「探究する精神 職業としての基礎科学:大栗博司」(Kindle版)
内容紹介:
自然界の真理の発見を目的とする基礎科学は、応用科学と比べて「役に立たない研究」と言われる。しかし歴史上、人類に大きな恩恵をもたらした発見の多くが、一見すると役に立たない研究から生まれている。そしてそのような真に価値ある研究の原動力となるのが、自分が面白いと思うことを真剣に考え抜く「探究心」だ――世界で活躍する物理学者が、少年時代の本との出会いから武者修行の日々、若手研究者の育成にも尽力する現在までの半生を振り返る。これから学問を志す人、生涯学び続けたいすべての人に贈る一冊
2021年3月25日刊行、328ページ。
著者について:
大栗博司(おおぐりひろし)
1962年生まれ。東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構機構長。カリフォルニア工科大学フレッド・カブリ冠教授およびウォルター・バーク理論物理学研究所所長。アスペン物理学センター前所長。京都大学大学院 修士課程卒業後、東京大学理学部助手、プリンストン高等研究所研究員を経て、1989年東京大学理学博士号。シカゴ大学助教授、京都大学数理解析研究所助教授、カリフォルニア大学バークレイ校教授を歴任。2000年にカリフォルニア工科大学に移籍し、現在に至る。紫綬褒章、アメリカ数学会 アイゼンバッド賞、ドイツ連邦共和国フンボルト賞、ハンブルク賞、仁科記念賞、米国サイモンズ賞、中日文化賞などを受賞。アメリカ芸術科学アカデミーとアメリカ数学会のフェロー。科学監修を務めた3D映像作品『9次元からきた男』は、国際プラネタリウム協会最優秀作品賞を受賞。著書に『重力とは何か』、『強い力と弱い力』、佐々木閑氏との共著『真理の探究』(いずれも幻冬舎新書)、『数学の言葉で世界を見たら』(幻冬舎)、『大栗先生の超弦理論入門』(ブルーバックス、講談社科学出版賞受賞)、『素粒子論のランドスケープ1・2』(数学書房)などがある。
HP: https://ooguri.caltech.edu/japanese
Blog: https://planck.exblog.jp/
Twitter: @PlanckScale
理数系書籍のレビュー記事は本書で454冊目。
大栗先生が本をお書きになったのは久しぶりだ。今回はブルーバックスではなく幻冬舎新書である。ツイッターで本のことを知り、発売されるのを心待ちにしていた。
理論物理学の解説書ではなく、科学者になるまでの先生の生い立ち、好奇心や探究心、学ぶことの大切さ、基礎科学の意義を語っている本である。
「はじめに」に書かれている大栗先生に降りかかった異変に驚いたが、乗り越えられたということで一安心である。(先生に何がおきていたかは本書でお読みいただきたい。)50代になると体にいろいろ異変がおきるものだと60代半ばの従姉が言っていたことを思い出した。
回顧録を書くには先生は若すぎる。しかし、コロナが全世界的に猛威をふるい、いつ命を落とすかわからない世の中、日本にとっても東日本大震災以来の危機である。いつもお忙しい先生が幻冬舎の担当編集者、小木田さんの提案を受け入れ、本書を執筆されたのはそのような背景があったのだろうし、回顧だけでなく東日本大震災後に先生が自問された基礎科学の意義を伝えることの必要性を再びお感じになったからである。今がそのタイミングだったのだ。
以下、本書の流れを僕なりにまとめてみた。詳細目次は大栗先生のブログのこの記事に書かれているので、そちらを参照していただきたい。
第1部 知への旅の始まり
1 考える楽しさ
小学生から高校生までのことが書かれている。展望レストランから地球の大きさを見積もったこと、自由書房という地元の書店、ブルーバックス、万有百科大事典がその後の人生を決める大きなきっかけになった。
2 考え方を鍛える
大学受験から大学時代について書かれている。哲学との出会い、物理学・数学の歴史、受験参考書、なぜ東大ではなく京大を選んだか、なぜ医学部ではなく理学部を選んだか、ファインマンの物理学、理論物理学教程、文章の書き方、英会話習得など。
3 物理学者たちの栄光と苦悩
20世紀の量子力学発展史をたどりながら、原爆や戦争に利用されてきた物理学の歴史、科学者の責任と倫理、日本の原爆研究、仁科・朝永、湯川博士らの研究・戦争とのかかわりを解説している。
第2部 武者修行の時代
大学院以降、研究者としてのスタートを切った頃の話が中心。場の量子論を何度も勉強したこと、米国留学するか東大の助手になるか、韓国やインドへの出張、プリンストン高等研究所、シカゴ大学への転職、博士論文、南部陽一郎先生、おもちゃの弦理論、BCOV理論(トポロジカルな弦理論)など。
第3部 基礎科学を育てる
研究生活の続きと大学や研究所の運営者、責任者としての話。米国でのキャリア再挑戦、第2次超弦理論革命、カリフォルニア工科大学への移籍、アスペン物理学センター、IPMU誕生からカブリ冠研究所へ、コロナが基礎科学に与える影響、世界の動きに乗り遅れている日本など。
第4部 社会にとって基礎科学とは何か
東日本大震災を契機に、基礎科学という浮世離れした研究をしている意味があるのかと大栗先生は自問した時期があったそうだ。科学の発見は善でも悪でもない。そしてそれは役に立つのかどうかまったくわからない。むしろ害になることもある。科学の歴史をたどりながらその発展にとって何が重要かを考える。そして最後に現代の社会における科学の意義についてお考えを述べている。
