講談社のブルーバックスは今月20日に創刊50周年を迎える。これを記念する講演会が今月同シリーズから著書を出版されたお二人の先生を招いて日曜の午後に日比谷図書文化館の大ホールで行なわれた。
ブルーバックス創刊50周年、特別記念講演会
http://bookclub.kodansha.co.jp/books/bluebacks/50th/
講演会の行なわれる建物に着き、レストランで昼食をとってから地下1階の大ホールで40分ほど待ってから開場となった。
講演会場
プログラムはこの流れで行なわれた。
13時30分 開場
14時 開演
14時00分〜14時40分
大栗先生講演「空間は幻想だった!」
14時40分〜15時20分
池谷先生講演「脳からみた『世界』」
休憩(10分)
15時30分〜16時30分
ブルーバックス創刊50周年記念対談
「脳と時空の冒険」
司会:青野由利(毎日新聞編集委員)
16時30分 閉演
会場は満員で女性は半分くらいだったと思う。男女合わせて平均年齢は40歳くらいで、物理学だけの講座より10歳くらい年齢が下がっていた。
まず、講談社のブルーバックスの担当者が挨拶をし、ブルーバックスの歴史を紹介された。受講者は受付で講談社のロゴ入りの手さげ袋を渡されている。この中には講演される先生方の著書のほか、ブルーバックス解説目録という小雑誌や「ブルーバックス物語」と書かれた大きな紙が入っていた。これには創刊から今年まで、人気が高かったブルーバックス本のタイトル、創刊50年のランキングベスト20、21世紀のランキングベスト10が紹介されていた。僕にとって思い出が深い安田寿明先生の「マイ・コンピュータ入門」も1977年のベストセラーとしてこの印刷物に載っている。
表:1963年〜2000年(クリックで拡大)
裏:2001年〜2013年(クリックで拡大)
手さげ袋に入っていた先生方の著書(サイン入りのページが入っている特別限定版)
第1部:大栗先生講演「空間は幻想だった!」
ご経歴:
大栗博司(おおぐり・ひろし)
ホームページ: http://www.theory.caltech.edu/~ooguri/index_j.html
ブログ: http://planck.exblog.jp/
1962年、岐阜県岐阜市生まれ。理学博士。東京大学理学部助手、プリンストン高等研究所研究員、シカゴ大学助教授、京都大学助教授、カリフォルニア大学バークレイ校教授などを経て、現在、カリフォルニア工科大学カブリ冠教授。東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構主任研究員、アスペン物理学センター理事でもある。著書に、『重力とは何か』、『強い力と弱い力』(ともに幻冬舎新書)など。市民講座などで科学アウトリーチにも努めている。
大栗先生は登壇されるとまず、創刊50周年をブルーバックスが迎えることについてお祝いの言葉をおっしゃり、ご自身とブルーバックスの出会いについて語り始めた。
小学生のとき大栗先生はとてもよい理科の先生に教えてもらったそうで、たくさんの実験をさせてもらったそうだ。そして物理学者の都筑卓司先生がお書きになったブルーバックス本と出会い、物理学の魅力に目覚め、この道に進むきっかけになったのだという。であるから今自分がここにあるのもブルーバックスや都筑先生のおかげであり、今月本を出版できたことは「恩返し」になるのだとおっしゃっていた。
先生の講演は40分。スクリーンに映されたスライドの右下を確認したところスライドは全部で78枚。内容は先週の土曜日に新宿の朝日カルチャーセンターで開催された「空間は幻想である」とほぼ同じである。(であるから講座の流れは朝日カルチャーセンターの講座のほうの記事をお読みください。)
ただ、スライドは2割くらい変更され、改善されていたことに僕は気がついた。朝日カルチャーセンターの講座では見かけなかったスライドもあったし、そのかわりに削除されていた内容もあった。(「オイラーの公式」や弦理論や超弦理論の次元数を計算する箇所は削除されていた。)
いつもそうなのだが、先生は言語明瞭、とても元気にお話をされる。今回は時間が押しているためか、いつもより早口だ。しばらくすると「興奮してきて暑くなってしまいました。スーツを脱がせていただきます。」ということになり、身軽になった先生はますますヒートアップしていく。
ときおり先生がジョークを言って笑いをとるのも、いつもどおりだ。ジョークが受講者にウケている間に先生は次の言葉を選んでいるように僕には思えた。
「ブラックホールの防火壁問題」の解説では、今回先生は「東京オリンピック決定」のことを話された。「まさか、知らない人はいませんよね?」と会場を沸かせた。
