「数学ガール/ポアンカレ予想 : 結城浩」(Kindle版)
内容紹介:
数学ガール、ポアンカレ予想に挑む!!
《ポアンカレ予想》は、20世紀の初頭にフランスの数学者アンリ・ポアンカレが提示した位相幾何学の問題であり、2000年にクレイ数学研究所が発表した7つの数学の難問(賞金100万ドルのミレニアム問題)の一つです。百年間、誰も証明できなかったこの問題が、 21世紀の初めにロシアのグリーシャ・ペレルマンによって証明されました。
本書は、ポアンカレ予想をテーマに、トポロジー(位相幾何学)、基本群、非ユークリッド幾何学、微分方程式、多様体、フーリエ展開などの数学的題材を解き明かしていきます。大学受験を迎えた「僕」の苦悩と数学ガールたちとの交流も軽やかに描かれます。
『数学ガール/ガロア理論』の刊行から6年。「数学ガール」ファンはもちろん、すべての数学愛好家に捧げる一冊です。
2018年4月刊行、416ページ。
著者について:
結城浩: HP: http://www.hyuki.com/
1963年生まれ。プログラミング言語、デザインパターン、暗号、数学などの分野で入門書を執筆。
代表作は『数学ガール』シリーズ。J.S.バッハの「フーガの技法」が大好きな、プロテスタントのクリスチャン。
結城さんの著書: Amazonで検索
理数系書籍のレビュー記事は本書で368冊目。
6年ぶりに『数学ガール』の「難しめシリーズ」の新刊が刊行された。なんと「単連結な3次元閉多様体は3次元球面と同相である」という「ポアンカレ予想」だ。
刊行のニュースを知ったとき「大丈夫だろうか?」、「この世紀の難問を高校生レベルの読者にどう解説するのだろうか?」という興味が頭をもたげた。「ポアンカレ予想」といえば2007年に放送された「ハイビジョン特集 数学者はキノコ狩りの夢を見る ~ポアンカレ予想・100年の格闘~」や「NHKスペシャル 100年の難問はなぜ解けたのか ~天才数学者 失踪(しっそう)の謎~」でわかるように難問中の難問である。どれくらい難しいかは、次の動画でうかがい知ることができる。
「宇宙の形を知る」 ポアンカレ予想に挑んだ天才達 ドキュメンタリー 事件
この予想は僕も「トポロジカル宇宙(完全版):根上生也著」
この予想を証明したペレルマンが2002年と2003年に「リッチフローの三次元多様体への応用」として掲載した論文は一般公開されているで以下のアドレスをクリックするとPDFで読むことができる。
http://arxiv.org/find/all/1/au:+Perelman_Grisha/0/1/0/all/0/1
ペレルマンによる論文ではないが「リッチフローによるポアンカレ予想と幾何化予想の完全な証明」も以下のPDFファイルで読める。(こちらは328ページもある)
http://www.ims.cuhk.edu.hk/~ajm/vol10/10_2.pdf
結城さんといえども、これを理解したとはとうてい思えない。では数学ガールには何が書かれているのだろうか?取り掛かるのは遅くなったが、一気に読み終えた。ポアンカレ予想を詳しく解説してあるのだろうという期待は外れたが、なかなか良い本だった。全体的には「トポロジー(位相幾何学)の初歩の初歩」という感じ。
トポロジーはこれまでに入門書から教科書レベルの本まで、何冊も読んでいたから結城さんがどのあたりにフォーカスしているのがよくわかる。ページ数が限られているから面白い話題をすべて提供することは不可能だ。
旧作5冊は章を追うごと指数関数的に難易度が増してく感じだが、本書は旧作5冊よりずっと易しい。高校生であっても最終章まで理解できると思った。
全体の構成は次のとおり。
あなたへ
プロローグ
第1章「ケーニヒスベルクの橋」
第2章「メビウスの帯、クラインの壺」
第3章「テトラちゃんの近くで」
第4章「非ユークリッド幾何学」
第5章「多様体に飛び込んで」
第6章「見えない形を捕まえる」
第7章「微分方程式のぬくもり」
第8章「驚異の定理」
第9章「ひらめきと腕力」
第10章「ポアンカレ予想」
エピローグ
あとがき
まず第1章「ケーニヒスベルクの橋」、第2章「メビウスの帯、クラインの壺」などトポロジーでは定番の話から入る。「証明すること」にこだわりをもちながら、僕と女の子たちの会話で進行していくいつものパターン。思考の流れを大切にするから贅沢にページ数を割いている。自然な会話の中で「閉曲面の分類」や「曲面の向きづけ可能性」など重要な考え方を紹介しているのが、『数学ガール』シリーズの良いところ。
