「科学の発見:スティーブン・ワインバーグ」(Kindle版)
内容紹介:
ギリシャの「科学」はポエムにすぎない。物理こそ科学のさきがけであり、科学の中の科学である。化学、生物などは二等の科学だ。数学は科学ではない―。1979年のノーベル物理学賞を受賞した著者が、テキサス大学の教養課程の学部生にむけて行っていた講義のノートをもとに綴られた本書は、欧米で科学者、歴史学者、哲学者をも巻きこんだ大論争の書となった。「美しくあれかし」というイデアから論理を打ち立てたギリシャの時代の哲学がいかに科学ではないか。アリストテレスやプラトンは、今日の基準からすればいかに誤っていたか。容赦なく現代の科学者の目で記述することで、「観察」「実験」「実証」をもとにした「科学」が成立するまでの歴史が姿を現す。
2016年5月刊行、428ページ。
著者について:
スティーヴン・ワインバーグ: ウィキペディアの記事
1933年、アメリカ生まれ。理論物理学者。カリフォルニア大学バークレー校、マサチューセッツ工科大学、ハーバード大学などを経て、現在はテキサス大学オースティン校の物理学・天文学教授。量子論の統一理論への第一歩となる、「電磁力」と「弱い力」を統合する「ワインバーグ=サラム理論」を1967年に発表し、79年にノーベル物理学賞を受賞する。専門にとどまらない深い教養を備え、一般向けにも多数の著作を発表する、現代で最も尊敬される科学者のひとり。
訳者について:
赤根洋子
翻訳家。早稲田大学大学院修士課程修了(ドイツ文学)
理数系書籍のレビュー記事は本書で307冊目。
いま注目されている科学教養書である。本書のことは4月のはじめに大栗博司先生がお書きになった「現在の基準で過去を裁くこと」という記事を通じて知った。日本語版が5月中旬に発売されたばかりである。英語版が発売されたのが今年の2月だったことを考えると、大急ぎで翻訳されたことがわかる。
400ページ以上ある英語版を大栗先生は「あまりに面白いので二晩で読んでしまいました。」ということなのだが、僕は日本語版でも読むのに2週間かかった。つまらなかったからではなく、話題になっている本だけに慎重に読んだほうがいいぞ、というわけで熟読したからだ。
本書はテキサス大学で文系の学生を対象にワインバーグ博士が10年に渡っておこなった物理学史、天文学史の講義をまとめたものである。
本書のことはすでに文藝春秋社のホームページに紹介ページやワインバーグ博士との対談に掲載されているし、大栗先生のブログ記事でも紹介されている。また本書の巻末に大栗先生がお書きになった解説の全文は「なぜ、現代の基準で過去を裁くのか」として公開されている。あと日本とアメリカのアマゾンのページに投稿されている読者レビューも読んだ。僕はこれらすべてを読んだ上での紹介や感想を書くことにしよう。
『科学の発見』スティーヴン・ワインバーグ 赤根洋子訳 | 単行本 - 文藝春秋
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163904573
科学は間違いながら進歩した | 特集 - 文藝春秋WEB(ワインバーグ博士との対談)
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/1885
現在の基準で過去を裁くこと: 大栗博司のブログ
http://planck.exblog.jp/23837336/
「科学の方法」の発見 : 大栗博司のブログ
http://planck.exblog.jp/23859098/
科学の発見: 大栗博司のブログ
http://planck.exblog.jp/25589621/
次のような項目に分けて紹介する。
- 読後の印象と感想
- 科学史を学ぶための本として
- 現在の基準で過去を裁くこと、確信犯であることについて
- 化学、生物学、数学について、医学と数学について
- 科学の進歩を妨げるもの、衰退させるものについて
- デカルトやニュートンについて
- 本書に対する読者の反応、評価(日本とアメリカ)
読後の印象と感想
本の帯には「本書は不遜な歴史書だ」と書かれているが、それほど不遜だと僕は思わなかった。老練な紳士が穏やかに批判しているというのが読後の印象だ。
