「アンネの日記 増補新訂版:アンネ・フランク」(Kindle版)
内容紹介:
自分用に書いた日記と、公表を期して清書した日記―「アンネの日記」が2種類存在したことはあまりにも有名だ。その2つを編集した“完全版”に、さらに新たに発見された日記を加えた“増補新訂版”が誕生した。ナチ占領下の異常な環境の中で13歳から15歳という思春期を過ごした少女の夢と悩みが、より瑞々しくよみがえる。
2003年4月10日刊行、597ページ
著者:
アンネ・フランク(ウィキペディアの記事)
1929年6月12日、ドイツのフランクフルトで裕福なドイツ系ユダヤ人家庭の二女に生まれる。1933年、迫害を逃れ一家はオランダのアムステルダムに移住し、1942年7月、姉マルゴーの召喚を機に一家は隠れ家生活に入る。ついに1944年8月4日、密告により連行されたアンネはアウシュヴィッツ、ついでベルゲン=ベルゼンに送られ、そこでチフスのため15年の生涯をおえた。1945年2月末から3月なかばと推定される。1942年6月12日から44年8月1日まで書きつづけられた日記は、永遠の青春の記録として、半世紀を経たいまも世界中の人びとの胸をうってやまない。
一生のうちに読んでおきたい本というのが何冊かある。ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」はその代表だが、「アンネの日記」もそのうちの1冊だ。2014年に「アンネの日記を読もう」という記事を書いてから7年も経ってしまった。今回ようやく読み終えることができた。
アンネ・フランクの短い生涯 | Anne Frank House
https://www.annefrank.org/en/anne-frank/who-was-anne-frank/japanese/
この本は13歳から15歳にかけてアンネが書いた日記をそのまま日本語訳したものだ。子ども向けのアンネの伝記やその漫画本は、何種類も見つかるが日記それ自体を子ども向けに書いた本がないことを、これまで不思議に思っていた。今回その疑問をようやく解くことができた。
それは、アンネが年齢のわりに早熟で、かつ極めて文才に恵まれていたこと。そして日記をすべて本にすると文庫本で600ページにもおよぶからなのである。中学生以上でないと読み切って深く理解することはできないだろう。大人向けの本だと言って差し支えない。内容は想像していたものと半分くらい違っていた。
日記は1943年6月、アンネの13歳の誕生日から始まり、ナチスドイツの迫害から逃れるため、一家はほどなく「隠れ家」へ引っ越すことになる。赤と白のチェック柄の日記帳は誕生日プレゼントだった。そして15歳になってほどなく、アンネと家族を含む隠れ家に住んでいた7人は突然逮捕され、日記はその数日前に終わっている。
13歳から15歳の女の子が書く日記だからと僕は甘く見ていた。文章を書く能力は、おそらく現在の僕より高いと思う。日記は架空の親友「キティ」へ向けた手紙として書かれている。そのため、本を開くたびに彼女からの報告を受けるように読むことができる。それはアンネが意図したものかどうかはわからないが、読み手は飽きることなく読み進められるのだ。後にアンネは、自分の日記は後に他の人の目に触れることを想定して書いているということを日記に書いている。まさか全世界で読み継がれる貴重な記録になるとは思っていなかったのだろうけれど。
2年間におよぶ隠れ家生活では、さまざまな事件がおこる。飽きずに読み進められるのも、それらの事件の「おかげ」であるし、アンネの説明力、描写力が優れているからだ。
文章力に長けているというのは、日ごろから読書を欠かさず、深い思考ができるということの証だ。隠れ家に住んでいるのは、アンネの両親、姉のほか、もうひと家族、独り者の他人もいる。もうひと家族のほうのおばさんは、それほど物事を考えない人だったし、アンネの母親も子供のしつけにばかり気にかけていて、早熟なアンネにとっては面倒極まりない相手だった。
利発な思春期の子供にはよく見られることだが、アンネは自分には至らないところがあるのを認めつつ、日ごろから人間として向上しようと努めていた。理詰めで考えることが多く、自分に対する厳しさは、彼女をしつけようとする大人たちにも向けられる。大人たちから見るといわゆる「理屈っぽく、煩くて、生意気な子供」だったのだ。
子供向けのアンネ・フランクの伝記を2冊ほど確認してみた。1冊は本で、もう1冊は漫画である。そのどちらもアンネは模範的な女の子として描かれていて、姉をひいきしアンネに対してだけしつけに煩い母親のことが大嫌いで何度か母親を泣かせていたこと、仲裁に入った父親にも不満を持っていたことは書かれていない。