そして実をいうと僕が本書でいちばん気に入ったのが第3章「テトラちゃんの近くで」である。トポロジー理論の土台となるのは「位相」という数学概念だ。現代数学を基礎づける重要な概念だが、初学者には理解しにくい。4月に紹介した「「集合と位相」をなぜ学ぶのか:藤田博司」をお読みになってもよいわけだが、本書で結城さんは「イプシロン-デルタ論法」を使った関数の連続性(距離の世界)と開集合、開近傍を使った位相の連続性(位相の世界)を対比することによって位相の連続性の概念が関数の連続性の一般化であることを解説している。とてもユニークでわかりやすいと思った。
第4章「非ユークリッド幾何学」で、私たちが慣れ親しんだユークリッド空間が一般化され「非ユークリッド幾何学」となることが紹介される。球面幾何学と双曲幾何学だ。曲っていないユークリッド空間は一般の曲がった空間の特殊な例だと考えるから非ユークリッド空間はユークリッド空間の一般化と考える。ユークリッド幾何学の平行線公理が非ユークリッド幾何学でどのようになるかを考えるのは面白い。曲がった空間に関しては僕も「楽しもう射影平面 目で見る組合せトポロジーと射影幾何学: 大田春外」という本を紹介したことがある。また球面幾何学の「二角形」は「宇宙の形、ガウスの曲面論と内在幾何(第3回)」という記事で紹介している。
第5章「多様体に飛び込んで」は一風変わった多様体入門だ。0次元から3次元サイコロの話が面白い。でも、どうしてこんな話を持ち出したのだろうと興味がでてくる。「あ、そうか!ポアンカレ予想は3次元球面の話だ!」と気が付くのだ。私たちが日頃慣れ親しんでいる球面は2次元の球面であり、ポアンカレ予想は1つ上の次元の世界での話である。テレビ番組で映される解説図では2次元の曲面までしか表現できないから誤解しやすい。
第6章「見えない形を捕まえる」で現代数学の威力を見ることになる。幾何的に見てきた「形」を代数的に表現する手法だ。群論である。群論は本シリーズでも「数学ガール/ガロア理論:結城浩」(Kindle版)でお読みいただけるが、この章では最低限のことに絞って解説している。そして形をループで捉えるホモトピーの手法が「基本群」であらわされることが紹介される。基本群であらわされる各次元の球面は次のように分類される。
1次元球面の基本群は整数の加法群Zに同型
2次元球面の基本群は単位群{e}に同型
3次元球面の基本群は単位群{e}に同型
この考え方を使ってこの章でポアンカレ予想の「Mを3次元閉多様体とする。Mの基本群が単位群に同型ならば、Mは3次元球面に同相である。」という文が理解できるようになる。
この章なのだが、話をもっと進めて「トポロジー入門: 松本幸夫」で解説しているような次のことも紹介したらよいのにと思ったが、やはりページ数の制限を考えると無理かもしれない。
2次元の閉曲面は2つのグループに分類され、第1グループは「向き付け可能」であり、第2グループは「向き付け不可能」であるという。(参考:向き付け可能性)
第1グループ)S^2またはnT^2(n≧1)
第2グループ)nP^2(n≧1)
第7章「微分方程式のぬくもり」は意外だった。「なぜここで微分方程式?」と思った。トポロジーとどう結びつくのだろう?ニュートンの冷却法則まで紹介されている。その謎が解き明かされるのは第10章である。
第8章「驚異の定理」も面白い。再び非ユークリッド幾何学だ。球面三角形の面積が3つの頂角と球の半径Rで計算できるという公式。その証明が理解できたら、すごく得した気分になると思う。この章の目的は「ガウス曲率」や「内在幾何」、「ガウス・ボンネの定理」を紹介することにある。「驚異の定理」については僕も「宇宙の形、ガウスの曲面論と内在幾何(第2回)」という記事で解説したことがある。
第9章「ひらめきと腕力」は計算が中心の章だ。三角関数の加法定理、積和公式、積分、確率密度関数、ラプラス積分を経てフーリエ展開までみっちり学ぶ。「何のため?」という疑問は第10章で明かされる。
第10章「ポアンカレ予想」に入ってやっと本書のメインテーマが始まる。この証明に使われたのが「サーストンの幾何化予想」と「ハミルトンのリッチフロー方程式」だ。前者は純粋にトポロジー(数学)だが後者は熱方程式(物理学)に類似する。数学と物理の2つの世界を対比することでペレルマンは証明を完成することができた。「ハミルトンのリッチフロー方程式」は本書のレベルをはるかに超えるので、それに類する「熱方程式」を解説することで読者の理解を少しでもリッチフロー方程式に近づけようというのが結城さんの工夫である。第7章で微分方程式を、第8章でフーリエ展開、フーリエ積分を解説したのはそのためだった。
