「ドリーム NASAを支えた名もなき計算手たち」(Kindle版)
内容:
1943年、人種隔離政策下のアメリカ。数学教師ドロシー・ヴォーンは、“黒人女性計算手”としてNASAの前身組織に採用される。コンピューターの誕生前夜、複雑な計算は人の手に委ねられ、彼らは“計算手(コンピューター)”と呼ばれていた。やがて彼らは宇宙開発の礎となり、アポロ計画の扉を開く―!差別を乗り越え道を切り拓いた人々の姿を描く、感動の実話。映画『ドリーム』原作。
2017年8月刊行、464ページ。
著者:
マーゴット・リー シェタリー
バージニア州ハンプトンで生まれ育ち、アルフレッド・P・スローン財団の研究員でもあり、女性計算手の歴史の研究に対してバージニア州財団より人文科学の助成金を得ている。バージニア州シャーロッツビル在住。
一昨日紹介した映画「ドリーム(2016)」の原作本。日本語版、英語版ともに9月中旬には入手していて、章単位で英語、日本語の順に読んだ。アメリカの初期の宇宙開発を「計算手」として支えた、黒人女性数学者たちの伝記作品である。原題は「Hidden Figures」、陰で支えた人たちという意味合いだ。
映画はNASAが発足した1961年あたりから始まるのだが、本は登場人物たちが過ごす子供時代、NASAの前身であるNACA(アメリカ航空諮問委員会)の発足、黒人女性としてNACAに計算手として数学教師ドロシー・ヴォーンが初めて採用されるに至った経緯から書かれている。
本書は著者がアメリカの航空機開発、宇宙開発に貢献した関係者たちにインタビューをし、彼らが語ったことを著者が時系列に従って語るスタイルをとった本だ。登場人物が会話をしながら進行する小説ではない。460ページ、文字はびっしり詰まっている。
飛行機の生みの親、ライト兄弟は1903年に世界初の有人動力飛行に成功し、1914年から1918年にかけて行われた第一次世界大戦から、航空機は初めて戦争に使われるようになった。NACAは戦争のさなかの1915年に航空工学の研究の請負、推進、制度化等を行うために発足した。わかりやすく言えば軍事力増強を目的とした国家機関である。
人種隔離政策下のアメリカで、ドロシー・ヴォーンがNACAのラングレー研究所に黒人女性計算手として採用されたのは第二次世界大戦中の1943年のことである。戦時下のアメリカでは技術者、科学者が不足していて、黒人女性であっても能力がある者は起用しなければならない状況にあったのだ。公民権運動が受け入れらたからでも、白人たちの人種差別反対への意識が高まったからではない。
映画では少ししか描かれていなかった、黒人女性の日常生活も本では詳しく書かれている。子供を育てるために、低賃金の洗濯婦として働かざるを得なかったこと、当時の黒人たちがどのような人種差別を受けていたかが淡々と語られる。娯楽性が第一の映画では控えめに描かれていたアメリカの暗部が生々しく語られる。
戦闘機に求められるものは、第一に飛行速度、第二に飛行高度、第三に飛行性能である。
第二次世界大戦の影響もあり、1930年代から1940年代にかけてレシプロエンジンは急激に進化し、それに伴い航空機の速度も右肩上がりに増加していった。航空機の速度が700km/hを超えるあたりになるとプロペラの先端や翼上面の空気流が音速(マッハ 1)に近づき、衝撃波が発生して空気の性質が激しく変化するようになる。抗力が急増すると共に、機体が異常な振動(バフェッティング)を起こし、場合によっては操縦不能、空中分解ということもあった。これがいわゆる音速の壁である。
レシプロエンジンの場合これがスピードの限界であり、音速飛行は夢の話であった。しかし1940年代になると、各国でジェットエンジンが開発されたことにより、音速飛行は現実味を帯びてきた。
人類が初めて超音速飛行を実現したのは1947年10月14日、イェーガーが搭乗する有人実験機 XS-1 によるもので、マッハ 1.06 を記録した。音速を突破すると、基本目標は音速飛行から最高高度27,430 m、マッハ2へと切り替えられた。現在世界最速の飛行機は X-43 でマッハ9.8で飛べるそうだ。
つまり、ドロシーら黒人女性計算手に求められたのは、航空機を設計、開発するために必要になる風洞実験の計算能力だった。空気流体力学、伝熱工学の方程式を解くことで、最適な航空機の形状と材質を決定することだ。厖大な計算は大勢の計算手たちが分担し、当時利用可能だった電動モーターで駆動する機械式計算機を使って行っていた。本ではFRIEDEN社製とMONROE社製の計算機が紹介されている。ちなみに僕が持っている機械式計算機はこちら。電動式ではなく手回し式だ。
