「すごい物理学講義: カルロ・ロヴェッリ」(文庫版)(文庫Kindle版)
内容紹介:
だれもが興奮できる究極の世界原理!最新「ループ量子重力理論」まで!これほどわかりやすく、これほど感動的な物理本はなかった―長い物理学の歴史から導き出された最前線の宇宙観!世界的な名著、ついに邦訳刊行!「メルク・セローノ文学賞」「ガリレオ文学賞」を受賞。
単行本:2017年5月22日刊行、286ページ。
文庫版:2019年12月5日刊行、384ページ。
著者について:
カルロ・ロヴェッリ Carlo Rovelli: Twitter: @carlorovelli
1956年、イタリアのヴェローナ生まれ。ボローニャ大学で物理学を専攻、パドヴァ大学の大学院に進む。その後、ローマ大学や米国のイェール大学、イタリアのトレント大学などを経て、米国のピッツバーグ大学で教鞭をとる。現在は、フランスのエクス=マルセイユ大学の理論物理学研究室で、量子重力理論の研究チームを率いている。専門は“ループ量子重力理論”で、この分野の第一人者。理論物理学の最先端を行くと同時に、科学史や哲学にも詳しく、複雑な理論をわかりやすく解説するセンスには定評がある。
監訳者、翻訳者について:
竹内薫(監訳): Twitter: @7takeuchi7
東京生まれ。東京大学理学部物理学科、マギル大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。長年、サイエンス作家として科学の面白さを伝え続ける。NHK「サイエンスZERO」の司会などテレビでもお馴染み。
栗原俊秀(翻訳): Twitter: @kuritalia
翻訳家。1983年生まれ。京都大学総合人間学部、同大学院人間・環境学研究科修士課程を経て、イタリアに留学。カラブリア大学文学部専門課程近代文献学コース卒業。2016年、カルミネ・アバーテ『偉大なる時のモザイク』(未知谷)で第2回須賀敦子翻訳賞を受賞。訳書にC・ロヴェッリのほか、F・サルデッリ『失われた手稿譜』、C・アバーテ『帰郷の祭り』など。
理数系書籍のレビュー記事は本書で445冊目。
「一般相対性理論と量子力学は矛盾する」という現代物理学が抱えている難問を解決するために物理学者たちが研究しているのが量子重力理論だ。そのひとつは超弦理論である。そしてもうひとつの仮説として研究されているのがループ量子重力理論である。
超弦理論が10次元または11次元の時空(時間と空間)の存在を前提にしているのに対し、ループ量子重力理論は時空の存在を前提としない。それどころか時空はもともと存在せず、ループやスピンネットワークがもたらす「場」の相互作用として生成し、私たちにはあたかも時間と空間があるように見えるだけなのだという。熱が幻想であるのと同じ意味で、時間と空間も幻想なのだ。(参考:「時間は存在しない: カルロ・ロヴェッリ」)
本書はその研究者のひとり、「ループ量子重力」という言葉を提唱したイタリア人の物理学者、カルロ・ロヴェッリ博士が、一般人向けにこの理論をわかりやすく解説した科学教養書の決定版である。名著といってよいだろう。
日本語版タイトルは「すごい物理学講義」で原書の「La realtà non è come ci appare: Carlo Rovelli(現実は見えるとおりではない)」とはまったく違う。帯には「初めて理解できる最新物理の「ループ量子重力理論」まで」と小さく書かれているから、これがループ量子重力理論の入門書だということに気がつくまでは、少し時間がかかる。そして本書は量子重力理論と量子重力理論の発展史を解説する本でもある。
僕は直前に「初級講座 ループ量子重力: R. ガムビーニ 、J. プリン」という入門者向けの専門書を読んだが、ロヴェッリ博士のこの本を先に読み、あらましを知ってから専門書に取り組めばよかったと思った。
原書はイタリア語である。本書を翻訳した栗原俊秀はイタリア語の専門家で物理学の専門家ではないためなのだろう。テレビでおなじみの竹内薫さんが監訳者をつとめられている。
