「磁力と重力の発見〈2〉ルネサンス:山本義隆」
内容紹介:
第2巻では、従来の力学史・電磁気学史でほとんど無視されてきたといっていいルネサンス期を探る。本書は技術者たちの技術にたいする実験的・合理的アプローチと、俗語による科学書執筆の意味を重視しつつ、思想の枠組としての魔術がはたした役割に最大の注目を払う。脱神秘化する魔術と理論化される技術。清新の気にみちた時代に、やがてふたつの流れは合流し、後期ルネサンスの魔術思想の変質―実験魔術―をへて、新しい科学の思想と方法を産み出すのである。
2003年刊行、328ページ。
著者について:
山本義隆(やまもとよしたか)
1941年大阪生まれ。大阪府出身。大阪市立船場中学校、大阪府立大手前高等学校卒業。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。 東京大学大学院博士課程中退。
1960年代、学生運動が盛んだったころに東大全共闘議長を務める。1969年の安田講堂事件前に警察の指名手配を受け地下に潜伏するが、同年9月の日比谷での全国全共闘連合結成大会の会場で警察当局に逮捕された。日大全共闘議長の秋田明大とともに、全共闘を象徴する存在であった。
学生時代より秀才でならし、大学では物理学科に進んで素粒子論を専攻した。大学院在学中には、京都大学の湯川秀樹研究室に国内留学しており、物理学者としての将来を嘱望されていたが、学生運動の後に大学を去り、大学での研究生活に戻ることはなかった。
その後は予備校教師に転じ、駿台予備学校では「東大物理」などのクラスに出講している。一方で科学史を研究しており、当初エルンスト・カッシーラーの優れた翻訳で知られたが、後に熱学・熱力学や力学など物理学を中心とした自然思想史の研究に従事し今日に至っている。遠隔力概念の発展史についての研究をまとめた『磁力と重力の発見』全3巻は、第1回パピルス賞、第57回毎日出版文化賞、第30回大佛次郎賞を受賞して読書界の話題となった。
山本義隆: ウィキペディアの記事 Amazonで著書を検索
理数系書籍のレビュー記事は本書で297冊目。
第1巻を読み終えてからひと月以上かかっていることからおわかりのように、第2巻を読むのはとても難儀だった。近代科学の夜明けはまだまだという感じで、じれったい思いを重ねながら読み進めるのがルネサンス期の前科学史である。
章立ては次のとおりである。ヨーロッパ史だと西暦1300年頃から西暦1500年代半ばまで。
第9章:ニコラウス・クザーヌスと磁力の量化
第10章:古代の発見と前期ルネサンスの魔術
第11章:大航海時代と偏角の発見
第12章:ロバート・ノーマンと『新しい引力』
第13章:鉱業の発展と磁力の特異性
第14章:パラケルススと磁気治療
第15章:後期ルネサンスの魔術思想とその変貌
第16章:デッラ・ポルタの磁力研究
初期ルネサンス(1300年代、1400年代)は古代の発見、自然魔術の復活の時代である。魔術は呪術や悪魔祓いなどのような魔術と、自然現象を神の御業が隠れた力としてあらわれるのだと理解する「自然魔術」に分けられていた。
神学、哲学、占星術、錬金術、魔術についての古代文書の意義が再発見され、1470年頃にギリシャ語の写本からラテン語に訳され出版された。(参考:マルシリオ・フィチーノ(1433年-1499)による『ヘルメス文書』の翻訳)それは中世後期からルネサンスにかけてヨーロッパではギリシャ・ローマの古典古代は自分の時代より優れていて、さらにさかのぼって大洪水以前の預言者たちは神により近いいっそう優れた人間だと信じられていたのである。であるからそれらの文書にいかに奇妙なことが書かれていてもそれは「言葉のベールに包まれた神秘秘儀が隠されたものだから」として信じられていた。
古代人たちが書いたものが必ずしも正しくないことにヨーロッパ人が気が付きはじめたのは、ヴァスコ・ダ・ガマやコロンブス以降、1500年代の大航海時代になってからである。1543年に『天球の回転について』を書きのこして世を去ったコペルニクスにしても、青年時代にパドヴァやフェラーラで学んだルネサンス人のひとりとして、地動説を新しい理論としてではなく、古代フィロラオス説のリバイバルとして語ったのだ。コペルニクスであっても、真理とは再発見されるべきものであった。この一例からも当時の思想風土がうかがいしれるだろう。
1400年代の魔術は中世の妖術のようなものとは異なり、それなりに学問的に洗練されたものに変貌していった。中世的で土俗的な「民間の魔術」とピコやフィチーノによって復活させられた「知的魔術」=「自然魔術」に分かれていったのだ。
1460年以降、イタリアで書籍印刷・出版業が急速に発展したことが一連の翻訳・著述活動の後押しをした。そしてそれを購読する都市市民の存在こそが、1400年代後半以降のイタリアにおける魔術思想普及の物質的・社会的基盤となったのである。1500年代には印刷技術・製紙技術が向上し、ヨーロッパ全土で俗語(自国語)での出版物が劇的に増えたのでこの科学・技術の知識が広まっていった。
1400年代の魔術と1500年代の魔術は質的にまたは段階的に異なっている。1400年代の魔術は新プラトン主義とヘルメス主義の影響を強く受けている、すなわち古代思想の復活である。それは宗教的で思弁的であった。しかし1500年代の魔術はロジャー・ベーコンの影響から発し、アリストテレスの影響も大きく受けている。それは経験的で数学的、かつ実践的な性格を有し、さらに職人たちによって担われてきた技術と結びつく傾向を示している。そしてここから実験的方法と数学的推論にもとづく、技術的応用を目的とした近代科学が生まれる土壌となっていった。
ヨーロッパでは1200年頃までには磁化した鉄針が北を指すことが知られていたが、1400年代半ばから1600年代半ばまで続いた「大航海時代」には羅針儀が重要な道具として使われた。航海士や船舶関連の技術者に向けた技術書、数学書も出版されるようになり、磁針が真北を指さないこと、すなわち偏角や磁針が水平ではなく上下に傾くこと、すなわち伏角が経験的事実として知られるようになった。(参考:地磁気(偏角、伏角))