ワインバーグ博士のしたことは裁定であって糾弾ではない。本のキャッチコピーが過激なため、必要以上に論争を引き起こしてしまったのだなと感じた。亡くなった科学者、哲学者を糾弾したところで何の意味もない。彼らを裁定することで、現代そして今後、科学者はどのように進むべきかという道しるべやヒントを得ようとしているのではないか。そのように僕は感じた。
科学史を学ぶための本として
科学史にうとい方、文系の方がお読みになるのには分量も内容もちょうどよい本である。僕はたまたま昨年の末から山本義隆先生がお書きになった科学史の本を4冊、その関連で高瀬正仁先生がお書きになった微積分学の発展史の本を2冊読んでいるわけだが、これらは大学教養課程の数学を理解していないと読めない本なので非理数系の方には無理がある。
山本先生の4冊は本書1冊に比べれば分量も多く、専門的なのでより多くのことを知ることができる。そのためワインバーグ博士による本書よりも、より具体的に過去の事実に肉薄できる。ただし肉薄できるからといって大枠の判断に違いがでてくるわけではない。
そして「磁力と重力の発見」の第1巻と第2巻では古代ギリシャから中世の暗黒時代を経てルネサンスまで、いにしえの哲学者、科学者によるトンデモな理論がこれでもかという感じで繰り返されるので、かなりうんざりさせられる。それほど混迷した時代が長く続いていたということではあるが。。。
その意味でも本書は科学初心者に適度なボリュームと内容であるといえるのだ。僕にとってはこれまであまり学んだことがないアラビアの天文学や数学の解説が有益だった。
ただし本書は古代ギリシャから現代までの科学を解説しているとはいえ、1920年以降の現代物理学の解説が少ないので、20世紀の科学史を学びたいときは他の本を読む必要がある。
巻末のテクニカルノートでは個別の事柄について、本文で解説したことを数式を使って証明している。とはいえ高校数学レベルにおさえてあるので、より多くの方に深く理解してもらおうという配慮がされている。
現在の基準で過去を裁くこと、確信犯であることについて
現代の基準で過去を裁定する手法は歴史学で「ウィッグ史観」というそうだ。
今年は大河ドラマ「真田丸」を見ているので豊臣秀吉の「朝鮮出兵(文禄・慶長の役)」の理由や背景に僕は興味を持っている。しかしその是非は問えないということなのだろう。
また先週はオバマ大統領が広島を訪問したことに関連して放送された「フランケンシュタインの誘惑「原爆誕生 科学者たちの“罪と罰”」」という番組を見たばかりである。原爆を開発したことの是非、広島と長崎に投下したことの是非は日米の国民で隔たりがあるし、勝者の論理が歴史を作っていくということも思わざるを得ない。(第二次大戦の勝敗が逆だったら、現代は全く違う世界になっていたことだろう。)
現代史に近づけば近づくほど、国や立場の違いで歴史認識の判断は分かれることは理解できるが、そうでなくてもヒトラーやポルポトのしてきたことは現代の基準からも裁定可能な史実である。(過去の基準においても、この2人は裁定可能だ。)
一般的に歴史学で「ウィッグ史観」は禁じ手だと思うが、国や国民に大きな不利益をもたらす判断や行動をする場合は(科学史ではない)歴史学であっても現代の基準で裁定可能なものはあると思う。
さて、本書は大栗先生が巻末の解説で「ワインバーグ博士は禁じ手であることを承知したうえでの確信犯である。」とお書きになっているとおりである。
では、なぜ博士はあえて「禁じ手」を用いたのだろうか?そこが本書を読み解く醍醐味なのだと思った。以下は僕の想像にすぎないが、3つのとらえかたができると思う。
まず、歴史学者や科学哲学者に対して。論争をわざわざふっかけたつもりはないそうだが、もともと歴史学者や科学哲学者が書いている本の中に、科学を正しく理解していないもの、間違った理解で書かれた科学史本があったのだろう。非理数系の学者でも読めるような本にすることで、正しい理解に基づいた科学史本を世に出したかったのではなかろうか。科学史は一般の歴史学とは異なる側面があることを強調する狙いがあったのだと思う。(参考記事:「「知」の欺瞞:アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン」)
