「福島の原発事故をめぐって― いくつか学び考えたこと:山本義隆」(Kindle版)
内容紹介:
「まえがき」より
事故発生以来、日本の原発政策を推進してきた電力会社と経済産業省(旧通産省)と東京大学工学部原子力工学科を中心とする学者グループ、そして自民党の族議員たちからなる「原子力村」と称される集団の、内部的には無批判に馴れ合い外部的にはいっさい批判を受け入れない無責任性と独善性が明るみにひきだされている。
学者グループの安全宣伝が、想定される過酷事故への備えを妨げ、営利至上の電力会社は津波にたいする対策を怠り、これまでの事故のたびに見られた隠蔽体質が事故発生後の対応の不手際をもたらし、これらのことがあいまって被害を大きくしたことは否めない。その責任は重大であり、しかるべくその責任を問わなければならない。
本質的な問題は、政権党(自民党)の有力政治家とエリート官僚のイニシアティブにより、札束の力で地元の反対を押しつぶし地域社会の共同性を破壊してまで、遮二無二原発建設を推進してきたこと自体にある。
一刻もはやく原発依存社会から脱却すべきである―原発ファシズムの全貌を追い、容認は子孫への犯罪であると説いた『磁力と重力の発見』の著者、書き下ろし。
2011年8月刊行、114ページ
著者について:
山本義隆(やまもとよしたか)
1941年大阪生まれ。大阪府出身。大阪市立船場中学校、大阪府立大手前高等学校卒業。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。 東京大学大学院博士課程中退。
1960年代、学生運動が盛んだったころに東大全共闘議長を務める。1969年の安田講堂事件前に警察の指名手配を受け地下に潜伏するが、同年9月の日比谷での全国全共闘連合結成大会の会場で警察当局に逮捕された。日大全共闘議長の秋田明大とともに、全共闘を象徴する存在であった。
学生時代より秀才でならし、大学では物理学科に進んで素粒子論を専攻した。大学院在学中には、京都大学の湯川秀樹研究室に国内留学しており、物理学者としての将来を嘱望されていたが、学生運動の後に大学を去り、大学での研究生活に戻ることはなかった。
その後は予備校教師に転じ、駿台予備学校では「東大物理」などのクラスに出講している。一方で科学史を研究しており、当初エルンスト・カッシーラーの優れた翻訳で知られたが、後に熱学・熱力学や力学など物理学を中心とした自然思想史の研究に従事し今日に至っている。遠隔力概念の発展史についての研究をまとめた『磁力と重力の発見』全3巻は、第1回パピルス賞、第57回毎日出版文化賞、第30回大佛次郎賞を受賞して読書界の話題となった。
山本義隆: ウィキペディアの記事 Amazonで著書を検索
鹿児島県の川内原発1号機が今月11日に再稼動し、来月10日に営業運転を始めるそうなので、原発についてもう一度考えてみようと思って「原子・原子核・原子力―わたしが講義で伝えたかったこと:山本義隆」を読んで紹介したが、引き続き同じ著者の本書を読んでみた。こちらは数式なしの本なので広く一般の方にお読みいただける。
本の内容紹介では自民党の族議員、通産省、学会、民間企業からなる「原子力村」と呼ばれる集団による無責任性と独善性が強調されているが、それはあくまで本書の最後の数ページに結論として書かれていることだ。本書全体の印象とは異なっている。
その結論に至るまでに、むしろ本書で主張されていることは次のような事がらである。
- 原子力技術は原爆を開発するために極めて短期間に進められた未熟な技術であること。
- 原発は「原子力の平和利用」をスローガンにした戦後アメリカの政策の延長にあること。
- 「平和利用」とは軍事目的と表裏一体であること。
- 日本は一流国とみなされるために「原子力発電所を開発運用する技術」、「ロケット開発技術」を保持し軍事転用できる可能性を保持しておく必要があること。
- 日本(そして他の国においても)原子力発電所のような巨大で複雑な装置は安全性を確保する形で建造することが現代の技術をもってしても不可能なこと。
- いくつもの企業の下請け構造の中で問題点は無視され、隠蔽されてきたこと。
- 設計から建設、稼動、点検、修理のあらゆるプロセスで事故や人為的ミスが発生していること。(つまり安全基準をいかに高く設定しようと、事故は防げないこと。)