さて、感想を書かせていただこう。
第1部 知への旅の始まり
僕は大栗先生とたまたま同年齢、同学年だ。科学者(天文学者)になりたいという夢を持っていたから、小学生から大学入試まで、先生と自分がどう違っていたのか書くことで、好奇心に満ちていた幼少期から青年期の先生のお姿を知っていただきたい。
科学への目覚めという点について、いちばん違っていたのは、自由書房という複数のフロアがある大きな書店で先生が小学生のときに科学書を自由に閲覧していたことだ。小学生にとって徒歩で行ける範囲に書店があるのはとても大事だと気がついた。僕の場合、地元の駅前に紀伊國屋書店笹塚店(中型規模の店舗)ができたのは中学2年の終わりで、科学を一般の市民向けに解説する「講談社ブルーバックス・シリーズ」とはその書店で出会うことになる。
小学生の頃、地元の商店街にあったのは個人経営の書店が2店舗だけだった。毎月「月刊天文ガイド」を買いに行ったし、学習参考書もそこで買ったが、レジで店主の母親のおばあちゃんが睨みをきかせていたから自由に立ち読みできる雰囲気ではなかった。もちろん個人経営の店に、ブルーバックスはおろか科学書はほとんど置かれていない。
幸い中野駅や新宿駅へのアクセスがよい地域に住んでいたので、中野ブロードウェイにある明屋書店(中型規模)や新宿の紀伊國屋書店(本店、大型規模)へはバスや京王線で簡単に行ける。しかし、小学生は何か目的がないと交通機関は利用しない。これらの店舗へはよほど欲しい本があるときだけ行っていた。そして目的の本を買ったらすぐ店を出ていたことを思い出した。大きな図書館へ行くにはバスに乗らなければならなかったし、子供用の図書館は大人用と区別され別室になっていた。特定のテーマについて好奇心にかられた小学生が「難しい本」を立ち読みできるようにするためには、気軽に行ける場所に中型や大型の書店や広い図書館があることが重要なのだ。都会に住んでいたにも関わらず、僕は大栗先生より不利な状況だった。
Amazonをはじめ、ネットで利用できる書店は絶版の本も検索できるからとても便利である。しかし、そのために個人で経営している書店はほとんど無くなり、大型書店をかかえるチェーン店でさえ閉店する店舗がでてきている。(自由書房も例外ではない。)好奇心旺盛な子供の知識欲を満たし、探究心へ育てるためには親が買い与える本だけではだめだ。親が学者やインテリ(死語かな?)でない限り、家に難しめの本は置かれていないと思う。子供の目に触れる場所に知的好奇心を喚起する大人向けの紙の本(電子書籍ではだめ)を常備しておくのは、今後の日本の知力と経済力を支える大切な要件だと思った。ちなみに大栗先生が小学生のときに読んだのは分野別に巻が分かれていて大人向けの「万有百科大事典(メルカリで検索)」であり、そのころ僕が読んでいたのは親から買い与えられた学研の五十音順「学習こども百科(写真)」である。この百科事典には「空間が曲がる」ことや「時間の進み方が遅くなる」ことは書かれていなかった。
そして大栗先生が理論物理学者への道を進むきっかけになったのが、小学生のときに読んだ2冊のブルーバックス本である。中身が気になったので中古本を買ってみた。現在のブルーバックスだと3~5冊になりそうなほど話題がてんこ盛りで小さな活字がぎっしり詰まっている。これを小学生のときに理解できたのだから、さすがだと思った。
「はたして空間は曲がっているか―誰にもわかる一般相対論:都筑卓司」-1972
目次1 目次2
「マックスウェルの悪魔―確率から物理学へ:都筑卓司」-1970
目次1 目次2 目次3 目次4
なお、「マックスウェルの悪魔」のほうは、2002年に活字を現代のものにした新装版が刊行されている。内容は1970年の版と同じだ。
「新装版 マックスウェルの悪魔―確率から物理学へ:都筑卓司」(Kindle版)
取り寄せた本は状態がよい。近いうちに読んでみよう。
拡大
僕がブルーバックスを知ったのは中学2年のときだ。主に天文学系の本を数冊買って読んでいたが、アインシュタインの相対性理論を知ったのは、この本が最初である。しかし、当時の僕の関心は太陽系内に限られていて、ブラックホールやビッグバン、宇宙誕生の謎、とてつもないテーマだから研究の意義の理解と興味の限界を超えていた。僕は月や惑星を観測したり、軌道計算をするほうが好きだったのだ。
「アインシュタインの世界―物理学の革命:L.インフェルト」-1975
本書には、周囲から医学部受験を勧められていたが、大栗先生は物理学を学びたいという気持が固まっていたから理学部を受験したことが書かれている。同じことは僕にもあてはまっていた。大学付属の私立高校に通っていたが、付属高の全国統一試験の理系で1位をたまたまとったからだ。担任の先生からは医学部受験を勧められた。当時の僕は国立大(実は京大理学部)を受験し、天文学者になりたいと思っていたから医学部受験などまったく考えられなかった。しかし、共通一次試験の社会科の教科を甘くみてしまい、おまけに2次試験は京都の底冷えのする冬を知らず健康管理に失敗し、風邪をひいた状態で試験に臨んでいた。その結果、私立大学で数学(応用数学)を専攻することになったわけである。(共通一次試験では、倫理・社会と世界史、物理と地学を選択していた。)