東京オリンピックの話は「ブラックホールの防火壁問題」における量子の「多夫多妻制」と「一夫一婦制」の話の中で使われた。「古典力学ではひとつの情報(たとえば東京オリンピック決定という情報)は複数の人の間で共有できるのに対し、量子力学では一組の夫婦の間でしか共有できない。」というものだ。ところが一夫一婦制を認めてしまうと矛盾が生じてブラックホール表面でとてつもなくエネルギーが高くなり、炎につつまれたような状態になってしまうのだそうだ。これは一般相対論から予想されることと矛盾しているのだ。詳細は先生がお書きになった記事をお読みいただきたい。
ブラックホールの防火壁(大栗博司のブログ)
http://planck.exblog.jp/19026474/
80枚近くのスライドをたった40分で紹介したわけであるから、終わってみるとあっという間だった。
今月ブルーバックスから刊行された先生の著書はこの本だ。売れ行きも好調だそうである。
「大栗先生の超弦理論入門:大栗博司」
本書の感想については次の記事をお読みいただきたい。
大栗先生の超弦理論入門:大栗博司
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/75dfba6307d01a5d522d174ea3e13863
また本書の内容を元にして6月22日に朝日カルチャーセンターで先生の4時間にわたる講義として開催されている。
超弦理論(朝日カルチャーセンター)
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/ee9d62fa4bcd23fe49301d6b015ea52f
第2部:池谷先生講演「脳からみた『世界』」
ご経歴:
池谷裕二(いけがや・ゆうじ)
ホームページ: http://www.gaya.jp/ikegaya.htm
1970年、静岡県藤枝市生まれ。薬学博士。現在、東京大学大学院薬学系研究科准教授。脳研究者。海馬の研究を通じ、脳の健康や老化について探求をつづける。日本薬理学会学術奨励賞、日本神経科学学会奨励賞、日本薬学会奨励賞、文部科学大臣表彰(若手科学者賞)、日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞などを受賞。主な著書に『記憶力を強くする』『進化しすぎた脳』(ともに講談社ブルーバックス)、『脳はなにかと言い訳する』(新潮文庫)、『脳には妙なクセがある』(扶桑社)などがある。
池谷先生はこれまでたくさんの著書を刊行されている。先生の著書「記憶力を強くする―最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方」がブルーバックスの「21世紀のランキングベスト10」のランキング1位を獲得していることに配布された紙を見て知った。僕は脳科学にはこれまで興味がなかったので恥ずかしながら先生のことを存じ上げていなかった。
トップの掲載画像で先生は丸眼鏡をかけているが、当日は眼鏡はかけていらっしゃらず若々しい青年、近所の優しいお兄さんという雰囲気だ。(ここをクリックすると当日の写真がご覧いただける。)
講演が始まり、先生がまずスクリーンに映したのが電車で女の子がお婆さんに席を譲っているところを描いたイラストだった。その横には新聞を読むのに夢中になり、お婆さんに気づいていない会社員が座っている。この絵で先生が解説されたのが「気づかなければ(意識できなければ)気遣いはできない。」ということ。この説明に続き40分の講演は次のように展開された。
- 意識と無意識:「意識は氷山の一角。水面の下には巨大な無意識がある。」と言われるが、そんなものではない。「意識はせいぜい頭の上の飾りくらいでしかない。」先生はスクリーンに映しだしたトイプードルの頭の上の赤いリボンを指して「これが意識です。」とおっしゃった。
- 見えているものが真実の姿ではない:先生は植物園のような場所で撮影した女性の写真を映し出す。この写真は、後の説明で周辺部の色彩をなくしたり、画像の解像度を落としてどう見えるかなどの例として先生はお使いになった。(モデルのようなこの女性は先生の奥様なのだと後になって明かされた。)
- 色覚マイノリティ:色の3原色と網膜の3種類(赤青緑)+1種類(明暗)の視覚細胞の解説、2種類の色しか感知できない色覚マイノリティの割合は10%(男性だけだと20%)いること、4原色の色覚を持つ人もいること。またゴッホなど有名画家の絵画から彼らが色覚マイノリティだったことを紹介。
色覚タイプ別シミュレーション
http://www.happycolors.net/simulation.html
新人類誕生!?4原色の視覚を持つ女性、見つかる。
http://matome.naver.jp/odai/2134037291497843801