次の動画で乗算や除算の計算をぜひご覧になっていただきたい。電動式は手回し式よりも格段に早く計算できることがおわかりになるはずだ。
次の動画では平方根の計算手順を紹介している。平方根を算盤や四則電卓で計算する手順を知りたい方は「目次:算盤による平方根、立方根の計算(開平、開立)」をご覧いただきたい。
第二次世界大戦が終わっても、世界に平和がもたらされたわけではないことは、皆さんがご存知のとおりである。核の開発競争、東西冷戦の時代が始まった。宇宙開発技術は、仮想敵国に優位に立つために必要な軍事技術である。1957年に人類初の人工衛星を打ち上げたソビエト連邦に対抗するために、NACAの役割を拡大する形で1958年に設立されたのがNASA(アメリカ航空宇宙局)である。
NASAでドロシーら黒人女性計算手たちの地位が向上していった背景も主には「外圧」である。アフリカ系アメリカ人公民権運動もその背景にあった。しかし、有人宇宙飛行にもソ連に先をこされ、国内で行われている黒人差別に対する国際社会からの批判をかわし、国の面目を保つ必要がでてきた。これがNASAが黒人女性起用の決定をすることへの圧力となったのである。もちろん優秀な黒人女性たちの能力が必要だったということが、いちばんの理由だったことは言うまでもないだろう。
この時期にNASAにIBM社製の大型メインフレーム・コンピュータが導入され、有人宇宙飛行計画を達成するマーキュリー計画に必要な計算がFORTRANでプログラミングされることになった。空気流体力学や伝熱工学だけでなく、ロケットの軌道計算、ロケットをリアルタイムで追跡するための計算、帰還時の再突入の軌道計算など、高度な解析幾何学を使い、コンピュータで解かせることが必要になった。
黒人女性たちが電動計算機で行なっていた仕事は不要になり、プログラマーへの職種転換、エンジニアへの職種転換が求められることになった。このあたりの経緯は映画「ドリーム(2016)」や「FORTRAN入門、COBOL入門」という記事で紹介したので、お読みいただきたい。
映画に比べて本のほうは登場人物が非常に多い。日々の通勤電車で少しずつ読み進めていたので「これって誰のことだっけ?」と思うことがしばしばあった。
事実を淡々と語るスタイルの本書ではあるが、マーキュリー計画が始まるあたりから熱を帯びてくる。最後までワクワクしながら切れる本なので、映画をご覧になった後でもじゅうぶん楽しむことができる。映画と本のどちらを先に読んでも、楽しめるので字幕版のDVDやブルーレイ・ディスク、ネット配信が開始されるまでは、本でお楽しみになるとよいだろう。
日本語版と英語版は、こちらからどうぞ。
「ドリーム NASAを支えた名もなき計算手たち」(Kindle版)
「Hidden Figures: The Untold Story of the African American Women Who Helped Win the Space Race」(Kindle版)
フランス語版はフランスのAmazonサイトで購入できる。送料はかかるが日本への発送もしてくれる。ただしKindle版も購入できるが、日本語版のKindleには配信されないこと、フランス語版のKindle端末は日本へ発送してくれないので、ご注意いただきたい。
「Les figures de l'ombre: Le livre qui a inspiré le film」
関連記事:
映画『ドリーム(2016)』
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/54307adde353ad3fba64f33914f660a1
FORTRAN入門、COBOL入門
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d4eefc13ed6f252102b8a9ee6ebdcea9
発売情報: 惑星探査機の軌道計算入門: 半揚稔雄
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/a3aba0b87bff8a8ae54fb37ad1b04504
伝熱工学(東京大学機械工学):庄司正弘
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/cdbbfe5c89a57b812d43448297966fcc
応援クリックをお願いします!
