「磁力と重力の発見〈1〉古代・中世:山本義隆」
内容紹介:
「遠隔力」の概念が、近代物理学の扉を開いた。古代ギリシャからニュートンとクーロンにいたる科学史空白の一千年余を解き明かす。西洋近代科学技術誕生の謎に真っ向からとりくんだ渾身の書き下ろし。第1巻は古代ギリシャ・ヘレニズム時代、ローマ帝国時代、中世キリスト教世界まで。
2003年刊行、324ページ。
著者について:
山本義隆(やまもとよしたか)
1941年大阪生まれ。大阪府出身。大阪市立船場中学校、大阪府立大手前高等学校卒業。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。 東京大学大学院博士課程中退。
1960年代、学生運動が盛んだったころに東大全共闘議長を務める。1969年の安田講堂事件前に警察の指名手配を受け地下に潜伏するが、同年9月の日比谷での全国全共闘連合結成大会の会場で警察当局に逮捕された。日大全共闘議長の秋田明大とともに、全共闘を象徴する存在であった。
学生時代より秀才でならし、大学では物理学科に進んで素粒子論を専攻した。大学院在学中には、京都大学の湯川秀樹研究室に国内留学しており、物理学者としての将来を嘱望されていたが、学生運動の後に大学を去り、大学での研究生活に戻ることはなかった。
その後は予備校教師に転じ、駿台予備学校では「東大物理」などのクラスに出講している。一方で科学史を研究しており、当初エルンスト・カッシーラーの優れた翻訳で知られたが、後に熱学・熱力学や力学など物理学を中心とした自然思想史の研究に従事し今日に至っている。遠隔力概念の発展史についての研究をまとめた『磁力と重力の発見』全3巻は、第1回パピルス賞、第57回毎日出版文化賞、第30回大佛次郎賞を受賞して読書界の話題となった。
山本義隆: ウィキペディアの記事 Amazonで著書を検索
理数系書籍のレビュー記事は本書で295冊目。
「古典力学の形成―ニュートンからラグランジュへ:山本義隆」でアイザック・ニュートン以降の古典力学史を学んだので、その次はニュートン以前の科学史である。近代科学誕生以前の話なので正確に言えば「前科学史」ということになるだろう。
磁石の性質や磁力は小中学校の理科で習うし、電磁石の磁力は高校物理でも教えられている。そして大学の電磁気学で微積分を用いたマックスウェルの方程式として電気と磁気の法則がまとめられる。
けれども近代科学が誕生する前、人々は磁石や磁力をどのように理解していたのだろうか?古典力学の前史は大栗博司先生の「重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る」をはじめ、いくつもの科学教養書で知ることができる。しかし、磁石や磁力についてはどうだろうか? この件について解説をしている本は見当たらないことに気づくのだ。
古代ギリシャの時代から、人々は天然磁石が鉄を引き付けることに気が付いていたし、琥珀で藁をこすると藁が琥珀に引き付けられることを知っていた。これは現代では磁力と静電気力(クーロン力)によると理解されている現象だ。
本書はまさにこのテーマで壮大な解説を試みた山本義隆先生の渾身の作である。数式を含まない科学教養書なので一般の方でも読むことができる。同じテーマで文章を書いてくれと言われても僕には原稿用紙1枚すらも書くことができない。知らないことばかりだからだ。それは物理学書を10年近く読み続けても埋めることができなかった人類の歴史で言えば2000年近くに渡る膨大な知識の空白である。本書を読みたいと思ったのは「その空白を埋めておきたい」という動機だった。
古代の人々でも私たちが小学校で習うことくらいは知っていたのではないかと思うかもしれない。つまり磁石にはNやSという極性があり、NとSは引き付け合い、NとNそしてSとSは反発するということ。そして磁石でこすって磁化させた鉄針は北を指し示すことなど。千年近い期間あったのだから、各時代を代表する知の巨人たちはそれくらいのことには気が付いていたに違いない。
しかしよく考えてみてほしい。古代の人々が手にしていたのはただの石ころの形をした天然磁石である。小学生が実験で使うような棒磁石でもU型磁石でもない。そして磁石は宝石と同様とても珍しい貴重品で簡単に手に入るものではなかった。2つ用意して実験したり、そのように高価なものを棒型や球形に加工してしまうなどもってのほかである。
そして古代の人々は天然磁石を「石」だと思っていた。冷蔵庫に紙をとめるための黒い磁石を目にするものだから、現代でも石だと思っている人がいるかもしれないが。でも正しくは磁石の本質は磁鉄鉱(磁化した鉄)という鉱物、つまり金属である。(注意:本書では鉱物を金属だとしているが、ウィキペディアの「鉱物」を見ていただくとわかるように岩石は鉱物または岩石切片の集合体とされる。その意味で磁石は磁鉄鉱以外の岩石切片を含んでいるので「石」といってもよいのかもしれない。)
磁力はどのように生じるのかということについてはどうだろうか?私たちが高校物理や大学の電磁気学の授業で学ぶのは「電磁石」で、銅線に電流が流れると磁力が生じることを知っている。もちろん古代の人々が電磁石を知っているはずはない。
天然磁石の磁力の発生メカニズムは量子力学を学んでからでないと理解できないのだ。物理学科の大学院の物性物理で「磁性」として学ぶ内容だからである。これを学ばないと磁石がなぜ鉄、コバルト、ニッケルなど一部の金属しか引き付けないかを理解することができない。量子力学の誕生は1925年頃である。(参考:ウィキペディアの「磁性」の項目)
つまりこのシリーズ3巻に書かれている近代科学誕生までには磁力の発生メカニズムを人類は理解していなかった。
だからこの3冊に書かれている磁力のメカニズムの「説明」は見当違い、現代風に言えば「トンデモ」なものばかりなのである。自然の理解、とりわけ磁石の理解は各時代の知の巨人をもってしても困難を極めた。(本当のところは見当違いな説明で片が付いていたので彼らにとって「困難」ではなかったのだが。)
第1巻の章立ては次のとおりである。ヨーロッパ史だと紀元前600年頃から西暦1300年頃まで。
第1章:磁気学の始まり―古代ギリシャ
第2章:ヘレニズムの時代
第3章:ローマ帝国の時代
第4章:中世キリスト教世界
第5章:中世社会の転換と磁石の指向性の発見
第6章:トマス・アクィナスの磁力理解
第7章:ロジャー・ベーコンと磁力の伝播
第8章:ペトロス・ペレグリヌスと『磁気書簡』
大いに期待しながら読み始めたのだが、いきなり壁にぶち当たった。読むのにとても時間がかかる。頭に入ってこないのだ。