そして2つ目は一般読者に対して。科学史入門として活用してもらいたいという思いがあったのだろう。偽科学や似非科学が横行し、それに振り回される人がいる現代社会で、科学的とは本来どういうものであるかを知るのは大切なことだ。博士はそのようなことまでは言及していないが、科学史を学ぶのはこの点でも有益だと僕は思う。
3つ目は科学者に対して。現代の科学で科学者が採っているいる方法は、近代科学成立以降継承されてきたものだが、現代科学の方法はまだ最終形態に到達していないかもしれないという警告である。超弦理論やマルチバース理論のように実験不可能、観測不可能な状況が生じたとき、科学者はどのようにアプローチしていくべきなのか。それを考えるために「過去の事例に学ぶ」材料を提供したのではなかろうか。
化学、生物学、数学について、医学と数学について
本の紹介文に「物理こそ科学のさきがけであり、科学の中の科学である。化学、生物などは二等の科学だ。数学は科学ではない。」という記述があるが、本書で博士はそんなことは書いていない。この文章書いたのは誰?と思ってしまった。キャッチコピーで煽るにも程がある。博士がそんなことを書いていたら、歴史学者よりも化学者、生物学者、数学者を敵に回してしまったことだろう。
博士が本書で化学や生物学についてお書きになっているのは、次のようなことである。
化学は原子や分子の結合によって説明される。そこには量子力学で説明される量子化学の基礎理論があり、根源的には基礎物理学に基づいている。どちらが一等でどちらが二等だということではない。
生物学については、DNAの二重らせん構造の発見により生命の設計図でさえ原子や分子の結合で説明されることがわかった。しかし、生物学で研究されているほとんどのことは、その根源が原子や分子、素粒子の相互作用に基づくものであったとしても、そのような要素還元主義に基づいて理解することは不可能であると考えている。
天文学にしても、太陽と地球の距離、太陽と惑星の距離が現在観測される値になっていることは、基礎物理学、要素還元主義に基づいて解釈できるものではない。「たまたま」そうなっているに過ぎないからだ。
そのほか物理学にしても「相転移」なども「偶然に左右された結果おこる現象なので、基礎物理学、要素還元主義で説明できるものではない。
このように博士は物理学の素晴らしさを認めたうえで「すべてが物理学で説明可能なわけではない。」とおっしゃっているのだ。
数学が物理学と違うのは当たり前である。理論物理学者でいらっしゃる博士が数学の重要性を熟知しているのはもちろんだ。「数学は科学ではない。」という表現はネガティブなものではなく、「数学と科学は別物であるが、互いを支え影響を及ぼす重要な2つの学問だ。」という意味である。
医学と数学についてひとこと。医者はあまり高度な数学を理解している人が少ないという印象を僕はもっているのだが、古代ギリシャにしても中世ヨーロッパにしても同じようなことが言えるのだと読み取れて少し可笑しかった。それは山本義隆先生の本でもワインバーグ博士の本でも共通していたから。実際のところはどうなのだろう?全体の傾向としての話である。
科学の進歩を妨げるもの、衰退させるものについて
中世キリスト教は科学の進歩を妨げたのだろうか?ローマ帝国で古代ギリシャの科学が衰退してしまったのはなぜだろうか?
前者について、キリスト教が科学にとってはマイナスだったというのが一般的な考え方だが、博士はそのようには考えていない。ケプラーにせよガリレイにせよ、そのような宗教的な環境でも科学は発展したり、革命をおこしていたからだ。
しかし僕は諸手をあげて博士の考えには賛成できなかった。中世キリスト教による弾圧がなければ、科学教育はもっと盛んに行われていたはずであり、より多くの科学者、科学史上の偉人が生まれていたことだろう。この暗黒時代に業績を残せたのは、稀有な例なのだったと僕は思う。
後者については博士は「理由はわからない。」とお書きになっている。ローマ帝国は軍事国家だったから大学や教育、図書館の設立や運営にはほとんど力をかけなかったからだと僕は思うわけだが、本当のところはどうなのだろう?
