「なぜ理系に女性が少ないのか:横山広美」(Kindle版)
内容紹介:
大学・大学院など高等教育機関における理系分野の女性学生の割合は、OECD諸国で日本が最下位。女子生徒の理科・数学の成績は世界でもトップクラスなのに、なぜ理系を選択しないのか。そこには本人の意志以外の、何かほかの要因が働いているのではないか――緻密なデータ分析から明らかになったのは、「男女平等意識」の低さや「女性は知的でないほうがいい」という社会風土が「見えない壁」となって、女性の理系選択を阻んでいるという現実だった。日本の男女格差の一側面を浮彫りにして一石を投じる、注目の研究報告。
2022年11月30日刊行、234ページ。
著者について:
横山広美(よこやま ひろみ)
プロフィール: https://www.iii.u-tokyo.ac.jp/faculty/yokoyama_hiromi
Twitter: @hyoko_UT
1975年東京生まれ。東京理科大学理工学研究科物理学専攻 連携大学院高エネルギー加速器研究機構・博士(理学)。博士号取得後、専門を物理学から科学技術社会論に変更。現在は、東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構副機構長・教授。東京大学学際情報学府、文化・人間情報学コース大学院兼担。第五回東京理科大学物理学園賞(2022)、科学技術社会論学会柿内賢信研究奨励賞(2015)、科学技術ジャーナリスト賞(2007)を受賞。
理数系書籍のレビュー記事は本書で480冊目。
理系の学生に女性が少ないことを僕が意識したのは、大学に入学した直後だった。1983年に僕が入学したのは東京理科大理学部の応用数学科だったが、女子学生の割合は25パーセントだったことを覚えている。同じ学科の数学科のほうは20パーセントだということもしばらくして知った。数学科と応用数学科の違いは、前者が数学基礎論など現代数学の成り立ちや抽象数学に重点を置いているのに対し、後者は統計学や数理計画法など現実社会の問題を解くための数学理論を学ぶことに重点を置いている。両学科における女子学生の割合はおそらく現在でも同じなのだろうと思っているが、果たして本当だろうか?もし後輩の方がいらっしゃったら、ぜひ教えてほしい。
そして当時の理科大では数学系の学科は、まだマシで物理学科だとほんの数人しか女子学生がいないことをしばらくして知り、とても驚いたことを覚えている。たまたま物理学科の学生と一緒に近所の教会で英会話のレッスンを受けていたからだ。数学系の学科で女子学生が少ないことと、物理学系の学科で女子学生が極端に少ないことの理由や意味合いは、それがなぜなのかわからないのだが、決定的に違う何かがあると僕は感じていた。
当時の僕は、次のように思っていた。数学の才能はどうやら男子のほうが女子よりも優れているに違いない。そして数学を好きな女子は世間一般には少ないのだ。同じ学科にいる女子学生は、きっと世間一般から見れば「例外」なのだろう。女性の数学者、教授は「例外中の例外」なのだろうと思っていた。
けれども物理学科の状況は数学系の学科にくらべても極端に女子学生が少ない。これは性差だけでなく、あきらかにもっと違う力が働いているからに違いない。
理科大にはこの他、化学科と応用化学科があったし、少し離れた場所に薬学部もあった。あと理工学部と工学部もあった。生命科学系の学科は理工学部にあったようだが、当時の僕は生命系の学科があったことに気がついていなかった。当時から薬学部の女子学生の割合は高かったし、数学系よりも化学系の学科のほうが女子学生の割合は高かったことを今でも覚えている。元日本テレビのアナウンサーでタレントの楠田枝里子さんは理科大応用化学科の卒業生である。
理科大生だったとき、僕はアテネフランセというフランス語を学ぶ学校の夜間クラスにも週3回通っていた。そこで知り合うのは青山、慶応、早稲田、上智などのフランス語学科、文科系学部の大学生ばかり。文系学部、学科の中でもフランス語学科は特に女子学生の割合が多い。そしてそれらの総合大学では学校全体でも理科大とくらべて女子学生の割合が多い。(けれども東京大学全体に占める女子学生は2割に過ぎないことが本書に書かれていた。)いずれにせよ女子学生が少ない理科大生だった僕にとって、アテネフランセで受けたカルチャーショックは大きかった。理科大では「貴重な」女子学生が、総合大学では普通の存在になっていたからだ。
