「四千万歩の男(二): 井上ひさし」(Kindle版)
内容:
1800年6月、忠敬が渡った蝦夷は外にロシア、内に公儀・松前家・アイヌが策略を重ね、だまし合いの地だった。陰謀家の間宮林蔵、変な剣客平山行蔵ら、敵か味方か。アイヌ青年と仲良くなった忠敬に起る、事件につぐ事件、喘息をかこつ忠敬の愚直な一歩は、血みどろ泥まみれの闘いだった。全五巻。全5巻。(講談社文庫)
1992年刊行、634ページ。
著者について:
井上ひさし: 公式サイト: http://www.inouehisashi.jp/
1934年-2010年。山形県生れ。上智大学文学部卒業。浅草フランス座で文芸部進行係を務めた後に放送作家としてスタートする。以後『道元の冒険』(岸田戯曲賞、芸術選奨新人賞)、『手鎖心中』(直木賞)、『吉里吉里人』(読売文学賞、日本SF大賞)、『東京セブンローズ』など戯曲、小説、エッセイ等に幅広く活躍している。’84年に劇団「こまつ座」を結成し、座付き作者として自作の上演活動を行う。こまつ座は現在、次女の井上麻矢さんが社長を務めている。
第1巻は忠敬は蝦夷地へ渡る直前で終わったのだが、第2巻から蝦夷地に踏み入れた後の話が始まる。この地で忠敬は数々の事件に巻き込まれるわけだが、600ページを超える本だから、ここにひとつひとつ紹介することはできない。
1800年当時、蝦夷地は松前藩が統治していた。渡島国津軽郡(現在の北海道松前郡松前町)に居所を置いた藩である。赤蝦夷と呼ばれていたロシアはたびたび蝦夷地沿岸へ偵察に来ていたし、現在の国後島にも上陸して自国の領土であることを示す標識を建てたりしていた。
ロシアの侵攻を危惧する江戸幕府には蝦夷地を腐敗しきった松前藩による統治から幕府直轄統治に切り替えたいという思惑がある。そのために蝦夷の地図を作ることが急務だった。表向き幕府から委任された形で測量を行っている忠敬は、松前藩にとっては邪魔者だったのである。しかしお上の命を受けた忠敬を表向きはぞんざいに扱うことができない。
ところで蝦夷地はもともとアイヌ人の土地である。松前藩という支配する側、アイヌという支配される側の間でつらく悲しい歴史が続いていた。第2巻でクローズアップされるのはアイヌ人への差別が江戸時代にどのように行われていたかという点だ。
蝦夷地で測量を始めた忠敬は、ほどなくアイヌ人の悲しい現実を目の当たりにする。統治する和人の役人に妻を略奪され性奴隷にされる男の話、不平等極まりない物々交換、幾度となく繰り返されるアイヌ人の反乱、謀略や暗殺がたびたび起きていた。
正義を重んじる忠敬は、和人による非人道的なアイヌ人に対する扱いに反感を抱き、アイヌ人の助けになろうとする。その結果、松前藩からは怪しい人物として常に監視下におかれることになる。松前藩にとっては幕府の差し金、密偵ではないだろうかという疑いをかけられ、そしてアイヌ人びいきの人物として二つの意味で要注意人物にされてしまうのだ。そのような中で忠敬一行は測量をしながら旅を続ける。
幕府にとっても忠敬は「捨て駒」だった。松前藩ゆかりの者が忠敬に危害を加えることを非公式に望んでいたのだ。そして「お上の命を受けた者に危害を加えた」という口実で松前藩を窮地に追い込み、蝦夷地の運営を幕府が直轄するために取り上げようとしていたからだ。事件はでっち上げればいい。忠敬に対して刺客が差し向けられる。それほどまでにロシアに対する警備を松前藩に任せておくわけにはいかなかったのである。このように忠敬は松前藩と幕府の両方から狙われておかしくない危険な立場に置かれていた。
現在でこそ北海道民は完全に日本人になっており、差別を受けることはない。アイヌ民族はごく少数いるとはいえ差別を受けているというニュースはほとんど聞かなくなった。アイヌは文化や文化財の保存、継承という文脈で取り上げられることがほとんどだ。