日ごろ科学書を読み慣れていることが原因だった。いつも読んでいるのは正しくて役に立つ知識が書かれている教科書や科学教養書である。ところがこの本に書いてあることは磁石についての出鱈目な説明ばかりだ。はじめからそうだとわかっていても、真面目に読もうとすると役に立つとは思えない滅茶苦茶な学説のオンパレードに気が萎えてしまうのである。
ところがしばらく我慢して読んでいると慣れてきた。科学史の本ではない、文化史あるいは思想史の本だと思って読めばよいことに気付いたからだ。そのように頭を切り替えると面白くなり読むスピードが増していった。現代の知識や考え方をとりあえず忘れて読めばよいのだ。
古代ギリシャの哲学者たちにとって磁石とはどのようなものだったのだろう?彼らが目にしていたのは次のような事実である。
- 磁石とは黒かもしくは青味がかった黒色の「石」である。
- 磁石は鉄を引き寄せ、そのほかのものは引き寄せない。
- 磁石にくっついた鉄は他の鉄を引き寄せ、その鉄はさらに他の鉄を引き寄せる。
- 磁石で鉄を擦るとその鉄は磁石のようになる。
つまり、現代の小学生が知っている次のようなことには気付いていない。
- 磁石と磁石は引き寄せあったり、反発し合ったりする。
- 磁化した鉄の針を水に浮かべるとその針は北を向く。
- 磁石には2つの極がある。(N極とS極)
以下、時代に沿ってどのように上記の現象が説明されたかをかいつまんで述べておこう。
古代ギリシャ時代
タレス(B.C.624-B.C.546): 磁石は鉄を動かすゆえに霊魂をもつ。
ディオゲネス(B.C.450頃):磁石は鉄よりも粗目(空疎)で土性が強いので、そばにある空気からもっと多くの水分を吸い込んだり放出したりする。その場合、磁石は本性上親近な水分はこれを吸って自分の中に受け入れ、親近でない水分は追い出す。鉄は磁石と親近であり、それゆえ磁石は鉄からの水分を吸い込み自己の内に受容する。その水分の吸い込みゆえに、すなわち鉄の内部に含まれる水分を一挙に吸い寄せるために、鉄を(磁石は)自分に引き寄せる。
デモクリトス(B.C.460年頃-B.C.370年頃):磁石と鉄は親近であり類似している。自然本来的に、相似たものは相似たものによって動かされ、類縁的なものどうしはおたがいに向かって運動する。磁石と鉄の引き合いは類似のものの間の共感である。
アプロディシアスのアレクサンドロス(B.C.2世紀): 磁石と鉄の両方から生じる流出物と、鉄からの流出物に対応する磁石の通孔とによって、鉄が磁石のほうへ運ばれる。
ソクラテス(B.C.469年頃-B.C.399年):磁石は鉄の指輪を引くだけでなく、その指輪の中にひとつの力を注ぎこんで、その指輪がまた別の指輪を引く。その力はもともとの磁石に依存している。この力はムッサの女神の霊感に比類される。
プラトン(B.C.427年-B.C.347年):琥珀や磁石がものを引き付けるというあの不思議な現象にしても、けっして引力は存在しない。磁力は引力によるのではなく、直接接している物体の「押し」の結果である。
アリストテレス(B.C.384年-B.C.322年):「磁石は霊魂をもつ」というタレスの説に対する同意と「磁石のように、最初の動かすものは、それが動かしたところのものを、今度はそれ自身が他のものを動かすことができるようなものにする。」という現象の記述しかしていない。火、空気、水、土の4元素、および「温と乾」、「温と湿」、「冷と湿」、「冷と乾」という相対立する性質で説明されるアリストテレスの理論で磁石の説明はできなかった。
ギリシャ科学の歴史は900年におよび、それはそれぞれ300年の3つの時期に分けられ、その最初の時期がアリストテレスの死によって幕を閉じた。
ヘレニズム時代
アレクサンダー大王の東征により拡大したギリシャは、彼の死後エジプトのプトレマイオス朝、アジアのセレウコス王朝、そしてマケドニアのアンティゴノス王朝に分裂し、ヘレニズムの時代を迎える。ギリシャの都市国家はかつての力をなくし、事実上マケドニアの支配下におかれることになった。
エピクロス(B.C.341年-B.C.270年):ヘラクレイアの石(磁石)によって鉄が引き付けられるのは、磁石から流出する原子は、鉄から流出する原子と形状の上で適合性があり、したがってそれらは容易に絡み合う。実際、原子は、磁石と鉄双方の塊に衝突し、それから双方の中間へ跳ね返され、こうして相互に絡み合い、磁石が鉄を引き付ける。
アプロディシアスのアレクサンドロス(200年頃活動):磁石が鉄を引き寄せるのは、力づくではなく、鉄には存在しないが磁石が有しているものにたいする欲求によってである。
ローマ帝国の時代
B.C.146年にマケドニアがローマの軍門に下り、B.C.30年にプトレマイオス王朝がローマに敗北することによってヘレニズム諸国家は終焉を迎え、ローマ帝国が地中海世界の覇権を手にする。そしてその支配体制は200年以上続くことになる。
ルクレティウス(B.C.99年頃-B.C.55年):磁石から出た原子が空気を打撃してそこに空虚を作ると、その空虚に鉄から出た原子がただちに流れ込み、原子のその流れに鉄自体が続いていく。これが鉄が磁石に引き寄せられる原因である。また鉄と磁石が接して固着する理由に対しては、「眼に見えない留め金」によると説明している。
プルタルコス(46年頃-127年頃):磁石は重さを持った気体状の流出物を放出しており、この流出物によって近接する空気が押し戻されると、その空気は自分の先にある空気を押す。すると押された空気は(次々に押しながら)ぐるりと一巡してきて、ふたたび空いたままの場所に収まるが、そのちきに鉄を、力づくで自分といっしょに引きずっていくのである。
ディオスコリデス(40年頃-90年):磁石は容易に鉄を引き寄せるものが最上品である。それは厚みがあるが、それほど重くはない。水割り蜂蜜酒とともに3オボロス(約2.1グラム)与えると、濃い体液を抽き出す薬効がある。また磁石は貞節な婦人と姦通した婦人を見分けるのに役立つとも言われている。これを床の中に潜ませておくと、貞節で夫を愛している婦人ならば、磁石のもつある種の自然の効力により、眠り込んだときでも手を伸ばして夫にしっかりしがみつくが、姦通している婦人ならば、汚れた密事の夢に悩まされて床から転げ落ちてしまう。また2人の男がこれを持てば、その2人のあいだに争い事が起こることはない。磁石は調和をもたらし、胸にあてれば人々の心をなごませる。
プリニウス(22または23年-79年):鉄は磁石に感染し、それを長時間保持し他の鉄を捕らえることのできる唯一の部室である。すべての磁石は、その各種類が正しい分量でもちいられるならば、眼病の膏薬を作るのにもちいられるし、とくに激しく涙が流れるのを止めるのに効力がある。またそれを焼いて粉末にしたものは火傷の薬になる。またダイヤモンドは磁石と反発しあい、ダイヤモンドは鉄にたいする磁石の引力を妨げ、ヤギの血はダイヤモンドを破壊する。