1980年代であっても、現代であっても街を歩くと男性と女性の割合は、ほぼ半分であるように見える。なぜ学部や学科の違い、理工系とそれ以外の学部・学科では男性と女性の数に、これほどの違いがでてくるのか。理由はよくわからないけれども日常の環境にすっかり慣れ切ってしまい、知らず知らずのうちに固定観念が植えつけられ、その理由を考えると先入観にとらわれている自分がいることに気がつかされるのである。
その反面、学校であれ職場であれ男女半々のほうが自然でよいのだと僕は思っていた。男性と女性は物事の感じ方、考え方が違う。半々とは言えないものの小中学のときは共学だったのはよかった。高校は男女別学の私立に通ったが同じ敷地内に男子部と女子部があり、部活は男女一緒だった。理科大に入学して理系を選択するのは圧倒的に男子が多いことを実感した。青学や早稲田、慶応のように文科系学部がほとんどの総合大学で男女が自然な割合でいることがうらやましかった。
かなり前に京大理学部1年生が書いていた個人ブログをひんぱんに読んでいたことがある。彼は周囲に女子学生がほとんどいないことを嘆いていた。京大生ほどにもなれば、周囲にある女子大の学生と合コンして楽しい青春時代を過ごせるはずなのに。そのように僕は思っていた。女子学生が少ない理科大もほぼ同じだ。そのような環境でずっと過ごしていると、異性を過度に意識したり、現実以上に美化、理想化してしまう傾向がでてくる。これはもしかすると少子化の一因になっているのではないだろうか。
僕は若いころから「差別」が大嫌いだった。男性と女性の権利は同等であるべきだと高校生の頃から信じていた。昭和初期まで延々と続いていた男尊女卑の文化や社会、家族の在り方を否定するのが、これからの時代を担う若者が目指すべき男女のありようだと信じていた。ところが、理系と文系における性差について、僕はまったく理論武装できていなかった。現実のありようをそのまま受け入れ、それが固定観念になって現在に至っていたのだ。
自分の経験や感じたことばかり書いてしまったが、理系に女子学生が少ないという問題の理由を、一人で考えていても独りよがりに過ぎず、周囲にいる女性に聞いたところで意味がある答はほとんど得られない。「女性は論理的思考よりも暗記科目のほうが得意だ」とか「女性の方が理系科目を好きではないから理系には女子学生が少ない」など、固定観念をさらに強く抱くようになるに過ぎない。
夫婦喧嘩の際、論理を無視して攻撃や言い訳をする奥さんのことを嘆く男性の話をときどき耳にする。男性女性に関わらずそのような人はいると思うので、そのような人の割合を男性、女性それぞれについて調べ、さらに夫婦喧嘩で論理を無視する人と無視しない人に同じ算数や数学のテストを受けてもらうのはどうだろう?もしかすると「女性は数学的が苦手かどうか」ということについての検証ができるのではないだろうか、それともそれは夫婦喧嘩という感情が高ぶる特殊な状況でのことだから、調査してもあまり意味がないのだろうか?
これほど当たり前に思えて、そして本当は当たり前ではないことを、実際にさまざまな角度から調査し、まとめているのが本書なのである。さらにこの問題を解決するための案も提示している。
章立ては以下のとおりだ。
序章 「理系女性問題」とは何か
第1章 理系女性の割合はOECD内で最下位
第2章 「数学・物理学に求められる能力」のイメージとは
第3章 男女差は生まれながらか環境要因か
第4章 学問分野にはジェンダーイメージがあった
第5章 学問分野から連想されるキーワード
第6章 中学生で物理が嫌いになる?
第7章 ジェンダー平等意識と理系進学の関係
第8章 親のバイアスはどう影響するか
第9章 数学・物理学の男性イメージはどう作られる?
第10章 壁を取り払ってくれるのはどんな情報?