また、恋に落ちてキスをするまでにいたる2歳年上のペーター(もうひと家族の息子さん)についても「まだまだ男として未熟だ」と書いている。それはキスをするまで夢中になってからしばらくたってからのことだ。この年頃だと女の子のほうが早熟であるし、深く物事を考え、将来を予測できるアンネのような女の子ならばなおさらである。恋に熱中しているあたりの日記は、恋する乙女そのものの文章になってしまっているのが微笑ましかった。
「ペーターはいったい女性のことをどれくらいわかっているのかしら?」とアンネは自問する。そして話は予想外のほうへ進む。増補新訂版で追加された性に関する記述だ。アンネが書いたのは漠然とした性ではなく女性の性器についての具体的かつ詳細な解説だった。「あれまー、そこまで書いてしまうか!」と呆気にとられながら僕は読むことになった。このあたりは、さすがに子供向けのアンネの伝記には書けるはずがない。
才能に恵まれたアンネだったから、亡くならずにすんでいたら、おそらく作家か知的な職業に就いて活躍していたことだろう。隠れ家生活の間にも、アンネは童話を何篇か書いていて、日本語でも文庫化されている。文学と歴史が得意で知識が豊富、数学の代数は苦手で嫌いな女の子だった。
アンネと同じ1929年に生まれた著名人にはオードリー・ヘプバーン、草間彌生、前田武彦、高野悦子、イメルダ・マルコス、中坊公平、磯村尚徳、早坂暁、若山富三郎、ミヒャエル・エンデ、向田邦子、奈良岡朋子らがいる。もしアンネが存命であれば現在92歳だ。
隠れ家生活に入った1943年にはアウシュビッツ絶滅収容所は完成していて、そこでユダヤ人の虐殺が行われていることは噂レベルでアンネの家族は知っていた。隠れ家にいた7人は毎日英国のBBCのラジオ放送に耳を傾け一喜一憂していたし、連合国軍が上陸しナチスドイツを滅ぼすことを願っていた。しかし、ぎりぎりのところで間に合わずに7人は逮捕されてしまったのだ。アンネと姉が亡くなった収容所が連合国軍に解放されたのは死からわずか2カ月後のことである。
アンネの一家は最初アウシュビッツに送られ、そこで母が亡くなる。アンネと姉は別の収容所に移送された。そこは(積極的に収容者を殺す)絶滅収容所ではなかったが、十分な食料が与えられず病気を蔓延させたままにしているベルゲン・ベルゼン強制収容所だった。チフスで姉が亡くなり、それまで必死に看病していたアンネの気力が折れたものと思われるが、姉の死から2、3日後にアンネもチフスで亡くなっている。2人の遺体は他の犠牲者とともに埋められたため、見つかっていない。
隠れ家生活をしていた7人のうち父のオットー・フランクだけがアウシュビッツから生還することができた。隠れ家に戻り、大事に保管されていた娘の貴重な日記を世に送り出すことができたのは、彼が生還できたからである。
元気な頃のアンネを偲ぶことができる動画がひとつだけ残されている。窓から乗り出し、結婚式へ向かう隣人を眺めているのが隠れ家に行く1年前、12歳の頃のアンネである。
Anne Frank, seen from window
高解像度に変換した動画も、YouTubeで公開されている。
【HD】アンネ・フランク 実際の映像 - Anne Frank real footage(YouTubeで再生)
日記はオランダ語で書かれているため、日本語版のほか英語版、フランス語版のKindle版を紹介しておこう。Amazon.co.jpから読めるKindle版のフランス語書籍は少ないから、フランス語学習者には貴重な本である。
「アンネの日記 増補新訂版:アンネ・フランク」(Kindle版)
「The Diary of a Young Girl (English Edition)」
「Le Journal d'Anne Frank (French Edition)」
関連本として、次の2冊をお勧めする。「アンネ・フランクの記憶」は、小川洋子さんが生前のアンネと関わりをもった人へのインタビューをして、記録として残した本である。他人からみたアンネがどのような女の子だったかを知ることができる。そして、もう1冊はアンネ自身が書いた童話集。幸い日本語に翻訳されている。
「アンネ・フランクの記憶:小川 洋子」(Kindle版)
「アンネの童話:アンネ・フランク」(Kindle版)
関連記事:
夜と霧: ヴィクトール・E・フランクル
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/c249c3d7021a338c73a074de78a30147
内容紹介:
自分用に書いた日記と、公表を期して清書した日記―「アンネの日記」が2種類存在したことはあまりにも有名だ。その2つを編集した“完全版”に、さらに新たに発見された日記を加えた“増補新訂版”が誕生した。ナチ占領下の異常な環境の中で13歳から15歳という思春期を過ごした少女の夢と悩みが、より瑞々しくよみがえる。