大栗先生はご自身が育った地域を「田舎」だとお書きになっているが、1970年代後半の岐阜市がどれくらい田舎だったのか、僕には想像がつかない。先生が卒業された高校は進学校だから当時でも受験対策はしっかり行われていたのだろう。大都市には予備校や塾がたくさんあったが、地方都市にはそれらがほとんどなかった。代ゼミの札幌校が開校し、地球物理学者の竹内均先生が初代校長になったのは、大栗先生や僕が高校を卒業した1981年である。(そして竹内先生が初代編集長として科学月刊誌『Newton』を創刊されたのも、その年の夏である。)
小学校から大学までストレートに進学された大栗先生であるが、学習塾や予備校(あるいは受験対策のための学校)のことをお書きになっていないことに後から気がついた。現在ではそれらに通わないと東大や京大に合格するのは、ほぼ無理である。大都市と地方都市の学習環境の不公平を是正するために、旺文社は「大学受験ラジオ講座」を毎晩放送していたのが僕たちの時代だ。このラジオ講座については「寺田文行先生の「数学の鉄則」シリーズ」というブログ記事の最後のほうで音源を聴けるようにしておいた。現在は塾や予備校の授業もオンラインで受講できるようになったから、大都市と地方都市の学習機会の格差はかなり改善されていると思う。
大栗先生には朝日カルチャーセンター(新宿教室)で開催された「重力の不思議(ブログ記事)」を受講し、初めてお目にかかって以来、何度か講座・講演会に参加させていただいた。今になって思うと、この講座が開催されたのは東日本大震災の翌年で、先生が基礎科学の意義を一般市民に伝えることを実践され始めた頃だと気がついた。市民向け講座でのアウトリーチは、その目的を実践するために行なった活動であるとともに、執筆中の著書の内容の感触を先生がお確かめになるためのものでもあった。
「3 物理学者たちの栄光と苦悩」では、科学者の社会に対する責任について書かれている。現代ますますその重要性が増している。原爆や戦争に利用されてきた物理学、物理学者、科学者のことはハイゼンベルクの「部分と全体」やフランクルの「夜と霧」を引用しながら先生は解説されている。この2冊は僕も読んで紹介記事を書いたが、核の脅威と人種差別は現代でも全く解決していないことを思い起こさせてくれた。
第2部 武者修行の時代
大学院進学以降は、先生と僕はまったく違う人生を歩んでいるので、自分と比較するのはまったく意味がないからやめておこう。僕が先生に対して抱いていた印象とずれていたのが第2部である。小学生から現在に至るまで、超エリートコースをまっすぐ進まれてきたのだと思っていたからだ。どれほど優秀な人でも、人生の選択に迷い、また予測のつかない事態に翻弄され、まっすぐ進めないことがあるのだということがわかった。先生も例外ではない。場の量子論は(先生が学ばれたころは特に)誰にとっても学ぶのが難しい分野であるし、進路の選択を間違えると後悔することになる。シカゴ大学へ転職したことを当時は後悔されていたそうだが、人生に無駄なことはひとつもないと僕は思った。第2部の最後でトポロジカルな弦理論という大きな成果を得られたことが紹介されているが、それまでのご努力と数々の研究者との出会いによるものだと思う。
あと、大栗先生をシカゴ大学にお招きになった南部陽一郎先生(2008年ノーベル物理学賞受賞)が渥美清の「男はつらいよ」シリーズがとてもお好きだったことが書かれており、うれしくなった。なぜなら僕も寅さんシリーズの大ファンで、ときどきカラオケで主題歌を歌うことがあるからだ。南部先生はDVDボックスも揃えていたそうである。大栗先生は南部先生のお宅で「寅さん」をご覧になったそうだ。(第何作だったのだろうか?)南部先生は2015年に急逝されたが、2019年に公開された第50作「お帰り寅さん」をご覧になっていただけていたらなぁと思ったが、きっと天国でご覧になっているに違いないと思うことにした。僕は昨年の正月に映画館で観たが、とてもしみじみとしていてよかった。今の若い人にはこのシリーズを順番に観てほしい。何気ない日常のシーンの中に、現代の日本ではあまり見られなくなった大切であたたかい心遣いをいくつも見つけることができるはずだ。「お帰り寅さん」はAmazon Primeで観ることができる。(Prime Videoで開く)
第3部 基礎科学を育てる
どのような仕事であれ、昇進すると現場の仕事から管理者、責任者としての業務に移行していくものだ。大栗先生も例外ではない。科学界全体としては、優秀な人がトップに立ち、指揮をとったほうが研究の推進、後身の育成のためによいのだと思う。高等教育でマネジメントを専攻しなかった先生が、ご自身にとっての新たな領域でどのように貢献、ご活躍されていたことがよくわかった。これまでブログやニュースで知っていたのは「大栗先生が~研究所の所長に就任された」のように表面的なことばかりであったし、就任のあいさつ文も読んでいたが、そこに至る経緯や問題点がわからなかったからだ。
「コロナが基礎科学に与える影響」は意外だった。コロナは悪影響ばかりでなく、基礎科学に対して(一時的であるにせよ)その推進や優秀な研究者の雇用に役立っていたことを知り、自分の考えや想像力の欠如に気がつくことができた。詳しくは本書を読んでいただきたい。