終章 残された謎と課題
本書はKindle版で読み、それからAudible版が会員価格だけで聴けるので朗読でも聴いてみた。老眼が進んでいる高齢者にとってAudible版は本当にありがたい。
「なるほど、やはりそうか。」という調査結果が多いのは想定内だった。しかし、個人で考えていたら全くわからない海外における調査結果、日本との比較は意外なこともいくつかあり、はっとさせられた。「日本の理系女性の割合はOECD内で最下位」だとか「15歳の時点で日本の学生の数学の成績はは男女ともに世界トップクラス」、「海外の理系大学、理系学部では、むしろ女子学生のほうが多い」などは予想外だった。そして「女子生徒が物理を嫌いになるのは中学時代」だということを突き止め、対策をするのであれば中学生までの生徒、児童に対して働きかけなければならないと主張している。本書では中学生への働きかけとしてKavli IPMUの「ものしり新聞」が紹介されている。
なぜ中学時代なのか?僕は思った。中学1年から数学ではx、yなど英文字を使った数式を学び始めるからなのだろうか?方程式、因数分解、一次関数、二次関数。このあたりで落ちこぼれてしまう生徒が一定数いることを「数学の教科書が言ったこと、言わなかったこと:南みや子」という本で、長年数学を教えてきた著者がご自身の経験をもとに解説されている。しかし、そこに性差があるかどうかはお書きになっていない。また、数学で落ちこぼれた生徒は理系に進学しないと思われるが、どれくらいの割合で落ちこぼれるのかもこの本には書かれていない。
高校の物理では三角関数やベクトルの理解は必須だ。微積分は使われないがその考え方は使われる。中学の物理でもある程度の数学知識は必要になる。中学で物理が嫌いになる理由のひとつに、数学で落ちこぼれたからというのがあるのではないだろうか。
また、どこまでの学問を理系とみなすかという点について、僕は次のように思った。高校では物理、化学、生物、地学、そして数学IIIは理系とみなされる。大学の学部課程や専門学校では僕の分類はあやふやになる。医学、薬学、看護学は理系だろうか?僕独自の分類では線形代数や微積分を学ぶ必要がある学問を理系とみなしている。学部レベルと研究者では数学の必要性はまた異なってくるのだろう。
さらに情報系は分類が難しい。現場で働くソフトウェアエンジニアの多くが非理系学部卒だからだ。情報系は理系知識、数学知識が必須の領域と、それらの知識がなくても困らない領域に分かれると思う。女性のソフトウェアエンジニアの比率は前者よりも後者のほうが大きい。
本書には書かれていないことだが、近年高校での物理の履修率がとても低くなっていることに危惧を感じている。科学技術立国日本を再生したいのであれば、そして日本の科学のレベルを世界の水準まで引き上げるのであれば、男性女性に関係なく物理を履修することは必要不可欠だ。
このように本書は、日ごろ意識していなかったことを具体的に提示し、調査結果と著者みずからの考察を示してくれているので、固定観念にとらわれた頭に刺激を与えてくれる好書である。当たり前だと思っていたことにメスを入れることで、新たな視点が生まれ、問題解決の糸口が得られる。ぜひお読みになっていただきたい。
余談であるが、著者の横山先生には「グラフィック・サイエンス・マガジン Newton の作り方」というイベントでお会いし、ご挨拶させていただいたことがある。先生の優しい雰囲気と話し方のおかげで緊張することなくお話することができた。先生が科学に興味を持ったのはこの科学雑誌に出会ったからだということが本書に書かれている。僕も「Newtonファン」だから、先生に対して余計に好感を持った。この雑誌は1980年の創刊以来、男女関係なく日本の小中学生、高校生を科学の世界に引き寄せていることは間違いない。
あと細かいことだが、本書で横山先生は「女子学生」ではなく「女性学生」という言葉をお使いになっている。耳慣れない言葉だが、大学生は大人なのだから女性学生と表現したのだと思った。今では18歳が成人だということを思い出した。そして中学生のほうは「女性」ではなく「女子」という言葉を使っている。細かい配慮が行き届いている。
日本では理系を選択する女性は増えていくのだろうか。僕はあと20~30年は生きることができそうだから、今後も見守っていきたい。
関連動画:
理系女性が少ないワケ・東京大学 横山広美 教授【BEYOND 14】:YouTubeで再生
関連記事:
グラフィック・サイエンス・マガジン Newton の作り方(その1)
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グラフィック・サイエンス・マガジン Newton の作り方(その2)
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/06a11387485b7835d8147229d541497b
Newton(ニュートン)の0号と創刊号の思い出
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「なぜ理系に女性が少ないのか:横山広美」(Kindle版)
序章 「理系女性問題」とは何か
- 自己紹介 -- 理系女性の1サンプルとして
- 科学雑誌『Newton』との出会い
- 「データがないなら、研究してほしい」
- 「社会風土」を研究の中核にする
第1章 理系女性の割合はOECD内で最下位
- 特に女性学生が少ない物理学と数学
- 理系のおける女性学生の割合はOECD諸国で最下位
- 数学の成績は男女ともトップクラス
- 数学・物理系卒業生への企業ニーズは高い
- 世界の大学では女性学生のほうが多いのが普通
- 女性学生が2割弱、あまりに特殊な東京大学の現状
- 「天賦の才能」のイメージが強い学問分野は?
