仰天する。測量隊員が欠けてしまうと幕府の役人からあらぬ嫌疑をかけられかねない。なんとしても秀蔵を江戸まで同行させなければ。しかし親としては息子の恋をかなえてあげたい。さて秀蔵の恋の行方はどうなるか。続きは本書でお楽しみいただきたい。
次は入水自殺をしようとしていた母娘を助ける話。身の上話を聞いた忠敬はその母娘が仇討ちをしようとしていること、刀など持ったことがない母と娘では返り討ちにあうのは明らかなこと。仇討ちを果たせない無念から命を絶とうとしていることを知る。その相手は母親の亭主を切り殺した侍である。今では藩お抱えの剣術指南役になっていた。周囲の評判はすこぶるよい。同情した忠敬は母娘の知り合いであることを隠し、侍と直接会って本当に悪人なのか確かめに行く。弟子ともども仇討ち話に巻き込まれた忠敬一行はどうなるのか。以外な結末を迎えることになるのだ。
江戸に入る前、忠敬は北千住で足止めをくらう。測量が予定の期日に間に合わなかったことや命じられた仕事以外に時間を割いていたことなど、忠敬は厳しい取り調べを受けた。本邦子午線一度の実測にかまけて西蝦夷地の測量をしないで戻ってきたという悪い噂に基づいた取り調べである。幕府の役人には測量の大変さ、地図を作ることの大変さなどわかるはずがない。そしてなぜ星の位置を測るのか、子午線一度の距離が大切なのかになるとなおさら理解してもらえない。なんとか危機を乗り越え、江戸に入ることが許された。
忠敬は大勢の家族や親族に迎えられ、帰還と再会の喜びを分かち合う。しかしそれもつかの間、急いで地図を完成させ幕府に提出しなければならない。
忠敬以前、地図は「絵図」と呼ばれていた。呼び名からわかるように、それまでの地図は極めて不正確だった。大まかなことがわかれば十分だったのである。忠敬は土地や地形のすべてをありのままに紙の上に写し取ることが最重要だと思っていた。だから「絵図」ではなく「地図」を描かなければならない。
忠敬は江戸から東北、そして蝦夷地の東半分までを描いた「大図」と各地域を描いた何枚もの「小図」、そしてそれらの写しを完成させる。作業するにあたって迷ったのが縮尺をどうするかだ。できることならば街道や宿場町、海岸線の様子などをすべて地図に描き込みたい。しかし、いざ縮尺を決めようとすると忠敬や弟子は次のようなことに気が付くのだ。
- 縮尺を大きくして広い範囲を描くと、街道はあまりに細くて描けない。また村も描くには小さすぎる。これでは「使えない地図」になってしまう。
- 地球が丸いため、広い範囲で地面は曲面である。これをどのように平面の紙に写し取るのか。北へ行くほど経度線どうしの間隔が狭くなることに日本で初めて気づいたのは忠敬だと本書には書かれている。
結局、使い物になる地図にするためには、本来の縮尺では描かれないはずの街道や村を描くという妥協を忠敬は決断する。
また、海岸線を正確に写し取ることにも忠敬は問題があることに気が付いていた。問題を解決し、地図を描くためにいくつもの決め事や妥協をすることになった。
- 干潮時と満潮時には海岸線の位置は大きく違う。どのような潮の状態で海岸線を決めればよいのか。
- 海岸線の長さは正しく得ることはできない。海岸線は複雑に入り組んでいる。縮尺を小さく、狭い範囲を描けば海岸線のギザギザは目に見えるが、縮尺を大きくとり、広い範囲を描けば海岸線のギザギザは見えなくなってしまう。ギザギザの有無を距離に含めるかどうかで、海岸線の長さは大きく違ってしまうのだ。
忠敬は生涯4人の妻をめとっていた。先妻たちはみな早世し、江戸で忠敬の帰りを首を長くして待っていた現在の妻のお栄は吉原上がりである。蝦夷へ向けて江戸を発つ忠敬にお栄は「私だって生身の人間ですよ。あなたが長い間いないなんて寂しくてなりません。浮気してしまうかもしれませんよ。」となじっていた。蝦夷地測量という大役を果たし、大好きな忠敬がやっと戻ってきてくれたのだ。
ところが、忠敬は今回の旅で行くことがかなわなかった西蝦夷の地図を描くために、再度蝦夷地へ向かうことを心に決めていた。そしてお栄の前でうっかりそれを口にしてしまったのだ。
お栄はショックを受ける。「私のことなんて、どうでもいいのね?」そう思ったお栄は忠敬に気づかれないよう、家を出てしまう。
忠敬は慌てた。お栄を探しに心当たりの場所を訪ね歩く。どうやってお栄をなだめようか?蝦夷行きのことをどうやってわかってもらおうか?
心配しながら妻の捜索を続ける忠敬の様子が描かれ、第3巻が終わる。
引き続き第4巻に進もう。
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【 あの人の人生を知ろう~伊能忠敬編 】
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吉里吉里人:井上ひさし
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/7830d542844bf6f4f6b702e081aa3be7
追悼:井上ひさしさん
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/8b68249f7d2070726183c6f9e8fb71dd
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