- 錯視:白黒の濃淡を誤認識してしまう例、視覚の周辺では色を感知できないことなど。
- 脳は感覚器官の不備を「補って」真実とは別の世界を認識させていること。
- 脳は進化しすぎていて、感覚器官のほうが追いつけていないこと。
- 紫外線、赤外線、地磁気、電磁波、超音波などを感知できる動物がいること。
- 地磁気センサーを内蔵した小型装置をマウスの脳につなげ、目が見えなくても方向が感知できるようになることを示す実験を紹介。このような研究は視覚を失っても方向感覚を得られるような医療機器に応用できる可能性がある。
ジョークを交えながら次から次へとテンポよくお話されるので、笑いと驚きの連続だった。ふだん馴染みのない分野だけにとても楽しい。40分はあっという間に終わった。
詳しいことは著書をお読みくださいということである。今月発売になったのは表紙が青い本だが、赤い本のほうから読んでほしいともおっしゃっていた。
「進化しすぎた脳―中高生と語る「大脳生理学」の最前線」
「単純な脳、複雑な「私」」
アマゾンのレビュー投稿も多く、評判はとてもよいようだ。当日会場にいらしたアルファ・ブロガーの小飼弾さんはこの2冊について書評をお書きになっている。
進化しすぎた脳―中高生と語る「大脳生理学」の最前線
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50757241.html
単純な脳、複雑な「私」
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51212153.html
第3部:ブルーバックス創刊50周年記念対談「脳と時空の冒険」
司会:青野由利(毎日新聞編集委員)
10分間の休憩を挟み、毎日新聞の科学記者の青野さんが司会をつとめる形で「鼎談(ていだん)」が始まった。青野さんご自身も「宇宙はこう考えられている: ビッグバンからヒッグス粒子まで」という本をお書きになっている。
鼎談は会場の受講者からの質問を受け、先生方が回答、議論する形で進められた。
科学者が啓蒙書を書くことについて
まず科学者が一般人向けの啓蒙書を書くことについて両先生のお考えがそれぞれ述べられた。池谷先生は昼間の仕事の時間帯には執筆しない、講演内容を書籍化したり、口述筆記して時間をなるべく割かないようにする、などご自身でルールを決めているという。それに対し大栗先生は「自分が書きたいから書いている。」というスタイルだ。夕食後に執筆されているという。「だって、自分で面白いと思ったことは人に伝えたくなるでしょ!」と先生はとてもうれしそうだった。
僕としては今年の2月、大栗先生は次の記事で「科学者の役割」についてお考えを述べられていることを添えておきたい。「科学者の矜持」とは社会における科学者の役割や基礎研究の意義がひろく問われる中、理化学研究所研究員会議総会において大栗先生が行った講演のタイトルである。
科学者の矜持(大栗博司のブログ)
http://planck.exblog.jp/19217332/
空間、時間、物質の本質について
次に「空間は幻想だ」という大栗先生の講演内容が議論された。池谷先生のお考えでは脳が作り出す「幻想」とどのように違うのかということがポイントであるように僕には思えた。超弦理論によれば空間と物質はそれぞれ独立して存在できず、ブラックホール内部の3次元空間内の重力理論はその表面の2次元の世界の法則としてあらわれる。どちらが本質的なものなのか?このように空間と物質、時間の本質についての議論が深められていった。
「誰にとっての幻想か?」という問いがされたとき、僕は物理学と脳科学の研究者が話し合うとき共通認識できる「言葉」にずいぶんギャップがあるものだと思うようになった。その「言葉」には「数学による表現」も含まれる。池谷先生がおっしゃっている「幻想」は人間の意識の上での幻想であるのに対し、大栗先生の文脈での「幻想」は人間の意識とは関係ない。
また両先生の間には『物理学』⇔「量子化学」⇔「無機化学」⇔「有機化学」⇔「生物学」⇔「精神医学や心理学」⇔『脳科学』といういくつもの世界があるようにも思えた。物理学ではスケールが異なる世界ごとに成り立つ法則があり、世界ごとに成り立つ「有効理論」と呼んでいるが、上記のそれぞれの分野にも有効理論があり、脳科学で示される内容を物理学の言葉に還元するには気の遠くなるようなステップがあるように僕には思えた。
自由意思について
最初に質問の手をあげた方は小飼弾さんだった。人間原理という言葉をきっかけに、人間の思考や自由意思は物理学ではどのように解釈されているのか?すべては決定論的に決まっているのだとしたら自由意思はないと思うのだが。というような質問だった。