アイリアノス(175年頃-235年頃):鷹の脛骨が金のかたわらに置かれたならば、それはエジプト人の言うところでは、あたかもヘラクレスの石(磁石)がどのようにかして鉄を魔法にかけるのと同じように、不可解な力によって金をおのれの方に引き寄せる。
こうして、ローマ社会において、その後の中世キリスト教世界における磁石と磁力にたいする姿勢、ひいては自然力一般の理解の原型が形成された。その第1は磁石の働きを生物になぞらえて見る視点、第2は磁石には物理的な作用があるだけでなく生理的作用、さらには超自然的(魔力)な能力が備わっているという想念、第3は「共感」と「反感」の組み合わせ、網の目によって自然の働きが成り立っているという自然観の形成である。
中世キリスト教世界
ローマではキリスト教は、当初は下層の民衆のあいだで支持を広げていたが、権力からの迫害を耐え抜き、ローマ帝国の弱体化とともに社会の上層部にも支持者を獲得してゆき、313年、コンスタンティヌス帝の時代に公認され、380年、テオドシウス亭の時代に軍事国家ローマの国教となった。中世キリスト教社会はその後1000年近くにわたってヨーロッパ人の精神に影響を及ぼし続けることになる。この時代、自然現象だけでなく生理学、医学においても迷信や魔術、呪術が信じられ、その実践にキリスト教の衣がまとわされたのである。
アウグスティヌス(354年-430年):鉄による磁力の伝搬の不思議、銀の皿によって磁力が妨げられることなないという不思議について言及。しかしこのような自然の不思議や奇蹟は神の啓示、神の偉大さの顕現であり、有限で脆弱な人間精神のなすべきことは、その理由を解き明かすことではない。人間には、自然に示される神の救済の意志を読み取ることだけが許されるのである。
マルボドゥス(1035-1123):磁石は水腫をおさえ、火傷の痛みを散らすという薬効がある。妻の不貞を見破る能力の他に、争う者どうしを宥め、新婚の夫婦に愛を授け、弁舌に説得力を与える。また泥棒は家に忍び込むときに磁石の粉末を焼べ、出てくる煙をその家に家れる。そうすると住人の魂が家の外に出てしまうので、泥棒は屋内で自由に物色できるようになる。
ヒルデガルト(1098年-1179年):磁石は鉄を産出する土地で培われた毒によって凝固し、そのため鉄色をしていて自然に鉄を引き付けるのである。正気を失ったり幻影に悩まされたりしているなら、磁石に唾液を塗り、その石を頭頂部と前額部にこすりつけて次のように唱えなさい。「おお汝、猛威をふるう悪邪よ、天国から堕ちた悪魔の力を転化して人間を善くしたもう神の徳を認めよ。」そうすると正気に戻るであろう。
アルベルトゥス・マグヌス(1193年頃-1280年):ニンニクを塗り付けると磁石は鉄を引き寄せなくなる。またダイヤモンドが磁石の上に置かれたならば、その磁石は鉄を引き寄せなくなる。磁石は呪文や魔術とともに使用されたならば、驚くべき幻影をもたらす。蜂蜜に磁石を混ぜると水腫に効く。磁石は婦人が不貞かどうかを見分ける。
魔術的とも呪術的ともいうべき色彩のまつわりついていた中世ヨーロッパ人に磁力についての理解は13世紀に大きな転換を迎える。それはドミニコ会修道僧のトマス・アクィナス、最初の実験物理学の論文ともいうべき『磁気書簡』を著したペトロス・ペレグリヌス、「経験学」の創始者と称されるイギリス人フランチェスコ会修道僧ロジャー・ベーコンの3人によってもたらされた。この時代には磁石の指向性が発見され航海用のコンパス(磁気羅針盤)が使われるようになった。
またこの時代にヨーロッパは東方世界と接触し始めていた。古代ギリシャの科学と哲学は東方のイスラームおよびビザンツ世界に伝えられ、長い期間研究されていた。ヨーロッパでは失われていたこれらの学問、とりわけアリストテレスの諸著作がヨーロッパで再発見され、各地の僧院でギリシャ語やアラビア語からラテン語への翻訳が行われたのである。それだけでなくイスラーム世界で発展した高水準の天文学や数学も中世のキリスト教世界にもたらされた。そして神学に従属する学問とされていた哲学が1255年、トマス・アクィナスの時代にパリ大学がアリストテレスのほとんどの著作を講義に取り入れることを公式に決定し、神学とは独立に哲学の真理を語ることができるようになった。これはキリスト教世界の知が分裂し始めたことを意味している。
マイケル・スコット(1175年頃-1235年):磁石はその力でもって鉄をおのれのもとへ引き寄せる。北の山の彼方の地を指す磁石や南の山の彼方の地を指す磁石もある。磁石を用いれば、針で北極星がどこにあるかがわかる。(磁石の指向性についての言及)
トマス・アクィナス(1225年頃-1274年):アリストテレス哲学を引き継ぎ、それを発展させた。磁石の作用をもアリストテレスの枠組みで捉えたにとどまらず、磁石の特異な作用をもたらす原理は磁石の自然本性であり、形相である。そして磁石が鉄を引き寄せるのはある種の天界の力を分かち持つからである。(注釈:もちろん彼の理解は間違っているが、重要な点は神の啓示とは独立に磁力の起源を主張していることである。また魔術的な要素が排除されていることも重要である。)
ロジャー・ベーコン(1214年-1294年):「経験学」の創始者である。物事を理解するために経験や実験、数学を重視した。磁力については近接作用として空気を媒質として伝搬することを主張している。またすべての磁石には東西南北に区別される部分がある。(磁石の指向性)磁石が北を向くのは北極星によるものではなく、東西南北という天球の「場所」によるものである。(注釈:この時代はまだ天動説で、地球の周りを巨大な天球が回転していると考えられていた。)
ペトロス・ペレグリヌス(13世紀フランスの科学者。1269年に磁気の性質についての著書『磁気書簡』を著した。):彼が発見したことは以下のとおりである。
1)天然磁石を球形に整形すると「北極」と「南極」が現れる。この2つの極は球の反対側に位置している。これは天球に類似している。(磁石の極性の発見)
2)鉄の針や細長い鉄辺に磁石をこすりつけて磁化させる。その鉄は指北性、指南性を示す。また天然磁石そのものも指北性、指南性を示す。(磁石の指向性の確認)
3)天然磁石は切断しても南北の極を切り離すことはできない。2つに分割された磁石はそれぞれ北極と南極をもつ。
4)天然磁石の北極と北極、南極と南極は反発し合い、北極と南極は引き合う。
ペレグリヌスが実験でこれらのことを確認したことは明らかである。このように中世キリスト教世界の最後になって、はじめて人類は磁石について現代の小学生程度の知識を獲得することができたのだ。