内容:
1943年、人種隔離政策下のアメリカ。数学教師ドロシー・ヴォーンは、“黒人女性計算手”としてNASAの前身組織に採用される。コンピューターの誕生前夜、複雑な計算は人の手に委ねられ、彼らは“計算手(コンピューター)”と呼ばれていた。やがて彼らは宇宙開発の礎となり、アポロ計画の扉を開く―!差別を乗り越え道を切り拓いた人々の姿を描く、感動の実話。映画『ドリーム』原作。
2017年8月刊行、464ページ。
著者:
マーゴット・リー シェタリー
バージニア州ハンプトンで生まれ育ち、アルフレッド・P・スローン財団の研究員でもあり、女性計算手の歴史の研究に対してバージニア州財団より人文科学の助成金を得ている。バージニア州シャーロッツビル在住。
一昨日紹介した映画「ドリーム(2016)」の原作本。日本語版、英語版ともに9月中旬には入手していて、章単位で英語、日本語の順に読んだ。アメリカの初期の宇宙開発を「計算手」として支えた、黒人女性数学者たちの伝記作品である。原題は「Hidden Figures」、陰で支えた人たちという意味合いだ。
映画はNASAが発足した1961年あたりから始まるのだが、本は登場人物たちが過ごす子供時代、NASAの前身であるNACA(アメリカ航空諮問委員会)の発足、黒人女性としてNACAに計算手として数学教師ドロシー・ヴォーンが初めて採用されるに至った経緯から書かれている。
本書は著者がアメリカの航空機開発、宇宙開発に貢献した関係者たちにインタビューをし、彼らが語ったことを著者が時系列に従って語るスタイルをとった本だ。登場人物が会話をしながら進行する小説ではない。460ページ、文字はびっしり詰まっている。
飛行機の生みの親、ライト兄弟は1903年に世界初の有人動力飛行に成功し、1914年から1918年にかけて行われた第一次世界大戦から、航空機は初めて戦争に使われるようになった。NACAは戦争のさなかの1915年に航空工学の研究の請負、推進、制度化等を行うために発足した。わかりやすく言えば軍事力増強を目的とした国家機関である。
人種隔離政策下のアメリカで、ドロシー・ヴォーンがNACAのラングレー研究所に黒人女性計算手として採用されたのは第二次世界大戦中の1943年のことである。戦時下のアメリカでは技術者、科学者が不足していて、黒人女性であっても能力がある者は起用しなければならない状況にあったのだ。公民権運動が受け入れらたからでも、白人たちの人種差別反対への意識が高まったからではない。
映画では少ししか描かれていなかった、黒人女性の日常生活も本では詳しく書かれている。子供を育てるために、低賃金の洗濯婦として働かざるを得なかったこと、当時の黒人たちがどのような人種差別を受けていたかが淡々と語られる。娯楽性が第一の映画では控えめに描かれていたアメリカの暗部が生々しく語られる。
戦闘機に求められるものは、第一に飛行速度、第二に飛行高度、第三に飛行性能である。
第二次世界大戦の影響もあり、1930年代から1940年代にかけてレシプロエンジンは急激に進化し、それに伴い航空機の速度も右肩上がりに増加していった。航空機の速度が700km/hを超えるあたりになるとプロペラの先端や翼上面の空気流が音速(マッハ 1)に近づき、衝撃波が発生して空気の性質が激しく変化するようになる。抗力が急増すると共に、機体が異常な振動(バフェッティング)を起こし、場合によっては操縦不能、空中分解ということもあった。これがいわゆる音速の壁である。
レシプロエンジンの場合これがスピードの限界であり、音速飛行は夢の話であった。しかし1940年代になると、各国でジェットエンジンが開発されたことにより、音速飛行は現実味を帯びてきた。
人類が初めて超音速飛行を実現したのは1947年10月14日、イェーガーが搭乗する有人実験機 XS-1 によるもので、マッハ 1.06 を記録した。音速を突破すると、基本目標は音速飛行から最高高度27,430 m、マッハ2へと切り替えられた。現在世界最速の飛行機は X-43 でマッハ9.8で飛べるそうだ。
つまり、ドロシーら黒人女性計算手に求められたのは、航空機を設計、開発するために必要になる風洞実験の計算能力だった。空気流体力学、伝熱工学の方程式を解くことで、最適な航空機の形状と材質を決定することだ。厖大な計算は大勢の計算手たちが分担し、当時利用可能だった電動モーターで駆動する機械式計算機を使って行っていた。本ではFRIEDEN社製とMONROE社製の計算機が紹介されている。ちなみに僕が持っている機械式計算機はこちら。電動式ではなく手回し式だ。