しかし第10章に割かれているのは24ページに過ぎない。「ポアンカレ予想」の部分はもう少し厚く、深く掘り下げてほしいと思った。特に「サーストンの幾何化予想」について。この予想については「楽しもう射影平面 目で見る組合せトポロジーと射影幾何学: 大田春外」の最後の部分を参照していただきたい。
『数学ガール』シリーズのもうひとつの魅力は、数学と関係のない部分、「大学受験を迎えた「僕」の苦悩と数学ガールたちとの交流」である。この部分があることで売り上げはおそらく5割増しになっていると思う。多感な高校生の心理を上手に再現しているところを見ると、結城さんは(オジサンの年齢に達しているのに)理系男子高校生の心理をよく理解されている。
ひとつ前の「かがみの孤城: 辻村深月」の感想記事で「僕は子供の感情が理解できない大人になってしまったのだなぁと思った。」と書いたが、結城さんは大人になっても子供の心理をよく理解されているのだなと思った。この小説と同時進行して読んでいたため男言葉の命令調で話す「オオカミ様」といつも毅然としているミルカさんの姿が僕の中で重なっていた。
全体的に高校生以上の方にお勧めできる良書だと思う。お読みになっていない方は、ぜひ書店で手に取っていただきたい。
あわせて読みたい:
本書で少し物足りなかった「ポアンカレ予想」の部分を補いたいと思って見つけたのが今年の1月に刊行されたこの本だ。すごく気になっているので近いうちに読んでみたい。
「低次元の幾何からポアンカレ予想へ : 市原一裕」(Kindle版)
そして2007年に放送されたNHKの番組を書籍化したのがこの本。理数系が苦手な方でもたやすく読める教養書である。
「NHKスペシャル 100年の難問はなぜ解けたのか 天才数学者の光と影 : 春日真人」(Kindle版)(文庫版)
『数学ガール』シリーズ:
『数学ガール』シリーズの内容の一部は(草稿として)著者のホームページから読むことができる。本書の正誤表もある。
『数学ガール』シリーズ:《理系にとって最強の萌え》をあなたに。
http://www.hyuki.com/girl/
また著者の結城浩さんのWikiはこちら。
http://www.hyuki.com/index.html
「数学ガール:結城浩」(Kindle版)
「数学ガール/フェルマーの最終定理:結城浩」(Kindle版)
「数学ガール/ゲーデルの不完全性定理:結城浩」(Kindle版)
「数学ガール/乱択アルゴリズム:結城浩」(Kindle版)
「数学ガール/ガロア理論:結城浩」(Kindle版)
「数学ガール/ポアンカレ予想:結城浩」(Kindle版)
関連記事:
数学ガール:結城浩
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/bb4f1447d41afcc8b46b85229296dd7a
数学ガール/フェルマーの最終定理:結城浩
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/4bf119bf3842421f8916c787c51216ae
数学ガール/ゲーデルの不完全性定理:結城浩
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/f9b0b9264e35a680ce974fcbf17c62c0
数学ガール/乱択アルゴリズム:結城浩
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/deaece69e304b94be1a8b9ad3c92617f
数学ガール/ガロア理論:結城浩
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/a5450818389e0220779e363617332a76
Kindle版発売:「数学ガール:結城浩」シリーズ
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/9d9037d14ed9ffcc98c7b2569fba7c39
ブログ執筆のはげみになりますので、1つずつ応援クリックをお願いします。
「数学ガール/ポアンカレ予想 : 結城浩」(Kindle版)
あなたへ
プロローグ
第1章「ケーニヒスベルクの橋」
- ユーリ
- 一筆書き
- 簡単なグラフから
- グラフと次数
- これって数学?