300ページを超える第1巻のうち、磁石に関しての記述のうち一部だけを取り出して紹介したが、本書ではそれぞれの人物がそのように考えるようになった背景、その他の自然現象についての理解、ヨーロッパが政治的、宗教的にどのように変遷していったかなどが解説されている。
現代からみれば眉唾な理論、役に立たないことばかりであるが読み応えは十分にある。ぜひお読みいただきたい。
「磁力と重力の発見〈1〉古代・中世:山本義隆」
「磁力と重力の発見〈2〉ルネサンス:山本義隆」
「磁力と重力の発見〈3〉近代の始まり:山本義隆」
読み合わせに最適な小説:
「磁力と重力の発見〈1〉古代・中世:山本義隆」と読み合わせるのに格好な小説がある。中世キリスト教世界の章に至って、僕はむかし映画で見たウンベルト・エーコの「薔薇の名前」を思い出した。修道僧の連続怪死事件の舞台となる中世イタリアの僧院や修道僧の生活、その背景にあるローマ教皇と神聖ローマ帝国皇帝との関係、キリスト教各派の教義の違い、当時の社会構造など「磁力と重力の発見」の第1巻で解説されている事柄や人物が描かれている。
実際、この小説の中の僧院には巨大で秘密めいた文書館があり、また「写字室」ではあり40人ほどの修道僧が、イスラーム世界から再輸入されたアリストテレスの著作のラテン語への翻訳や写本を行っているシーンが描かれているし、アルベルトゥス・マグヌスやロジャー・ベーコンについて登場人物が言及している箇所もある。
もちろん小説はフィクションだが、併読することで中世キリスト教世界にどっぷり浸ることができ、双方の本がシンクロしてリアリティが増すのだ。フィクションが歴史小説に変わり、魔術的な磁力の効力が現実味を帯びてくる。
小説のほうもぜひお読みになるとよいだろう。
「薔薇の名前〈上〉:ウンベルト・エーコ」
「薔薇の名前〈下〉:ウンベルト・エーコ」
この本や映画の概要はウィキペディアの「薔薇の名前」でお読みになっていただきたい。また1986年にショーン・コネリー主演で公開された映画の予告編の動画は「このリンク」からご覧いただける。
また映画は2/9(火)深夜1:00からWOWOWで放送されるようだ。
薔薇の名前
http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/002551/#intro
番組紹介/解説
難解ともいわれるU・エーコの傑作小説を映画化したミステリー。中世ヨーロッパを舞台に、修道士とその見習いの青年が、修道士たちが連続して殺された怪事件の謎を追う。
キリスト教史や神学論の知識、そしてちりばめられた暗喩の読解力を要し、難解とも評されるエーコの同名小説を「愛人 ラマン」「スターリングラード」のJ=J・アノー監督が映画化したゴシックミステリー。宗教裁判が激化する中世ヨーロッパを舞台に、身近で起きる連続殺人の真相を追う修道士とその見習いの奔走を描く。暗黒と形容されることもある中世という時代を、入念な時代考証によって再現した美術が見もの。主人公の修道士役を演じる名優S・コネリー、見習い修道士役のC・スレイターの熱演も光る。
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「磁力と重力の発見〈1〉古代・中世:山本義隆」
序文
第1章:磁気学の始まり―古代ギリシャ
- 磁力のはじめての「説明」
- プラトンと『ティマイオス』
- プラトンとプルタルコスによる磁力の「説明」
- アリストテレスの自然学
- テオプラストスとその後のアリストテレス主義
第2章:ヘレニズムの時代
- エピクロスと原子論
- ルクレティウスと原子論
- ルクレティウスによる磁力の「説明」
- ガレノスと「自然の諸機能」
- 磁力の原因をめぐる論争
- アプロディシアスのアレクサンドロス
第3章:ローマ帝国の時代
- アイリアノスとローマの科学
- ディオスコリデスの『薬物史』
- プリニウスの『博物誌』
- 磁力の生物態的理解
- 自然界の「共感」と「反感」
- クラウディアヌスとアイリアノス
第4章:中世キリスト教世界
- アウグスティヌスと『神の国』
- 自然物にそなわる「力」
- キリスト教における医学理論の不在
- マルボドゥスの『石について』
- ビンゲンのヒルデガルト
- 大アルベルトゥスの『鉱物の書』
第5章:中世社会の転換と磁石の指向性の発見
- 中世社会の転換
- 古代哲学の発見と翻訳
- 航海用コンパスの使用とはじまり
- 磁石の指向性の発見
- マイケル・スコットとフリードリヒ2世
第6章:トマス・アクィナスの磁力理解
- キリスト教社会における知の構造
- アリストテレスと自然の発見
- 聖トマス・アクィナス
- アリストテレスの因果性の図式
- トマス・アクィナスと磁力
- 磁石にたいする天の影響
第7章:ロジャー・ベーコンと磁力の伝播
- ロジャー・ベーコンの基本的スタンス
- ベーコンにおける数学と経験
- ロバート・グロステスト
- ベーコンにおける「形象の増殖」
- 近接作用としての磁力の伝搬
第8章:ペトロス・ペレグリヌスと『磁気書簡』
- 磁石の極性の発見
- 磁力をめぐる考察
- ペレグリヌスの方法と目的
- 『磁気書簡』登場の社会的背景
- サンタマンのジャン
注
第2巻
第2巻では、従来の力学史・電磁気学史でほとんど無視されてきたといっていいルネサンス期を探る。本書は技術者たちの技術にたいする実験的・合理的アプローチと、俗語による科学書執筆の意味を重視しつつ、思想の枠組としての魔術がはたした役割に最大の注目を払う。脱神秘化する魔術と理論化される技術。清新の気にみちた時代に、やがてふたつの流れは合流し、後期ルネサンスの魔術思想の変質―実験魔術―をへて、新しい科学の思想と方法を産み出すのである。
第9章:ニコラウス・クザーヌスと磁力の量化
第10章:古代の発見と前期ルネサンスの魔術
第11章:大航海時代と偏角の発見
第12章:ロバート・ノーマンと『新しい引力』
第13章:鉱業の発展と磁力の特異性
第14章:パラケルススと磁気治療
第15章:後期ルネサンスの魔術思想とその変貌
第16章:デッラ・ポルタの磁力研究
第3巻
第3巻でようやく近代科学の誕生に立ち会う。霊魂論・物活論の色彩を色濃く帯びたケプラーや、錬金術に耽っていたニュートン。重力理論を作りあげていったのは彼らであり、近代以降に生き残ったのはケプラー、ニュートン、クーロンの法則である。魔術的な遠隔力は数学的法則に捉えられ、合理化された。壮大な前科学史の終幕である。
第17章:ウィリアム・ギルバートの『磁石論』
第18章:磁気哲学とヨハネス・ケプラー
第19章:一七世紀機械論哲学と力
第20章:ロバート・ボイルとイギリスにおける機械論の変質
第21章:磁力と重力―フックとニュートン