本書は「メルク・セローノ文学賞」「ガリレオ文学賞」をという文学賞を受賞している。これらは科学の魅力を広く一般に伝えることを目的にした賞で、文学と科学の世界を結びつける優れた著作に与えられる。
ロヴェッリ博士の本を読んだことがある方なら、おわかりだと思うが、博士は物理について語りながら、たびたび文学(または広く芸術作品)に言及している。格調高い文学作品を堪能しながら、科学の知識を得られるのである。僕は博士の本を読むのは2冊目だが、「読ませる文章とはこういうものか」と文学や芸術にも造詣が深い博士の博識ぶりと表現力に圧倒された。
章立てはこのとおりである。
第1部 起 源
第1章 粒−−古代ギリシアの偉大な発見
第2章 古 典−−ニュートンとファラデー
第2部 革命の始まり
第3章 アルベルト−−曲がる時空間
第4章 量 子−−複雑怪奇な現実の幕開け
第3部 量子的な空間と相対的な時間
第5章 時空間は量子的である
第6章 空間の量子
第7章 時間は存在しない
第4部 空間と時間を越えて
第8章 ビッグバンの先にあるもの
第9章 実験による裏づけとは?
第10章 ブラックホールの熱
第11章 無限の終わり
第12章 情 報−−熱、時間、関係の網
第13章 神 秘−−不確かだが最良の答え
第1部と第2部までがカバーしているのは、古代の科学、哲学から一般相対性理論、量子力学、場の量子論まで、既存の物理学の発展に沿った解説がなされている。すでに学んだ方でも、それほど退屈せずに読み進めることができる。それは著者が卓越した文章力と表現力の持ち主だということに負っている。博士の技量は日本語訳で読んでも伝わってくる。ここまではスラスラと読み進めることができた。
特殊相対論にしても、量子力学にしても、これまでに読んだ本とは違うたとえ話をして理解を助けてくれるから飽きることがない。たとえば光電効果のところでは「自動車に降る雹(ひょう)」のたとえ話がわかりやすかった。雹が自動車をへこませるか否かは、降ってくる雹の総量ではなく、一粒あたりの寸法にかかっている。もし、すさまじい量の表が降ってきたとしても、そのすべてが小粒であれば、自動車に害はないだろう。同様に、もし光が強かったとしても個々の光の粒の寸法があまりにも小さければ(つまり光の振動数があまりにも低ければ)、電子が原子から飛び出してくることはない。このような説明は、初めてだった。次のような量子力学の記述も他の教養書には見られないものである。
「量子力学が記述する世界では、複数の物理的な「系」のあいだの関係を抜きにしては、現実は存在しない。事物が関係を選び取るのではなく、関係が「事物」という概念に根拠を与えている。量子力学の世界とは、対象が形づくる世界ではない。それは、極小のスケールでの基礎的な事象の世界である。この基礎的な「事象」を土台にして、事物が構築されている。
半分ほど進んだ第3部からが重要である。特に時間をかけてじっくりと読み進んだ。大きな成功を収めた量子力学と一般相対性理論が、見かけの上では矛盾を抱えている。その解決のための糸口になったのが、マトヴェイ・ブロンスタインというソビエト連邦の若き物理学者だった。彼はその矛盾を解決するために空間や時間の分割には限りがあるという仮説を用い、これが量子重力理論の先駆けとなった。
第3部では空間に最小の長さがあることを述べた後、ループ量子重力の骨子となるループやリンク、節、スピンの網、スピンの泡、そしてそれらから計算される面積や体積の解説、空間が量子的な存在であることを紹介する。相互作用する素粒子などの量子場は空間の中にあるのではない。もともと空間など存在せず、空間自体が「場の量子」の相互作用として生じているのだ。それをもたらすのがループ量子重力理論を構成するループやリンク、節、スピンの網、スピンの泡などである。
