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三島由紀夫事件 50年目の証言―警察と自衛隊は何を知っていたか: 西法太郎

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三島由紀夫事件 50年目の証言―警察と自衛隊は何を知っていたか: 西法太郎」(Kindle版

内容紹介:
昭和45年11月25日―「そこ」で何が起こっていたのか?公安は察知していたのか?生き残った楯の会隊員たちは何を語ったのか?非公開だった裁判資料や、佐々淳行氏ら関係者への取材から、半世紀を経て今なお深い謎に迫る。
2020年9月18日刊行、301ページ。

三島由紀夫関連本: 書籍版 Kindle版
三島事件関連本: 書籍版 Kindle版
三島由紀夫の小説・著作: 書籍版

著者について:
西 法太郎
昭和31(1956)年長野県生まれ。東大法学部卒。総合商社勤務を経て文筆業に入る。

西法太郎の著書検索: 書籍版 Kindle版


今月11月25日は三島由紀夫没後50年となる。45歳のとき自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をするという衝撃的な最期を遂げた(三島事件)こと、ノーベル文学賞の候補にもあがった世界的に有名な文豪も、50年という時の経過によって三島ことを知らない世代が増えているようだ。若者が本を読まなくなったこともそれに拍車をかけている。

三島由紀夫の特集番組が放送され始められる前の11月7日にアンケートをとってみたところ、回答いただいた26歳以上の25人については三島のことを知らない人はいなかったが、25歳以下の方で彼のことを知らない人が4人のうち1人という結果となった。回答していただいたのは8人だけだが、少しは参考になると思う。(アンケートのツイート



1970年11月25日の11時頃、三島は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に自ら組織した楯の会の学生4人とともに東部方面総監の益田兼利を人質にとり総監室に立てこもった。その後、幕僚らと乱闘の後、部隊内放送を聞いた自衛官約800から1000名に対しバルコニーから「憲法改正のために自衛隊員は決起せよ」という演説をする。演説は怒号にかき消され、首長が受け入れられないことを悟ると、彼は総監室に戻り割腹自殺を遂げ、その場にいた楯の会のメンバーが介錯をした。

バルコニーからした演説の中で三島は「今、日本人がだ、ここでもって立ち上がらねば、自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだね、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。」と訴えている。これは2016年3月に安全保障関連法が施行されたことによって、事実上現実のものとなった。(参考:「安保法 29日施行 集団的自衛権行使が可能に(毎日新聞)」、「集団的自衛権ってどういうこと?(朝日小学生新聞)」)

この三島事件については、3年前に「昭和45年11月25日―三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃: 中川右介」という本を紹介した。これは事件の経緯に加え、政界、財界、メディア、芸能界など三島と交流があった人々、日本社会がどのようにこの衝撃的な事件を知り、どのような反応を示したかを紹介した本だ。記事で紹介したように、当時の日本にタイムスリップしたような感覚でこの事件を疑似体験できるので、あわせてお読みいただきたい。

三島事件がおきたとき僕は8歳だった。この日は金曜日なので、小学校で授業を受けていたはずである。また、1987年に社会人になって初めて勤めた会社は、住友市谷ビルにあった。現場のすぐ近くであるし、事件の詳しいことを知らされていなかった楯の会のメンバーが控えていた市谷会館(現在の市谷グランドヒル)は、学生時代の友人が結婚式をあげた場所だ。また10年前には高校の同窓会が、そこから橋を渡ったところにある私学会館でおこなわれた。ここは縦の会の結成式がおこなわれた場所である。このように市谷は、若き日の思い出と強く結びついているエリアなのである。また、三島に続いて割腹自殺を遂げた楯の会のメンバーの森田必勝が中心となっていた「十二社(じゅうにそう)グループ」の拠点は、西新宿の十二社にあった下宿で活動していた。僕が新宿に向かうときに利用するバスの路線上にある。だから、その日に何がおきていたかという興味がおこるのは自然なことなのだ。

