先日の「解析学入門のための教科書談義」に続き、今回も4月から大学に通い始める新入生を意識した記事である。理工系学部の必修科目の線形代数学だ。
現在では「線形代数」と表記するのが一般的だが、これは岩波の数学事典での表記の影響などにより統一されていったそうだ。昔の教科書や昔の表記にこだわりをもっている人は今でも「線型代数」という表記を使っている。
学問としての線形代数学はとても古く連立方程式の解法との関連で1750年頃までに行列式が発見されていたが、行列が意識され始めたのは1850年以降だ。
1916年の一般相対性理論ではアインシュタインが行列を拡張したテンソルを使って計算を進めていたし、量子力学ではハイゼンベルクが行列力学を発表したのが1925年であることからもわかるように20世紀初頭に線型代数は物理学でも使われるようになっていた。
しかし微積分学(解析学)とは異なり、線形代数が日本の大学教育に持ち込まれたのは戦後のことである。以下のPDF史料からわかるように、戦前の旧制高校(現在の大学教養課程)のカリキュラムで線形代数は教えられていない。日本語の教科書もなかったので線形代数を学びたい学生は洋書で学ぶしか手段がなかったことになる。(翌日追記:記事をお読みいただいた「ふくちゃん」からコメント欄を通じて教えていただいたのだが藤原松三郎『代数学(全二巻)』内田老鶴圃という名前の教科書があり、線型代数に通じる内容が含まれていたそうだ。ふくちゃん、ありがとうございました。)
旧制高校について:「近代数学」 と学校数学 (その 2 )旧制高等学校の数学
http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~kyodo/kokyuroku/contents/pdf/1130-16.pdf
それではいつ頃から線形代数が大学で教えられるようになったのだろう?
ネットで調べたり、大先輩の先生方にお話をうかがったところ、次の2つのことがわかった。
- 1960年に山口大学理学部数学科には線形代数の授業がなかった。
- 1963年に東京大学理学部数学科には線形代数の授業があった。
また1965年くらいから日本語の教科書が次々と発売されていることがわかった。おそらく1960年代の前半から大学で教えられるようになったとみるべきだろう。
今回の記事でも世代別にその時代の定番とされている教科書を紹介しよう。線型代数の教科書は理論を重視した難しめのものと、具体的な計算練習を重視した易しめのものに大別されるが、この記事で紹介するのは前者に分類される教科書である。
線形代数を学ぶのは大学教養課程の学生がほとんどだ。その時期に青春時代を過ごす学生が見ていたであろう吉永小百合さん主演の映画を時間軸にとって教科書を紹介することにした。
美しき抵抗(1960)、キューポラのある街(1962)世代
この時代に刊行された日本語の教科書はほとんど見つからなかった。かろうじて見つけることができたのがこの2つである。
「行列と行列式:佐武一郎」- 1958
佐武先生の教科書は現在に至るまで、ずっと読み継がれている名著だ。そのさきがけとなった教科書は1958年に刊行された。実物は見たことがないのだが、アマゾンのレビュー記事によると紙数の都合によりテンソルの解説を含めることができなかったそうである。
「線型代数学 2分冊 :ア・イ・マリツェフ」- 1960, 1961