あと日本が世界の動きに乗り遅れているのは、基礎科学だけでなく科学全般、電子産業、AIをはじめとするソフトウェア産業などあらゆる領域について言えることだと思った。学校教育の質も僕が学んだ頃より、低下していると思う。研究予算が削られ、日本の科学が危機に瀕していることは大栗先生だけでなく、自然科学系、生理・医学系でノーベル賞を受賞された何人もの先生方が指摘されている。「すぐ役に立つ研究」だけでなく「役に立つかどうかわからない研究」への投資が大切なことは、本書で先生が強調していることであり、まったくそのとおりだと思う。変化のスピードが速い社会において「すぐ役に立つ研究」は「すぐ役に立たなくなる研究」なのである。
第4部 社会にとって基礎科学とは何か
本書でいちばん大切なのは第4部である。超弦理論の9次元空間の研究が進み、量子物理学と重力理論の間の矛盾が解決したからといって、一般市民や国には(差し当たり)何の役にも立たない。そのような研究に税金が使われているわけである。しかし東日本大震災で多くの人が命を落とし、生き残った多くの人が避難生活を強いられている中、税金はそのような人たちのために使うべきではなかろうか?先生には後ろめたさを感じることがあったそうである。税金を使って研究をする限り、納税者にはその意義を伝えなければならない。そして科学は善でも悪でもない。それを使う人間次第である。
そもそも科学とはいったい何なのだろうか?第4部では科学の歴史をたどりながら、科学と科学者が社会とどのようにかかわってきたかを解説し、現代はどのように考えるべきかということをお書きになっている。先生のご専門は基礎研究、基礎物理学であるから、自然科学全般の中では「すぐ役に立つ」という観点でいちばんかけ離れている。そして一般市民にとってはいちばん理解しづらい難解な研究領域だ。
国を動かしているのは政治家と役人である。そして政治家を選ぶのは国民である。難しい研究内容であってもその意義をわかりやすく伝えることは極めて重要だと思った。今の日本が抱える科学研究の危機、科学教育の危機だけでなく、日本学術会議会員の任命拒否問題を思い出した。また、学校教育についても科学教育だけでなく国語教育の問題や、英語教育でも問題が指摘されている。これらの問題の原因は根が深いし人によって考え方がまちまちだ。そして政治家や経済界の利害がからんでいる。問題の範囲を広げるほど、解決は困難になる。だからとりあえず、科学の基礎研究に焦点を絞り、問題解決への糸口を探るのがよいと思った。
ところで、朝日カルチャーセンターの講座では、講座が終わった後、受講者が先生を囲んでオフ会(飲み会)をすることがある。もちろん大栗先生は超多忙であり、受講生の人数が多過ぎるから、オフ会まったく無理なことで、僕は少し残念に思っていた。けれども本書を読み、その気持ちはかなり取り除くことができた。なぜなら、もしオフ会があったら聞きたいと思っていた子供時代から大学時代に至る先生の生い立ちが本書に詳しく書かれていたからだ。YouTubeから見ることができる大栗先生の講演やインタビューの動画からわかるように、子供のころから明るく、気さくな方だったのだとあらためて思った。
また、本書にはブルーバックス本のほか、先生の研究者人生に影響を与えた本が何冊も紹介されている。まず本書を読んでから、興味のある本を選んでお読みになるとよい。僕はポアンカレの「科学と方法」を読みたいと思った。
本書は先生のご専門である超弦理論を詳しく解説した本ではない。以下の動画では「科学者の矜持」と題して、本書の第2部 武者修行の時代、第3部 基礎科学を育てるに書かれている時期の研究内容を詳しく解説しているので、本書の補足として見ることができる。さらに『大栗先生の超弦理論入門』をお読みになると、より理解を深めることができる。
科学者の矜持(きょうじ):再生時間 1時間22分: YouTubeで再生
動画の内容: 社会における科学者の役割や基礎研究の意義がひろく問われる中、理化学研究所研究員会議総会において行われた、大栗博司氏による「科学者の矜持」というタイトルでの講演。自身の研究成果も含め、素粒子物理学や宇宙物理学のトピックスや応用例をやさしく解説。「基礎研究はきっと役に立つ、研究を真剣に楽しもう」という科学者への熱いメッセージ。
大栗先生、これまでの本とは違い、好奇心をもって学ぶことの大切さ、科学の意義について深く考えさせてくれる本をお書きになってくださり、ありがとうございました。
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「9次元からきた男」ブロガー特別試写会の感想
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重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る:大栗博司
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大栗先生の超弦理論入門:大栗博司
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真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話: 佐々木閑、大栗博司