アイヌ民族博物館
http://www.ainu-museum.or.jp/
けれどもこの本を読み、つい最近までアイヌ差別問題がニュースで取り上げていたことを思い出した。国会議員に萱野茂(かやのしげる)さんというアイヌ民族の人がいて在任中には、「日本にも大和民族以外の民族がいることを知って欲しい」という理由で、委員会において史上初のアイヌ語による質問を行ったことで知られている。アイヌ文化、およびアイヌ語の保存・継承のために活動を続けた。萱野さんは2006年にお亡くなりになっている。
アイヌの歴史はどこまで遡れるのだろう?和人による支配、差別の歴史が始まったのはいつからなのだろう?と思ってウィキペディアで「アイヌの歴史」や「アイヌ」を読むと次のようなことが書かれている。
- アイヌは形質人類学的には縄文時代の日本列島人と近く、本州以南が弥生時代に入った後も縄文文化を保持した人々の末裔であると考えられている。
- アイヌの歴史はアイヌ文化の成立を嚆矢とする。アイヌ文化はアイヌモシリ(北海道・樺太)で13世紀に成立。
- 13世紀 - 安藤太が蝦夷代官職になる。1268年 - 津軽でエゾの蜂起があり、安藤氏が討たれる。
- 15世紀 - 蝦夷管領・安東氏被官である渡党(後に松前藩の母体となる)が蝦夷地南部12箇所(道南十二館)に勢力を張る。
- 1457年 - コシャマインの戦い。和人鍛冶職人とアイヌ青年の争いを発端としてアイヌの首長コシャマインが起こした蜂起。
- 1593年(または1598年) - 慶広、秀吉から全蝦夷地(樺太、北海道)の支配権を与えられる。
- 1604年 - 慶広、江戸幕府からアイヌとの交易独占を認められる。以後、和人(本州)との交易窓口が一本化されて必需品輸入の生命線を握られたため、アイヌの松前藩への従属が強まり、不平等な交易によるアイヌの不満が、和人に対するアイヌ蜂起の一因ともなった。
- 1700年 - 松前藩は蝦夷地(十州島、唐太、千島列島、勘察加)の地名を記した松前島郷帳を作成し、幕府に提出。
- 1711年 - ロシア人アンツィフェーロフとコズイレフスキー、千島最北端の占守島(シュムシュ島)と幌筵島(パラムシル島)に上陸。住民にサヤーク(毛皮税)の献納を求めるが拒絶される。
- 1721年 - 中部千島の新知島(シムシル島)にロシア人上陸(ロシア人、新知郡まで南下)。
- 1766年 - イワン・チョールヌイが国後場所に侵入。ロシア人として初めて得撫島(ウルップ島、後の得撫郡)以南に到達。周辺のアイヌから毛皮の取り立てや過酷な労働を課し、ウルップ島で多数の女性を集めてハーレムを作る(1769年まで)。
- 1772年 - ウルップ島の千島アイヌが蜂起し、ロシア人20名が殺害され残りはカムチャッカ半島へ撤退。
- 1789年 - 労働条件や国後場所請負人・飛騨屋との商取引に不満を持った蝦夷(アイヌ)が蜂起したクナシリ・メナシの戦い勃発。この戦いに破れて以降、アイヌによる大規模な蜂起は見られなくなった。
- 1790年 - 樺太南端の白主に松前藩が商場を設置、幕府は勤番所を置く。
- 1798年 - 近藤重蔵が東蝦夷を探検、択捉島に「大日本恵土呂布」の標柱を立てる。
- 1800年 - 伊能忠敬が蝦夷を測量。
忠敬が蝦夷地を測量するまでの歴史をいくつかピックアップしたが、その後も現在に至るまで江戸幕府(後に明治政府)、アイヌ、ロシアの間で「ごたごた」が繰り返されてきたのだ。北方領土問題の根は深いと思わずにはいられなかった。
- 1899年 - 北海道旧土人保護法。(ウィキペディア)
明治時代にはこのような法律が制定されたのだが、アイヌ人のことを「土人」と呼ぶのが当たり前だったわけである。
アイヌ民族の歴史年表 - ものすごく詳しいのでご一読を!