そして、同様に時間についての考察が始まり、ガリレオがピサの大聖堂に吊るされていた燭台の振れを自分の心拍で測り、振子の等時性を測定した実験が紹介される。しかし、ガリレオが測定していた時間など、もともと存在していると証明されているものではないということが明かされる。ニュートンもそれを自覚していた。「時間は私たちが考えているようには流れない」、「物理学の変数 t であらわすような時間は存在していない」、「時間は幻想で、そもそも存在していない」など、衝撃的なことがいくつもでてくるのだ。空間と同じく時間も量子的な存在であり、場の量子の相互作用によって存在するように見えるにすぎないことがわかってくる。これまで学んできた物理学の根底をくつがえされたようで頭がくらくらしてくるのだ。
そのように突飛にも思える話であっても、現代物理学とかけ離れた思いつきではない。既存の相対性理論、電磁気学、量子力学、量子電磁力学、ファインマンの経路積分を使いながら、ループ量子重力理論の構築要素を修正していくのだ。
第4部では、ループ量子重力宇宙論がテーマである。ホーキング博士の著作、またはブラックホールの情報パラドックス、ブラックホールの熱に関する科学教養書を事前に読んでおいたほうがよいと思う。ロヴェッリ博士の解説は他書とはまったく違うから、本来はどう解説されているものかということを知った上で読んだ方がよいと思うからだ。お勧めは「ホーキング、宇宙を語る:スティーヴン・W. ホーキング」や「ブラックホール戦争:レオナルド・サスキンド」である。第4部では、この問題に対するループ量子重力理論によるアプローチと成果に関して解説している。ループ量子重力理論が予測する宇宙の始まりはビッグバンではなくビッグバウンスである。
本書は、間違いなくお勧めできる名著である。お読みになれば、他人に勧めたくなっている僕の気持ちがわかっていただけると思う。とても気に入ったので、ブログトップに表示している「とね日記について」や「文系の読者にお勧めする理数系書籍リスト」という記事にリンクを追記しておいた。
週刊文春に掲載された、本書の紹介文
週刊文春に掲載された、本書の紹介文を載せておこう。
ループ量子重力理論とは? 物理学の歴史をたどる
物質の根源は何であるか。この疑問は古代ギリシャの自然哲学者たちが提起して以来、今も多くの物理学者が挑戦し続けている難問である。私たちが生きるこの宇宙そのものの起源の問題でもあるから、「私たちは何処より来たのか」という問いへの答探しとも言える。
現在の物理学では、強い重力場を記述する一般相対性理論と微視的世界の物理法則である量子論が確固として成立し、それぞれ別個に成功を収めている。ところが、物質の根源を論ずるためには、一センチの一兆分の一兆分の一〇億分の一程度のサイズであるプランク長と呼ばれる超微視的世界に分け入らねばならず、そこでは素粒子自身が作り出す重力場は非常に強く、一般相対性理論と量子論の双方が対等に寄与する運動理論を構築しなければならない。それが量子重力理論で、宇宙の誕生を記述する究極理論と目されている。
本書は、「ループ量子重力理論」を研究するロヴェッリの物理学入門の書で、物理学の歴史をたどるうちにループ理論に導かれていくという巧みな工夫がなされていてわかりやすい。
彼は、古代ギリシャのデモクリトスによる無限の空間に原子が自由運動しているという描像が物理学の出発点と説く。その後、ニュートンの絶対時間・絶対空間における粒子の運動、ファラデーとマクスウェルの場の概念の提唱、アインシュタインの特殊相対論的要請を満たす共変的な時空間への拡張、その共変場における量子論的粒子の運動、という歴史をたどる。ならば空間も時間も連続的ではなく離散(量子)的で、決定論ではなく確率的とすれば、一般相対論の時空間と量子場が合体させられるだろう。その自然な帰結として、有限のサイズの(粒のような)空間と一方向には流れない時間という量子的な時空、つまりループにたどり着くというわけだ。
日本ではあまり紹介されていないループ量子重力理論の入門編として読むことができ、興味がそそられた。
評者:池内 了
(週刊文春 2017.07.27号掲載)
原書、翻訳版
翻訳の元になった原書イタリア語版と、日本語版、英語版、フランス語版は以下のとおり。日本語タイトルは原書と違う。原書のタイトルは「現実は見えるとおりではない」という意味だ。