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数学の言葉で世界を見たら: 大栗博司
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素粒子論のランドスケープ:大栗博司
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素粒子論のランドスケープ2:大栗博司
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/dda75ff673f068509d46027305389ee2
「探究する精神 職業としての基礎科学:大栗博司」(Kindle版)
詳細目次は大栗先生のブログのこの記事を参照。
内容紹介:
自然界の真理の発見を目的とする基礎科学は、応用科学と比べて「役に立たない研究」と言われる。しかし歴史上、人類に大きな恩恵をもたらした発見の多くが、一見すると役に立たない研究から生まれている。そしてそのような真に価値ある研究の原動力となるのが、自分が面白いと思うことを真剣に考え抜く「探究心」だ――世界で活躍する物理学者が、少年時代の本との出会いから武者修行の日々、若手研究者の育成にも尽力する現在までの半生を振り返る。これから学問を志す人、生涯学び続けたいすべての人に贈る一冊
2021年3月25日刊行、328ページ。
著者について:
大栗博司(おおぐりひろし)
1962年生まれ。東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構機構長。カリフォルニア工科大学フレッド・カブリ冠教授およびウォルター・バーク理論物理学研究所所長。アスペン物理学センター前所長。京都大学大学院 修士課程卒業後、東京大学理学部助手、プリンストン高等研究所研究員を経て、1989年東京大学理学博士号。シカゴ大学助教授、京都大学数理解析研究所助教授、カリフォルニア大学バークレイ校教授を歴任。2000年にカリフォルニア工科大学に移籍し、現在に至る。紫綬褒章、アメリカ数学会 アイゼンバッド賞、ドイツ連邦共和国フンボルト賞、ハンブルク賞、仁科記念賞、米国サイモンズ賞、中日文化賞などを受賞。アメリカ芸術科学アカデミーとアメリカ数学会のフェロー。科学監修を務めた3D映像作品『9次元からきた男』は、国際プラネタリウム協会最優秀作品賞を受賞。著書に『重力とは何か』、『強い力と弱い力』、佐々木閑氏との共著『真理の探究』(いずれも幻冬舎新書)、『数学の言葉で世界を見たら』(幻冬舎)、『大栗先生の超弦理論入門』(ブルーバックス、講談社科学出版賞受賞)、『素粒子論のランドスケープ1・2』(数学書房)などがある。
HP: https://ooguri.caltech.edu/japanese
Blog: https://planck.exblog.jp/
Twitter: @PlanckScale
理数系書籍のレビュー記事は本書で454冊目。
大栗先生が本をお書きになったのは久しぶりだ。今回はブルーバックスではなく幻冬舎新書である。ツイッターで本のことを知り、発売されるのを心待ちにしていた。
理論物理学の解説書ではなく、科学者になるまでの先生の生い立ち、好奇心や探究心、学ぶことの大切さ、基礎科学の意義を語っている本である。
「はじめに」に書かれている大栗先生に降りかかった異変に驚いたが、乗り越えられたということで一安心である。(先生に何がおきていたかは本書でお読みいただきたい。)50代になると体にいろいろ異変がおきるものだと60代半ばの従姉が言っていたことを思い出した。
回顧録を書くには先生は若すぎる。しかし、コロナが全世界的に猛威をふるい、いつ命を落とすかわからない世の中、日本にとっても東日本大震災以来の危機である。いつもお忙しい先生が幻冬舎の担当編集者、小木田さんの提案を受け入れ、本書を執筆されたのはそのような背景があったのだろうし、回顧だけでなく東日本大震災後に先生が自問された基礎科学の意義を伝えることの必要性を再びお感じになったからである。今がそのタイミングだったのだ。
以下、本書の流れを僕なりにまとめてみた。詳細目次は大栗先生のブログのこの記事に書かれているので、そちらを参照していただきたい。
第1部 知への旅の始まり
1 考える楽しさ
小学生から高校生までのことが書かれている。展望レストランから地球の大きさを見積もったこと、自由書房という地元の書店、ブルーバックス、万有百科大事典がその後の人生を決める大きなきっかけになった。
2 考え方を鍛える
大学受験から大学時代について書かれている。哲学との出会い、物理学・数学の歴史、受験参考書、なぜ東大ではなく京大を選んだか、なぜ医学部ではなく理学部を選んだか、ファインマンの物理学、理論物理学教程、文章の書き方、英会話習得など。
3 物理学者たちの栄光と苦悩
20世紀の量子力学発展史をたどりながら、原爆や戦争に利用されてきた物理学の歴史、科学者の責任と倫理、日本の原爆研究、仁科・朝永、湯川博士らの研究・戦争とのかかわりを解説している。
第2部 武者修行の時代
大学院以降、研究者としてのスタートを切った頃の話が中心。場の量子論を何度も勉強したこと、米国留学するか東大の助手になるか、韓国やインドへの出張、プリンストン高等研究所、シカゴ大学への転職、博士論文、南部陽一郎先生、おもちゃの弦理論、BCOV理論(トポロジカルな弦理論)など。