第2章 「数学・物理学に求められる能力」のイメージとは
- 「天賦の才能」とはどんな能力?
- 「論理的思考力」と「計算能力」は男性的?
- 数学・物理学に必要と思われる方法は?
- 単純化できない「理系に求められる能力」
第3章 男女差は生まれながらか環境要因か
- 算数・数学の成績に男女差はあるのか
- 学力の男女差は生まれながらか、環境要因か
- 大学入学前の成績は、必ずしも専攻に影響しない
- 「親のジェンダーステレオタイプ」という要因
- 科学者の多くは環境要因だと考えている
- 「女性が少ないのが、なぜ問題なのですか?」
- 女性であるだけで不利益を被る「無意識のバイアス」
- エクイティ(公平性)と「結果の平等」
- アファーマティブ・アクションは「逆差別」?
第4章 学問分野にはジェンダーイメージがあった
- 「あの学問は女性向き」「この仕事は男性向き」
- 女性は看護学? 男性は機械工学?
- 女性学生が多くても女性専門家が少ないという問題
- バービー人形もリカちゃん人形も算数が苦手だった
- 就職に強いのは看護学・薬学・医学・歯学?
- 薬学が女性に向いていると思われる背景
- 結婚に有利なのは、女性は音楽、男性は医学?
- 「結婚に有利」とはそもそもどういうことか
- ジェンダー平等度が低い人ほど、看護学を女性向きと見なす
第5章 学問分野から連想されるキーワード
- 物理学者と言えば男性、物理学と言えば戦争?
- キーワード分析からジェンダーステレオタイプ解明へ
- 科学6分野のイメージをキーワードで表すと?
- 機械工学は「油まみれ」「溶接」「機械をつくる」
- 最も中性的な生物学のキーワード
- ジェンダー平等度が低い人ほど6分野に男性イメージを持つ
第6章 中学生で物理が嫌いになる?
- 「理数系嫌い」はいつ始まるのか
- 理系大卒女性は中学で物理嫌いに
- 女性のほうが自分の能力を低めに見積もるから?
- だから中学生への働きかけが重要
- 物理学者はジェンダー平等度の高い人が多い?
- 物理好きと幼少時の経験は関係がある?
第7章 ジェンダー平等意識と理系進学の関係
- 性別役割分業と能力に関わるステレオタイプに着目
- ジェンダー平等度が高い生徒ほど理系を希望する?
- 成績、家庭の経済状況も進路を左右する
- ジェンダー平等を進める教育が必要なこれだけの理由
第8章 親のバイアスはどう影響するか
- 女子の進路で親が最も賛成するのは薬学
- 親は娘の希望に基本的に賛成する
- 理系進学に賛成する理由は「就職に困らないから」
- 親のジェンダー平等度が娘の進学に与える影響
- 母親の数学ステレオタイプが弱いと娘が理系に進む?
第9章 数学・物理学の男性イメージはどう作られる?
- 理工系分野に女性が少ない3つの要因
- 「性差別についての社会風土」という4つめの要因
- 女性は知的でないほうが良いと思うほど...
- 男性だけでなく女性もジェンダー平等度が低い日本
- 日本は物理学における女性のロールモデルが足りない
- 学際領域研究ならではの成果
- 知的な女性を応援する社会に
- 「異性意識環境」についての補足
第10章 壁を取り払ってくれるのはどんな情報?
- 壁を取り払うためにどんな情報を提供すべきか
- 就職情報、平等社会情報、数学得意情報?