「すごい物理学講義: カルロ・ロヴェッリ」(文庫版)(文庫Kindle版)
「La realtà non è come ci appare: Carlo Rovelli」
「Reality Is Not What It Seems: Carlo Rovelli」(Kindle版)
「Par delà le visible La réalité du monde: Carlo Rovelli」
ループ量子重力関連の動画
ループ量子重力関連の動画を紹介しておこう。ただし、音声は英語で日本語字幕はない。
What is Loop Quantum Gravity - with Carlo Rovelli
Carlo Rovelli - Events and the Nature of Time
Episode 2: Carlo Rovelli on Quantum Mechanics, Spacetime, and Reality
The Story of Loop Quantum Gravity- From the Big Bounce to Black Holes
The Big Bounce, Signs in the CMB? A Loop Quantum Gravity update
Loop Quantum Gravity Explained (Playlist)
関連記事:
時間は存在しない: カルロ・ロヴェッリ
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/55f4ffc2e5f45add46dea97086bb3aed
初級講座 ループ量子重力: R. ガムビーニ 、J. プリン
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/50940e09a28985e4f8256de5faebe1d0
明解量子重力理論入門:吉田伸夫
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/e0ab2fd9fafe3568c24ed358dd4ea92c
ループ量子重力入門: 竹内薫
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/0718b7b3c0ea39773463be6b535bed4a
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「すごい物理学講義: カルロ・ロヴェッリ」(文庫版)(文庫Kindle版)
はじめに−−海辺を歩きながら
第1部 起 源
第1章 粒−−古代ギリシアの偉大な発見
物はどこまで分けられるのか?
事物の本質−−世界は原子からできている
第2章 古 典−−ニュートンとファラデー
アイザックと小さな月−−宇宙を支配する重力
マイケル−−場と光−−電磁気力の発見
第2部 革命の始まり
第3章 アルベルト−−曲がる時空間
拡張された現在
もっとも美しい理論−−一般相対性理論の魔法
アインシュタインと数学の厄介な関係
詩と科学の宇宙像
第4章 量 子−−複雑怪奇な現実の幕開け
ふたたび、アルベルト
ニールス、ヴェルナー、ポール−−量子力学の養父たち
場と粒子は同じもの
量子1 情報は有限である
量子2 不確定性
量子3 現実とは関係である
ほんとうに、納得しましたか?
第3部 量子的な空間と相対的な時間
第5章 時空間は量子的である
マトヴェイ−−最小の長さの発見
ジョン−−確率の雲
ループの最初の歩み
第6章 空間の量子
体積と面積のスペクトル
空間の原子
スピンの網−−空間の量子の状態
第7章 時間は存在しない
時間はわたしたちが考えているようには流れない
脈拍と燭台−−ガリレオの時間
時空間の握り鮨
スピンの泡−−量子の時空間構造
素粒子の標準模型
世界は何からできているのか?
第4部 空間と時間を越えて
第8章 ビッグバンの先にあるもの
「先生」−−アインシュタインとローマ教皇の過ち
量子宇宙論
第9章 実験による裏づけとは?
