先週イギリス人の友達の観光に付き合っている間に、我が家ではとんでもないことがおきていた。
同居している父がまったく歩けなくなっていたのだ。それも突然に。。。
僕がそのことを知ったのは火曜日に会社から帰宅して夕食をとろうとしていたときだ。父がこないので母に聞くと、父は急に腰が痛み出して昼間病院に行ったのだという。ぎっくり腰なのかと聞くと、思い当たるふしはないらしい。
2月下旬から仕事がとても忙しくなっているから、16年ぶりに来日した友達との東京観光も平日の夜2回と週末しかできていなかった。だから僕は毎晩遅い時間に帰宅していて、家族の異変に気付けなかったのだ。
痛みが激しく自力で歩くのが困難な状態なのだという。これは大変なことになったと、すぐさま父のいる部屋へ様子を見に行った。
地元の病院までは1Kmくらいある。タクシーを拾える場所までは家から300メートルくらい。いったどうやって病院まで往復したのだろう?
夜になっても父はまだ動揺していて、昼間のことを説明してもらったのだがよくわからなかった。ともかく行きも帰りも大変な思いをしていたことだけは、しどろもどろに話す父の様子でわかった。
もともと父は中学、高校時代に野球の選手をしていた体育会系。ここ数年は家で飼っている中型犬の散歩をさせるだけでなく、引き取り手のいない犬を世話する団体に行き、週3回ほど犬に散歩をさせるボランティアをしていた。運動不足解消や老化防止にも役立っているのだと僕は思っていた。
それが突然である。
幸い僕が勤めている会社は在宅勤務制度があるので月水金は家で仕事をしている。裁量労働制ということもあり勤務時間もある程度自由がきく。だから父が通院するときはクルマで送ることができる。
翌朝は父と母を乗せて地元の病院へ行き、紹介状を受け取ってから4Km離れた新宿の総合病院に入院することにした。
これで少しは父も安心できるだろうと日中は家で仕事をしていたのだが、夕方になると父は帰ってきたのだ。ベッドがいっぱいで入院できなかったのだという。家へはタクシーの運転手さんに手伝ってもらって入ったのだそうだ。とりあえずその日はMRIの撮影をしただけだという。
いま住んでいるのは2002年に新築した家だ。父は昭和10年生まれで80歳、母は2歳年上である。いずれ在宅介護をする日がくるのが見えていたので、バリアフリーの設計で建てていた。昨年は3月に母が1ヶ月入院し、そろそろ親の介護のことを真面目に考えなければと思っていた。母のほうが父よりもずっと体力の衰えが進んでいたので、要介護になるのは母のほうが先になるのだろうと僕は思っていた。
ところがである。いつ何がおこるかわからない。
病名はMRIの結果でこれから判断するのだそうだが、父の予想では「坐骨神経痛」だという。高齢者の坐骨神経痛の原因はほとんどの場合「老化」なのだそうだ。脚が麻痺するのは病状が重いケースで、ときに手術も必要になるという。
豪快で鷹揚な(そしてときに気を荒げることもある)父の強気な性格はまったく失せてしまった。赤ちゃんのようにハイハイして移動する父を見るのはすごく痛々しい。
介護サービスはあるけれど、まだその段階ではない。昔のように定期的に往診してくれる医者がいないのは心細いものだ。
昨夜午前3時頃、トイレに行ったところ、なぜか電灯(LED)はつけっぱなし、ドアも開けっ放しだったので僕は不思議に思った。でもドアノブや電灯のスイッチの位置が高すぎて父は手が届かなかったからそうしてるのだと気がついた。
これからは夜間、トイレの電灯はつけておき、ドアも閉めないようにしておかなければならない。うっかり閉まってしまうときに備えて、ノブにひもをつけて垂らしておくことにした。トップの掲載写真はそういうことである。
父の病気が治るのかどうか、これからどういう経過をたどるのか見当がつかないが、気を引き締めてサポートしていこうと思う。
明日の朝も、新宿の病院へ通院である。
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翌日に追記:
父は手術を受けるために3月20日に入院することになった。それまではベッドが空かないそうだ。入院の日までは通院しないで自宅で安静にして過ごす予定。
正式な病名は「腰部脊柱管狭窄症」だそうだ。
昨年は母が3月20日から1ヶ月間入院していたのだが、奇しくも入院日が一致することになった。
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