デカルトやニュートンについて
物理学への貢献度という意味で、デカルトはワインバーグ博士のおっしゃるとおり「ダメダメ」だったと僕は思う。しかし、彼の考案した曲線の理論や法線法は後にライプニッツやそれ以後の微積分学の思想に大きな影響を与え、微積分学の発展が古典力学の発展に大きな役割を果たすことになった。間接的だけれどもデカルトの物理学への貢献度はそこそこあったと僕は思う。
ワインバーグ博士は「ニュートンびいき」だと思った。確かに『プリンキピア』の後世への影響は計り知れない。博士がこの本の記述の中から例示されたことも正しいと思う。しかし、山本義隆先生の本を読むと、ニュートンでさえ独自に発想できたことは一部のことであり、ニュートンの力学を発見するためにはケプラーの惑星3法則、フックのアイデアなどを受け継いでいた。また微積分学はニュートンとライプニッツがそれぞれ独自に発明したというのが現代の定説だが、その後の微積分学と古典力学の発見はライプニッツの手法のほうが役割を果たしていたと僕は思う。ただしだからといって僕はニュートンの『プリンキピア』をけなしているわけではない。どんなに優れた科学者であっても、優れた点と至らない点を持ち合わせているものであり、時代を通じて成果が受け継がれ、発展していったというのが実際におきたことだったのだと思う。
ワインバーグ博士の「ニュートンひいき度」を100とすれば、僕のひいき度は80くらいである。
これらのことは山本義隆先生の「古典力学の形成」や高瀬正仁先生の「微分積分学の史的展開」、「微分積分学の誕生」を読むとよくわかる。
本書に対する読者の反応、評価(日本とアメリカ)
今日現在、日本のアマゾンでは高評価のレビュー記事が2つ投稿されている。アメリカのアマゾンには117件のレビューが投稿されていて、評価は次のようである。
高い評価の人のレビューはおおむね似ているが、低い評価をつけている人の理由には次のようなものがあった。
- 歴史は科学史といえども現代の基準で裁定してはならない、という予想通りの意見。
- 退屈だ。すでに科学史は学んでいるので新しいことが書いていない。
- 科学史本は他にも優れたものがたくさんある。なぜ一流の素粒子物理学者が科学史の本を書く必要があるのかわからない。
- ワインバーグ博士はアンフェアだ。特に古代ギリシャには実験を行う道具もなかったのだし。当時の哲学者を批判するには無理がある。
- 本書よりも「The Swerve: How the World Became Modern」(Kindle版)という本のほうを読むべき。これはピューリッツァー賞を受賞した本で古代から、ルネッサンスに至る文明の存亡を15世紀に生きた一人の人文学者・古文書研究者の生涯を描くことで鮮やかに示した魅力的な文化論、中世ヨーロッパ社会に興味がある人やルネッサンスがどんなきっかけで始まったのかについて書かれている。
翻訳の元になった原書はこちら。(なぜかわからないがKindle版は値段の違う2つがAmazonにあるので、安いほうをリンクさせておいた。)
「To Explain the World: The Discovery of Modern Science: Steven Weinberg」(Kindle版)
関連記事:
磁力と重力の発見〈1〉古代・中世:山本義隆
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/75ef1fc1216c255471fdbf65cc3a0c49
磁力と重力の発見〈2〉ルネサンス:山本義隆
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/16b61843d410a867f942f3f8aef13865
磁力と重力の発見〈3〉近代の始まり:山本義隆
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/196ce202408dd250728dad303dac89f3
古典力学の形成―ニュートンからラグランジュへ:山本義隆
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/e808487b7e9d668967f703396e32d80a
古典力学の形成: 山本義隆―続きの話
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/b5904a574fd4c4e276da496bd2c1821b
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「科学の発見:スティーブン・ワインバーグ」(Kindle版)
[目次]
はじめに 本書は不遜な歴史書だ
本書は学部の学生に、科学史を教えていた講義ノートから生まれた。
古代ギリシャのプラトンらの主張は今日の科学の眼から見ると何が「科学」
ではないのか? 私は現代の基準で過去を裁くという危険な領域に踏み込む
第一部 古代ギリシャの物理学
第一章 まず美しいことが優先された
世界はかくあれかし、ギリシャの哲人たちは思索した。原子論に似た
アイディアまで生まれたが、しかし、タレスらは、その理論が正しいかの実証
については興味がなかった。彼らは科学者というより「詩人」だったのだ
第二章 なぜ数学だったのか?