自然が語りかけていること
量子重力理論につながる窓
第10章 ブラックホールの熱
第11章 無限の終わり
第12章 情 報−−熱、時間、関係の網
熱の時間
現実と情報
第13章 神 秘−−不確かだが最良の答え
訳者あとがき
参考文献
原注
内容紹介:
だれもが興奮できる究極の世界原理!最新「ループ量子重力理論」まで!これほどわかりやすく、これほど感動的な物理本はなかった―長い物理学の歴史から導き出された最前線の宇宙観!世界的な名著、ついに邦訳刊行!「メルク・セローノ文学賞」「ガリレオ文学賞」を受賞。
単行本:2017年5月22日刊行、286ページ。
文庫版:2019年12月5日刊行、384ページ。
著者について:
カルロ・ロヴェッリ Carlo Rovelli: Twitter: @carlorovelli
1956年、イタリアのヴェローナ生まれ。ボローニャ大学で物理学を専攻、パドヴァ大学の大学院に進む。その後、ローマ大学や米国のイェール大学、イタリアのトレント大学などを経て、米国のピッツバーグ大学で教鞭をとる。現在は、フランスのエクス=マルセイユ大学の理論物理学研究室で、量子重力理論の研究チームを率いている。専門は“ループ量子重力理論”で、この分野の第一人者。理論物理学の最先端を行くと同時に、科学史や哲学にも詳しく、複雑な理論をわかりやすく解説するセンスには定評がある。
監訳者、翻訳者について:
竹内薫(監訳): Twitter: @7takeuchi7
東京生まれ。東京大学理学部物理学科、マギル大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。長年、サイエンス作家として科学の面白さを伝え続ける。NHK「サイエンスZERO」の司会などテレビでもお馴染み。
栗原俊秀(翻訳): Twitter: @kuritalia
翻訳家。1983年生まれ。京都大学総合人間学部、同大学院人間・環境学研究科修士課程を経て、イタリアに留学。カラブリア大学文学部専門課程近代文献学コース卒業。2016年、カルミネ・アバーテ『偉大なる時のモザイク』(未知谷)で第2回須賀敦子翻訳賞を受賞。訳書にC・ロヴェッリのほか、F・サルデッリ『失われた手稿譜』、C・アバーテ『帰郷の祭り』など。
理数系書籍のレビュー記事は本書で445冊目。
「一般相対性理論と量子力学は矛盾する」という現代物理学が抱えている難問を解決するために物理学者たちが研究しているのが量子重力理論だ。そのひとつは超弦理論である。そしてもうひとつの仮説として研究されているのがループ量子重力理論である。
超弦理論が10次元または11次元の時空(時間と空間)の存在を前提にしているのに対し、ループ量子重力理論は時空の存在を前提としない。それどころか時空はもともと存在せず、ループやスピンネットワークがもたらす「場」の相互作用として生成し、私たちにはあたかも時間と空間があるように見えるだけなのだという。熱が幻想であるのと同じ意味で、時間と空間も幻想なのだ。(参考:「時間は存在しない: カルロ・ロヴェッリ」)
本書はその研究者のひとり、「ループ量子重力」という言葉を提唱したイタリア人の物理学者、カルロ・ロヴェッリ博士が、一般人向けにこの理論をわかりやすく解説した科学教養書の決定版である。名著といってよいだろう。
日本語版タイトルは「すごい物理学講義」で原書の「La realtà non è come ci appare: Carlo Rovelli(現実は見えるとおりではない)」とはまったく違う。帯には「初めて理解できる最新物理の「ループ量子重力理論」まで」と小さく書かれているから、これがループ量子重力理論の入門書だということに気がつくまでは、少し時間がかかる。そして本書は量子重力理論と量子重力理論の発展史を解説する本でもある。
僕は直前に「初級講座 ループ量子重力: R. ガムビーニ 、J. プリン」という入門者向けの専門書を読んだが、ロヴェッリ博士のこの本を先に読み、あらましを知ってから専門書に取り組めばよかったと思った。
原書はイタリア語である。本書を翻訳した栗原俊秀はイタリア語の専門家で物理学の専門家ではないためなのだろう。テレビでおなじみの竹内薫さんが監訳者をつとめられている。