- 女子に優しい情報は男子にも優しい
終章 残された謎と課題
- 女子生徒の数学・理科嫌いは装われたもの?
- ジェンダー平等パラドクス
- サイエンス・オブ・サイエンスコミュニケーションが必要
おわりに
参考文献
内容紹介:
大学・大学院など高等教育機関における理系分野の女性学生の割合は、OECD諸国で日本が最下位。女子生徒の理科・数学の成績は世界でもトップクラスなのに、なぜ理系を選択しないのか。そこには本人の意志以外の、何かほかの要因が働いているのではないか――緻密なデータ分析から明らかになったのは、「男女平等意識」の低さや「女性は知的でないほうがいい」という社会風土が「見えない壁」となって、女性の理系選択を阻んでいるという現実だった。日本の男女格差の一側面を浮彫りにして一石を投じる、注目の研究報告。
2022年11月30日刊行、234ページ。
著者について:
横山広美(よこやま ひろみ)
プロフィール: https://www.iii.u-tokyo.ac.jp/faculty/yokoyama_hiromi
Twitter: @hyoko_UT
1975年東京生まれ。東京理科大学理工学研究科物理学専攻 連携大学院高エネルギー加速器研究機構・博士(理学)。博士号取得後、専門を物理学から科学技術社会論に変更。現在は、東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構副機構長・教授。東京大学学際情報学府、文化・人間情報学コース大学院兼担。第五回東京理科大学物理学園賞(2022)、科学技術社会論学会柿内賢信研究奨励賞(2015)、科学技術ジャーナリスト賞(2007)を受賞。
理数系書籍のレビュー記事は本書で480冊目。
理系の学生に女性が少ないことを僕が意識したのは、大学に入学した直後だった。1983年に僕が入学したのは東京理科大理学部の応用数学科だったが、女子学生の割合は25パーセントだったことを覚えている。同じ学科の数学科のほうは20パーセントだということもしばらくして知った。数学科と応用数学科の違いは、前者が数学基礎論など現代数学の成り立ちや抽象数学に重点を置いているのに対し、後者は統計学や数理計画法など現実社会の問題を解くための数学理論を学ぶことに重点を置いている。両学科における女子学生の割合はおそらく現在でも同じなのだろうと思っているが、果たして本当だろうか?もし後輩の方がいらっしゃったら、ぜひ教えてほしい。
そして当時の理科大では数学系の学科は、まだマシで物理学科だとほんの数人しか女子学生がいないことをしばらくして知り、とても驚いたことを覚えている。たまたま物理学科の学生と一緒に近所の教会で英会話のレッスンを受けていたからだ。数学系の学科で女子学生が少ないことと、物理学系の学科で女子学生が極端に少ないことの理由や意味合いは、それがなぜなのかわからないのだが、決定的に違う何かがあると僕は感じていた。
当時の僕は、次のように思っていた。数学の才能はどうやら男子のほうが女子よりも優れているに違いない。そして数学を好きな女子は世間一般には少ないのだ。同じ学科にいる女子学生は、きっと世間一般から見れば「例外」なのだろう。女性の数学者、教授は「例外中の例外」なのだろうと思っていた。
けれども物理学科の状況は数学系の学科にくらべても極端に女子学生が少ない。これは性差だけでなく、あきらかにもっと違う力が働いているからに違いない。
理科大にはこの他、化学科と応用化学科があったし、少し離れた場所に薬学部もあった。あと理工学部と工学部もあった。生命科学系の学科は理工学部にあったようだが、当時の僕は生命系の学科があったことに気がついていなかった。当時から薬学部の女子学生の割合は高かったし、数学系よりも化学系の学科のほうが女子学生の割合は高かったことを今でも覚えている。元日本テレビのアナウンサーでタレントの楠田枝里子さんは理科大応用化学科の卒業生である。