第3部 基礎科学を育てる
研究生活の続きと大学や研究所の運営者、責任者としての話。米国でのキャリア再挑戦、第2次超弦理論革命、カリフォルニア工科大学への移籍、アスペン物理学センター、IPMU誕生からカブリ冠研究所へ、コロナが基礎科学に与える影響、世界の動きに乗り遅れている日本など。
第4部 社会にとって基礎科学とは何か
東日本大震災を契機に、基礎科学という浮世離れした研究をしている意味があるのかと大栗先生は自問した時期があったそうだ。科学の発見は善でも悪でもない。そしてそれは役に立つのかどうかまったくわからない。むしろ害になることもある。科学の歴史をたどりながらその発展にとって何が重要かを考える。そして最後に現代の社会における科学の意義についてお考えを述べている。
さて、感想を書かせていただこう。
第1部 知への旅の始まり
僕は大栗先生とたまたま同年齢、同学年だ。科学者(天文学者)になりたいという夢を持っていたから、小学生から大学入試まで、先生と自分がどう違っていたのか書くことで、好奇心に満ちていた幼少期から青年期の先生のお姿を知っていただきたい。
科学への目覚めという点について、いちばん違っていたのは、自由書房という複数のフロアがある大きな書店で先生が小学生のときに科学書を自由に閲覧していたことだ。小学生にとって徒歩で行ける範囲に書店があるのはとても大事だと気がついた。僕の場合、地元の駅前に紀伊國屋書店笹塚店(中型規模の店舗)ができたのは中学2年の終わりで、科学を一般の市民向けに解説する「講談社ブルーバックス・シリーズ」とはその書店で出会うことになる。
小学生の頃、地元の商店街にあったのは個人経営の書店が2店舗だけだった。毎月「月刊天文ガイド」を買いに行ったし、学習参考書もそこで買ったが、レジで店主の母親のおばあちゃんが睨みをきかせていたから自由に立ち読みできる雰囲気ではなかった。もちろん個人経営の店に、ブルーバックスはおろか科学書はほとんど置かれていない。
幸い中野駅や新宿駅へのアクセスがよい地域に住んでいたので、中野ブロードウェイにある明屋書店(中型規模)や新宿の紀伊國屋書店(本店、大型規模)へはバスや京王線で簡単に行ける。しかし、小学生は何か目的がないと交通機関は利用しない。これらの店舗へはよほど欲しい本があるときだけ行っていた。そして目的の本を買ったらすぐ店を出ていたことを思い出した。大きな図書館へ行くにはバスに乗らなければならなかったし、子供用の図書館は大人用と区別され別室になっていた。特定のテーマについて好奇心にかられた小学生が「難しい本」を立ち読みできるようにするためには、気軽に行ける場所に中型や大型の書店や広い図書館があることが重要なのだ。都会に住んでいたにも関わらず、僕は大栗先生より不利な状況だった。
Amazonをはじめ、ネットで利用できる書店は絶版の本も検索できるからとても便利である。しかし、そのために個人で経営している書店はほとんど無くなり、大型書店をかかえるチェーン店でさえ閉店する店舗がでてきている。(自由書房も例外ではない。)好奇心旺盛な子供の知識欲を満たし、探究心へ育てるためには親が買い与える本だけではだめだ。親が学者やインテリ(死語かな?)でない限り、家に難しめの本は置かれていないと思う。子供の目に触れる場所に知的好奇心を喚起する大人向けの紙の本(電子書籍ではだめ)を常備しておくのは、今後の日本の知力と経済力を支える大切な要件だと思った。ちなみに大栗先生が小学生のときに読んだのは分野別に巻が分かれていて大人向けの「万有百科大事典(メルカリで検索)」であり、そのころ僕が読んでいたのは親から買い与えられた学研の五十音順「学習こども百科(写真)」である。この百科事典には「空間が曲がる」ことや「時間の進み方が遅くなる」ことは書かれていなかった。
そして大栗先生が理論物理学者への道を進むきっかけになったのが、小学生のときに読んだ2冊のブルーバックス本である。中身が気になったので中古本を買ってみた。現在のブルーバックスだと3~5冊になりそうなほど話題がてんこ盛りで小さな活字がぎっしり詰まっている。これを小学生のときに理解できたのだから、さすがだと思った。
「はたして空間は曲がっているか―誰にもわかる一般相対論:都筑卓司」-1972
目次1 目次2
「マックスウェルの悪魔―確率から物理学へ:都筑卓司」-1970
目次1 目次2 目次3 目次4
なお、「マックスウェルの悪魔」のほうは、2002年に活字を現代のものにした新装版が刊行されている。内容は1970年の版と同じだ。
「新装版 マックスウェルの悪魔―確率から物理学へ:都筑卓司」(Kindle版)
取り寄せた本は状態がよい。近いうちに読んでみよう。
拡大
僕がブルーバックスを知ったのは中学2年のときだ。主に天文学系の本を数冊買って読んでいたが、アインシュタインの相対性理論を知ったのは、この本が最初である。しかし、当時の僕の関心は太陽系内に限られていて、ブラックホールやビッグバン、宇宙誕生の謎、とてつもないテーマだから研究の意義の理解と興味の限界を超えていた。僕は月や惑星を観測したり、軌道計算をするほうが好きだったのだ。
「アインシュタインの世界―物理学の革命:L.インフェルト」-1975