本書は「メルク・セローノ文学賞」「ガリレオ文学賞」をという文学賞を受賞している。これらは科学の魅力を広く一般に伝えることを目的にした賞で、文学と科学の世界を結びつける優れた著作に与えられる。
ロヴェッリ博士の本を読んだことがある方なら、おわかりだと思うが、博士は物理について語りながら、たびたび文学(または広く芸術作品)に言及している。格調高い文学作品を堪能しながら、科学の知識を得られるのである。僕は博士の本を読むのは2冊目だが、「読ませる文章とはこういうものか」と文学や芸術にも造詣が深い博士の博識ぶりと表現力に圧倒された。
章立てはこのとおりである。
第1部 起 源
第1章 粒−−古代ギリシアの偉大な発見
第2章 古 典−−ニュートンとファラデー
第2部 革命の始まり
第3章 アルベルト−−曲がる時空間
第4章 量 子−−複雑怪奇な現実の幕開け
第3部 量子的な空間と相対的な時間
第5章 時空間は量子的である
第6章 空間の量子
第7章 時間は存在しない
第4部 空間と時間を越えて
第8章 ビッグバンの先にあるもの
第9章 実験による裏づけとは?
第10章 ブラックホールの熱
第11章 無限の終わり
第12章 情 報−−熱、時間、関係の網
第13章 神 秘−−不確かだが最良の答え
第1部と第2部までがカバーしているのは、古代の科学、哲学から一般相対性理論、量子力学、場の量子論まで、既存の物理学の発展に沿った解説がなされている。すでに学んだ方でも、それほど退屈せずに読み進めることができる。それは著者が卓越した文章力と表現力の持ち主だということに負っている。博士の技量は日本語訳で読んでも伝わってくる。ここまではスラスラと読み進めることができた。
特殊相対論にしても、量子力学にしても、これまでに読んだ本とは違うたとえ話をして理解を助けてくれるから飽きることがない。たとえば光電効果のところでは「自動車に降る雹(ひょう)」のたとえ話がわかりやすかった。雹が自動車をへこませるか否かは、降ってくる雹の総量ではなく、一粒あたりの寸法にかかっている。もし、すさまじい量の表が降ってきたとしても、そのすべてが小粒であれば、自動車に害はないだろう。同様に、もし光が強かったとしても個々の光の粒の寸法があまりにも小さければ(つまり光の振動数があまりにも低ければ)、電子が原子から飛び出してくることはない。このような説明は、初めてだった。次のような量子力学の記述も他の教養書には見られないものである。
「量子力学が記述する世界では、複数の物理的な「系」のあいだの関係を抜きにしては、現実は存在しない。事物が関係を選び取るのではなく、関係が「事物」という概念に根拠を与えている。量子力学の世界とは、対象が形づくる世界ではない。それは、極小のスケールでの基礎的な事象の世界である。この基礎的な「事象」を土台にして、事物が構築されている。
半分ほど進んだ第3部からが重要である。特に時間をかけてじっくりと読み進んだ。大きな成功を収めた量子力学と一般相対性理論が、見かけの上では矛盾を抱えている。その解決のための糸口になったのが、マトヴェイ・ブロンスタインというソビエト連邦の若き物理学者だった。彼はその矛盾を解決するために空間や時間の分割には限りがあるという仮説を用い、これが量子重力理論の先駆けとなった。
第3部では空間に最小の長さがあることを述べた後、ループ量子重力の骨子となるループやリンク、節、スピンの網、スピンの泡、そしてそれらから計算される面積や体積の解説、空間が量子的な存在であることを紹介する。相互作用する素粒子などの量子場は空間の中にあるのではない。もともと空間など存在せず、空間自体が「場の量子」の相互作用として生じているのだ。それをもたらすのがループ量子重力理論を構成するループやリンク、節、スピンの網、スピンの泡などである。