理科大生だったとき、僕はアテネフランセというフランス語を学ぶ学校の夜間クラスにも週3回通っていた。そこで知り合うのは青山、慶応、早稲田、上智などのフランス語学科、文科系学部の大学生ばかり。文系学部、学科の中でもフランス語学科は特に女子学生の割合が多い。そしてそれらの総合大学では学校全体でも理科大とくらべて女子学生の割合が多い。(けれども東京大学全体に占める女子学生は2割に過ぎないことが本書に書かれていた。)いずれにせよ女子学生が少ない理科大生だった僕にとって、アテネフランセで受けたカルチャーショックは大きかった。理科大では「貴重な」女子学生が、総合大学では普通の存在になっていたからだ。
1980年代であっても、現代であっても街を歩くと男性と女性の割合は、ほぼ半分であるように見える。なぜ学部や学科の違い、理工系とそれ以外の学部・学科では男性と女性の数に、これほどの違いがでてくるのか。理由はよくわからないけれども日常の環境にすっかり慣れ切ってしまい、知らず知らずのうちに固定観念が植えつけられ、その理由を考えると先入観にとらわれている自分がいることに気がつかされるのである。
その反面、学校であれ職場であれ男女半々のほうが自然でよいのだと僕は思っていた。男性と女性は物事の感じ方、考え方が違う。半々とは言えないものの小中学のときは共学だったのはよかった。高校は男女別学の私立に通ったが同じ敷地内に男子部と女子部があり、部活は男女一緒だった。理科大に入学して理系を選択するのは圧倒的に男子が多いことを実感した。青学や早稲田、慶応のように文科系学部がほとんどの総合大学で男女が自然な割合でいることがうらやましかった。
かなり前に京大理学部1年生が書いていた個人ブログをひんぱんに読んでいたことがある。彼は周囲に女子学生がほとんどいないことを嘆いていた。京大生ほどにもなれば、周囲にある女子大の学生と合コンして楽しい青春時代を過ごせるはずなのに。そのように僕は思っていた。女子学生が少ない理科大もほぼ同じだ。そのような環境でずっと過ごしていると、異性を過度に意識したり、現実以上に美化、理想化してしまう傾向がでてくる。これはもしかすると少子化の一因になっているのではないだろうか。
僕は若いころから「差別」が大嫌いだった。男性と女性の権利は同等であるべきだと高校生の頃から信じていた。昭和初期まで延々と続いていた男尊女卑の文化や社会、家族の在り方を否定するのが、これからの時代を担う若者が目指すべき男女のありようだと信じていた。ところが、理系と文系における性差について、僕はまったく理論武装できていなかった。現実のありようをそのまま受け入れ、それが固定観念になって現在に至っていたのだ。
自分の経験や感じたことばかり書いてしまったが、理系に女子学生が少ないという問題の理由を、一人で考えていても独りよがりに過ぎず、周囲にいる女性に聞いたところで意味がある答はほとんど得られない。「女性は論理的思考よりも暗記科目のほうが得意だ」とか「女性の方が理系科目を好きではないから理系には女子学生が少ない」など、固定観念をさらに強く抱くようになるに過ぎない。
夫婦喧嘩の際、論理を無視して攻撃や言い訳をする奥さんのことを嘆く男性の話をときどき耳にする。男性女性に関わらずそのような人はいると思うので、そのような人の割合を男性、女性それぞれについて調べ、さらに夫婦喧嘩で論理を無視する人と無視しない人に同じ算数や数学のテストを受けてもらうのはどうだろう?もしかすると「女性は数学的が苦手かどうか」ということについての検証ができるのではないだろうか、それともそれは夫婦喧嘩という感情が高ぶる特殊な状況でのことだから、調査してもあまり意味がないのだろうか?
これほど当たり前に思えて、そして本当は当たり前ではないことを、実際にさまざまな角度から調査し、まとめているのが本書なのである。さらにこの問題を解決するための案も提示している。
章立ては以下のとおりだ。
序章 「理系女性問題」とは何か
第1章 理系女性の割合はOECD内で最下位
第2章 「数学・物理学に求められる能力」のイメージとは
第3章 男女差は生まれながらか環境要因か
第4章 学問分野にはジェンダーイメージがあった
第5章 学問分野から連想されるキーワード
第6章 中学生で物理が嫌いになる?
第7章 ジェンダー平等意識と理系進学の関係
第8章 親のバイアスはどう影響するか
第9章 数学・物理学の男性イメージはどう作られる?
第10章 壁を取り払ってくれるのはどんな情報?