- 「日本の優れた技術力」というのは、部品や発電所のそれぞれの部分を製造する技術についてであり、原発全体の安全性はほとんど確認できていないこと。
- 修理の際にも原発を停止することは認められず、作業員を命の危険にさらして作業を強いていること。(原発を停止すると1日数億円の損害が生じるため。)
これが1970年代から1990年代にかけてつぎつぎに建設され、稼動していた原発の実態だと思うとぞっとする。
東日本大震災から昨年までNHKスペシャルではたびたび福島第一原発でおきていた新事実が明らかにされ、そのたびに驚きと絶望感に襲われてきたのだが、それらはあくまでこの原発についてのこと、巨大地震や津波に関連しての内容である。日本中の原発の信頼性そのものに疑問を投げかける放送はされていなかった。
本書のタイトルは「福島の原発事故をめぐって」であるが、それにとどまらず日本の原子力政策全体の罪を過去にさかのぼって告発する本なのだ。
よく耳にする次のような反論に対して、山本先生は次のようにお書きになっている。
- 科学技術にリスクはつきもの。原発から得られる利益はリスクをもってしても余りある。リスクを恐れずに進むのが人類のとるべき道だ。
山本先生のお考え:それは核エネルギー以前の科学技術に対して認められることだ。放射線被害は将来の何世代に渡って甚大な負の遺産を子孫に残すのでリスク以前の人道的、倫理的問題である。また原発の場合、発電所周辺の住民がリスクをとり、利益を受けるのは都市部の企業や住民なので、その論理は当てはまらない。
- 原発を廃止すれば、電力不足、電力料金の値上げによる経済活動への悪影響がある。
山本先生のお考え:放射性廃棄物の危険性、安全保管が不可能である以上、多少の不便や不利益は耐えるべきである。特に日本はこれから人口減少社会を迎え、エネルギー需要は減っていくのだから経済活動を支えるだけの原発に頼らずとも電力はじゅうぶん足りる。
- 原子力発電はクリーンなエネルギーである。
山本先生のお考え:とんでもない誤解だ。原発を稼動することにより燃料に使ったウランとほぼ同量の「死の灰」と呼ばれる核のゴミ(断片)を排出し、海洋を汚染し、将来数十万年に渡って地球を汚染し続ける。原発設備点検ののときでも多量の放射性廃棄物を排出する。放射性廃棄物を処理するために多量の電力、つまり石油を必要とする。
鹿児島県の川内原発1号機の営業運転を直前に控えた今、もう一度この問題を考えていただきたいと僕は思うのだ。本編は94ページで余白も広くとってあるので2~3時間あれば読めると思う。ぜひお買い求めになっていただきたい。
ご注意: 今日の記事は人によって考え方、感じ方が大きく分かれるセンシティブなテーマなので、内容によってはいただくコメントの公開を承認しないことがありますのでご注意下さい。
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原子・原子核・原子力―わたしが講義で伝えたかったこと:山本義隆
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新・物理入門(増補改訂版):山本義隆
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熱学思想の史的展開〈1〉:山本義隆
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熱学思想の史的展開〈2〉:山本義隆
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熱学思想の史的展開〈3〉:山本義隆
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/c4f5c84e9854ddd2e60a1300044c9efc
発売情報: 世界の見方の転換 1~3: 山本義隆
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/0847cdea93a530854efbbb325ab5c147
知ろうとすること。(新潮文庫): 早野龍五、糸井重里