- ≪逆≫の証明
第2章「メビウスの帯、クラインの壺」
- 屋上にて
- 教室にて
- 図書室にて
- 帰路にて
第3章「テトラちゃんの近くで」
- 家族の近くで
- Oの近くで
- 実数αの近くで
- 点αの近くで
- テトラちゃんの近くで
第4章「非ユークリッド幾何学」
- 球面幾何学
- 現在と未来の間で
- 双曲幾何学
- ピタゴラスの定理をずらして
- 平行線公理を越えて
- 自宅
第5章「多様体に飛び込んで」
- 日常から飛び出る
- 非日常に飛び込む
- 飛び込むか、飛び出るか
第6章「見えない形を捕まえる」
- 形を捕まえる
- 形を群で捕まえる
- 形をループで捕まえる
- 球面を捕まえる
- 形に捕らわれて
第7章「微分方程式のぬくもり」
- 微分方程式
- ニュートンの冷却法則
第8章「驚異の定理」
- 駅前
- 自宅
- 図書室
- ≪がくら≫
第9章「ひらめきと腕力」
- 三角関数トレーニング
- 合格判定模擬試験
- 式の形を見抜く
- フーリエ展開
第10章「ポアンカレ予想」
- オープンセミナー
- ポアンカレ
- 数学者たち
- ハミルトン
- ペレルマン
- フーリエ
- 僕たち
エピローグ
あとがき
参考文献と読書案内
索引
内容紹介:
数学ガール、ポアンカレ予想に挑む!!
《ポアンカレ予想》は、20世紀の初頭にフランスの数学者アンリ・ポアンカレが提示した位相幾何学の問題であり、2000年にクレイ数学研究所が発表した7つの数学の難問(賞金100万ドルのミレニアム問題)の一つです。百年間、誰も証明できなかったこの問題が、 21世紀の初めにロシアのグリーシャ・ペレルマンによって証明されました。
本書は、ポアンカレ予想をテーマに、トポロジー(位相幾何学)、基本群、非ユークリッド幾何学、微分方程式、多様体、フーリエ展開などの数学的題材を解き明かしていきます。大学受験を迎えた「僕」の苦悩と数学ガールたちとの交流も軽やかに描かれます。
『数学ガール/ガロア理論』の刊行から6年。「数学ガール」ファンはもちろん、すべての数学愛好家に捧げる一冊です。
2018年4月刊行、416ページ。
著者について:
結城浩: HP: http://www.hyuki.com/
1963年生まれ。プログラミング言語、デザインパターン、暗号、数学などの分野で入門書を執筆。
代表作は『数学ガール』シリーズ。J.S.バッハの「フーガの技法」が大好きな、プロテスタントのクリスチャン。
結城さんの著書: Amazonで検索
理数系書籍のレビュー記事は本書で368冊目。
6年ぶりに『数学ガール』の「難しめシリーズ」の新刊が刊行された。なんと「単連結な3次元閉多様体は3次元球面と同相である」という「ポアンカレ予想」だ。
刊行のニュースを知ったとき「大丈夫だろうか?」、「この世紀の難問を高校生レベルの読者にどう解説するのだろうか?」という興味が頭をもたげた。「ポアンカレ予想」といえば2007年に放送された「ハイビジョン特集 数学者はキノコ狩りの夢を見る ~ポアンカレ予想・100年の格闘~」や「NHKスペシャル 100年の難問はなぜ解けたのか ~天才数学者 失踪(しっそう)の謎~」でわかるように難問中の難問である。どれくらい難しいかは、次の動画でうかがい知ることができる。
「宇宙の形を知る」 ポアンカレ予想に挑んだ天才達 ドキュメンタリー 事件
この予想は僕も「トポロジカル宇宙(完全版):根上生也著」
この予想を証明したペレルマンが2002年と2003年に「リッチフローの三次元多様体への応用」として掲載した論文は一般公開されているで以下のアドレスをクリックするとPDFで読むことができる。
http://arxiv.org/find/all/1/au:+Perelman_Grisha/0/1/0/all/0/1
ペレルマンによる論文ではないが「リッチフローによるポアンカレ予想と幾何化予想の完全な証明」も以下のPDFファイルで読める。(こちらは328ページもある)