本書には、周囲から医学部受験を勧められていたが、大栗先生は物理学を学びたいという気持が固まっていたから理学部を受験したことが書かれている。同じことは僕にもあてはまっていた。大学付属の私立高校に通っていたが、付属高の全国統一試験の理系で1位をたまたまとったからだ。担任の先生からは医学部受験を勧められた。当時の僕は国立大(実は京大理学部)を受験し、天文学者になりたいと思っていたから医学部受験などまったく考えられなかった。しかし、共通一次試験の社会科の教科を甘くみてしまい、おまけに2次試験は京都の底冷えのする冬を知らず健康管理に失敗し、風邪をひいた状態で試験に臨んでいた。その結果、私立大学で数学(応用数学)を専攻することになったわけである。(共通一次試験では、倫理・社会と世界史、物理と地学を選択していた。)
大栗先生はご自身が育った地域を「田舎」だとお書きになっているが、1970年代後半の岐阜市がどれくらい田舎だったのか、僕には想像がつかない。先生が卒業された高校は進学校だから当時でも受験対策はしっかり行われていたのだろう。大都市には予備校や塾がたくさんあったが、地方都市にはそれらがほとんどなかった。代ゼミの札幌校が開校し、地球物理学者の竹内均先生が初代校長になったのは、大栗先生や僕が高校を卒業した1981年である。(そして竹内先生が初代編集長として科学月刊誌『Newton』を創刊されたのも、その年の夏である。)
小学校から大学までストレートに進学された大栗先生であるが、学習塾や予備校(あるいは受験対策のための学校)のことをお書きになっていないことに後から気がついた。現在ではそれらに通わないと東大や京大に合格するのは、ほぼ無理である。大都市と地方都市の学習環境の不公平を是正するために、旺文社は「大学受験ラジオ講座」を毎晩放送していたのが僕たちの時代だ。このラジオ講座については「寺田文行先生の「数学の鉄則」シリーズ」というブログ記事の最後のほうで音源を聴けるようにしておいた。現在は塾や予備校の授業もオンラインで受講できるようになったから、大都市と地方都市の学習機会の格差はかなり改善されていると思う。
大栗先生には朝日カルチャーセンター(新宿教室)で開催された「重力の不思議(ブログ記事)」を受講し、初めてお目にかかって以来、何度か講座・講演会に参加させていただいた。今になって思うと、この講座が開催されたのは東日本大震災の翌年で、先生が基礎科学の意義を一般市民に伝えることを実践され始めた頃だと気がついた。市民向け講座でのアウトリーチは、その目的を実践するために行なった活動であるとともに、執筆中の著書の内容の感触を先生がお確かめになるためのものでもあった。
「3 物理学者たちの栄光と苦悩」では、科学者の社会に対する責任について書かれている。現代ますますその重要性が増している。原爆や戦争に利用されてきた物理学、物理学者、科学者のことはハイゼンベルクの「部分と全体」やフランクルの「夜と霧」を引用しながら先生は解説されている。この2冊は僕も読んで紹介記事を書いたが、核の脅威と人種差別は現代でも全く解決していないことを思い起こさせてくれた。
第2部 武者修行の時代
大学院進学以降は、先生と僕はまったく違う人生を歩んでいるので、自分と比較するのはまったく意味がないからやめておこう。僕が先生に対して抱いていた印象とずれていたのが第2部である。小学生から現在に至るまで、超エリートコースをまっすぐ進まれてきたのだと思っていたからだ。どれほど優秀な人でも、人生の選択に迷い、また予測のつかない事態に翻弄され、まっすぐ進めないことがあるのだということがわかった。先生も例外ではない。場の量子論は(先生が学ばれたころは特に)誰にとっても学ぶのが難しい分野であるし、進路の選択を間違えると後悔することになる。シカゴ大学へ転職したことを当時は後悔されていたそうだが、人生に無駄なことはひとつもないと僕は思った。第2部の最後でトポロジカルな弦理論という大きな成果を得られたことが紹介されているが、それまでのご努力と数々の研究者との出会いによるものだと思う。
あと、大栗先生をシカゴ大学にお招きになった南部陽一郎先生(2008年ノーベル物理学賞受賞)が渥美清の「男はつらいよ」シリーズがとてもお好きだったことが書かれており、うれしくなった。なぜなら僕も寅さんシリーズの大ファンで、ときどきカラオケで主題歌を歌うことがあるからだ。南部先生はDVDボックスも揃えていたそうである。大栗先生は南部先生のお宅で「寅さん」をご覧になったそうだ。(第何作だったのだろうか?)南部先生は2015年に急逝されたが、2019年に公開された第50作「お帰り寅さん」をご覧になっていただけていたらなぁと思ったが、きっと天国でご覧になっているに違いないと思うことにした。僕は昨年の正月に映画館で観たが、とてもしみじみとしていてよかった。今の若い人にはこのシリーズを順番に観てほしい。何気ない日常のシーンの中に、現代の日本ではあまり見られなくなった大切であたたかい心遣いをいくつも見つけることができるはずだ。「お帰り寅さん」はAmazon Primeで観ることができる。(Prime Videoで開く)
第3部 基礎科学を育てる