そして偏角や伏角の発見は磁針が北を指す原因が、北極星や天の北極から引かれるからではなく、地球自身にその原因があることが理解されるきっかけとなったのである。ただし、当時の人は地球の北極圏に「磁石の山」があって磁針を引き付けているのだと考えていたわけであるが。1500年代には海洋を航海しながら地球上のあらゆる位置で偏角を測定し、磁極がどこにあるか(磁石の山がどこにあるか)を特定する試みが行われていた。
経験や観測を重視することがそれだけで近代科学に直結したわけではない。それは以下年代順に挙げた人物の業績を読むとおわかりになるだろう。
ニコラウス・クザーヌス(1401-1464年):ドイツの哲学者・神学者・数学者・枢機卿であり、中世の博学者
後世のライプニッツの微積分学にも影響を与えたのがクザーヌスである。そのことは「微分積分学の史的展開 ライプニッツから高木貞治まで:高瀬正仁」でも解説されていた。クザーヌスは著書『知ある無知(1440)』の中で次の2つのことを述べている。
- 無限なものの有限なものに対する比は存在しない。それゆえ有限の思考過程の積み重ねによってしか物事を知りえない私たち人間の知性は、無限なる神・絶対的な真理には到達しえない。真理の厳密性はわれわれの無知の闇のなかに、把握されえない仕方で光っている。
- 地球を宇宙の固定した不動の中心とすることは不可能である。それゆえ、中心でありえない地球が、どんな運動にも欠けているということはありえない。地球が世界の中心ではないように諸恒星の球は世界の周ではない。これらのことから、地球が運動することは明白である。
- 事物の認識における「数の重要性」の主張:数がなくなると事物の区別、秩序、比、調和、さらに存在するものどもの多性自体がなくなってしまう。神は物を数と重さと尺度にしたがって創造した。悪魔のなす悪しき業は重さによっても尺度によっても数によっても秩序づけられない。
また著書『計量実験(1450)』においても事物の認識における「数の重要性」を主張している。
- 物事の不思議はその重さに相違によって正しく解決され、多くの事柄はより正確な解釈によって確かめられるであろうと考える。
- 磁力の定量的な測定方法の提案:天秤の一方に鉄を、もう一方に磁石を置いて釣り合わせてから行う磁力の測定を提案している。
コペルニクスやガリレイより100年も昔にこれらの主張、提案をしたクザーヌスであっても、それは思念的、思弁的なものであったから近代物理学の先駆者として見ることはできない。彼をもってしてもダイヤモンドが磁力を破壊するという古代以来の伝承を無批判に受け入れている。また鉄が磁石に引き付けられる理由についても「それは鉄固有の本性の力である」と述べているにすぎない。
ピコ・デラ・ミランドラ(1463-1494):イタリア・ルネサンス期の哲学者
著作『人間の尊厳について(1486)』のなかで魔術を全自然の認識を獲得するための「自然魔術」と悪魔の業と権威にもとづいている呪われるべき「邪悪な魔術」に分類したうえで、自然魔術について次のように語っている。
自然魔術はギリシャ人がより的確に「共感」と言っている「宇宙の共感」をその内部に深く入って探求し、もろもろの自然の相互認識を洞察して所有し、おのおのの事物に備わっている生来の呪力、神の秘密の蔵に隠れているもろもろの奇蹟をあたかもみずからが工匠であるかのように公衆に示すものである。
マルシリオ・フィチーノ(1433年-1499):イタリア・ルネサンス期の人文主義者、哲学者、神学者。メディチ家の保護を受け、プラトンなどギリシア語文献の著作をラテン語に翻訳した。プラトン・アカデミーの中心人物。
『ヘルメス文書』の翻訳を1463年に完成し、1471年に出版。その後『プラトン著作集』、『プラトン神学』、『生について』を出版。そして次のように書いている。
魔術には二種類あり、一方は特殊な宗教的祭儀によってみずからをダイモン(悪魔)と一体化させ、ダイモンの助けにより怪異を企むものである。もう一方の魔術は自然的事物を驚くべき仕方で形成されるように、頃合いを見計らって自然的な原因に服させる自然魔術である。自然魔術には占星術も含まれていた。磁石が鉄を引き付けるのも自然魔術によるものであると考えた。
アグリッパ・フォン・ネッテスハイム(1486年-1535):ドイツの魔術師、人文主義者、神学者、法律家、軍人、医師
1400年代後半に復活した魔術思想を1500年以降になって集大成したのがアグリッパである。キリスト教圏第一の魔術師として1510年に書き上げたのが『オカルト哲学』の3部作でその冒頭で次のように書いている。
三層の世界--元素的世界、天界的世界、叡智的世界--が存在し、すべて下位の世界は上位の世界によって支配され、上位のものの影響を受けている。その始源にある万物の創造主は、天使、天空、星辰、元素、動物、植物、金属、石塊を介して、その全能の力をわれわれのもとへと伝える。すべての物質的物体の元素として4元素(火・土・水・空気)が存在し、第5元素としての「宇宙の精気」を提唱した。
ロバート・ノーマン:16世紀のイギリスの航海士、羅針盤の製作者
「地磁気の伏角」はロバート・ノーマンにより発見され、著書『新しい引力(1581)』で発表された。ノーマンは地球磁場が磁針におよぼす力は一方向への引力ではなく、その合力がゼロになる「偶力」によるものに過ぎないと指摘した。これは磁針(磁気双極子)がほぼ均一な磁場の中で受ける力の性質についての正しい理解を最初に与えたものである。またノーマンは磁石のまわりに広がる「力の作用圏」が球形であることを提唱した。これは力についての近代的な見方の萌芽といえよう。
ロバート・レコード(1512–1558):イギリス人(ウェールズ人)の物理学者、数学者
イギリスで最初にコペルニクス仮説に言及した人物。技術者や職人向けに『技芸の基礎』という英語の初等数学教本を書き、1542年から1699年までに何版も重ねた。数学の等号(=)記号の発明者でもある。