さて、今回読んだ「三島由紀夫事件 50年目の証言―警察と自衛隊は何を知っていたか: 西法太郎」(Kindle版)は、事件そのものに迫る読み応えのある本だった。

「大儀のために自決するのは人間にとっていちばん英雄的な死に方だ」と考える三島がおこした事件の経緯やその決断に至るまでの三島の行動や考え方は、ウィキペディアやNHKのアナザーストーリーズのような番組で知ることができている。この本は、著者が事件後の裁判記録や雑誌に掲載されたインタビュー記事を丹念に読み、事件関係者にインタビューを繰り返し、この事件を当時の警察と自衛隊がどこまで知っていて、どのように行動していたかを調べ上げた結果を著者の考えとともに解説したものだ。

直接事件に関わったキーマンの多くが鬼籍に入っている。インタビューのいくつかは、お亡くなりになるギリギリのタイミングで間に合った方が多い。三島の友人で事件当日は警視庁警務部参事官兼人事第一課長だった佐々淳行へのインタビューがとても重要である。また、先日自民党が2回目の葬儀を行なった中曽根康弘は、当時の防衛長官である。事件を彼がどのように知り、事件後にどのように処理したかは特に重要である。それは人質となり三島らに監禁されていた総監の益田兼利が事件からわずか3年後に「憤死」というほとんど自死に近い形で亡くなったという謎にかかわるからだ。さらに、極めて重要な「証拠」は、もし男に生まれていたらきっと楯の会に入っていただろうと発言していた小説家の倉橋由美子が、三島事件前から警察にマークされていたことから明らかになった。

裁判記録やインタビューを詳しく調べると、この事件にはいくつもの謎が浮かび上がる。

- 三島らはなぜ、日本刀を持ってやすやすと市ヶ谷駐屯地の表門を通過できたのか?自衛隊に何度も体験入隊をし、何人もの幹部から信頼を得ていた三島であるが、荷物チェックはされていたはずである。

- 自衛隊から警察に通報があった時刻が11時12分なのか11時22分なのかはっきりしない。また、規定で定められているホットラインは、第一報には使われなかった。それはなぜか?

- 自衛隊の要請により約150名の警察官が現場に駆けつけたのだが、なぜあれほど早く駆けつけることができたのか?

- 駆けつけた150名の警察官は、何もしないで見ているだけだった。それはなぜなのか?

- 複数名の幕僚らと乱闘をしたが、制圧することができなかった。自衛隊には敷地内で起きる事件を解決する責任が規定されており、銃や武器を使用できる部隊もあった。その部隊を投入すれば三島らを制圧できたのだ。しかし、なぜそれをしなかったのか?

- 三島らに監禁された総監の益田兼利が事件からわずか3年後に「憤死」することになったのはなぜか?

- 佐々淳行は、事件に先立って警務部参事官兼人事第一課長に人事異動していたため、現場に急行することができなかった。この人事には疑問が残る。

これらの謎を解決するのが本書なのだ。そのカギとなるのは次の2つのことである。

- 「自衛隊は国民に対して銃を向けてはならない。」ということが戦後徹底して自衛隊内で教育されていた。これは先日NHKニュースで自衛隊の元幕僚長が語っていた。

- 「三島由紀夫ほど立派な人が、そんなことをするとは思ってもいなかった。」と関係者すべてが感じていた。

わざわざ「」で囲んだのには、それが2つの意味合いをもっているからだ。ひとつは、世間や社会の人に納得してもらいやすい理由として意味をもっていること。そしてもうひとつは、自衛隊や警察の組織を防衛するための隠蔽としての意味をもっているということなのだ。

端的にいうと、警察や公安は三島と楯の会のメンバーがこの事件を起こすことを、かなり前の段階から察知していて、関係者をマークしていたこと。そして、三島自身が自衛隊幹部らとの会食の場において「憲法改正や自衛隊によるクーデターの必要性」を何度か説いていたこと、そして幹部らに「大儀のためであれば自決するのが人間としてあるべき姿である。」と自らの考えを述べていた。警察と自衛隊は、ともに三島が人質の命を奪うことがないということ、自決するだろうということも知っていたのだ。

当時の警察庁長官は後に第1次、第2次中曽根内閣で官房長官を務めることになる後藤田正晴である。彼の指示が三島事件の現場での警察官がとった行動に影響したことは間違いない。

つまり、警察も自衛隊も三島がこの事件を起こすことを知っていたにもかかわらず、させるままにしていたということなのだ。それはなぜなのか?これも本書で明かされることになる。