http://www.ims.cuhk.edu.hk/~ajm/vol10/10_2.pdf
結城さんといえども、これを理解したとはとうてい思えない。では数学ガールには何が書かれているのだろうか?取り掛かるのは遅くなったが、一気に読み終えた。ポアンカレ予想を詳しく解説してあるのだろうという期待は外れたが、なかなか良い本だった。全体的には「トポロジー(位相幾何学)の初歩の初歩」という感じ。
トポロジーはこれまでに入門書から教科書レベルの本まで、何冊も読んでいたから結城さんがどのあたりにフォーカスしているのがよくわかる。ページ数が限られているから面白い話題をすべて提供することは不可能だ。
旧作5冊は章を追うごと指数関数的に難易度が増してく感じだが、本書は旧作5冊よりずっと易しい。高校生であっても最終章まで理解できると思った。
全体の構成は次のとおり。
あなたへ
プロローグ
第1章「ケーニヒスベルクの橋」
第2章「メビウスの帯、クラインの壺」
第3章「テトラちゃんの近くで」
第4章「非ユークリッド幾何学」
第5章「多様体に飛び込んで」
第6章「見えない形を捕まえる」
第7章「微分方程式のぬくもり」
第8章「驚異の定理」
第9章「ひらめきと腕力」
第10章「ポアンカレ予想」
エピローグ
あとがき
まず第1章「ケーニヒスベルクの橋」、第2章「メビウスの帯、クラインの壺」などトポロジーでは定番の話から入る。「証明すること」にこだわりをもちながら、僕と女の子たちの会話で進行していくいつものパターン。思考の流れを大切にするから贅沢にページ数を割いている。自然な会話の中で「閉曲面の分類」や「曲面の向きづけ可能性」など重要な考え方を紹介しているのが、『数学ガール』シリーズの良いところ。
そして実をいうと僕が本書でいちばん気に入ったのが第3章「テトラちゃんの近くで」である。トポロジー理論の土台となるのは「位相」という数学概念だ。現代数学を基礎づける重要な概念だが、初学者には理解しにくい。4月に紹介した「「集合と位相」をなぜ学ぶのか:藤田博司」をお読みになってもよいわけだが、本書で結城さんは「イプシロン-デルタ論法」を使った関数の連続性(距離の世界)と開集合、開近傍を使った位相の連続性(位相の世界)を対比することによって位相の連続性の概念が関数の連続性の一般化であることを解説している。とてもユニークでわかりやすいと思った。
第4章「非ユークリッド幾何学」で、私たちが慣れ親しんだユークリッド空間が一般化され「非ユークリッド幾何学」となることが紹介される。球面幾何学と双曲幾何学だ。曲っていないユークリッド空間は一般の曲がった空間の特殊な例だと考えるから非ユークリッド空間はユークリッド空間の一般化と考える。ユークリッド幾何学の平行線公理が非ユークリッド幾何学でどのようになるかを考えるのは面白い。曲がった空間に関しては僕も「楽しもう射影平面 目で見る組合せトポロジーと射影幾何学: 大田春外」という本を紹介したことがある。また球面幾何学の「二角形」は「宇宙の形、ガウスの曲面論と内在幾何(第3回)」という記事で紹介している。
第5章「多様体に飛び込んで」は一風変わった多様体入門だ。0次元から3次元サイコロの話が面白い。でも、どうしてこんな話を持ち出したのだろうと興味がでてくる。「あ、そうか!ポアンカレ予想は3次元球面の話だ!」と気が付くのだ。私たちが日頃慣れ親しんでいる球面は2次元の球面であり、ポアンカレ予想は1つ上の次元の世界での話である。テレビ番組で映される解説図では2次元の曲面までしか表現できないから誤解しやすい。
第6章「見えない形を捕まえる」で現代数学の威力を見ることになる。幾何的に見てきた「形」を代数的に表現する手法だ。群論である。群論は本シリーズでも「数学ガール/ガロア理論:結城浩」(Kindle版)でお読みいただけるが、この章では最低限のことに絞って解説している。そして形をループで捉えるホモトピーの手法が「基本群」であらわされることが紹介される。基本群であらわされる各次元の球面は次のように分類される。
1次元球面の基本群は整数の加法群Zに同型