ジョン・ディー(1527-1608 or 1609):イギリス・ロンドン生まれの錬金術師、占星術師、数学者
エリザベス女王のブレーンとしてイギリスの帝国主義政策の熱烈な推進論者。航海術の改良に貢献し、航海関係者や植民地主義者のアドバイザー、科学啓蒙家として活躍した。
また彼は著書『箴言による入門(1558)』によって占星術を数学的に基礎づけ、宇宙とその内部の作用を厳密に数学的にとらえようとした。天体がそれぞれの時刻に地上の人間や物体に及ぼす影響が定量的に計算できると考えていた。これがディーの自然魔術である。
ビリングッチョ(1480-1539):イタリアの冶金技術者。
シエナに生まれ、ローマで没した鉱物学者である。ドイツを旅行した時に採鉱冶金の知識を得て、1538年に教皇パウロ3世の命を受け、大砲の鋳造と火薬の製造に従事した。彼は錬金術のそれまでの誤った見解を否定し、実験の結果に基づいて考察した最初の真の化学者の一人といわれている。著書『ピロテクニア(1540)』は、16世紀イタリアにおける火工術ハンドブックであり、冶金学の最も初期の古典で当時の知識と技術を包括している。こうした本書は当時のヨーロッパに於いて、フランス語や英語に翻訳されて広く利用されていた。
『ピロテクニア(1540)』には鉄だけが磁石に引き寄せられるのではなく、磁石も鉄に引き寄せされることを観測したことが書かれている。これによってアリストテレスが磁石に与えた「みずからは動くことなく最初の動かすもの」という地位が初めてはく奪されることになった。しかしこの本には山羊の乳やニンニクの汁は磁力を消すということも書かれている。
ゲオルギウス・アグリコラ(1494-1555):ドイツの鉱山学者、鉱物学者、人文学者、医者。「鉱山学の父」として知られる。
『デ・レ・メタリカ(1556)』という全12巻におよぶ鉱山学・冶金学(やきんがく)の本を著した。その後ドイツ語版も出版された。この本は神秘的・魔術的なものはほとんどなく、物質を扱いながら錬金術とは無縁であり、記述はすべて実学的なものだった。しかしこの本の鉱物の分類の基準は感性的感覚、とくに視覚・触覚・味覚・嗅覚に基づいたもので、化学的な性質は考慮されていなかった。
アグリコラもまた磁石に関しては「ニンニクの汁を塗った磁石は鉄を引き寄せない。」と述べるなど、はなはだ無批判に風説や伝聞を受け入れていた。
パラケルスス(1493-1541):スイスのアインジーデルン出身の医師、化学者、錬金術師、神秘思想家。
医学を不毛で因習的な机上の学問から実践的で実証的な臨床の学問に転換させることに貢献した人物。死後に評価が高まる。著書『大外科科学(1536)』。鉱山や精錬所における劣悪な労働環境による肺疾患に注目し、初めて職業病の存在を認めた。医学を支える4つの柱として哲学、天文学(占星術)、錬金術、徳」を挙げている。
磁石については「磁石の中にある鉄のスピリトスがマルス(火星)の物体をおのれの方に引き寄せる。」と述べ、彼の関心はむしろ医療にとって磁石はどのような効能をもつかという実用性に向いていた。ある種の病気に対して磁石が作用すると述べている。彼が言う「ある種の病気」とは女性のおりもの全般、粘液や血液などの分泌物をともなう下痢全般ということなのだそうだ。
ピエトロ・ポンポナッツィ(1462-1524):イタリアの哲学者
ポンポナッツィの基本姿勢は二重真理説、すなわち一方でカトリック信仰の超越的な世界を信じているが、他方哲学においては教会の教義を意に介さず、学問にとっては神学的根拠は不必要だというものだった。そしてすべての魔術は自然的原因に還元されうるとし、魔術と奇蹟にたいする超越的な説明を拒否した。彼のいうところの「自然的原因」は熱・冷・乾・湿のような「あからさまな性質」と薬草の効用のような「隠れた力」に分かれていた。後者の「隠れた力」の代表例が磁力であり、その作用として「ダイヤモンドは磁石の力を妨げ、塗り付けられたニンニクもおなじ働きをする。」があると書いている。
レジナルド・スコット(1538–1599):
『妖術の暴露(1584)』を発表し、理性と常識の立場からダイモン魔術を断固として否定し、悪魔と契約した魔女がおこなった妖術なるものが愚かな迷信であることを説き、教会権力による罪無き人々に対する魔女狩りを厳しく糾弾した。しかしスコットも「野生の牛が無花果(いちじく)の木につながれたらおとなしくなる。」とか「レモラとかエケネスと呼ばれる小魚が罪にと船備を満載して帆をはらんでいる大きな船の前を通過すると船が動けなくなる。」というような「自然魔術」を認めていた。
レジナルド・スコットと「魔女術の暴露」
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/danats/scot.htm
ジェロラモ・カルダーノ(1501-1576):イタリア人。一般に数学者として知られている。本業は医者、占星術師、賭博師、哲学者でもあった。
三次方程式の解の公式の提唱者として知られる数学者である。自然界における厳密な因果的法則を信じる一方、占星術や夢占い、守護霊といったものも信じていた。彼にとっての自然魔術は第一質量、形相、霊魂、一、運動の5原理で説明されるものだった。
磁力が選択的なことと遮蔽的でないこと、また琥珀の静電気力は選択的でないことと遮蔽されることを指摘し、この2つの点で磁力と静電気力が質的に別物であるという考えを述べた。静電気力については熱や摩擦によっておきるという近接作用モデルを提唱した。(説明:「磁力が選択的」とは磁石が鉄をはじめとする一部の金属しか引き付けないことをさす。「磁力が遮蔽的でない」とは磁石と鉄の間に物体を置いても磁力は妨げられないことをさす。)
ジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600):イタリア出身の哲学者、ドミニコ会の修道士