第22章:エピローグ―磁力法則の測定と確定
内容紹介:
「遠隔力」の概念が、近代物理学の扉を開いた。古代ギリシャからニュートンとクーロンにいたる科学史空白の一千年余を解き明かす。西洋近代科学技術誕生の謎に真っ向からとりくんだ渾身の書き下ろし。第1巻は古代ギリシャ・ヘレニズム時代、ローマ帝国時代、中世キリスト教世界まで。
2003年刊行、324ページ。
著者について:
山本義隆(やまもとよしたか)
1941年大阪生まれ。大阪府出身。大阪市立船場中学校、大阪府立大手前高等学校卒業。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。 東京大学大学院博士課程中退。
1960年代、学生運動が盛んだったころに東大全共闘議長を務める。1969年の安田講堂事件前に警察の指名手配を受け地下に潜伏するが、同年9月の日比谷での全国全共闘連合結成大会の会場で警察当局に逮捕された。日大全共闘議長の秋田明大とともに、全共闘を象徴する存在であった。
学生時代より秀才でならし、大学では物理学科に進んで素粒子論を専攻した。大学院在学中には、京都大学の湯川秀樹研究室に国内留学しており、物理学者としての将来を嘱望されていたが、学生運動の後に大学を去り、大学での研究生活に戻ることはなかった。
その後は予備校教師に転じ、駿台予備学校では「東大物理」などのクラスに出講している。一方で科学史を研究しており、当初エルンスト・カッシーラーの優れた翻訳で知られたが、後に熱学・熱力学や力学など物理学を中心とした自然思想史の研究に従事し今日に至っている。遠隔力概念の発展史についての研究をまとめた『磁力と重力の発見』全3巻は、第1回パピルス賞、第57回毎日出版文化賞、第30回大佛次郎賞を受賞して読書界の話題となった。
山本義隆: ウィキペディアの記事 Amazonで著書を検索
理数系書籍のレビュー記事は本書で295冊目。
「古典力学の形成―ニュートンからラグランジュへ:山本義隆」でアイザック・ニュートン以降の古典力学史を学んだので、その次はニュートン以前の科学史である。近代科学誕生以前の話なので正確に言えば「前科学史」ということになるだろう。
磁石の性質や磁力は小中学校の理科で習うし、電磁石の磁力は高校物理でも教えられている。そして大学の電磁気学で微積分を用いたマックスウェルの方程式として電気と磁気の法則がまとめられる。
けれども近代科学が誕生する前、人々は磁石や磁力をどのように理解していたのだろうか?古典力学の前史は大栗博司先生の「重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る」をはじめ、いくつもの科学教養書で知ることができる。しかし、磁石や磁力についてはどうだろうか? この件について解説をしている本は見当たらないことに気づくのだ。
古代ギリシャの時代から、人々は天然磁石が鉄を引き付けることに気が付いていたし、琥珀で藁をこすると藁が琥珀に引き付けられることを知っていた。これは現代では磁力と静電気力(クーロン力)によると理解されている現象だ。
本書はまさにこのテーマで壮大な解説を試みた山本義隆先生の渾身の作である。数式を含まない科学教養書なので一般の方でも読むことができる。同じテーマで文章を書いてくれと言われても僕には原稿用紙1枚すらも書くことができない。知らないことばかりだからだ。それは物理学書を10年近く読み続けても埋めることができなかった人類の歴史で言えば2000年近くに渡る膨大な知識の空白である。本書を読みたいと思ったのは「その空白を埋めておきたい」という動機だった。
古代の人々でも私たちが小学校で習うことくらいは知っていたのではないかと思うかもしれない。つまり磁石にはNやSという極性があり、NとSは引き付け合い、NとNそしてSとSは反発するということ。そして磁石でこすって磁化させた鉄針は北を指し示すことなど。千年近い期間あったのだから、各時代を代表する知の巨人たちはそれくらいのことには気が付いていたに違いない。
しかしよく考えてみてほしい。古代の人々が手にしていたのはただの石ころの形をした天然磁石である。小学生が実験で使うような棒磁石でもU型磁石でもない。そして磁石は宝石と同様とても珍しい貴重品で簡単に手に入るものではなかった。2つ用意して実験したり、そのように高価なものを棒型や球形に加工してしまうなどもってのほかである。
そして古代の人々は天然磁石を「石」だと思っていた。冷蔵庫に紙をとめるための黒い磁石を目にするものだから、現代でも石だと思っている人がいるかもしれないが。でも正しくは磁石の本質は磁鉄鉱(磁化した鉄)という鉱物、つまり金属である。(注意:本書では鉱物を金属だとしているが、ウィキペディアの「鉱物」を見ていただくとわかるように岩石は鉱物または岩石切片の集合体とされる。その意味で磁石は磁鉄鉱以外の岩石切片を含んでいるので「石」といってもよいのかもしれない。)
磁力はどのように生じるのかということについてはどうだろうか?私たちが高校物理や大学の電磁気学の授業で学ぶのは「電磁石」で、銅線に電流が流れると磁力が生じることを知っている。もちろん古代の人々が電磁石を知っているはずはない。
天然磁石の磁力の発生メカニズムは量子力学を学んでからでないと理解できないのだ。物理学科の大学院の物性物理で「磁性」として学ぶ内容だからである。これを学ばないと磁石がなぜ鉄、コバルト、ニッケルなど一部の金属しか引き付けないかを理解することができない。量子力学の誕生は1925年頃である。(参考:ウィキペディアの「磁性」の項目)
つまりこのシリーズ3巻に書かれている近代科学誕生までには磁力の発生メカニズムを人類は理解していなかった。
だからこの3冊に書かれている磁力のメカニズムの「説明」は見当違い、現代風に言えば「トンデモ」なものばかりなのである。自然の理解、とりわけ磁石の理解は各時代の知の巨人をもってしても困難を極めた。(本当のところは見当違いな説明で片が付いていたので彼らにとって「困難」ではなかったのだが。)
第1巻の章立ては次のとおりである。ヨーロッパ史だと紀元前600年頃から西暦1300年頃まで。
第1章:磁気学の始まり―古代ギリシャ
第2章:ヘレニズムの時代
第3章:ローマ帝国の時代
第4章:中世キリスト教世界
第5章:中世社会の転換と磁石の指向性の発見
第6章:トマス・アクィナスの磁力理解
第7章:ロジャー・ベーコンと磁力の伝播
第8章:ペトロス・ペレグリヌスと『磁気書簡』
大いに期待しながら読み始めたのだが、いきなり壁にぶち当たった。読むのにとても時間がかかる。頭に入ってこないのだ。