そして、同様に時間についての考察が始まり、ガリレオがピサの大聖堂に吊るされていた燭台の振れを自分の心拍で測り、振子の等時性を測定した実験が紹介される。しかし、ガリレオが測定していた時間など、もともと存在していると証明されているものではないということが明かされる。ニュートンもそれを自覚していた。「時間は私たちが考えているようには流れない」、「物理学の変数 t であらわすような時間は存在していない」、「時間は幻想で、そもそも存在していない」など、衝撃的なことがいくつもでてくるのだ。空間と同じく時間も量子的な存在であり、場の量子の相互作用によって存在するように見えるにすぎないことがわかってくる。これまで学んできた物理学の根底をくつがえされたようで頭がくらくらしてくるのだ。
そのように突飛にも思える話であっても、現代物理学とかけ離れた思いつきではない。既存の相対性理論、電磁気学、量子力学、量子電磁力学、ファインマンの経路積分を使いながら、ループ量子重力理論の構築要素を修正していくのだ。
第4部では、ループ量子重力宇宙論がテーマである。ホーキング博士の著作、またはブラックホールの情報パラドックス、ブラックホールの熱に関する科学教養書を事前に読んでおいたほうがよいと思う。ロヴェッリ博士の解説は他書とはまったく違うから、本来はどう解説されているものかということを知った上で読んだ方がよいと思うからだ。お勧めは「ホーキング、宇宙を語る:スティーヴン・W. ホーキング」や「ブラックホール戦争:レオナルド・サスキンド」である。第4部では、この問題に対するループ量子重力理論によるアプローチと成果に関して解説している。ループ量子重力理論が予測する宇宙の始まりはビッグバンではなくビッグバウンスである。
本書は、間違いなくお勧めできる名著である。お読みになれば、他人に勧めたくなっている僕の気持ちがわかっていただけると思う。とても気に入ったので、ブログトップに表示している「とね日記について」や「文系の読者にお勧めする理数系書籍リスト」という記事にリンクを追記しておいた。
週刊文春に掲載された、本書の紹介文
週刊文春に掲載された、本書の紹介文を載せておこう。
ループ量子重力理論とは? 物理学の歴史をたどる
物質の根源は何であるか。この疑問は古代ギリシャの自然哲学者たちが提起して以来、今も多くの物理学者が挑戦し続けている難問である。私たちが生きるこの宇宙そのものの起源の問題でもあるから、「私たちは何処より来たのか」という問いへの答探しとも言える。
現在の物理学では、強い重力場を記述する一般相対性理論と微視的世界の物理法則である量子論が確固として成立し、それぞれ別個に成功を収めている。ところが、物質の根源を論ずるためには、一センチの一兆分の一兆分の一〇億分の一程度のサイズであるプランク長と呼ばれる超微視的世界に分け入らねばならず、そこでは素粒子自身が作り出す重力場は非常に強く、一般相対性理論と量子論の双方が対等に寄与する運動理論を構築しなければならない。それが量子重力理論で、宇宙の誕生を記述する究極理論と目されている。
本書は、「ループ量子重力理論」を研究するロヴェッリの物理学入門の書で、物理学の歴史をたどるうちにループ理論に導かれていくという巧みな工夫がなされていてわかりやすい。
彼は、古代ギリシャのデモクリトスによる無限の空間に原子が自由運動しているという描像が物理学の出発点と説く。その後、ニュートンの絶対時間・絶対空間における粒子の運動、ファラデーとマクスウェルの場の概念の提唱、アインシュタインの特殊相対論的要請を満たす共変的な時空間への拡張、その共変場における量子論的粒子の運動、という歴史をたどる。ならば空間も時間も連続的ではなく離散(量子)的で、決定論ではなく確率的とすれば、一般相対論の時空間と量子場が合体させられるだろう。その自然な帰結として、有限のサイズの(粒のような)空間と一方向には流れない時間という量子的な時空、つまりループにたどり着くというわけだ。
日本ではあまり紹介されていないループ量子重力理論の入門編として読むことができ、興味がそそられた。
評者:池内 了
(週刊文春 2017.07.27号掲載)
原書、翻訳版
翻訳の元になった原書イタリア語版と、日本語版、英語版、フランス語版は以下のとおり。日本語タイトルは原書と違う。原書のタイトルは「現実は見えるとおりではない」という意味だ。
「すごい物理学講義: カルロ・ロヴェッリ」(文庫版)(文庫Kindle版)
