相変わらずノイマンの「量子力学の数学的基礎」を読んでいるところで、いま200ページあたりを進行中。350ページあるから紹介記事を投稿するのはもう少し先になる。思っていたよりはるかに難航している。だから今日は一般記事にしておこう。
小学2年のときのことである。クラス担任は教員になったばかりの女の先生。大学を出たてだから22歳か23歳だったのだろう。化粧っ気がなくナチュラルで美しい先生だった。
1年生のときは3階建ての鉄筋コンクリートの1階の教室で、40代の男の先生が担任だった。2年生になるときはクラス替えはなく、そのまま進級していた。ただし教室は校庭の隅のほうに建っていた木造平屋、1クラスぶんしかない建物に移った。木造校舎はそのほかにも2階建てで4クラス入れるのが建っており、これらは戦後すぐに建てられたものだ。小学校がある中野の南側の地域は1945年5月の空襲で焼野原になっていたからだ。
木造教室で始まった新学期。ある日、先生は僕を呼び出し「掃除当番表」を作ってくるようにおっしゃった。直接指名してもらったからなのか、先生と2人きりで話すのが特別なことに思えたからなのかは覚えていないが、なんだかうれしくなり「はい、作ってきます!」と返事をして、大きな模造紙2枚をもらって帰ったわけである。
当時の僕は理数系マインドの種のようなものは芽生えていたかもしれないが、それほど利発な子供ではなかった。いろいろ考え込んだり、妄想にふけったりする癖があったから、先生は利発な子だと勘違いしたようだ。
家に帰ってから、はたと僕は困ってしまった。掃除当番表ってどうすれば書けるのだろう?ノートに下書きをしてから模造紙に清書するという発想も僕にはなかった。
とりあえず、必要なことを考えてみる。月曜から土曜までを横のマスに、雑巾がけ、机運び、モップ係、ほうき係、黒板係、ゴミ捨て係などの役割を縦のマスに書くことを思いついた。表など作ったことがない小学2年生としては上出来である。
次に母が洋裁に使っていた長さ1メートルの竹製の物差しを借りてきて、廊下いっぱいに模造紙を広げた。長い直線を書くのは大変である。鉛筆で下書きをしてからマジックでなぞればよいということを思いつき、模造紙が破けないように注意しながら上に乗って表のマス目を書き上げた。同じ幅にするためには割り算をしなければならないはずだが、割り算を習うのは4年生になってからのことである。適当に目測でやってのけたのだろう。
外枠や中の直線は黒のマジックで、曜日は赤のマジック、役割は青のマジックで書いた。そしてあとは中のマスの中にクラスメートの名前を埋めていけばよいだけである。僕は完璧に任務をこなしている充実感に満たされていた。
思いつくまま友達の名前を書き込んでいく。鉛筆で下書きもせず、次々とクラスメートの顔を思い出しながらである。席順は「だいたい覚えている」から順番に書いていけばよい。当時の僕の頭の中には「公平」とか「平等」とかいう概念は生まれていたが、実践する能力がなかった。
マス目への記入がすべて終わり、生まれて初めて作った掃除当番表が完成した。書き終えた模造紙を取り去った後の廊下には、黒い油性マジックで転写された直線や友達の名前の一部がたくさん描かれていた。新聞紙を敷いてから書けばそうならないことを学ぶのは高学年になってからである。おまけに1メートルの物差しの縁や目盛も真っ黒になっていた。
完成した掃除当番表は教室の壁に貼り付けられて運用が始まった。先生に褒めてもらえたし、自分の作品が貼り出されていることに得意になっていた。
ところが2週間ほどたった頃、クラスの何人かが文句を言いだした。「え、なんで?」と僕は驚いたのだが理由はすぐにわかった。毎日掃除しなければならない子がいたり、全く掃除をせずにすんでしまう子がでてきてしまったからだ。中には毎日雑巾がけばかりしなくてはならない子もいた。
掃除当番表の作成を僕に頼むとき、先生は僕にクラス名簿を渡しておらず、僕が「思いつくまま公平に」クラスメートの名前を書き込んだのが原因だ。
このようなわけで掃除当番表はすぐはがされ、先生が書いた掃除当番表が使われることになった。
今になって思うと、掃除当番表を書くなど小学2年生には無理なことで、僕に頼んだ先生は教職についたばかりで仕事に慣れていなかったのだと思う。文系学部卒で自分で作るのが面倒だったから、僕にやらせることを思いついたに違いない。そして、完成した表をチェックせずに貼りだしたのも新米教師だったからに違いない。
掃除当番表を作るために考えなくてはならないのは、およそ次のようなことである。
1) 曜日
2) 役割(雑巾、ほうき、机運び、黒板係、など)
3) それぞれの役割に割り当てる人数
4) クラス全員の児童の名前
5) 役割と日数が公平に児童に割り当てられるようにするための方法
このうち 5) がいちばん難しい。少し考えてみればかなり高度な問題であることがおわかりだろう。文系学部卒の先生に公平な当番表が作れたかどうかは、はなはだ疑問である。先生が作った当番表は誰にも検証されずに1年間使われた。
このようなことがあった後でも先生の落ち度に気がついていなかったから、僕は先生を嫌いにはならなかった。初恋のようなものである。
2年生が終わるまでに先生は結婚されて、お名前が変わっていた。結婚すると女の人の名前が変わることを知ったのもこの頃である。3年生に進級したときに先生は退職されていた。
かつて木造校舎があった場所は、現在花壇になっている。この花壇は道路から見えるので、ここを通るたびに先生や掃除当番表のこと、木造校舎のことを思い出すのだ。
僕が小学2年だったのは大阪万博が行われた1970年。今もお元気でいらっしゃるのなら先生は70歳になっているはず。朝ドラの「ひよっこ」に出てくる女の子たちと同じ世代の女性なのだと思ったり、その後どのような人生を送られたのかなと思ったりするわけである。
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