どのような仕事であれ、昇進すると現場の仕事から管理者、責任者としての業務に移行していくものだ。大栗先生も例外ではない。科学界全体としては、優秀な人がトップに立ち、指揮をとったほうが研究の推進、後身の育成のためによいのだと思う。高等教育でマネジメントを専攻しなかった先生が、ご自身にとっての新たな領域でどのように貢献、ご活躍されていたことがよくわかった。これまでブログやニュースで知っていたのは「大栗先生が~研究所の所長に就任された」のように表面的なことばかりであったし、就任のあいさつ文も読んでいたが、そこに至る経緯や問題点がわからなかったからだ。
「コロナが基礎科学に与える影響」は意外だった。コロナは悪影響ばかりでなく、基礎科学に対して(一時的であるにせよ)その推進や優秀な研究者の雇用に役立っていたことを知り、自分の考えや想像力の欠如に気がつくことができた。詳しくは本書を読んでいただきたい。
あと日本が世界の動きに乗り遅れているのは、基礎科学だけでなく科学全般、電子産業、AIをはじめとするソフトウェア産業などあらゆる領域について言えることだと思った。学校教育の質も僕が学んだ頃より、低下していると思う。研究予算が削られ、日本の科学が危機に瀕していることは大栗先生だけでなく、自然科学系、生理・医学系でノーベル賞を受賞された何人もの先生方が指摘されている。「すぐ役に立つ研究」だけでなく「役に立つかどうかわからない研究」への投資が大切なことは、本書で先生が強調していることであり、まったくそのとおりだと思う。変化のスピードが速い社会において「すぐ役に立つ研究」は「すぐ役に立たなくなる研究」なのである。
第4部 社会にとって基礎科学とは何か
本書でいちばん大切なのは第4部である。超弦理論の9次元空間の研究が進み、量子物理学と重力理論の間の矛盾が解決したからといって、一般市民や国には(差し当たり)何の役にも立たない。そのような研究に税金が使われているわけである。しかし東日本大震災で多くの人が命を落とし、生き残った多くの人が避難生活を強いられている中、税金はそのような人たちのために使うべきではなかろうか?先生には後ろめたさを感じることがあったそうである。税金を使って研究をする限り、納税者にはその意義を伝えなければならない。そして科学は善でも悪でもない。それを使う人間次第である。
そもそも科学とはいったい何なのだろうか?第4部では科学の歴史をたどりながら、科学と科学者が社会とどのようにかかわってきたかを解説し、現代はどのように考えるべきかということをお書きになっている。先生のご専門は基礎研究、基礎物理学であるから、自然科学全般の中では「すぐ役に立つ」という観点でいちばんかけ離れている。そして一般市民にとってはいちばん理解しづらい難解な研究領域だ。
国を動かしているのは政治家と役人である。そして政治家を選ぶのは国民である。難しい研究内容であってもその意義をわかりやすく伝えることは極めて重要だと思った。今の日本が抱える科学研究の危機、科学教育の危機だけでなく、日本学術会議会員の任命拒否問題を思い出した。また、学校教育についても科学教育だけでなく国語教育の問題や、英語教育でも問題が指摘されている。これらの問題の原因は根が深いし人によって考え方がまちまちだ。そして政治家や経済界の利害がからんでいる。問題の範囲を広げるほど、解決は困難になる。だからとりあえず、科学の基礎研究に焦点を絞り、問題解決への糸口を探るのがよいと思った。
ところで、朝日カルチャーセンターの講座では、講座が終わった後、受講者が先生を囲んでオフ会(飲み会)をすることがある。もちろん大栗先生は超多忙であり、受講生の人数が多過ぎるから、オフ会まったく無理なことで、僕は少し残念に思っていた。けれども本書を読み、その気持ちはかなり取り除くことができた。なぜなら、もしオフ会があったら聞きたいと思っていた子供時代から大学時代に至る先生の生い立ちが本書に詳しく書かれていたからだ。YouTubeから見ることができる大栗先生の講演やインタビューの動画からわかるように、子供のころから明るく、気さくな方だったのだとあらためて思った。
また、本書にはブルーバックス本のほか、先生の研究者人生に影響を与えた本が何冊も紹介されている。まず本書を読んでから、興味のある本を選んでお読みになるとよい。僕はポアンカレの「科学と方法」を読みたいと思った。
本書は先生のご専門である超弦理論を詳しく解説した本ではない。以下の動画では「科学者の矜持」と題して、本書の第2部 武者修行の時代、第3部 基礎科学を育てるに書かれている時期の研究内容を詳しく解説しているので、本書の補足として見ることができる。さらに『大栗先生の超弦理論入門』をお読みになると、より理解を深めることができる。
科学者の矜持(きょうじ):再生時間 1時間22分: YouTubeで再生
動画の内容: 社会における科学者の役割や基礎研究の意義がひろく問われる中、理化学研究所研究員会議総会において行われた、大栗博司氏による「科学者の矜持」というタイトルでの講演。自身の研究成果も含め、素粒子物理学や宇宙物理学のトピックスや応用例をやさしく解説。「基礎研究はきっと役に立つ、研究を真剣に楽しもう」という科学者への熱いメッセージ。
大栗先生、これまでの本とは違い、好奇心をもって学ぶことの大切さ、科学の意義について深く考えさせてくれる本をお書きになってくださり、ありがとうございました。
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