2次元球面の基本群は単位群{e}に同型
3次元球面の基本群は単位群{e}に同型
この考え方を使ってこの章でポアンカレ予想の「Mを3次元閉多様体とする。Mの基本群が単位群に同型ならば、Mは3次元球面に同相である。」という文が理解できるようになる。
この章なのだが、話をもっと進めて「トポロジー入門: 松本幸夫」で解説しているような次のことも紹介したらよいのにと思ったが、やはりページ数の制限を考えると無理かもしれない。
2次元の閉曲面は2つのグループに分類され、第1グループは「向き付け可能」であり、第2グループは「向き付け不可能」であるという。(参考:向き付け可能性)
第1グループ)S^2またはnT^2(n≧1)
第2グループ)nP^2(n≧1)
第7章「微分方程式のぬくもり」は意外だった。「なぜここで微分方程式?」と思った。トポロジーとどう結びつくのだろう?ニュートンの冷却法則まで紹介されている。その謎が解き明かされるのは第10章である。
第8章「驚異の定理」も面白い。再び非ユークリッド幾何学だ。球面三角形の面積が3つの頂角と球の半径Rで計算できるという公式。その証明が理解できたら、すごく得した気分になると思う。この章の目的は「ガウス曲率」や「内在幾何」、「ガウス・ボンネの定理」を紹介することにある。「驚異の定理」については僕も「宇宙の形、ガウスの曲面論と内在幾何(第2回)」という記事で解説したことがある。
第9章「ひらめきと腕力」は計算が中心の章だ。三角関数の加法定理、積和公式、積分、確率密度関数、ラプラス積分を経てフーリエ展開までみっちり学ぶ。「何のため?」という疑問は第10章で明かされる。
第10章「ポアンカレ予想」に入ってやっと本書のメインテーマが始まる。この証明に使われたのが「サーストンの幾何化予想」と「ハミルトンのリッチフロー方程式」だ。前者は純粋にトポロジー(数学)だが後者は熱方程式(物理学)に類似する。数学と物理の2つの世界を対比することでペレルマンは証明を完成することができた。「ハミルトンのリッチフロー方程式」は本書のレベルをはるかに超えるので、それに類する「熱方程式」を解説することで読者の理解を少しでもリッチフロー方程式に近づけようというのが結城さんの工夫である。第7章で微分方程式を、第8章でフーリエ展開、フーリエ積分を解説したのはそのためだった。
しかし第10章に割かれているのは24ページに過ぎない。「ポアンカレ予想」の部分はもう少し厚く、深く掘り下げてほしいと思った。特に「サーストンの幾何化予想」について。この予想については「楽しもう射影平面 目で見る組合せトポロジーと射影幾何学: 大田春外」の最後の部分を参照していただきたい。
『数学ガール』シリーズのもうひとつの魅力は、数学と関係のない部分、「大学受験を迎えた「僕」の苦悩と数学ガールたちとの交流」である。この部分があることで売り上げはおそらく5割増しになっていると思う。多感な高校生の心理を上手に再現しているところを見ると、結城さんは(オジサンの年齢に達しているのに)理系男子高校生の心理をよく理解されている。
ひとつ前の「かがみの孤城: 辻村深月」の感想記事で「僕は子供の感情が理解できない大人になってしまったのだなぁと思った。」と書いたが、結城さんは大人になっても子供の心理をよく理解されているのだなと思った。この小説と同時進行して読んでいたため男言葉の命令調で話す「オオカミ様」といつも毅然としているミルカさんの姿が僕の中で重なっていた。
全体的に高校生以上の方にお勧めできる良書だと思う。お読みになっていない方は、ぜひ書店で手に取っていただきたい。
あわせて読みたい:
本書で少し物足りなかった「ポアンカレ予想」の部分を補いたいと思って見つけたのが今年の1月に刊行されたこの本だ。すごく気になっているので近いうちに読んでみたい。
「低次元の幾何からポアンカレ予想へ : 市原一裕」(Kindle版)
そして2007年に放送されたNHKの番組を書籍化したのがこの本。理数系が苦手な方でもたやすく読める教養書である。