主著『無限・宇宙と諸世界について』でコペルニクスの地動説にたいする支持を表明するだけでなく、コペルニクスを超えて宇宙は無限であり、世界は複数あるという新しい宇宙論を主張した。
磁力については著書『魔術について(1590年頃)』の中で自然魔術の代表例としてとりあげた。そして磁力を原子論と近接作用によって説明した。しかしブルーノにおいて、磁力や琥珀の力は生命的で能動的なエーテルないし精気の働きによる近接作用である。思弁が先行し、観察や実験の重視あるいは魔術の技術的適用という方向性は見られない。
デッラ・ポルタ(1538-1615):イタリア、ナポリの博学者、医師である。中世の魔術師・錬金術師と近代の科学者との間の存在
魔術研究の一環として磁石と磁力を広く実験的に研究し『自然魔術(1558)』として発表した。この本は近代科学の揺籃期である1500年代後半から1600年代前半にかけて驚くほど広く読まれた書物だ。5つ以上のラテン語版のほか、イタリア語版、フランス語版、オランダ語版、スペイン語やアラビア語にも訳された。1580年には全20巻に増補された。ケプラーやフランシス・ベーコンも読んでいたし、ニュートンの蔵書にも含まれていた。磁力の研究は記述のうちの一部で、全体的には当時の「生活百科事典」のような書物である。この中には近代科学が生まれるもととなる「実験魔術」についての記載が多く含まれていた。
磁石については第7巻「磁石の不思議」で第1章から第56章まで詳しく考察されている。現代の知識からみても正しい内容も多く記述されている反面、「驚くべきいくつかの実験について」の章で「婦人が貞節であるかを(磁石を使って)証明する方法」や「船乗りがニンニクやタマネギを食べて羅針盤に向かうと、羅針は狂う。」のような記述もある。しかしその後、彼はみずから実験をしてこれらの迷信を否定し、第2版で正しい事実を記述している。
彼の功績で大切なことは「力の作用圏」という概念の創始者であることだ。磁石の磁化作用(磁気誘導)が遠隔作用であうることを明示的に表明したのだ。これはロバート・ノーマンが「磁力は磁石のまわりに球形をなして広がると言ったことをさらに精密化したものになっている。磁力の強さが距離とともに減衰すると彼は書き留めている。また磁化能力も遠隔作用であること、距離とともに減少することを彼は指摘している。
近代科学の夜明けはなかなかおとずれないが、そのぶん読み応えは十分にある。ぜひお読みいただきたい。
「磁力と重力の発見〈1〉古代・中世:山本義隆」
「磁力と重力の発見〈2〉ルネサンス:山本義隆」
「磁力と重力の発見〈3〉近代の始まり:山本義隆」
関連記事:
磁力と重力の発見〈1〉古代・中世:山本義隆
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「磁力と重力の発見〈2〉ルネサンス:山本義隆」
第9章:ニコラウス・クザーヌスと磁力の量化
- ニコラウス・クザーヌスと『知のある無知』
- クザーヌスの宇宙論
- 自然認識における数の重要性
- クザーヌスの磁力観
第10章:古代の発見と前期ルネサンスの魔術
- ルネサンスにおける魔術の復活
- 魔術思想普及の背景
- ピコとフィチーノの魔術思想
- 魔力としての磁力
- アグリッパの魔術--象徴としての自然
第11章:大航海時代と偏角の発見
- 「磁石の山」をめぐって
- 磁気羅針儀と世界の発見
- 偏角の発見とコロンブスをめぐって
- 偏角の定量的測定
- 地球上の磁極という概念の形成
第12章:ロバート・ノーマンと『新しい引力』
- 伏角の発見
- 磁力をめぐる考察
- 科学の新しい担い手
- ロバート・レコードとジョン・ディー
第13章:鉱業の発展と磁力の特異性
- 16世紀文化革命
- ビリングッチョの『ピロテクニア』
- ゲオルギウス・アグリコラ
- 錬金術に対する態度
- ビリングッチョとアグリコラの磁力認識
第14章:パラケルススと磁気治療
- パラケルスス
- パラケルススの医学と魔術
- パラケルススの磁力観
- 死後の影響--武器軟膏をめぐって
第15章:後期ルネサンスの魔術思想とその変貌
- 魔術思想の脱神秘化
- ピエトロ・ポンボナッツィとレジナルド・スコット
- 魔術と実験的方法
- ジョン・ディーと魔術の数学化・技術化
- カルダーノの魔術と電磁気学的研究
- ジョルダノ・ブルーノにおける電磁力の理解
第16章:デッラ・ポルタの磁力研究
- デッラ・ポルタの『自然魔術』とその背景
- 文献魔術から実験魔術へ
- 『自然魔術』と実験魔術
- 『自然魔術』における磁力研究の概要
- デッラ・ポルタによる磁石の実験
- デッラ・ポルタの理論的発見
- 魔術と科学
注
第1巻
「遠隔力」の概念が、近代物理学の扉を開いた。古代ギリシャからニュートンとクーロンにいたる科学史空白の一千年余を解き明かす。西洋近代科学技術誕生の謎に真っ向からとりくんだ渾身の書き下ろし。第1巻は古代ギリシャ・ヘレニズム時代、ローマ帝国時代、中世キリスト教世界まで。
第1章:磁気学の始まり―古代ギリシャ
第2章:ヘレニズムの時代
第3章:ローマ帝国の時代
第4章:中世キリスト教世界
第5章:中世社会の転換と磁石の指向性の発見
第6章:トマス・アクィナスの磁力理解
第7章:ロジャー・ベーコンと磁力の伝播
第8章:ペトロス・ペレグリヌスと『磁気書簡』
第3巻
第3巻でようやく近代科学の誕生に立ち会う。霊魂論・物活論の色彩を色濃く帯びたケプラーや、錬金術に耽っていたニュートン。重力理論を作りあげていったのは彼らであり、近代以降に生き残ったのはケプラー、ニュートン、クーロンの法則である。魔術的な遠隔力は数学的法則に捉えられ、合理化された。壮大な前科学史の終幕である。
第17章:ウィリアム・ギルバートの『磁石論』
第18章:磁気哲学とヨハネス・ケプラー
第19章:一七世紀機械論哲学と力
第20章:ロバート・ボイルとイギリスにおける機械論の変質
第21章:磁力と重力―フックとニュートン