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/japan/ainu.htm
樺太(サハリン)の年表
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/japan/karahuto.htm
アイヌの歴史と文化 1-1 歴史 - アイヌ民族博物館
http://www.ainu-museum.or.jp/nyumon/rekishibunka/
NHK高校講座 | 日本史 | 第31回 第4章 近代国家の形成と国民文化の発展(沖縄と北海道の歴史)
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/nihonshi/archive/resume031.html
北海道の地名は日本の他の地域の地名とずいぶん違うのも、もともとアイヌ語の地名に漢字を当てたからだということも思い出した。本書ではまだ漢字が当てられずにカタカナ表記されている地名も多い。
忠敬以前の地図がきわめて不正確であることはご存知だろうが、それは正確にする必要がなかったからでもある。各土地や町の位置関係だけわかればよく、海岸線などはいい加減に書かれていても全く問題がなかった。複数の地図をつなぎあわせて1つの地図にするようなことも普通に行われていた。
参考:1644年、江戸幕府が「正保御国絵図」を作成。樺太が北海道の北の大きな島として記載されている。東には千島列島が描かれる。北海道の形はまったく不正確だ。(クリックで拡大)
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しかし忠敬はこの旅の途中で、精密な地図がとても大切であることに気が付くことになる。ひょんなことから見せてもらったイギリス商人による蝦夷地のとある港湾の地図である。精密に海岸線が描かれ、経線が引かれているその地図を見て忠敬は度肝を抜かれる。子午線1度の長さを求めるために緯度には注意を払っていた忠敬だが、経度の重要性に気が付くのだ。そしてこれまでにない精密な蝦夷地の地図を目標とすべきだという決意をする。さらに日本全体の地図の作成を思い描くのだが、50歳半ばの自分に日本中をくまなく歩いて測量できるのかどうかと思案するのである。
ちなみに経度を精確に測るためには異なる2つの地点での「同時」を知らなければならない。そのためには「江戸で物理学を説く: ニュートン力学 (其之弐)」という記事で紹介した「クロノメーター」という揺れる場所や傾いた場所でも狂わない精確な時計が必要になるのだ。
このように第2巻は、現代にも通じる「差別」や「強要」、「迫害」、「領土問題」、「平等な交易の在り方」などを否応なしに思い起こされる読書となった。浮き彫りにされているテーマは重たいが、忠敬に降りかかる数々の事件、物語を存分に楽しめる本である。
引き続き第3巻に進もう。
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伊能忠敬関連の本: Amazonで検索
関連ページ:
【 あの人の人生を知ろう~伊能忠敬編 】
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/tadataka.html
伊能忠敬e資料館
https://www.inopedia.tokyo/
日本国地図の歴史的変遷?やっぱ伊能忠敬って天才だわ。凄すぎる・・・
https://matome.naver.jp/odai/2136439442534894801
伊能大図彩色図の閲覧
http://www.gsi.go.jp/MAP/KOTIZU/sisak/ino-main.html
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吉里吉里人:井上ひさし
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追悼:井上ひさしさん
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/8b68249f7d2070726183c6f9e8fb71dd
ブログ執筆のはげみになりますので、1つずつ応援クリックをお願いします。
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1800年6月、忠敬が渡った蝦夷は外にロシア、内に公儀・松前家・アイヌが策略を重ね、だまし合いの地だった。陰謀家の間宮林蔵、変な剣客平山行蔵ら、敵か味方か。アイヌ青年と仲良くなった忠敬に起る、事件につぐ事件、喘息をかこつ忠敬の愚直な一歩は、血みどろ泥まみれの闘いだった。全五巻。全5巻。(講談社文庫)
1992年刊行、634ページ。
著者について:
井上ひさし: 公式サイト: http://www.inouehisashi.jp/