大栗先生はニュートンやアインシュタインの理論が決定論的であるだけでなく、その後の基本物理法則の方程式は決定論的であることを述べ、ただし量子力学では波動関数から導かれる確率解釈、不確定性原理という意味で非決定論的であることを述べられた。その意味では自由意思は存在しない。
池谷先生は人間が自分の意思で決定したと思っていたとしても、それは脳が決めたことなので、真の意味で「自由に」決定したとはいえない。というようなことを述べられていたと思う。
「ひらめき」について
科学者はどのようなときに新しい考え方を「ひらめく」のだろうか?大栗先生は「そんなうまい方法があったら、僕も知りたい。」と冗談を飛ばした上で、「私の場合は同僚の科学者と散歩したりするとひらめくことが多い。」とおっしゃっていた。また豪雪で大学に行けなくなり家にこもって研究したときに大きな発見をされたこと、SNSやツイッターから距離を置くことも大切だとおっしゃっていた。
それに対し池谷先生は「とにかく私は眠ることですね。」という回答だった。睡眠をとったり風呂に入ってリフレッシュしたり、隔離された環境で集中して考えたりすることはアイデアをひらめくのに好都合であることは脳科学的にも検証されていることなのだそうだ。
「ゆらぎ」について
次の話題は「ゆらぎ」である。大栗先生から池谷先生「脳科学でのゆらぎとは物理学でいう(熱力学のような)古典物理的なものか、それとも量子力学的なものか?」という質問がされた。池谷先生のお答えは「脳科学でのゆらぎは脳神経細胞のシナプス間でやりとりされる電気信号のゆらぎです。」ということだ。つまり古典物理的なものだということになった。
「時間」について
次のテーマは「時間」である。物理学ではまだ解明されつくしたわけではないが「時間の矢」や「因果律」が基礎法則の大前提とされていることを大栗先生は説明された。それに対し池谷先生のお考えは「時間は人間の脳が作り出したもの。」というものだ。このテーマについての結論はでなかった。
物理法則や数学は「普遍」なのか?
池谷先生が「僕にはどうして物理法則が数学で記述できるのかということがすごく不思議で、理解できないのです。」とおっしゃったことから始まった議論だ。
人間の意識は脳によって都合よく作られたものだし、生体器官の機能にも制限がある。そうした人間が考えて作り出した数学が宇宙全体で成り立つ、普遍的なものになるのだろうか?そして物理法則についても同じ疑問を持っている。という意味だ。たとえば蛙は動くものしか見えない。つまり静止したものが存在しない世界で、(有能な)蛙は私たちと同じ数学理論や物理法則を作り出せるだろうか?
大栗先生は次のように回答された。
物理学では一度発見された法則が覆ることはありません。ただし、家を増改築するように新しい法則によって「修正」、「拡張」されながら発展していきます。それに対し数学はいちど証明された法則(定理)は、未来永劫正しく、改変されることはありません。証明された瞬間に宇宙の真理のひとつになるのです。
ただし、動物や宇宙人の世界は私たちが知覚するものと異なります。私たちはまっすぐな空間に生まれましたから私たちの数学は「ユークリッド幾何学」から始まりました。蛙は運動法則を見つけるのが遅くなるかもしれませんし、イルカは抵抗の大きい水中で暮らす生物ですからニュートン力学を発見するのは遅くなるでしょう。ですからイルカや蛙の数学や物理学の発展のしかたは私たちとは違ったものになるかもしれません。
さらに池谷先生は質問された。「不完全な意識のもとで解明した物理法則が、なぜ宇宙全体で成り立つ普遍なものだと言い切れるのでしょうか?」
大栗先生は次のようにお答えになった。「たとえば光の色は人間の目にはそのように見えるだけで(3原色だけでない)スペクトルによって構成される電磁波であることがわかっています。それが普遍的な法則であるかどうかは実験の「再現性」によって示されることです。人間の感覚器官、運動器官の能力は限られているから人間は検出装置を作って実験を行い、法則の検証を行ないます。その法則をもとに技術の発展がなされ、エアコン(や家電製品)が作れるようになり自然をコントロールできるようになるわけです。だから私たちは夏であるにもかかわらず、この大ホールで涼しく過ごすことができるわけです。」
議論は尽きないが時間がとても足りるような話ではない。質問は打ち切られ3時間におよぶ講演会が終わった。
心地よい興奮に満たされ、来場者は会場を後にした。
大栗先生、池谷先生そして青野さん、講談社ブルーバックス担当の社員のみなさま、とても刺激的で有意義な時間を設けていただきありがとうございました。
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