終章 残された謎と課題
本書はKindle版で読み、それからAudible版が会員価格だけで聴けるので朗読でも聴いてみた。老眼が進んでいる高齢者にとってAudible版は本当にありがたい。
「なるほど、やはりそうか。」という調査結果が多いのは想定内だった。しかし、個人で考えていたら全くわからない海外における調査結果、日本との比較は意外なこともいくつかあり、はっとさせられた。「日本の理系女性の割合はOECD内で最下位」だとか「15歳の時点で日本の学生の数学の成績はは男女ともに世界トップクラス」、「海外の理系大学、理系学部では、むしろ女子学生のほうが多い」などは予想外だった。そして「女子生徒が物理を嫌いになるのは中学時代」だということを突き止め、対策をするのであれば中学生までの生徒、児童に対して働きかけなければならないと主張している。本書では中学生への働きかけとしてKavli IPMUの「ものしり新聞」が紹介されている。
なぜ中学時代なのか?僕は思った。中学1年から数学ではx、yなど英文字を使った数式を学び始めるからなのだろうか?方程式、因数分解、一次関数、二次関数。このあたりで落ちこぼれてしまう生徒が一定数いることを「数学の教科書が言ったこと、言わなかったこと:南みや子」という本で、長年数学を教えてきた著者がご自身の経験をもとに解説されている。しかし、そこに性差があるかどうかはお書きになっていない。また、数学で落ちこぼれた生徒は理系に進学しないと思われるが、どれくらいの割合で落ちこぼれるのかもこの本には書かれていない。
高校の物理では三角関数やベクトルの理解は必須だ。微積分は使われないがその考え方は使われる。中学の物理でもある程度の数学知識は必要になる。中学で物理が嫌いになる理由のひとつに、数学で落ちこぼれたからというのがあるのではないだろうか。
また、どこまでの学問を理系とみなすかという点について、僕は次のように思った。高校では物理、化学、生物、地学、そして数学IIIは理系とみなされる。大学の学部課程や専門学校では僕の分類はあやふやになる。医学、薬学、看護学は理系だろうか?僕独自の分類では線形代数や微積分を学ぶ必要がある学問を理系とみなしている。学部レベルと研究者では数学の必要性はまた異なってくるのだろう。
さらに情報系は分類が難しい。現場で働くソフトウェアエンジニアの多くが非理系学部卒だからだ。情報系は理系知識、数学知識が必須の領域と、それらの知識がなくても困らない領域に分かれると思う。女性のソフトウェアエンジニアの比率は前者よりも後者のほうが大きい。
本書には書かれていないことだが、近年高校での物理の履修率がとても低くなっていることに危惧を感じている。科学技術立国日本を再生したいのであれば、そして日本の科学のレベルを世界の水準まで引き上げるのであれば、男性女性に関係なく物理を履修することは必要不可欠だ。
このように本書は、日ごろ意識していなかったことを具体的に提示し、調査結果と著者みずからの考察を示してくれているので、固定観念にとらわれた頭に刺激を与えてくれる好書である。当たり前だと思っていたことにメスを入れることで、新たな視点が生まれ、問題解決の糸口が得られる。ぜひお読みになっていただきたい。
余談であるが、著者の横山先生には「グラフィック・サイエンス・マガジン Newton の作り方」というイベントでお会いし、ご挨拶させていただいたことがある。先生の優しい雰囲気と話し方のおかげで緊張することなくお話することができた。先生が科学に興味を持ったのはこの科学雑誌に出会ったからだということが本書に書かれている。僕も「Newtonファン」だから、先生に対して余計に好感を持った。この雑誌は1980年の創刊以来、男女関係なく日本の小中学生、高校生を科学の世界に引き寄せていることは間違いない。
あと細かいことだが、本書で横山先生は「女子学生」ではなく「女性学生」という言葉をお使いになっている。耳慣れない言葉だが、大学生は大人なのだから女性学生と表現したのだと思った。今では18歳が成人だということを思い出した。そして中学生のほうは「女性」ではなく「女子」という言葉を使っている。細かい配慮が行き届いている。
日本では理系を選択する女性は増えていくのだろうか。僕はあと20~30年は生きることができそうだから、今後も見守っていきたい。
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「なぜ理系に女性が少ないのか:横山広美」(Kindle版)
序章 「理系女性問題」とは何か
- 自己紹介 -- 理系女性の1サンプルとして
- 科学雑誌『Newton』との出会い
- 「データがないなら、研究してほしい」
- 「社会風土」を研究の中核にする
第1章 理系女性の割合はOECD内で最下位
- 特に女性学生が少ない物理学と数学
- 理系のおける女性学生の割合はOECD諸国で最下位
- 数学の成績は男女ともトップクラス
- 数学・物理系卒業生への企業ニーズは高い
- 世界の大学では女性学生のほうが多いのが普通
- 女性学生が2割弱、あまりに特殊な東京大学の現状
- 「天賦の才能」のイメージが強い学問分野は?