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/a4ef77bfa321388003c87214d7367b3d
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「福島の原発事故をめぐって― いくつか学び考えたこと:山本義隆」(Kindle版)
はじめに
第1章:日本における原発開発の深層底流
- 原子力平和利用の虚妄
- 学者サイドの反応
- その後のこと
第2章:技術と労働の面から見て
- 原子力発電の未熟について
- 原子力発電の隘路
- 原発稼動の実態
- 原発の事故について
- 基本的な問題
第3章:科学技術幻想とその破綻
- 十六世紀文化革命
- 科学技術の出現
- 科学技術幻想の肥大化とその行く末
- 国家主導科学の誕生
- 原発ファシズム
註
あとがき
内容紹介:
「まえがき」より
事故発生以来、日本の原発政策を推進してきた電力会社と経済産業省(旧通産省)と東京大学工学部原子力工学科を中心とする学者グループ、そして自民党の族議員たちからなる「原子力村」と称される集団の、内部的には無批判に馴れ合い外部的にはいっさい批判を受け入れない無責任性と独善性が明るみにひきだされている。
学者グループの安全宣伝が、想定される過酷事故への備えを妨げ、営利至上の電力会社は津波にたいする対策を怠り、これまでの事故のたびに見られた隠蔽体質が事故発生後の対応の不手際をもたらし、これらのことがあいまって被害を大きくしたことは否めない。その責任は重大であり、しかるべくその責任を問わなければならない。
本質的な問題は、政権党(自民党)の有力政治家とエリート官僚のイニシアティブにより、札束の力で地元の反対を押しつぶし地域社会の共同性を破壊してまで、遮二無二原発建設を推進してきたこと自体にある。
一刻もはやく原発依存社会から脱却すべきである―原発ファシズムの全貌を追い、容認は子孫への犯罪であると説いた『磁力と重力の発見』の著者、書き下ろし。
2011年8月刊行、114ページ
著者について:
山本義隆(やまもとよしたか)
1941年大阪生まれ。大阪府出身。大阪市立船場中学校、大阪府立大手前高等学校卒業。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。 東京大学大学院博士課程中退。
1960年代、学生運動が盛んだったころに東大全共闘議長を務める。1969年の安田講堂事件前に警察の指名手配を受け地下に潜伏するが、同年9月の日比谷での全国全共闘連合結成大会の会場で警察当局に逮捕された。日大全共闘議長の秋田明大とともに、全共闘を象徴する存在であった。
学生時代より秀才でならし、大学では物理学科に進んで素粒子論を専攻した。大学院在学中には、京都大学の湯川秀樹研究室に国内留学しており、物理学者としての将来を嘱望されていたが、学生運動の後に大学を去り、大学での研究生活に戻ることはなかった。
その後は予備校教師に転じ、駿台予備学校では「東大物理」などのクラスに出講している。一方で科学史を研究しており、当初エルンスト・カッシーラーの優れた翻訳で知られたが、後に熱学・熱力学や力学など物理学を中心とした自然思想史の研究に従事し今日に至っている。遠隔力概念の発展史についての研究をまとめた『磁力と重力の発見』全3巻は、第1回パピルス賞、第57回毎日出版文化賞、第30回大佛次郎賞を受賞して読書界の話題となった。
山本義隆: ウィキペディアの記事 Amazonで著書を検索
鹿児島県の川内原発1号機が今月11日に再稼動し、来月10日に営業運転を始めるそうなので、原発についてもう一度考えてみようと思って「原子・原子核・原子力―わたしが講義で伝えたかったこと:山本義隆」を読んで紹介したが、引き続き同じ著者の本書を読んでみた。こちらは数式なしの本なので広く一般の方にお読みいただける。
本の内容紹介では自民党の族議員、通産省、学会、民間企業からなる「原子力村」と呼ばれる集団による無責任性と独善性が強調されているが、それはあくまで本書の最後の数ページに結論として書かれていることだ。本書全体の印象とは異なっている。
その結論に至るまでに、むしろ本書で主張されていることは次のような事がらである。
