「先祖の足跡を辿れ 幕末から昭和を生き抜いた山路家の人々:佐藤昭・ゆり」
内容紹介:
ルーツへのルートは開けるのか――福山、広島、神戸、横浜、東京、そして、再びの広島、神戸……。思わぬ手がかり、その一方で深まる謎。曾祖父、祖父の歩んだ道はどのようなものだったのか。親族などへの聞き取り調査、丹念な史料探索によって、幕末・明治初期まで遡り、見えてきたものは何か。ミステリー小説より面白い! 近代日本の人々の足音が聞こえてきます。
2016年11月1日刊行。290ページ
著者について:
佐藤 昭(さとう あきら)
昭和20年北海道生まれ。
北海道大学法学部卒。
伊藤忠商事、そして子会社伊藤忠産機(現伊藤忠マシンテクノス)の専務取締役。長い海外勤務を経て退職。
ゆり
昭和23年広島県生まれ。
広島比治山女子短期大学美術科卒。
本書の著者の佐藤さんから初めてご連絡をいただき、やり取りをするようになったのは今年の5月31日のことだった。2010年に投稿した「強い照り返し(青山、外苑前)」という記事に掲載している「白黒の青山練兵場の写真を使わせていただいてもよいか?」という問い合わせのメールをいただいたのがきっかけだった。
撮影されてから70年以上経っているので著作権が消滅しているフリー素材なのでご自由に使っていただいて大丈夫ですよ。という返事をして何度かメールでやり取りをしたところ、佐藤さんと僕の「人生の糸」が2か所で交差していることがわかり、メール交換が続いたのだ。
佐藤さんは伊藤忠商事、そして子会社伊藤忠産機(現伊藤忠マシンテクノス)の専務取締役を経て退職してから9年たっている。僕が現在勤務している外資系IT企業は伊藤忠本社ビルの隣だ。そして僕は現在の会社に転職する前は丸紅系列の会社のソフトウェアエンジニアだった。ご存知のとおり伊藤忠と丸紅は江戸時代に創業者の伊藤忠兵衛が「紅忠(べんちゅう)」という商号を使用して始めた商売に同じルーツをもつ総合商社である。そして近年この2つの会社は部門ごとに合従連衡の動きを見せている。
一度直接会ってお話したいですねという話になった。社会人として佐藤さんは僕より17年先輩なのでお話をうかがうのを楽しみにしていた。新宿三丁目の薩摩料理の店でお会いさせていただいたのが6月10日のこと。そして本書の執筆をしていることを詳しくうかがったのである。日頃の僕の関心ごとは物理や数学だが、幼いころに祖父母から関東大震災や東京大空襲の話、父母からは学童疎開や長崎の原爆の話などを聞いて育ったので、おのずと江戸時代以降の歴史に興味をもつようになっていた。家の近所には明治、大正時代に作られた橋の欄干が残っていたり、釜寺東遺跡や大宮遺跡など縄文時代、弥生時代の遺跡もある。(ちょっと遡り過ぎだけど。)
青山練兵場の写真をブログに載せたのも、通勤途中の外苑前で日清、日露戦争当時の風景を思い浮かべながら歩いていたからだ。本書を読むとこの場所が佐藤さんの奥様の祖父、徳松が日露戦争開戦後に満州へ旅立った要の地であることがわかる。奥様と二人で先祖の歴史を調べていくうちにこの事実が明らかになった。
本の帯には「取り寄せたたった一枚の戸籍謄本から思わぬ旅が始まった。」と書かれている。そうなのだ、すべてはそこから始まった。奥様の旧姓は「山路」である。奥様が知っていたのは親族について限られたことだけだった。2014年8月に最初の旅が始まった。先祖の足跡を求める長い旅の始まりである。
奥様は広島のご出身だ。先祖についての貴重な資料が原爆によって焼失している。福山、広島、神戸、横浜、東京、そして再びの広島、神戸…。お二人は何度も足を運び、先祖ゆかりの人々や協力してくれる方々と出会い、図書館や資料館、役所や学校、(そして神社やお寺)を訪ねて資料を丹念に調べ上げる。その過程で同じ祖先をひとつにする各地の山路一族との出会いがあった。
祖父の徳松は鉄道マンだった。16歳で父を亡くした後、数年後に逓信省に入り日本各地で勤務する。物資輸送のための鉄道建設のために日露戦争時には建国前の満州でも勤務していた。早世した徳松の父(曾祖父の竹松)は船乗りで海運業に携わっていたらしい。おぼろげにしかわからなかった先祖のことが、少しずつ解き明かされていく。
幕末から明治の初め、激動の時代の後の開国を経て近代日本は新たな時代を迎えた。そして日清、日露戦争である。国や社会が大きく変わっていく中で、山路の先祖たちはどのように生き抜いてきたのかが、ミステリー小説を読むようなおもしろさで伝わってくる。取材メモをもとにして明らかになったこと、明らかにできなかったことを整理しながら、読者にわかりやすく伝えようとする語り手としての佐藤さんの技量に僕は感服した。本を書くのが初めてだとはとても思えなかった。きっと会社員時代にもたくさん本を読み、文章をお書きになっていたのだと思う。