第2章 「数学・物理学に求められる能力」のイメージとは
- 「天賦の才能」とはどんな能力?
- 「論理的思考力」と「計算能力」は男性的?
- 数学・物理学に必要と思われる方法は?
- 単純化できない「理系に求められる能力」
第3章 男女差は生まれながらか環境要因か
- 算数・数学の成績に男女差はあるのか
- 学力の男女差は生まれながらか、環境要因か
- 大学入学前の成績は、必ずしも専攻に影響しない
- 「親のジェンダーステレオタイプ」という要因
- 科学者の多くは環境要因だと考えている
- 「女性が少ないのが、なぜ問題なのですか?」
- 女性であるだけで不利益を被る「無意識のバイアス」
- エクイティ(公平性)と「結果の平等」
- アファーマティブ・アクションは「逆差別」?
第4章 学問分野にはジェンダーイメージがあった
- 「あの学問は女性向き」「この仕事は男性向き」
- 女性は看護学? 男性は機械工学?
- 女性学生が多くても女性専門家が少ないという問題
- バービー人形もリカちゃん人形も算数が苦手だった
- 就職に強いのは看護学・薬学・医学・歯学?
- 薬学が女性に向いていると思われる背景
- 結婚に有利なのは、女性は音楽、男性は医学?
- 「結婚に有利」とはそもそもどういうことか
- ジェンダー平等度が低い人ほど、看護学を女性向きと見なす
第5章 学問分野から連想されるキーワード
- 物理学者と言えば男性、物理学と言えば戦争?
- キーワード分析からジェンダーステレオタイプ解明へ
- 科学6分野のイメージをキーワードで表すと?
- 機械工学は「油まみれ」「溶接」「機械をつくる」
- 最も中性的な生物学のキーワード
- ジェンダー平等度が低い人ほど6分野に男性イメージを持つ
第6章 中学生で物理が嫌いになる?
- 「理数系嫌い」はいつ始まるのか
- 理系大卒女性は中学で物理嫌いに
- 女性のほうが自分の能力を低めに見積もるから?
- だから中学生への働きかけが重要
- 物理学者はジェンダー平等度の高い人が多い?
- 物理好きと幼少時の経験は関係がある?
第7章 ジェンダー平等意識と理系進学の関係
- 性別役割分業と能力に関わるステレオタイプに着目
- ジェンダー平等度が高い生徒ほど理系を希望する?
- 成績、家庭の経済状況も進路を左右する
- ジェンダー平等を進める教育が必要なこれだけの理由
第8章 親のバイアスはどう影響するか
- 女子の進路で親が最も賛成するのは薬学
- 親は娘の希望に基本的に賛成する
- 理系進学に賛成する理由は「就職に困らないから」
- 親のジェンダー平等度が娘の進学に与える影響
- 母親の数学ステレオタイプが弱いと娘が理系に進む?
第9章 数学・物理学の男性イメージはどう作られる?
- 理工系分野に女性が少ない3つの要因
- 「性差別についての社会風土」という4つめの要因
- 女性は知的でないほうが良いと思うほど...
- 男性だけでなく女性もジェンダー平等度が低い日本
- 日本は物理学における女性のロールモデルが足りない
- 学際領域研究ならではの成果
- 知的な女性を応援する社会に
- 「異性意識環境」についての補足
第10章 壁を取り払ってくれるのはどんな情報?
- 壁を取り払うためにどんな情報を提供すべきか
- 就職情報、平等社会情報、数学得意情報?
- 女子に優しい情報は男子にも優しい
終章 残された謎と課題
- 女子生徒の数学・理科嫌いは装われたもの?
- ジェンダー平等パラドクス
- サイエンス・オブ・サイエンスコミュニケーションが必要
おわりに
参考文献