1934年-2010年。山形県生れ。上智大学文学部卒業。浅草フランス座で文芸部進行係を務めた後に放送作家としてスタートする。以後『道元の冒険』(岸田戯曲賞、芸術選奨新人賞)、『手鎖心中』(直木賞)、『吉里吉里人』(読売文学賞、日本SF大賞)、『東京セブンローズ』など戯曲、小説、エッセイ等に幅広く活躍している。’84年に劇団「こまつ座」を結成し、座付き作者として自作の上演活動を行う。こまつ座は現在、次女の井上麻矢さんが社長を務めている。
第1巻は忠敬は蝦夷地へ渡る直前で終わったのだが、第2巻から蝦夷地に踏み入れた後の話が始まる。この地で忠敬は数々の事件に巻き込まれるわけだが、600ページを超える本だから、ここにひとつひとつ紹介することはできない。
1800年当時、蝦夷地は松前藩が統治していた。渡島国津軽郡(現在の北海道松前郡松前町)に居所を置いた藩である。赤蝦夷と呼ばれていたロシアはたびたび蝦夷地沿岸へ偵察に来ていたし、現在の国後島にも上陸して自国の領土であることを示す標識を建てたりしていた。
ロシアの侵攻を危惧する江戸幕府には蝦夷地を腐敗しきった松前藩による統治から幕府直轄統治に切り替えたいという思惑がある。そのために蝦夷の地図を作ることが急務だった。表向き幕府から委任された形で測量を行っている忠敬は、松前藩にとっては邪魔者だったのである。しかしお上の命を受けた忠敬を表向きはぞんざいに扱うことができない。
ところで蝦夷地はもともとアイヌ人の土地である。松前藩という支配する側、アイヌという支配される側の間でつらく悲しい歴史が続いていた。第2巻でクローズアップされるのはアイヌ人への差別が江戸時代にどのように行われていたかという点だ。
蝦夷地で測量を始めた忠敬は、ほどなくアイヌ人の悲しい現実を目の当たりにする。統治する和人の役人に妻を略奪され性奴隷にされる男の話、不平等極まりない物々交換、幾度となく繰り返されるアイヌ人の反乱、謀略や暗殺がたびたび起きていた。
正義を重んじる忠敬は、和人による非人道的なアイヌ人に対する扱いに反感を抱き、アイヌ人の助けになろうとする。その結果、松前藩からは怪しい人物として常に監視下におかれることになる。松前藩にとっては幕府の差し金、密偵ではないだろうかという疑いをかけられ、そしてアイヌ人びいきの人物として二つの意味で要注意人物にされてしまうのだ。そのような中で忠敬一行は測量をしながら旅を続ける。
幕府にとっても忠敬は「捨て駒」だった。松前藩ゆかりの者が忠敬に危害を加えることを非公式に望んでいたのだ。そして「お上の命を受けた者に危害を加えた」という口実で松前藩を窮地に追い込み、蝦夷地の運営を幕府が直轄するために取り上げようとしていたからだ。事件はでっち上げればいい。忠敬に対して刺客が差し向けられる。それほどまでにロシアに対する警備を松前藩に任せておくわけにはいかなかったのである。このように忠敬は松前藩と幕府の両方から狙われておかしくない危険な立場に置かれていた。
現在でこそ北海道民は完全に日本人になっており、差別を受けることはない。アイヌ民族はごく少数いるとはいえ差別を受けているというニュースはほとんど聞かなくなった。アイヌは文化や文化財の保存、継承という文脈で取り上げられることがほとんどだ。
アイヌ民族博物館
http://www.ainu-museum.or.jp/
けれどもこの本を読み、つい最近までアイヌ差別問題がニュースで取り上げていたことを思い出した。国会議員に萱野茂(かやのしげる)さんというアイヌ民族の人がいて在任中には、「日本にも大和民族以外の民族がいることを知って欲しい」という理由で、委員会において史上初のアイヌ語による質問を行ったことで知られている。アイヌ文化、およびアイヌ語の保存・継承のために活動を続けた。萱野さんは2006年にお亡くなりになっている。
アイヌの歴史はどこまで遡れるのだろう?和人による支配、差別の歴史が始まったのはいつからなのだろう?と思ってウィキペディアで「アイヌの歴史」や「アイヌ」を読むと次のようなことが書かれている。
- アイヌは形質人類学的には縄文時代の日本列島人と近く、本州以南が弥生時代に入った後も縄文文化を保持した人々の末裔であると考えられている。
- アイヌの歴史はアイヌ文化の成立を嚆矢とする。アイヌ文化はアイヌモシリ(北海道・樺太)で13世紀に成立。
- 13世紀 - 安藤太が蝦夷代官職になる。1268年 - 津軽でエゾの蜂起があり、安藤氏が討たれる。
- 15世紀 - 蝦夷管領・安東氏被官である渡党(後に松前藩の母体となる)が蝦夷地南部12箇所(道南十二館)に勢力を張る。
- 1457年 - コシャマインの戦い。和人鍛冶職人とアイヌ青年の争いを発端としてアイヌの首長コシャマインが起こした蜂起。
- 1593年(または1598年) - 慶広、秀吉から全蝦夷地(樺太、北海道)の支配権を与えられる。
- 1604年 - 慶広、江戸幕府からアイヌとの交易独占を認められる。以後、和人(本州)との交易窓口が一本化されて必需品輸入の生命線を握られたため、アイヌの松前藩への従属が強まり、不平等な交易によるアイヌの不満が、和人に対するアイヌ蜂起の一因ともなった。
- 1700年 - 松前藩は蝦夷地(十州島、唐太、千島列島、勘察加)の地名を記した松前島郷帳を作成し、幕府に提出。