第22章:エピローグ―磁力法則の測定と確定
内容紹介:
第2巻では、従来の力学史・電磁気学史でほとんど無視されてきたといっていいルネサンス期を探る。本書は技術者たちの技術にたいする実験的・合理的アプローチと、俗語による科学書執筆の意味を重視しつつ、思想の枠組としての魔術がはたした役割に最大の注目を払う。脱神秘化する魔術と理論化される技術。清新の気にみちた時代に、やがてふたつの流れは合流し、後期ルネサンスの魔術思想の変質―実験魔術―をへて、新しい科学の思想と方法を産み出すのである。
2003年刊行、328ページ。
著者について:
山本義隆(やまもとよしたか)
1941年大阪生まれ。大阪府出身。大阪市立船場中学校、大阪府立大手前高等学校卒業。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。 東京大学大学院博士課程中退。
1960年代、学生運動が盛んだったころに東大全共闘議長を務める。1969年の安田講堂事件前に警察の指名手配を受け地下に潜伏するが、同年9月の日比谷での全国全共闘連合結成大会の会場で警察当局に逮捕された。日大全共闘議長の秋田明大とともに、全共闘を象徴する存在であった。
学生時代より秀才でならし、大学では物理学科に進んで素粒子論を専攻した。大学院在学中には、京都大学の湯川秀樹研究室に国内留学しており、物理学者としての将来を嘱望されていたが、学生運動の後に大学を去り、大学での研究生活に戻ることはなかった。
その後は予備校教師に転じ、駿台予備学校では「東大物理」などのクラスに出講している。一方で科学史を研究しており、当初エルンスト・カッシーラーの優れた翻訳で知られたが、後に熱学・熱力学や力学など物理学を中心とした自然思想史の研究に従事し今日に至っている。遠隔力概念の発展史についての研究をまとめた『磁力と重力の発見』全3巻は、第1回パピルス賞、第57回毎日出版文化賞、第30回大佛次郎賞を受賞して読書界の話題となった。
山本義隆: ウィキペディアの記事 Amazonで著書を検索
理数系書籍のレビュー記事は本書で297冊目。
第1巻を読み終えてからひと月以上かかっていることからおわかりのように、第2巻を読むのはとても難儀だった。近代科学の夜明けはまだまだという感じで、じれったい思いを重ねながら読み進めるのがルネサンス期の前科学史である。
章立ては次のとおりである。ヨーロッパ史だと西暦1300年頃から西暦1500年代半ばまで。
第9章:ニコラウス・クザーヌスと磁力の量化
第10章:古代の発見と前期ルネサンスの魔術
第11章:大航海時代と偏角の発見
第12章:ロバート・ノーマンと『新しい引力』
第13章:鉱業の発展と磁力の特異性
第14章:パラケルススと磁気治療
第15章:後期ルネサンスの魔術思想とその変貌
第16章:デッラ・ポルタの磁力研究
初期ルネサンス(1300年代、1400年代)は古代の発見、自然魔術の復活の時代である。魔術は呪術や悪魔祓いなどのような魔術と、自然現象を神の御業が隠れた力としてあらわれるのだと理解する「自然魔術」に分けられていた。
神学、哲学、占星術、錬金術、魔術についての古代文書の意義が再発見され、1470年頃にギリシャ語の写本からラテン語に訳され出版された。(参考:マルシリオ・フィチーノ(1433年-1499)による『ヘルメス文書』の翻訳)それは中世後期からルネサンスにかけてヨーロッパではギリシャ・ローマの古典古代は自分の時代より優れていて、さらにさかのぼって大洪水以前の預言者たちは神により近いいっそう優れた人間だと信じられていたのである。であるからそれらの文書にいかに奇妙なことが書かれていてもそれは「言葉のベールに包まれた神秘秘儀が隠されたものだから」として信じられていた。
古代人たちが書いたものが必ずしも正しくないことにヨーロッパ人が気が付きはじめたのは、ヴァスコ・ダ・ガマやコロンブス以降、1500年代の大航海時代になってからである。1543年に『天球の回転について』を書きのこして世を去ったコペルニクスにしても、青年時代にパドヴァやフェラーラで学んだルネサンス人のひとりとして、地動説を新しい理論としてではなく、古代フィロラオス説のリバイバルとして語ったのだ。コペルニクスであっても、真理とは再発見されるべきものであった。この一例からも当時の思想風土がうかがいしれるだろう。
1400年代の魔術は中世の妖術のようなものとは異なり、それなりに学問的に洗練されたものに変貌していった。中世的で土俗的な「民間の魔術」とピコやフィチーノによって復活させられた「知的魔術」=「自然魔術」に分かれていったのだ。
1460年以降、イタリアで書籍印刷・出版業が急速に発展したことが一連の翻訳・著述活動の後押しをした。そしてそれを購読する都市市民の存在こそが、1400年代後半以降のイタリアにおける魔術思想普及の物質的・社会的基盤となったのである。1500年代には印刷技術・製紙技術が向上し、ヨーロッパ全土で俗語(自国語)での出版物が劇的に増えたのでこの科学・技術の知識が広まっていった。
1400年代の魔術と1500年代の魔術は質的にまたは段階的に異なっている。1400年代の魔術は新プラトン主義とヘルメス主義の影響を強く受けている、すなわち古代思想の復活である。それは宗教的で思弁的であった。しかし1500年代の魔術はロジャー・ベーコンの影響から発し、アリストテレスの影響も大きく受けている。それは経験的で数学的、かつ実践的な性格を有し、さらに職人たちによって担われてきた技術と結びつく傾向を示している。そしてここから実験的方法と数学的推論にもとづく、技術的応用を目的とした近代科学が生まれる土壌となっていった。
ヨーロッパでは1200年頃までには磁化した鉄針が北を指すことが知られていたが、1400年代半ばから1600年代半ばまで続いた「大航海時代」には羅針儀が重要な道具として使われた。航海士や船舶関連の技術者に向けた技術書、数学書も出版されるようになり、磁針が真北を指さないこと、すなわち偏角や磁針が水平ではなく上下に傾くこと、すなわち伏角が経験的事実として知られるようになった。(参考:地磁気(偏角、伏角))