次の動画で乗算や除算の計算をぜひご覧になっていただきたい。電動式は手回し式よりも格段に早く計算できることがおわかりになるはずだ。
次の動画では平方根の計算手順を紹介している。平方根を算盤や四則電卓で計算する手順を知りたい方は「目次:算盤による平方根、立方根の計算(開平、開立)」をご覧いただきたい。
第二次世界大戦が終わっても、世界に平和がもたらされたわけではないことは、皆さんがご存知のとおりである。核の開発競争、東西冷戦の時代が始まった。宇宙開発技術は、仮想敵国に優位に立つために必要な軍事技術である。1957年に人類初の人工衛星を打ち上げたソビエト連邦に対抗するために、NACAの役割を拡大する形で1958年に設立されたのがNASA(アメリカ航空宇宙局)である。
NASAでドロシーら黒人女性計算手たちの地位が向上していった背景も主には「外圧」である。アフリカ系アメリカ人公民権運動もその背景にあった。しかし、有人宇宙飛行にもソ連に先をこされ、国内で行われている黒人差別に対する国際社会からの批判をかわし、国の面目を保つ必要がでてきた。これがNASAが黒人女性起用の決定をすることへの圧力となったのである。もちろん優秀な黒人女性たちの能力が必要だったということが、いちばんの理由だったことは言うまでもないだろう。
この時期にNASAにIBM社製の大型メインフレーム・コンピュータが導入され、有人宇宙飛行計画を達成するマーキュリー計画に必要な計算がFORTRANでプログラミングされることになった。空気流体力学や伝熱工学だけでなく、ロケットの軌道計算、ロケットをリアルタイムで追跡するための計算、帰還時の再突入の軌道計算など、高度な解析幾何学を使い、コンピュータで解かせることが必要になった。
黒人女性たちが電動計算機で行なっていた仕事は不要になり、プログラマーへの職種転換、エンジニアへの職種転換が求められることになった。このあたりの経緯は映画「ドリーム(2016)」や「FORTRAN入門、COBOL入門」という記事で紹介したので、お読みいただきたい。
映画に比べて本のほうは登場人物が非常に多い。日々の通勤電車で少しずつ読み進めていたので「これって誰のことだっけ?」と思うことがしばしばあった。
事実を淡々と語るスタイルの本書ではあるが、マーキュリー計画が始まるあたりから熱を帯びてくる。最後までワクワクしながら切れる本なので、映画をご覧になった後でもじゅうぶん楽しむことができる。映画と本のどちらを先に読んでも、楽しめるので字幕版のDVDやブルーレイ・ディスク、ネット配信が開始されるまでは、本でお楽しみになるとよいだろう。
日本語版と英語版は、こちらからどうぞ。
「ドリーム NASAを支えた名もなき計算手たち」(Kindle版)
「Hidden Figures: The Untold Story of the African American Women Who Helped Win the Space Race」(Kindle版)
フランス語版はフランスのAmazonサイトで購入できる。送料はかかるが日本への発送もしてくれる。ただしKindle版も購入できるが、日本語版のKindleには配信されないこと、フランス語版のKindle端末は日本へ発送してくれないので、ご注意いただきたい。
「Les figures de l'ombre: Le livre qui a inspiré le film」
関連記事:
映画『ドリーム(2016)』
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/54307adde353ad3fba64f33914f660a1
FORTRAN入門、COBOL入門
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d4eefc13ed6f252102b8a9ee6ebdcea9
発売情報: 惑星探査機の軌道計算入門: 半揚稔雄
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/a3aba0b87bff8a8ae54fb37ad1b04504
伝熱工学(東京大学機械工学):庄司正弘
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/cdbbfe5c89a57b812d43448297966fcc
応援クリックをお願いします!