昨年8月に、NHKで「全貌 二・二六事件 ~最高機密文書で迫る~」という番組が放送された。(全編前編後編NHKオンデマンド)この番組で、1936年2月26日の1週間前に海軍は陸軍の青年将校らの決起の詳細を知りながら静観していたことが明らかになった。その理由も番組で解説されていた。



二・二六事件のときと同じような「静観」が三島事件のときも行なわれていたのである。その「証拠」を見つけるきっかけになったのが作家の倉橋由美子への警察のマーク、そして佐々淳行らから得られた証言だった。


本書は暴露本であり、問題作である。このような本が出版できたのは、おそらく事件から50年が経ち、関係者の多くが亡くなっているからなのだと、読み終えてから気がついた。

戦後、警察予備隊として発足した自衛隊が、警察の下部組織だったのはGHQへの配慮や再軍備化を嫌う国民感情に従う意味合いが大きいが、旧日本軍の軍人が所属するこの組織がクーデターを起こす可能性があるからという意味合いもあったそうだ。その後、警察と自衛隊は互いをどのように見なしていたかが本書で解説されている。これは現場にかけつけた警官たちが行動を起こさなかった理由に結び付く。

NHKの番組では、放送できないことがたくさん書かれている。興味をもった方は、ぜひお読みいただきたい。


三島事件に至る心理・思想を理解するために

三島由紀夫がこのような事件をおこしたことを以外に思う方がいると思う。自決に向かう彼の心理・思想は「花ざかりの森・憂国」、「英霊の声」、「葉隠入門」など初期の作品、そして「太陽と鉄・私の遍歴時代」にあらわれている。

憂国 (Yūkoku) - 三島 由紀夫 (Yukio Mishima)


そして、深く理解するためには遺作となった「豊穣の海」4部作を読むことが欠かせない。

春の雪 (新潮文庫―豊饒の海)」(英語Kindle版
奔馬 (新潮文庫―豊饒の海)」(英語Kindle版
暁の寺 (新潮文庫―豊饒の海)」(英語Kindle版
天人五衰 (新潮文庫―豊饒の海)」(英語Kindle版
   


初版本については「三島由紀夫『豊饒の海』の初版本」という記事で紹介している。

拡大



関連動画:

三島由紀夫 「最後の叫び」: YouTubeで検索 NHKオンデマンド


11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち: Prime Video YouTubeムービー


【討論】没後50年 三島由紀夫が予期した日本は今[桜R2/10/31]


三島由紀夫の動画: YouTubeで検索
三島事件の動画: YouTubeで検索
Mishima Yukio: YouTubeで検索


関連ラジオ番組:

テレビやラジオ出演した三島由紀夫の音声が聴ける。

カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス▽声でつづる昭和人物史~三島由紀夫(5回シリーズ)
>https://www4.nhk.or.jp/P1890/29/

解説を担当している保阪正康氏の著作: 書籍版 Kindle版


関連記事:

昭和45年11月25日―三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃: 中川右介
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/aae6dd28574e06eb3c3c0c63791e80cc

三島由紀夫『豊饒の海』の初版本
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/42650d60a4009468fe9d63e89083edb4

潮騒(新潮文庫): 三島由紀夫
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/b669465d590800dce4558ba7fa1aeb04


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三島由紀夫事件 50年目の証言―警察と自衛隊は何を知っていたか: 西法太郎」(Kindle版


「三島事件」に立ち会った私 徳岡孝夫

はじめに

第一章「楯の会」に籠められたもの

三島由紀夫と昭和の時代
天皇臨席の真偽/楯の会結成、自死への道
祖国防衛隊としての楯の会
集団こそは“同苦”の概念/つねにStand byの軍隊/入会・訓練/組織・規約・三原則/楯の会隊員手帳/楯の会は天皇の御楯/楯の会の資金/楯の会に入った同志を除名処分した民族派/間接侵略を強く危惧/学生諸君と共に、毎日駈け回り、歩き、息を切らし、あるいは落伍した

警察と自衛隊
治安出動への緊迫した事態/自衛隊を「国土防衛軍」と「国連警察予備軍」に分離/治安出動はクーデターになりうる/敵は本能寺にあり/僕はいまだに憲法改正論者/晩年遷移した憲法論/天皇は「一般意志」の象徴

自衛隊との接点
「影の軍隊」の機関長――平城弘通/山本舜勝/三島との出会い/七〇年安保のときの自衛隊は治安出動する準備をものすごくやっていた/警察が全滅するような状況になったら、そのときは我々の屍を乗り越えて治安出動していただきたいという覚悟である