そして偏角や伏角の発見は磁針が北を指す原因が、北極星や天の北極から引かれるからではなく、地球自身にその原因があることが理解されるきっかけとなったのである。ただし、当時の人は地球の北極圏に「磁石の山」があって磁針を引き付けているのだと考えていたわけであるが。1500年代には海洋を航海しながら地球上のあらゆる位置で偏角を測定し、磁極がどこにあるか(磁石の山がどこにあるか)を特定する試みが行われていた。
経験や観測を重視することがそれだけで近代科学に直結したわけではない。それは以下年代順に挙げた人物の業績を読むとおわかりになるだろう。
ニコラウス・クザーヌス(1401-1464年):ドイツの哲学者・神学者・数学者・枢機卿であり、中世の博学者
後世のライプニッツの微積分学にも影響を与えたのがクザーヌスである。そのことは「微分積分学の史的展開 ライプニッツから高木貞治まで:高瀬正仁」でも解説されていた。クザーヌスは著書『知ある無知(1440)』の中で次の2つのことを述べている。
- 無限なものの有限なものに対する比は存在しない。それゆえ有限の思考過程の積み重ねによってしか物事を知りえない私たち人間の知性は、無限なる神・絶対的な真理には到達しえない。真理の厳密性はわれわれの無知の闇のなかに、把握されえない仕方で光っている。
- 地球を宇宙の固定した不動の中心とすることは不可能である。それゆえ、中心でありえない地球が、どんな運動にも欠けているということはありえない。地球が世界の中心ではないように諸恒星の球は世界の周ではない。これらのことから、地球が運動することは明白である。
- 事物の認識における「数の重要性」の主張:数がなくなると事物の区別、秩序、比、調和、さらに存在するものどもの多性自体がなくなってしまう。神は物を数と重さと尺度にしたがって創造した。悪魔のなす悪しき業は重さによっても尺度によっても数によっても秩序づけられない。
また著書『計量実験(1450)』においても事物の認識における「数の重要性」を主張している。
- 物事の不思議はその重さに相違によって正しく解決され、多くの事柄はより正確な解釈によって確かめられるであろうと考える。
- 磁力の定量的な測定方法の提案:天秤の一方に鉄を、もう一方に磁石を置いて釣り合わせてから行う磁力の測定を提案している。
コペルニクスやガリレイより100年も昔にこれらの主張、提案をしたクザーヌスであっても、それは思念的、思弁的なものであったから近代物理学の先駆者として見ることはできない。彼をもってしてもダイヤモンドが磁力を破壊するという古代以来の伝承を無批判に受け入れている。また鉄が磁石に引き付けられる理由についても「それは鉄固有の本性の力である」と述べているにすぎない。
ピコ・デラ・ミランドラ(1463-1494):イタリア・ルネサンス期の哲学者
著作『人間の尊厳について(1486)』のなかで魔術を全自然の認識を獲得するための「自然魔術」と悪魔の業と権威にもとづいている呪われるべき「邪悪な魔術」に分類したうえで、自然魔術について次のように語っている。
自然魔術はギリシャ人がより的確に「共感」と言っている「宇宙の共感」をその内部に深く入って探求し、もろもろの自然の相互認識を洞察して所有し、おのおのの事物に備わっている生来の呪力、神の秘密の蔵に隠れているもろもろの奇蹟をあたかもみずからが工匠であるかのように公衆に示すものである。
マルシリオ・フィチーノ(1433年-1499):イタリア・ルネサンス期の人文主義者、哲学者、神学者。メディチ家の保護を受け、プラトンなどギリシア語文献の著作をラテン語に翻訳した。プラトン・アカデミーの中心人物。
『ヘルメス文書』の翻訳を1463年に完成し、1471年に出版。その後『プラトン著作集』、『プラトン神学』、『生について』を出版。そして次のように書いている。
魔術には二種類あり、一方は特殊な宗教的祭儀によってみずからをダイモン(悪魔)と一体化させ、ダイモンの助けにより怪異を企むものである。もう一方の魔術は自然的事物を驚くべき仕方で形成されるように、頃合いを見計らって自然的な原因に服させる自然魔術である。自然魔術には占星術も含まれていた。磁石が鉄を引き付けるのも自然魔術によるものであると考えた。
アグリッパ・フォン・ネッテスハイム(1486年-1535):ドイツの魔術師、人文主義者、神学者、法律家、軍人、医師
1400年代後半に復活した魔術思想を1500年以降になって集大成したのがアグリッパである。キリスト教圏第一の魔術師として1510年に書き上げたのが『オカルト哲学』の3部作でその冒頭で次のように書いている。
三層の世界--元素的世界、天界的世界、叡智的世界--が存在し、すべて下位の世界は上位の世界によって支配され、上位のものの影響を受けている。その始源にある万物の創造主は、天使、天空、星辰、元素、動物、植物、金属、石塊を介して、その全能の力をわれわれのもとへと伝える。すべての物質的物体の元素として4元素(火・土・水・空気)が存在し、第5元素としての「宇宙の精気」を提唱した。
ロバート・ノーマン:16世紀のイギリスの航海士、羅針盤の製作者
「地磁気の伏角」はロバート・ノーマンにより発見され、著書『新しい引力(1581)』で発表された。ノーマンは地球磁場が磁針におよぼす力は一方向への引力ではなく、その合力がゼロになる「偶力」によるものに過ぎないと指摘した。これは磁針(磁気双極子)がほぼ均一な磁場の中で受ける力の性質についての正しい理解を最初に与えたものである。またノーマンは磁石のまわりに広がる「力の作用圏」が球形であることを提唱した。これは力についての近代的な見方の萌芽といえよう。
ロバート・レコード(1512–1558):イギリス人(ウェールズ人)の物理学者、数学者
イギリスで最初にコペルニクス仮説に言及した人物。技術者や職人向けに『技芸の基礎』という英語の初等数学教本を書き、1542年から1699年までに何版も重ねた。数学の等号(=)記号の発明者でもある。