ギリシャではまず数学が生まれた。数学は観察・実験を必要としない。
思考上の組み立てのみで発展する。しかし、ここでも美しくあることが
優先され、ピタゴラス学派は「醜い」無理数の発見を秘密にし封印することに
第三章 アリストテレスは愚か者か?
アリストテレスの物理学とは、自然はまず目的があり、その目的のために
物理法則があるというものだった。物が落下するのは、その物質にとって
自然な場所がコスモスの中心だからだと考えた。観察と実証なき物理学
第四章 万物理論からの撤退
ギリシャ人が支配したエジプトでは、以後十七世紀まででも最高の知が
花開いた。万物を包括する理論の追究から撤退し、実用的技術に取り組んだ
ことが、アルキメデスの比重や円の面積などの傑出した成果を生んだのだ
第五章 キリスト教のせいだったのか?
ローマ帝国時代、自然研究は衰退した。学園アカデメイアは閉鎖され、
古代の知識は失われる。それはキリスト教の興隆のせいか? 議論はあるが、
ギボンは「聖職者は理性を不要とし、宗教信条で全て解決した」と述べた
第二部 古代ギリシャの天文学
第六章 実用が天文学を生んだ
古代エジプト人は、シリウスが夜明け直前にその姿を現すときに、
ナイルの氾濫が起きると知っていた。農業のための暦として星の運行の法則を
知ることから天文学が生まれた。完全な暦を作成するための試みが始まる
第七章 太陽、月、地球の計測
アリストテレスは地球が丸いことに気づく。さらにアリスタルコスは観測
から太陽と月、地球の距離と大きさを、完璧な幾何学で推論した。数値
こそ全く間違っていたが、史上初めて自然研究に数学が正しく使われたのだ
第八章 惑星という大問題
天動説の大問題は、それが実際の観測と合わなかったことだ。プトレマイオス
は、単純な幾層もの天球のうえに星が乗っているというアリストテレスの
考えを捨て、観測結果に合わせるために「周転円」という概念を導入
第三部 中世
第九章 アラブ世界がギリシャを継承する
中世初期、西洋が蒙昧に陥った頃、バグダッドを中心にアラブ世界の知性が
古代ギリシャ知識を再発見し、黄金期を迎えた。その影響の大きさは
「アラビア数字」「アルジェブラ(代数)」「アルカリ」などの言葉に今も残る
第十章 暗黒の西洋に差し込み始めた光
復興し始めた西洋。アラビア語から翻訳でアリストテレスの知識がよみがえる。
だがそれらの命題が教会の怒りに触れ、異端宣告される事件が起きた。
後に宣告は撤回されたが、この軋轢は科学史上重要な意味を持った
第四部 科学革命
第十一章 ついに太陽系が解明される
十六~十七世紀の物理学と天文学の革命的変化は、現代の科学者から見ても
歴史の真の転換点だ。コペルニクス、ティコ、ケプラー、ガリレオの計算と
観測で太陽系は正しく記述され、ケプラーの三法則にまとめられた
第十二章 科学には実験が必要だ
天体の法則は自然の観測だけで記述できたが、地上の物理現象の解明には
人工的な実験が必要だ。球の運動を研究するためにガリレオが作った斜面は、
初の実験装置であり、現代物理学の粒子加速器の遠い祖先と言える
第十三章 最も過大評価された偉人たち
アリストテレスを脱却した新しい科学的方法論を打ち立てたとされる偉人、
ベーコンとデカルト。だが現代の目で見るとベーコンの考えには実効性が
なく、哲学より科学で優れた仕事をしたデカルトも間違いが多すぎる
第十四章 革命者ニュートン
ニュートンは過去の自然哲学と現代科学の境界を越えた。その偉大な成功で
物理学は天文学・数学と統合され、ニュートン理論が科学の「標準モデル」に。
世界を説明する喜びが人類を駆り立て、ここに科学革命が成った
第十五章 エピローグ:大いなる統一をめざして
ニュートン以後、さらに基本的な一つの法則が世界を支配していることが
わかってきた。物理学は、量子理論で様々な力をまとめ、化学、生物学も
組み入れた。大いなる統一法則をめざす道のりは今も続いている
解説 大栗博司(理論物理学者)
「なぜ、現代の基準で過去を裁くのか」