「La realtà non è come ci appare: Carlo Rovelli」
「Reality Is Not What It Seems: Carlo Rovelli」(Kindle版)
「Par delà le visible La réalité du monde: Carlo Rovelli」
ループ量子重力関連の動画
ループ量子重力関連の動画を紹介しておこう。ただし、音声は英語で日本語字幕はない。
What is Loop Quantum Gravity - with Carlo Rovelli
Carlo Rovelli - Events and the Nature of Time
Episode 2: Carlo Rovelli on Quantum Mechanics, Spacetime, and Reality
The Story of Loop Quantum Gravity- From the Big Bounce to Black Holes
The Big Bounce, Signs in the CMB? A Loop Quantum Gravity update
Loop Quantum Gravity Explained (Playlist)
関連記事:
時間は存在しない: カルロ・ロヴェッリ
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/55f4ffc2e5f45add46dea97086bb3aed
初級講座 ループ量子重力: R. ガムビーニ 、J. プリン
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/50940e09a28985e4f8256de5faebe1d0
明解量子重力理論入門:吉田伸夫
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/e0ab2fd9fafe3568c24ed358dd4ea92c
ループ量子重力入門: 竹内薫
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/0718b7b3c0ea39773463be6b535bed4a
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はじめに−−海辺を歩きながら
第1部 起 源
第1章 粒−−古代ギリシアの偉大な発見
物はどこまで分けられるのか?
事物の本質−−世界は原子からできている
第2章 古 典−−ニュートンとファラデー
アイザックと小さな月−−宇宙を支配する重力
マイケル−−場と光−−電磁気力の発見
第2部 革命の始まり
第3章 アルベルト−−曲がる時空間
拡張された現在
もっとも美しい理論−−一般相対性理論の魔法
アインシュタインと数学の厄介な関係
詩と科学の宇宙像
第4章 量 子−−複雑怪奇な現実の幕開け
ふたたび、アルベルト
ニールス、ヴェルナー、ポール−−量子力学の養父たち
場と粒子は同じもの
量子1 情報は有限である
量子2 不確定性
量子3 現実とは関係である
ほんとうに、納得しましたか?
第3部 量子的な空間と相対的な時間
第5章 時空間は量子的である
マトヴェイ−−最小の長さの発見
ジョン−−確率の雲
ループの最初の歩み
第6章 空間の量子
体積と面積のスペクトル
空間の原子
スピンの網−−空間の量子の状態
第7章 時間は存在しない
時間はわたしたちが考えているようには流れない
脈拍と燭台−−ガリレオの時間
時空間の握り鮨
スピンの泡−−量子の時空間構造
素粒子の標準模型
世界は何からできているのか?
第4部 空間と時間を越えて
第8章 ビッグバンの先にあるもの
「先生」−−アインシュタインとローマ教皇の過ち
量子宇宙論
第9章 実験による裏づけとは?
自然が語りかけていること
量子重力理論につながる窓
第10章 ブラックホールの熱
第11章 無限の終わり
第12章 情 報−−熱、時間、関係の網
熱の時間
現実と情報
第13章 神 秘−−不確かだが最良の答え
訳者あとがき
参考文献
原注