ジョン・ディー(1527-1608 or 1609):イギリス・ロンドン生まれの錬金術師、占星術師、数学者
エリザベス女王のブレーンとしてイギリスの帝国主義政策の熱烈な推進論者。航海術の改良に貢献し、航海関係者や植民地主義者のアドバイザー、科学啓蒙家として活躍した。
また彼は著書『箴言による入門(1558)』によって占星術を数学的に基礎づけ、宇宙とその内部の作用を厳密に数学的にとらえようとした。天体がそれぞれの時刻に地上の人間や物体に及ぼす影響が定量的に計算できると考えていた。これがディーの自然魔術である。
ビリングッチョ(1480-1539):イタリアの冶金技術者。
シエナに生まれ、ローマで没した鉱物学者である。ドイツを旅行した時に採鉱冶金の知識を得て、1538年に教皇パウロ3世の命を受け、大砲の鋳造と火薬の製造に従事した。彼は錬金術のそれまでの誤った見解を否定し、実験の結果に基づいて考察した最初の真の化学者の一人といわれている。著書『ピロテクニア(1540)』は、16世紀イタリアにおける火工術ハンドブックであり、冶金学の最も初期の古典で当時の知識と技術を包括している。こうした本書は当時のヨーロッパに於いて、フランス語や英語に翻訳されて広く利用されていた。
『ピロテクニア(1540)』には鉄だけが磁石に引き寄せられるのではなく、磁石も鉄に引き寄せされることを観測したことが書かれている。これによってアリストテレスが磁石に与えた「みずからは動くことなく最初の動かすもの」という地位が初めてはく奪されることになった。しかしこの本には山羊の乳やニンニクの汁は磁力を消すということも書かれている。
ゲオルギウス・アグリコラ(1494-1555):ドイツの鉱山学者、鉱物学者、人文学者、医者。「鉱山学の父」として知られる。
『デ・レ・メタリカ(1556)』という全12巻におよぶ鉱山学・冶金学(やきんがく)の本を著した。その後ドイツ語版も出版された。この本は神秘的・魔術的なものはほとんどなく、物質を扱いながら錬金術とは無縁であり、記述はすべて実学的なものだった。しかしこの本の鉱物の分類の基準は感性的感覚、とくに視覚・触覚・味覚・嗅覚に基づいたもので、化学的な性質は考慮されていなかった。
アグリコラもまた磁石に関しては「ニンニクの汁を塗った磁石は鉄を引き寄せない。」と述べるなど、はなはだ無批判に風説や伝聞を受け入れていた。
パラケルスス(1493-1541):スイスのアインジーデルン出身の医師、化学者、錬金術師、神秘思想家。
医学を不毛で因習的な机上の学問から実践的で実証的な臨床の学問に転換させることに貢献した人物。死後に評価が高まる。著書『大外科科学(1536)』。鉱山や精錬所における劣悪な労働環境による肺疾患に注目し、初めて職業病の存在を認めた。医学を支える4つの柱として哲学、天文学(占星術)、錬金術、徳」を挙げている。
磁石については「磁石の中にある鉄のスピリトスがマルス(火星)の物体をおのれの方に引き寄せる。」と述べ、彼の関心はむしろ医療にとって磁石はどのような効能をもつかという実用性に向いていた。ある種の病気に対して磁石が作用すると述べている。彼が言う「ある種の病気」とは女性のおりもの全般、粘液や血液などの分泌物をともなう下痢全般ということなのだそうだ。
ピエトロ・ポンポナッツィ(1462-1524):イタリアの哲学者
ポンポナッツィの基本姿勢は二重真理説、すなわち一方でカトリック信仰の超越的な世界を信じているが、他方哲学においては教会の教義を意に介さず、学問にとっては神学的根拠は不必要だというものだった。そしてすべての魔術は自然的原因に還元されうるとし、魔術と奇蹟にたいする超越的な説明を拒否した。彼のいうところの「自然的原因」は熱・冷・乾・湿のような「あからさまな性質」と薬草の効用のような「隠れた力」に分かれていた。後者の「隠れた力」の代表例が磁力であり、その作用として「ダイヤモンドは磁石の力を妨げ、塗り付けられたニンニクもおなじ働きをする。」があると書いている。
レジナルド・スコット(1538–1599):
『妖術の暴露(1584)』を発表し、理性と常識の立場からダイモン魔術を断固として否定し、悪魔と契約した魔女がおこなった妖術なるものが愚かな迷信であることを説き、教会権力による罪無き人々に対する魔女狩りを厳しく糾弾した。しかしスコットも「野生の牛が無花果(いちじく)の木につながれたらおとなしくなる。」とか「レモラとかエケネスと呼ばれる小魚が罪にと船備を満載して帆をはらんでいる大きな船の前を通過すると船が動けなくなる。」というような「自然魔術」を認めていた。
レジナルド・スコットと「魔女術の暴露」
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/danats/scot.htm
ジェロラモ・カルダーノ(1501-1576):イタリア人。一般に数学者として知られている。本業は医者、占星術師、賭博師、哲学者でもあった。
三次方程式の解の公式の提唱者として知られる数学者である。自然界における厳密な因果的法則を信じる一方、占星術や夢占い、守護霊といったものも信じていた。彼にとっての自然魔術は第一質量、形相、霊魂、一、運動の5原理で説明されるものだった。
磁力が選択的なことと遮蔽的でないこと、また琥珀の静電気力は選択的でないことと遮蔽されることを指摘し、この2つの点で磁力と静電気力が質的に別物であるという考えを述べた。静電気力については熱や摩擦によっておきるという近接作用モデルを提唱した。(説明:「磁力が選択的」とは磁石が鉄をはじめとする一部の金属しか引き付けないことをさす。「磁力が遮蔽的でない」とは磁石と鉄の間に物体を置いても磁力は妨げられないことをさす。)
ジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600):イタリア出身の哲学者、ドミニコ会の修道士