警察との唯一の絆――佐々淳行(一)
沈黙を破る/おなじ東京山の手育ち/姉・紀平悌子と三島の交際/私、美津子の“代用品”かしら/『豊饒の海』に協力/香港での三島との密会/民兵問題 彼もふみ切る/安田講堂事件の修羅場/一〇・二一国際反戦デーで潰えたスキーム/楯の会の一味、徒党と見ていた/楯の会の隊員で国会を占拠し、憲法を改正したらどうか/経過ならびに事前の行動/決起の具体化/ある批評家の慧眼

第二章「市ヶ谷」に果てたもの

惨劇の刻
一陣の木枯し/死ぬることが三島の窮極の目的だった/『わが同志観』――非情の連帯/自衛隊市ヶ谷駐屯地一号館二階/「要求書」/総監室での攻防/一気に騒然となった世情/バルコニーからの演説/三島由紀夫と森田必勝の最期/三島の最期の言葉/解剖所見・傷害状況

カメラは見ていた――佐々淳行(二)
ただちに現場に急行/血を吸いこんだ赤絨毯/蒼白の益田総監/秘められた最後の写真/三島展と三島書誌の不思議

“変言自在”の人――中曾根康弘
警察出動を指示/三島との濃密な交流/三島と中曾根の暗闘/真相を知る唯一の生存者も逝った/「檄」の謎/自衛隊蔑視論である

益田兼利東部方面総監の法廷証言
韜晦の裏の苦衷/マニヤックな裁判長/帝国陸軍と自衛隊/自衛隊の統帥権/戦前の軍法会議/上官の命令/古賀浩靖と総監の論戦

“憂国三銃士”の上申書
三人の自筆の上申書/小川正洋(日本の改革を願うなら、まず自ら行動することである)/小賀正義(当然あるべき自衛力さえも否定している現行憲法が存在することこそ「悪」)/古賀浩靖(一連の欺瞞・虚偽のうえに、戦後の社会は上積みされてきた)

森田必勝の夢
先生のためには、自分はいつでも命を捨てます/民族運動の起爆剤を志向

第三章「三島事件」に秘められたもの

謎の人――NHK記者伊達宗克
三島さん一流の華麗なる遊び/不可解な行動/疑惑の目が向けられ記者活動を中断/楯の会のシンパサイザーだった/NHK会長が明かした隠密行動/切腹を窺知/川端康成“幻の長編小説”発見/三島夫人へのインタビューに割り込む/無頼な記者/“院殿”と“大居士”が入った戒名

益田総監の死
恩を仇で返す行動だ/自衛隊への痛憤/総監辞任の真相/総監の悲壮/総監死の真相/親族に訊くしかない/保田與重郎の厳しい見方

監視の網のなかで――佐々淳行(三)
虎がネズミに襲われて猫を呼んだようなもの/楯の会はマークしていた/警察の人事異動への疑念/CIAの執拗な接触/三島家への微行/見せられた三島の妻あて遺書/後に残された者

秘かに蠢いた国家意思
なぜあの状況で古式通りの切腹ができたのか/第一報が一一〇番通報への疑問/固定電話の連絡ルート/疑念を解明するカギ/権力による“不作為の罪”/警察はつかんでいた!/当日事件発生前から刑事に監視されていた作家/三島ともあろう者がバカなことをすることはないだろう/なぜ寸止めしたのか/何とも気持の悪い事件/老獪の人――後藤田正晴/想定はすべて外れた

second languageとしての肉体
死への固執/自死への宣言書『太陽と鉄』/意識の絶対値と肉体の絶対値とがぴったりとつながり合う接合点/相拮抗する矛盾と衝突を自分のうちに用意すること、それこそ私の「文武両道」なのであった/拳の一閃、竹刀の一打の彼方にひそんでいるものが、言語表現とは対極にある

身滅びて魂存する者あり
吉田松陰論に狂わされた/天地の悠久に比せば松柏も一時蠅なり/日本の歴史を病気というか!/空な討ち方だった

[参考資料一]
自衛隊市ヶ谷駐屯地バルコニーからの演説
[参考資料二]
「三島事件」判決主文と理由(全文)
跋にかえて

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