「NHKスペシャル 100年の難問はなぜ解けたのか 天才数学者の光と影 : 春日真人」(Kindle版)(文庫版)
『数学ガール』シリーズ:
『数学ガール』シリーズの内容の一部は(草稿として)著者のホームページから読むことができる。本書の正誤表もある。
『数学ガール』シリーズ:《理系にとって最強の萌え》をあなたに。
http://www.hyuki.com/girl/
また著者の結城浩さんのWikiはこちら。
http://www.hyuki.com/index.html
「数学ガール:結城浩」(Kindle版)
「数学ガール/フェルマーの最終定理:結城浩」(Kindle版)
「数学ガール/ゲーデルの不完全性定理:結城浩」(Kindle版)
「数学ガール/乱択アルゴリズム:結城浩」(Kindle版)
「数学ガール/ガロア理論:結城浩」(Kindle版)
「数学ガール/ポアンカレ予想:結城浩」(Kindle版)
関連記事:
数学ガール:結城浩
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/bb4f1447d41afcc8b46b85229296dd7a
数学ガール/フェルマーの最終定理:結城浩
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/4bf119bf3842421f8916c787c51216ae
数学ガール/ゲーデルの不完全性定理:結城浩
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/f9b0b9264e35a680ce974fcbf17c62c0
数学ガール/乱択アルゴリズム:結城浩
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/deaece69e304b94be1a8b9ad3c92617f
数学ガール/ガロア理論:結城浩
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/a5450818389e0220779e363617332a76
Kindle版発売:「数学ガール:結城浩」シリーズ
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/9d9037d14ed9ffcc98c7b2569fba7c39
ブログ執筆のはげみになりますので、1つずつ応援クリックをお願いします。
「数学ガール/ポアンカレ予想 : 結城浩」(Kindle版)
あなたへ
プロローグ
第1章「ケーニヒスベルクの橋」
- ユーリ
- 一筆書き
- 簡単なグラフから
- グラフと次数
- これって数学?
- ≪逆≫の証明
第2章「メビウスの帯、クラインの壺」
- 屋上にて
- 教室にて
- 図書室にて
- 帰路にて
第3章「テトラちゃんの近くで」
- 家族の近くで
- Oの近くで
- 実数αの近くで
- 点αの近くで
- テトラちゃんの近くで
第4章「非ユークリッド幾何学」
- 球面幾何学
- 現在と未来の間で
- 双曲幾何学
- ピタゴラスの定理をずらして
- 平行線公理を越えて
- 自宅
第5章「多様体に飛び込んで」
- 日常から飛び出る
- 非日常に飛び込む
- 飛び込むか、飛び出るか
第6章「見えない形を捕まえる」
- 形を捕まえる
- 形を群で捕まえる
- 形をループで捕まえる
- 球面を捕まえる
- 形に捕らわれて
第7章「微分方程式のぬくもり」
- 微分方程式
- ニュートンの冷却法則
第8章「驚異の定理」
- 駅前
- 自宅
- 図書室
- ≪がくら≫
第9章「ひらめきと腕力」
- 三角関数トレーニング
- 合格判定模擬試験
- 式の形を見抜く
- フーリエ展開
第10章「ポアンカレ予想」
- オープンセミナー
- ポアンカレ
- 数学者たち
- ハミルトン
- ペレルマン
- フーリエ
- 僕たち
エピローグ
あとがき
参考文献と読書案内
索引