主著『無限・宇宙と諸世界について』でコペルニクスの地動説にたいする支持を表明するだけでなく、コペルニクスを超えて宇宙は無限であり、世界は複数あるという新しい宇宙論を主張した。
磁力については著書『魔術について(1590年頃)』の中で自然魔術の代表例としてとりあげた。そして磁力を原子論と近接作用によって説明した。しかしブルーノにおいて、磁力や琥珀の力は生命的で能動的なエーテルないし精気の働きによる近接作用である。思弁が先行し、観察や実験の重視あるいは魔術の技術的適用という方向性は見られない。
デッラ・ポルタ(1538-1615):イタリア、ナポリの博学者、医師である。中世の魔術師・錬金術師と近代の科学者との間の存在
魔術研究の一環として磁石と磁力を広く実験的に研究し『自然魔術(1558)』として発表した。この本は近代科学の揺籃期である1500年代後半から1600年代前半にかけて驚くほど広く読まれた書物だ。5つ以上のラテン語版のほか、イタリア語版、フランス語版、オランダ語版、スペイン語やアラビア語にも訳された。1580年には全20巻に増補された。ケプラーやフランシス・ベーコンも読んでいたし、ニュートンの蔵書にも含まれていた。磁力の研究は記述のうちの一部で、全体的には当時の「生活百科事典」のような書物である。この中には近代科学が生まれるもととなる「実験魔術」についての記載が多く含まれていた。
磁石については第7巻「磁石の不思議」で第1章から第56章まで詳しく考察されている。現代の知識からみても正しい内容も多く記述されている反面、「驚くべきいくつかの実験について」の章で「婦人が貞節であるかを(磁石を使って)証明する方法」や「船乗りがニンニクやタマネギを食べて羅針盤に向かうと、羅針は狂う。」のような記述もある。しかしその後、彼はみずから実験をしてこれらの迷信を否定し、第2版で正しい事実を記述している。
彼の功績で大切なことは「力の作用圏」という概念の創始者であることだ。磁石の磁化作用(磁気誘導)が遠隔作用であうることを明示的に表明したのだ。これはロバート・ノーマンが「磁力は磁石のまわりに球形をなして広がると言ったことをさらに精密化したものになっている。磁力の強さが距離とともに減衰すると彼は書き留めている。また磁化能力も遠隔作用であること、距離とともに減少することを彼は指摘している。
近代科学の夜明けはなかなかおとずれないが、そのぶん読み応えは十分にある。ぜひお読みいただきたい。
「磁力と重力の発見〈1〉古代・中世:山本義隆」
「磁力と重力の発見〈2〉ルネサンス:山本義隆」
「磁力と重力の発見〈3〉近代の始まり:山本義隆」
関連記事:
磁力と重力の発見〈1〉古代・中世:山本義隆
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「磁力と重力の発見〈2〉ルネサンス:山本義隆」
第9章:ニコラウス・クザーヌスと磁力の量化
- ニコラウス・クザーヌスと『知のある無知』
- クザーヌスの宇宙論
- 自然認識における数の重要性
- クザーヌスの磁力観
第10章:古代の発見と前期ルネサンスの魔術
- ルネサンスにおける魔術の復活
- 魔術思想普及の背景
- ピコとフィチーノの魔術思想
- 魔力としての磁力
- アグリッパの魔術--象徴としての自然
第11章:大航海時代と偏角の発見
- 「磁石の山」をめぐって
- 磁気羅針儀と世界の発見
- 偏角の発見とコロンブスをめぐって
- 偏角の定量的測定
- 地球上の磁極という概念の形成
第12章:ロバート・ノーマンと『新しい引力』
- 伏角の発見
- 磁力をめぐる考察
- 科学の新しい担い手
- ロバート・レコードとジョン・ディー
第13章:鉱業の発展と磁力の特異性
- 16世紀文化革命
- ビリングッチョの『ピロテクニア』
- ゲオルギウス・アグリコラ
- 錬金術に対する態度
- ビリングッチョとアグリコラの磁力認識
第14章:パラケルススと磁気治療
- パラケルスス
- パラケルススの医学と魔術
- パラケルススの磁力観
- 死後の影響--武器軟膏をめぐって
第15章:後期ルネサンスの魔術思想とその変貌
- 魔術思想の脱神秘化
- ピエトロ・ポンボナッツィとレジナルド・スコット
- 魔術と実験的方法
- ジョン・ディーと魔術の数学化・技術化
- カルダーノの魔術と電磁気学的研究
- ジョルダノ・ブルーノにおける電磁力の理解
第16章:デッラ・ポルタの磁力研究
- デッラ・ポルタの『自然魔術』とその背景
- 文献魔術から実験魔術へ
- 『自然魔術』と実験魔術
- 『自然魔術』における磁力研究の概要
- デッラ・ポルタによる磁石の実験
- デッラ・ポルタの理論的発見
- 魔術と科学
注
第1巻
「遠隔力」の概念が、近代物理学の扉を開いた。古代ギリシャからニュートンとクーロンにいたる科学史空白の一千年余を解き明かす。西洋近代科学技術誕生の謎に真っ向からとりくんだ渾身の書き下ろし。第1巻は古代ギリシャ・ヘレニズム時代、ローマ帝国時代、中世キリスト教世界まで。
第1章:磁気学の始まり―古代ギリシャ
第2章:ヘレニズムの時代
第3章:ローマ帝国の時代
第4章:中世キリスト教世界
第5章:中世社会の転換と磁石の指向性の発見
第6章:トマス・アクィナスの磁力理解
第7章:ロジャー・ベーコンと磁力の伝播
第8章:ペトロス・ペレグリヌスと『磁気書簡』
第3巻
第3巻でようやく近代科学の誕生に立ち会う。霊魂論・物活論の色彩を色濃く帯びたケプラーや、錬金術に耽っていたニュートン。重力理論を作りあげていったのは彼らであり、近代以降に生き残ったのはケプラー、ニュートン、クーロンの法則である。魔術的な遠隔力は数学的法則に捉えられ、合理化された。壮大な前科学史の終幕である。
第17章:ウィリアム・ギルバートの『磁石論』
第18章:磁気哲学とヨハネス・ケプラー
第19章:一七世紀機械論哲学と力
第20章:ロバート・ボイルとイギリスにおける機械論の変質
第21章:磁力と重力―フックとニュートン
第22章:エピローグ―磁力法則の測定と確定