本書を手に取る方は最初のカラーページに「賤ケ岳合戦図屏風」の写真があることを意外に思うかもしれない。これは天正11年(1583年)、近江国伊香郡(現:滋賀県長浜市)の賤ヶ岳付近で行われた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と織田家最古参の重臣柴田勝家との戦いである。
調査を進めるうちになんと山路家の先祖はこの合戦で柴田勝家に仕えて戦った武将であることがわかったのである。そしてその人物は後に加藤清正とも対峙することになる。信長・秀吉時代の武将がどのように奥様までつながるのかは明らかにはできないわけだが、どうしてそのようなことまでわかってしまうのだろうか? 読んでのお楽しみということで、ここでは伏せておくことにしよう。
時空を超えて点と点がつながり、いくつもの線が浮かび上がっていく。そして線と線が交差し、そこが次の調査の出発点となる。読者にとっては赤の他人の先祖の話であるが、ぐいぐい惹きつけられて読み進んでしまうのはこのようなミステリー小説さながらの展開があるからだ。当事者ではない僕が読んでも面白いと思うのだから、佐藤さんご夫妻の感じていたワクワク感は相当なものだと思う。
読み進めるうちに僕は自分の生活ともうひとつ交差しているところがあることに気が付いた。本書の90ページから始まる記述なのだが、奥様の祖父の徳松の妹(名前はフジ)が裏神保町5番地に住んでいた大田二郎に嫁いだというくだりがある。現在の住所だと神保町1丁目の9番と11番だ。交差点の角の喫茶店「さぼうる」のある一角だ。佐藤さんは会社員時代にこの番地にあるこの喫茶店や「揚子江菜館」をよく利用していたそうだ。
僕にとってもこの住所は馴染み深い。「さぼうる」は学生時代によく来ていたし、なんといっても9番地には自然科学学術書専門の「明倫館書店」があるからだ。東京近郊に住む物理学徒、数学徒にとっての「聖地」なのだ。今年ももうすぐ「神田古本まつり」や「神保町ブックフェスティバル」が開催されるから「聖地巡礼」しようと思っている。
佐藤さんはこれまでの調査結果を本として出版された。しかし、これで調査終了ということになるのだろうか?わかっていないことがまだたくさん残っている。
僕は気がついた。本として出版することで多くの人の目にとまることになる。読者の中には山路家の先祖と縁のあった方の子孫がいるかもしれない。また残った謎を解き明かす情報をお持ちになっているかもしれない。
そうなのだ、点と点を結ぶだけでなく本書の出版によって佐藤さんは「網」を投げようとされているのかもしれない。僕はそのように思った。
この紹介記事も、今後の調査のために何かの役に立つかもしれない。インターネットからの検索にひっかかり、謎の解明の糸口になるかもしれないので本書に含まれるキーワードを順不同に書いておこう。
満鉄 南満洲鉄道 大連 広島市段原 福山市沼隈 山路商 広島のロートレック 山路徳松 山路正国 山路将監 孫三郎之光 山路嘉兵衛 山路孫三郎 山路玄蕃允正幽 山路久助 山路久之丞 山路素 山路久治郎 山路源兵衛 山路胆七 山路好雄 山路藤十郎 山路清助 山路壽男 山路遼 山路汎 山路智 山路監 クラーク記念国際高等学校 鞆の浦 千年村草深 鞆の浦道越町 みつきや 土佐屋 大友イク 小方ノブ 山路丈夫 山路鉄子 山下フジ 羽田トラ 山路トラ 羽田清助 羽田アキ 羽田平四郎 澤村船具店 千年小学校 鞆小学校 山路機谷傳 山路機谷先生傳 備後東城町 片山菊次郎 近江佐々木氏 広島宇品港 神戸元町商店街 大阪商船 満鉄会 日本郵船 山路正春 野戦鉄道堤理部 佐渡丸 鹿児島丸 常陸丸 はるぴん丸 近衛後備歩兵第一連隊 神戸元町商店街 鞆津の引札 神戸のコレラ流行 パルモア学院 ユニオン教会 神戸居留地 宣教師ランバス ランバス牧師 長野県長野市 新潟県長岡市 栄光教会 九十九商会 共同運輸 三菱経済研究所 幕末明治海外渡航者総覧
11月1日に全国の書店およびオンライン書店で発売される。現在予約受付中である。ぜひお読みいただきたい。
「先祖の足跡を辿れ 幕末から昭和を生き抜いた山路家の人々:佐藤昭・ゆり」
たった1枚の戸籍謄本から まえがきに代えて
1 旅が始まった
2 調査・推理・実証
3 再びの旅・出会い
4 ほのかな灯り
5 残された謎
あとがき
詳細目次にはパソコン表示できない漢字があるので、画像として掲載しておく。画像をクリックすると拡大するようにしておいたので参考にしていただきたい。
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