「家族」というのは他家へ嫁いだ僕の妹のことなのですが、本日午後3時45分、療養中の自宅で家族に見守られながら静かに息をひきとりました。享年50歳です。
とても悲しいですが、苦しむこともなく、これほど穏やかに最期のときを迎えられたことに胸をなでおろしています。
8年におよぶ闘病生活の後、今年の7月には危篤状態に陥ったのですが、奇跡的な回復をみせて8月13日に退院し、療養生活のための新居で再スタートを切っていました。
家族と一緒のリハビリ生活は妹には幸せで、とても貴重な3カ月間を過ごすことができました。その間、家事もこなしていましたし、長男と2人の娘の母親としての役割も立派につとめ上げました。ママ友の数はとても多く、毎年花見会を企画、準備をして大活躍。参加者が75人に達する年もありました。あの手際のよさはどこで学んだのか僕にはわかりません。
7月から8月にかけて入院したときも、あまりにも多い見舞客にナースステーションでは有名人になっていました。「~さんって、もしかして本当の有名人なのかしら?」と噂されていたようです。ごく普通の専業主婦なのですけれどね。(翌日追記: 葬儀には200人以上の方が参列してくださることになりそうです。)
病院で重篤のとき妹はLINEもできなかったので、僕は見舞いに来てくれた妹の同級生にときどきLINEで容態を連絡するようになっていました。やがて妹は回復し自分でLINEをできるようになりました。ある日僕が妹の友達にいつものように連絡をすると、しばらくして妹が怒って電話をしてきました。「何でお兄ちゃん、勝手に私の友達と連絡とってるのよ!やめてよね!」 何十年かぶりに妹の怒りを買ってしまい僕はびっくりしましたが、むしろそこまで回復した妹をすごく嬉しく思いました。
10月上旬に下腹部に鈍い痛みを感じて痛み止めを飲んで過ごしていました。11月の第1週には車椅子を押してもらって買い物にも出かけていました。
先日の日曜の夜に容態は急に悪化。月曜の午前中に僕は妹の家族から連絡を受け重篤な状態であることを知り、仕事を切り上げて妹の家に向かいました。(妹の家は僕の家からバイクで15分のところにあります。)
以来、昼夜張り詰めた気持ちで妹を見守り、ときどき自宅に戻って休養したり、本業の仕事をしてから妹の家に戻るという生活を今日まで続けていました。高齢の両親の送迎も何度かしていました。
この8年間、妹は病魔にめげず、明るく前向きに過ごしてきました。今日まで本当によく頑張りました。われながらすごい奴だと思います。
月曜からの5日間、僕はいろいろなことを妹に話しかけてきました。最初の日はときどき目を開けていたものの返事ができる状態ではありませんでしたが、すべて僕の本心だからしっかり胸にきざんで旅立ってほしいです。
今夜は妹と過ごした日々を思い出しながら、LINEで交わしてきた会話を順に読みながら酒を飲んで過ごしたいと思います。
妹の希望により、病名や名前はネットには公開しないことにいたします。
勉強やブログの執筆は、葬儀が終わってから再開する予定です。
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