日ごろ科学書を読み慣れていることが原因だった。いつも読んでいるのは正しくて役に立つ知識が書かれている教科書や科学教養書である。ところがこの本に書いてあることは磁石についての出鱈目な説明ばかりだ。はじめからそうだとわかっていても、真面目に読もうとすると役に立つとは思えない滅茶苦茶な学説のオンパレードに気が萎えてしまうのである。
ところがしばらく我慢して読んでいると慣れてきた。科学史の本ではない、文化史あるいは思想史の本だと思って読めばよいことに気付いたからだ。そのように頭を切り替えると面白くなり読むスピードが増していった。現代の知識や考え方をとりあえず忘れて読めばよいのだ。
古代ギリシャの哲学者たちにとって磁石とはどのようなものだったのだろう?彼らが目にしていたのは次のような事実である。
- 磁石とは黒かもしくは青味がかった黒色の「石」である。
- 磁石は鉄を引き寄せ、そのほかのものは引き寄せない。
- 磁石にくっついた鉄は他の鉄を引き寄せ、その鉄はさらに他の鉄を引き寄せる。
- 磁石で鉄を擦るとその鉄は磁石のようになる。
つまり、現代の小学生が知っている次のようなことには気付いていない。
- 磁石と磁石は引き寄せあったり、反発し合ったりする。
- 磁化した鉄の針を水に浮かべるとその針は北を向く。
- 磁石には2つの極がある。(N極とS極)
以下、時代に沿ってどのように上記の現象が説明されたかをかいつまんで述べておこう。
古代ギリシャ時代
タレス(B.C.624-B.C.546): 磁石は鉄を動かすゆえに霊魂をもつ。
ディオゲネス(B.C.450頃):磁石は鉄よりも粗目(空疎)で土性が強いので、そばにある空気からもっと多くの水分を吸い込んだり放出したりする。その場合、磁石は本性上親近な水分はこれを吸って自分の中に受け入れ、親近でない水分は追い出す。鉄は磁石と親近であり、それゆえ磁石は鉄からの水分を吸い込み自己の内に受容する。その水分の吸い込みゆえに、すなわち鉄の内部に含まれる水分を一挙に吸い寄せるために、鉄を(磁石は)自分に引き寄せる。
デモクリトス(B.C.460年頃-B.C.370年頃):磁石と鉄は親近であり類似している。自然本来的に、相似たものは相似たものによって動かされ、類縁的なものどうしはおたがいに向かって運動する。磁石と鉄の引き合いは類似のものの間の共感である。
アプロディシアスのアレクサンドロス(B.C.2世紀): 磁石と鉄の両方から生じる流出物と、鉄からの流出物に対応する磁石の通孔とによって、鉄が磁石のほうへ運ばれる。
ソクラテス(B.C.469年頃-B.C.399年):磁石は鉄の指輪を引くだけでなく、その指輪の中にひとつの力を注ぎこんで、その指輪がまた別の指輪を引く。その力はもともとの磁石に依存している。この力はムッサの女神の霊感に比類される。
プラトン(B.C.427年-B.C.347年):琥珀や磁石がものを引き付けるというあの不思議な現象にしても、けっして引力は存在しない。磁力は引力によるのではなく、直接接している物体の「押し」の結果である。
アリストテレス(B.C.384年-B.C.322年):「磁石は霊魂をもつ」というタレスの説に対する同意と「磁石のように、最初の動かすものは、それが動かしたところのものを、今度はそれ自身が他のものを動かすことができるようなものにする。」という現象の記述しかしていない。火、空気、水、土の4元素、および「温と乾」、「温と湿」、「冷と湿」、「冷と乾」という相対立する性質で説明されるアリストテレスの理論で磁石の説明はできなかった。
ギリシャ科学の歴史は900年におよび、それはそれぞれ300年の3つの時期に分けられ、その最初の時期がアリストテレスの死によって幕を閉じた。
ヘレニズム時代
アレクサンダー大王の東征により拡大したギリシャは、彼の死後エジプトのプトレマイオス朝、アジアのセレウコス王朝、そしてマケドニアのアンティゴノス王朝に分裂し、ヘレニズムの時代を迎える。ギリシャの都市国家はかつての力をなくし、事実上マケドニアの支配下におかれることになった。
エピクロス(B.C.341年-B.C.270年):ヘラクレイアの石(磁石)によって鉄が引き付けられるのは、磁石から流出する原子は、鉄から流出する原子と形状の上で適合性があり、したがってそれらは容易に絡み合う。実際、原子は、磁石と鉄双方の塊に衝突し、それから双方の中間へ跳ね返され、こうして相互に絡み合い、磁石が鉄を引き付ける。
アプロディシアスのアレクサンドロス(200年頃活動):磁石が鉄を引き寄せるのは、力づくではなく、鉄には存在しないが磁石が有しているものにたいする欲求によってである。
ローマ帝国の時代
B.C.146年にマケドニアがローマの軍門に下り、B.C.30年にプトレマイオス王朝がローマに敗北することによってヘレニズム諸国家は終焉を迎え、ローマ帝国が地中海世界の覇権を手にする。そしてその支配体制は200年以上続くことになる。
ルクレティウス(B.C.99年頃-B.C.55年):磁石から出た原子が空気を打撃してそこに空虚を作ると、その空虚に鉄から出た原子がただちに流れ込み、原子のその流れに鉄自体が続いていく。これが鉄が磁石に引き寄せられる原因である。また鉄と磁石が接して固着する理由に対しては、「眼に見えない留め金」によると説明している。
プルタルコス(46年頃-127年頃):磁石は重さを持った気体状の流出物を放出しており、この流出物によって近接する空気が押し戻されると、その空気は自分の先にある空気を押す。すると押された空気は(次々に押しながら)ぐるりと一巡してきて、ふたたび空いたままの場所に収まるが、そのちきに鉄を、力づくで自分といっしょに引きずっていくのである。
ディオスコリデス(40年頃-90年):磁石は容易に鉄を引き寄せるものが最上品である。それは厚みがあるが、それほど重くはない。水割り蜂蜜酒とともに3オボロス(約2.1グラム)与えると、濃い体液を抽き出す薬効がある。また磁石は貞節な婦人と姦通した婦人を見分けるのに役立つとも言われている。これを床の中に潜ませておくと、貞節で夫を愛している婦人ならば、磁石のもつある種の自然の効力により、眠り込んだときでも手を伸ばして夫にしっかりしがみつくが、姦通している婦人ならば、汚れた密事の夢に悩まされて床から転げ落ちてしまう。また2人の男がこれを持てば、その2人のあいだに争い事が起こることはない。磁石は調和をもたらし、胸にあてれば人々の心をなごませる。
プリニウス(22または23年-79年):鉄は磁石に感染し、それを長時間保持し他の鉄を捕らえることのできる唯一の部室である。すべての磁石は、その各種類が正しい分量でもちいられるならば、眼病の膏薬を作るのにもちいられるし、とくに激しく涙が流れるのを止めるのに効力がある。またそれを焼いて粉末にしたものは火傷の薬になる。またダイヤモンドは磁石と反発しあい、ダイヤモンドは鉄にたいする磁石の引力を妨げ、ヤギの血はダイヤモンドを破壊する。