- 原子力技術は原爆を開発するために極めて短期間に進められた未熟な技術であること。
- 原発は「原子力の平和利用」をスローガンにした戦後アメリカの政策の延長にあること。
- 「平和利用」とは軍事目的と表裏一体であること。
- 日本は一流国とみなされるために「原子力発電所を開発運用する技術」、「ロケット開発技術」を保持し軍事転用できる可能性を保持しておく必要があること。
- 日本(そして他の国においても)原子力発電所のような巨大で複雑な装置は安全性を確保する形で建造することが現代の技術をもってしても不可能なこと。
- いくつもの企業の下請け構造の中で問題点は無視され、隠蔽されてきたこと。
- 設計から建設、稼動、点検、修理のあらゆるプロセスで事故や人為的ミスが発生していること。(つまり安全基準をいかに高く設定しようと、事故は防げないこと。)
- 「日本の優れた技術力」というのは、部品や発電所のそれぞれの部分を製造する技術についてであり、原発全体の安全性はほとんど確認できていないこと。
- 修理の際にも原発を停止することは認められず、作業員を命の危険にさらして作業を強いていること。(原発を停止すると1日数億円の損害が生じるため。)
これが1970年代から1990年代にかけてつぎつぎに建設され、稼動していた原発の実態だと思うとぞっとする。
東日本大震災から昨年までNHKスペシャルではたびたび福島第一原発でおきていた新事実が明らかにされ、そのたびに驚きと絶望感に襲われてきたのだが、それらはあくまでこの原発についてのこと、巨大地震や津波に関連しての内容である。日本中の原発の信頼性そのものに疑問を投げかける放送はされていなかった。
本書のタイトルは「福島の原発事故をめぐって」であるが、それにとどまらず日本の原子力政策全体の罪を過去にさかのぼって告発する本なのだ。
よく耳にする次のような反論に対して、山本先生は次のようにお書きになっている。
- 科学技術にリスクはつきもの。原発から得られる利益はリスクをもってしても余りある。リスクを恐れずに進むのが人類のとるべき道だ。
山本先生のお考え:それは核エネルギー以前の科学技術に対して認められることだ。放射線被害は将来の何世代に渡って甚大な負の遺産を子孫に残すのでリスク以前の人道的、倫理的問題である。また原発の場合、発電所周辺の住民がリスクをとり、利益を受けるのは都市部の企業や住民なので、その論理は当てはまらない。
- 原発を廃止すれば、電力不足、電力料金の値上げによる経済活動への悪影響がある。
山本先生のお考え:放射性廃棄物の危険性、安全保管が不可能である以上、多少の不便や不利益は耐えるべきである。特に日本はこれから人口減少社会を迎え、エネルギー需要は減っていくのだから経済活動を支えるだけの原発に頼らずとも電力はじゅうぶん足りる。
- 原子力発電はクリーンなエネルギーである。
山本先生のお考え:とんでもない誤解だ。原発を稼動することにより燃料に使ったウランとほぼ同量の「死の灰」と呼ばれる核のゴミ(断片)を排出し、海洋を汚染し、将来数十万年に渡って地球を汚染し続ける。原発設備点検ののときでも多量の放射性廃棄物を排出する。放射性廃棄物を処理するために多量の電力、つまり石油を必要とする。
鹿児島県の川内原発1号機の営業運転を直前に控えた今、もう一度この問題を考えていただきたいと僕は思うのだ。本編は94ページで余白も広くとってあるので2~3時間あれば読めると思う。ぜひお買い求めになっていただきたい。
ご注意: 今日の記事は人によって考え方、感じ方が大きく分かれるセンシティブなテーマなので、内容によってはいただくコメントの公開を承認しないことがありますのでご注意下さい。
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はじめに
第1章:日本における原発開発の深層底流
- 原子力平和利用の虚妄
- 学者サイドの反応
- その後のこと
第2章:技術と労働の面から見て
- 原子力発電の未熟について
- 原子力発電の隘路
- 原発稼動の実態
- 原発の事故について
- 基本的な問題
第3章:科学技術幻想とその破綻
- 十六世紀文化革命
- 科学技術の出現
- 科学技術幻想の肥大化とその行く末
- 国家主導科学の誕生
- 原発ファシズム
註
あとがき