- 1711年 - ロシア人アンツィフェーロフとコズイレフスキー、千島最北端の占守島(シュムシュ島)と幌筵島(パラムシル島)に上陸。住民にサヤーク(毛皮税)の献納を求めるが拒絶される。
- 1721年 - 中部千島の新知島(シムシル島)にロシア人上陸(ロシア人、新知郡まで南下)。
- 1766年 - イワン・チョールヌイが国後場所に侵入。ロシア人として初めて得撫島(ウルップ島、後の得撫郡)以南に到達。周辺のアイヌから毛皮の取り立てや過酷な労働を課し、ウルップ島で多数の女性を集めてハーレムを作る(1769年まで)。
- 1772年 - ウルップ島の千島アイヌが蜂起し、ロシア人20名が殺害され残りはカムチャッカ半島へ撤退。
- 1789年 - 労働条件や国後場所請負人・飛騨屋との商取引に不満を持った蝦夷(アイヌ)が蜂起したクナシリ・メナシの戦い勃発。この戦いに破れて以降、アイヌによる大規模な蜂起は見られなくなった。
- 1790年 - 樺太南端の白主に松前藩が商場を設置、幕府は勤番所を置く。
- 1798年 - 近藤重蔵が東蝦夷を探検、択捉島に「大日本恵土呂布」の標柱を立てる。
- 1800年 - 伊能忠敬が蝦夷を測量。
忠敬が蝦夷地を測量するまでの歴史をいくつかピックアップしたが、その後も現在に至るまで江戸幕府(後に明治政府)、アイヌ、ロシアの間で「ごたごた」が繰り返されてきたのだ。北方領土問題の根は深いと思わずにはいられなかった。
- 1899年 - 北海道旧土人保護法。(ウィキペディア)
明治時代にはこのような法律が制定されたのだが、アイヌ人のことを「土人」と呼ぶのが当たり前だったわけである。
アイヌ民族の歴史年表 - ものすごく詳しいのでご一読を!
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/japan/ainu.htm
樺太(サハリン)の年表
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/japan/karahuto.htm
アイヌの歴史と文化 1-1 歴史 - アイヌ民族博物館
http://www.ainu-museum.or.jp/nyumon/rekishibunka/
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北海道の地名は日本の他の地域の地名とずいぶん違うのも、もともとアイヌ語の地名に漢字を当てたからだということも思い出した。本書ではまだ漢字が当てられずにカタカナ表記されている地名も多い。
忠敬以前の地図がきわめて不正確であることはご存知だろうが、それは正確にする必要がなかったからでもある。各土地や町の位置関係だけわかればよく、海岸線などはいい加減に書かれていても全く問題がなかった。複数の地図をつなぎあわせて1つの地図にするようなことも普通に行われていた。
参考:1644年、江戸幕府が「正保御国絵図」を作成。樺太が北海道の北の大きな島として記載されている。東には千島列島が描かれる。北海道の形はまったく不正確だ。(クリックで拡大)
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しかし忠敬はこの旅の途中で、精密な地図がとても大切であることに気が付くことになる。ひょんなことから見せてもらったイギリス商人による蝦夷地のとある港湾の地図である。精密に海岸線が描かれ、経線が引かれているその地図を見て忠敬は度肝を抜かれる。子午線1度の長さを求めるために緯度には注意を払っていた忠敬だが、経度の重要性に気が付くのだ。そしてこれまでにない精密な蝦夷地の地図を目標とすべきだという決意をする。さらに日本全体の地図の作成を思い描くのだが、50歳半ばの自分に日本中をくまなく歩いて測量できるのかどうかと思案するのである。
ちなみに経度を精確に測るためには異なる2つの地点での「同時」を知らなければならない。そのためには「江戸で物理学を説く: ニュートン力学 (其之弐)」という記事で紹介した「クロノメーター」という揺れる場所や傾いた場所でも狂わない精確な時計が必要になるのだ。
このように第2巻は、現代にも通じる「差別」や「強要」、「迫害」、「領土問題」、「平等な交易の在り方」などを否応なしに思い起こされる読書となった。浮き彫りにされているテーマは重たいが、忠敬に降りかかる数々の事件、物語を存分に楽しめる本である。
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【 あの人の人生を知ろう~伊能忠敬編 】
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伊能忠敬e資料館
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日本国地図の歴史的変遷?やっぱ伊能忠敬って天才だわ。凄すぎる・・・
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追悼:井上ひさしさん
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