アイリアノス(175年頃-235年頃):鷹の脛骨が金のかたわらに置かれたならば、それはエジプト人の言うところでは、あたかもヘラクレスの石(磁石)がどのようにかして鉄を魔法にかけるのと同じように、不可解な力によって金をおのれの方に引き寄せる。
こうして、ローマ社会において、その後の中世キリスト教世界における磁石と磁力にたいする姿勢、ひいては自然力一般の理解の原型が形成された。その第1は磁石の働きを生物になぞらえて見る視点、第2は磁石には物理的な作用があるだけでなく生理的作用、さらには超自然的(魔力)な能力が備わっているという想念、第3は「共感」と「反感」の組み合わせ、網の目によって自然の働きが成り立っているという自然観の形成である。
中世キリスト教世界
ローマではキリスト教は、当初は下層の民衆のあいだで支持を広げていたが、権力からの迫害を耐え抜き、ローマ帝国の弱体化とともに社会の上層部にも支持者を獲得してゆき、313年、コンスタンティヌス帝の時代に公認され、380年、テオドシウス亭の時代に軍事国家ローマの国教となった。中世キリスト教社会はその後1000年近くにわたってヨーロッパ人の精神に影響を及ぼし続けることになる。この時代、自然現象だけでなく生理学、医学においても迷信や魔術、呪術が信じられ、その実践にキリスト教の衣がまとわされたのである。
アウグスティヌス(354年-430年):鉄による磁力の伝搬の不思議、銀の皿によって磁力が妨げられることなないという不思議について言及。しかしこのような自然の不思議や奇蹟は神の啓示、神の偉大さの顕現であり、有限で脆弱な人間精神のなすべきことは、その理由を解き明かすことではない。人間には、自然に示される神の救済の意志を読み取ることだけが許されるのである。
マルボドゥス(1035-1123):磁石は水腫をおさえ、火傷の痛みを散らすという薬効がある。妻の不貞を見破る能力の他に、争う者どうしを宥め、新婚の夫婦に愛を授け、弁舌に説得力を与える。また泥棒は家に忍び込むときに磁石の粉末を焼べ、出てくる煙をその家に家れる。そうすると住人の魂が家の外に出てしまうので、泥棒は屋内で自由に物色できるようになる。
ヒルデガルト(1098年-1179年):磁石は鉄を産出する土地で培われた毒によって凝固し、そのため鉄色をしていて自然に鉄を引き付けるのである。正気を失ったり幻影に悩まされたりしているなら、磁石に唾液を塗り、その石を頭頂部と前額部にこすりつけて次のように唱えなさい。「おお汝、猛威をふるう悪邪よ、天国から堕ちた悪魔の力を転化して人間を善くしたもう神の徳を認めよ。」そうすると正気に戻るであろう。
アルベルトゥス・マグヌス(1193年頃-1280年):ニンニクを塗り付けると磁石は鉄を引き寄せなくなる。またダイヤモンドが磁石の上に置かれたならば、その磁石は鉄を引き寄せなくなる。磁石は呪文や魔術とともに使用されたならば、驚くべき幻影をもたらす。蜂蜜に磁石を混ぜると水腫に効く。磁石は婦人が不貞かどうかを見分ける。
魔術的とも呪術的ともいうべき色彩のまつわりついていた中世ヨーロッパ人に磁力についての理解は13世紀に大きな転換を迎える。それはドミニコ会修道僧のトマス・アクィナス、最初の実験物理学の論文ともいうべき『磁気書簡』を著したペトロス・ペレグリヌス、「経験学」の創始者と称されるイギリス人フランチェスコ会修道僧ロジャー・ベーコンの3人によってもたらされた。この時代には磁石の指向性が発見され航海用のコンパス(磁気羅針盤)が使われるようになった。
またこの時代にヨーロッパは東方世界と接触し始めていた。古代ギリシャの科学と哲学は東方のイスラームおよびビザンツ世界に伝えられ、長い期間研究されていた。ヨーロッパでは失われていたこれらの学問、とりわけアリストテレスの諸著作がヨーロッパで再発見され、各地の僧院でギリシャ語やアラビア語からラテン語への翻訳が行われたのである。それだけでなくイスラーム世界で発展した高水準の天文学や数学も中世のキリスト教世界にもたらされた。そして神学に従属する学問とされていた哲学が1255年、トマス・アクィナスの時代にパリ大学がアリストテレスのほとんどの著作を講義に取り入れることを公式に決定し、神学とは独立に哲学の真理を語ることができるようになった。これはキリスト教世界の知が分裂し始めたことを意味している。
マイケル・スコット(1175年頃-1235年):磁石はその力でもって鉄をおのれのもとへ引き寄せる。北の山の彼方の地を指す磁石や南の山の彼方の地を指す磁石もある。磁石を用いれば、針で北極星がどこにあるかがわかる。(磁石の指向性についての言及)
トマス・アクィナス(1225年頃-1274年):アリストテレス哲学を引き継ぎ、それを発展させた。磁石の作用をもアリストテレスの枠組みで捉えたにとどまらず、磁石の特異な作用をもたらす原理は磁石の自然本性であり、形相である。そして磁石が鉄を引き寄せるのはある種の天界の力を分かち持つからである。(注釈:もちろん彼の理解は間違っているが、重要な点は神の啓示とは独立に磁力の起源を主張していることである。また魔術的な要素が排除されていることも重要である。)
ロジャー・ベーコン(1214年-1294年):「経験学」の創始者である。物事を理解するために経験や実験、数学を重視した。磁力については近接作用として空気を媒質として伝搬することを主張している。またすべての磁石には東西南北に区別される部分がある。(磁石の指向性)磁石が北を向くのは北極星によるものではなく、東西南北という天球の「場所」によるものである。(注釈:この時代はまだ天動説で、地球の周りを巨大な天球が回転していると考えられていた。)
ペトロス・ペレグリヌス(13世紀フランスの科学者。1269年に磁気の性質についての著書『磁気書簡』を著した。):彼が発見したことは以下のとおりである。
1)天然磁石を球形に整形すると「北極」と「南極」が現れる。この2つの極は球の反対側に位置している。これは天球に類似している。(磁石の極性の発見)
2)鉄の針や細長い鉄辺に磁石をこすりつけて磁化させる。その鉄は指北性、指南性を示す。また天然磁石そのものも指北性、指南性を示す。(磁石の指向性の確認)
3)天然磁石は切断しても南北の極を切り離すことはできない。2つに分割された磁石はそれぞれ北極と南極をもつ。
4)天然磁石の北極と北極、南極と南極は反発し合い、北極と南極は引き合う。
ペレグリヌスが実験でこれらのことを確認したことは明らかである。このように中世キリスト教世界の最後になって、はじめて人類は磁石について現代の小学生程度の知識を獲得することができたのだ。
300ページを超える第1巻のうち、磁石に関しての記述のうち一部だけを取り出して紹介したが、本書ではそれぞれの人物がそのように考えるようになった背景、その他の自然現象についての理解、ヨーロッパが政治的、宗教的にどのように変遷していったかなどが解説されている。
現代からみれば眉唾な理論、役に立たないことばかりであるが読み応えは十分にある。ぜひお読みいただきたい。
「磁力と重力の発見〈1〉古代・中世:山本義隆」
「磁力と重力の発見〈2〉ルネサンス:山本義隆」
「磁力と重力の発見〈3〉近代の始まり:山本義隆」
読み合わせに最適な小説:
「磁力と重力の発見〈1〉古代・中世:山本義隆」と読み合わせるのに格好な小説がある。中世キリスト教世界の章に至って、僕はむかし映画で見たウンベルト・エーコの「薔薇の名前」を思い出した。修道僧の連続怪死事件の舞台となる中世イタリアの僧院や修道僧の生活、その背景にあるローマ教皇と神聖ローマ帝国皇帝との関係、キリスト教各派の教義の違い、当時の社会構造など「磁力と重力の発見」の第1巻で解説されている事柄や人物が描かれている。
実際、この小説の中の僧院には巨大で秘密めいた文書館があり、また「写字室」ではあり40人ほどの修道僧が、イスラーム世界から再輸入されたアリストテレスの著作のラテン語への翻訳や写本を行っているシーンが描かれているし、アルベルトゥス・マグヌスやロジャー・ベーコンについて登場人物が言及している箇所もある。
もちろん小説はフィクションだが、併読することで中世キリスト教世界にどっぷり浸ることができ、双方の本がシンクロしてリアリティが増すのだ。フィクションが歴史小説に変わり、魔術的な磁力の効力が現実味を帯びてくる。
小説のほうもぜひお読みになるとよいだろう。
「薔薇の名前〈上〉:ウンベルト・エーコ」
「薔薇の名前〈下〉:ウンベルト・エーコ」
この本や映画の概要はウィキペディアの「薔薇の名前」でお読みになっていただきたい。また1986年にショーン・コネリー主演で公開された映画の予告編の動画は「このリンク」からご覧いただける。
また映画は2/9(火)深夜1:00からWOWOWで放送されるようだ。
薔薇の名前
http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/002551/#intro
番組紹介/解説
難解ともいわれるU・エーコの傑作小説を映画化したミステリー。中世ヨーロッパを舞台に、修道士とその見習いの青年が、修道士たちが連続して殺された怪事件の謎を追う。
キリスト教史や神学論の知識、そしてちりばめられた暗喩の読解力を要し、難解とも評されるエーコの同名小説を「愛人 ラマン」「スターリングラード」のJ=J・アノー監督が映画化したゴシックミステリー。宗教裁判が激化する中世ヨーロッパを舞台に、身近で起きる連続殺人の真相を追う修道士とその見習いの奔走を描く。暗黒と形容されることもある中世という時代を、入念な時代考証によって再現した美術が見もの。主人公の修道士役を演じる名優S・コネリー、見習い修道士役のC・スレイターの熱演も光る。
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「磁力と重力の発見〈1〉古代・中世:山本義隆」
序文
第1章:磁気学の始まり―古代ギリシャ
- 磁力のはじめての「説明」
- プラトンと『ティマイオス』
- プラトンとプルタルコスによる磁力の「説明」
- アリストテレスの自然学
- テオプラストスとその後のアリストテレス主義
第2章:ヘレニズムの時代
- エピクロスと原子論
- ルクレティウスと原子論
- ルクレティウスによる磁力の「説明」
- ガレノスと「自然の諸機能」
- 磁力の原因をめぐる論争
- アプロディシアスのアレクサンドロス
第3章:ローマ帝国の時代
- アイリアノスとローマの科学
- ディオスコリデスの『薬物史』
- プリニウスの『博物誌』
- 磁力の生物態的理解
- 自然界の「共感」と「反感」
- クラウディアヌスとアイリアノス
第4章:中世キリスト教世界
- アウグスティヌスと『神の国』
- 自然物にそなわる「力」
- キリスト教における医学理論の不在
- マルボドゥスの『石について』
- ビンゲンのヒルデガルト
- 大アルベルトゥスの『鉱物の書』
第5章:中世社会の転換と磁石の指向性の発見
- 中世社会の転換
- 古代哲学の発見と翻訳
- 航海用コンパスの使用とはじまり
- 磁石の指向性の発見
- マイケル・スコットとフリードリヒ2世
第6章:トマス・アクィナスの磁力理解
- キリスト教社会における知の構造
- アリストテレスと自然の発見
- 聖トマス・アクィナス
- アリストテレスの因果性の図式
- トマス・アクィナスと磁力
- 磁石にたいする天の影響
第7章:ロジャー・ベーコンと磁力の伝播
- ロジャー・ベーコンの基本的スタンス
- ベーコンにおける数学と経験
- ロバート・グロステスト
- ベーコンにおける「形象の増殖」
- 近接作用としての磁力の伝搬
第8章:ペトロス・ペレグリヌスと『磁気書簡』
- 磁石の極性の発見
- 磁力をめぐる考察
- ペレグリヌスの方法と目的
- 『磁気書簡』登場の社会的背景
- サンタマンのジャン
注
第2巻
第2巻では、従来の力学史・電磁気学史でほとんど無視されてきたといっていいルネサンス期を探る。本書は技術者たちの技術にたいする実験的・合理的アプローチと、俗語による科学書執筆の意味を重視しつつ、思想の枠組としての魔術がはたした役割に最大の注目を払う。脱神秘化する魔術と理論化される技術。清新の気にみちた時代に、やがてふたつの流れは合流し、後期ルネサンスの魔術思想の変質―実験魔術―をへて、新しい科学の思想と方法を産み出すのである。
第9章:ニコラウス・クザーヌスと磁力の量化
第10章:古代の発見と前期ルネサンスの魔術
第11章:大航海時代と偏角の発見
第12章:ロバート・ノーマンと『新しい引力』
第13章:鉱業の発展と磁力の特異性
第14章:パラケルススと磁気治療
第15章:後期ルネサンスの魔術思想とその変貌
第16章:デッラ・ポルタの磁力研究
第3巻
第3巻でようやく近代科学の誕生に立ち会う。霊魂論・物活論の色彩を色濃く帯びたケプラーや、錬金術に耽っていたニュートン。重力理論を作りあげていったのは彼らであり、近代以降に生き残ったのはケプラー、ニュートン、クーロンの法則である。魔術的な遠隔力は数学的法則に捉えられ、合理化された。壮大な前科学史の終幕である。
第17章:ウィリアム・ギルバートの『磁石論』
第18章:磁気哲学とヨハネス・ケプラー
第19章:一七世紀機械論哲学と力
第20章:ロバート・ボイルとイギリスにおける機械論の変質
第21章:磁力と重力―フックとニュートン
第22章:エピローグ―磁力法則の測定と確定