2003年4月10日刊行、597ページ
著者:
アンネ・フランク(ウィキペディアの記事)
1929年6月12日、ドイツのフランクフルトで裕福なドイツ系ユダヤ人家庭の二女に生まれる。1933年、迫害を逃れ一家はオランダのアムステルダムに移住し、1942年7月、姉マルゴーの召喚を機に一家は隠れ家生活に入る。ついに1944年8月4日、密告により連行されたアンネはアウシュヴィッツ、ついでベルゲン=ベルゼンに送られ、そこでチフスのため15年の生涯をおえた。1945年2月末から3月なかばと推定される。1942年6月12日から44年8月1日まで書きつづけられた日記は、永遠の青春の記録として、半世紀を経たいまも世界中の人びとの胸をうってやまない。
一生のうちに読んでおきたい本というのが何冊かある。ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」はその代表だが、「アンネの日記」もそのうちの1冊だ。2014年に「アンネの日記を読もう」という記事を書いてから7年も経ってしまった。今回ようやく読み終えることができた。
アンネ・フランクの短い生涯 | Anne Frank House
https://www.annefrank.org/en/anne-frank/who-was-anne-frank/japanese/
この本は13歳から15歳にかけてアンネが書いた日記をそのまま日本語訳したものだ。子ども向けのアンネの伝記やその漫画本は、何種類も見つかるが日記それ自体を子ども向けに書いた本がないことを、これまで不思議に思っていた。今回その疑問をようやく解くことができた。
それは、アンネが年齢のわりに早熟で、かつ極めて文才に恵まれていたこと。そして日記をすべて本にすると文庫本で600ページにもおよぶからなのである。中学生以上でないと読み切って深く理解することはできないだろう。大人向けの本だと言って差し支えない。内容は想像していたものと半分くらい違っていた。
日記は1943年6月、アンネの13歳の誕生日から始まり、ナチスドイツの迫害から逃れるため、一家はほどなく「隠れ家」へ引っ越すことになる。赤と白のチェック柄の日記帳は誕生日プレゼントだった。そして15歳になってほどなく、アンネと家族を含む隠れ家に住んでいた7人は突然逮捕され、日記はその数日前に終わっている。
13歳から15歳の女の子が書く日記だからと僕は甘く見ていた。文章を書く能力は、おそらく現在の僕より高いと思う。日記は架空の親友「キティ」へ向けた手紙として書かれている。そのため、本を開くたびに彼女からの報告を受けるように読むことができる。それはアンネが意図したものかどうかはわからないが、読み手は飽きることなく読み進められるのだ。後にアンネは、自分の日記は後に他の人の目に触れることを想定して書いているということを日記に書いている。まさか全世界で読み継がれる貴重な記録になるとは思っていなかったのだろうけれど。
2年間におよぶ隠れ家生活では、さまざまな事件がおこる。飽きずに読み進められるのも、それらの事件の「おかげ」であるし、アンネの説明力、描写力が優れているからだ。
文章力に長けているというのは、日ごろから読書を欠かさず、深い思考ができるということの証だ。隠れ家に住んでいるのは、アンネの両親、姉のほか、もうひと家族、独り者の他人もいる。もうひと家族のほうのおばさんは、それほど物事を考えない人だったし、アンネの母親も子供のしつけにばかり気にかけていて、早熟なアンネにとっては面倒極まりない相手だった。
利発な思春期の子供にはよく見られることだが、アンネは自分には至らないところがあるのを認めつつ、日ごろから人間として向上しようと努めていた。理詰めで考えることが多く、自分に対する厳しさは、彼女をしつけようとする大人たちにも向けられる。大人たちから見るといわゆる「理屈っぽく、煩くて、生意気な子供」だったのだ。
子供向けのアンネ・フランクの伝記を2冊ほど確認してみた。1冊は本で、もう1冊は漫画である。そのどちらもアンネは模範的な女の子として描かれていて、姉をひいきしアンネに対してだけしつけに煩い母親のことが大嫌いで何度か母親を泣かせていたこと、仲裁に入った父親にも不満を持っていたことは書かれていない。
また、恋に落ちてキスをするまでにいたる2歳年上のペーター(もうひと家族の息子さん)についても「まだまだ男として未熟だ」と書いている。それはキスをするまで夢中になってからしばらくたってからのことだ。この年頃だと女の子のほうが早熟であるし、深く物事を考え、将来を予測できるアンネのような女の子ならばなおさらである。恋に熱中しているあたりの日記は、恋する乙女そのものの文章になってしまっているのが微笑ましかった。
「ペーターはいったい女性のことをどれくらいわかっているのかしら?」とアンネは自問する。そして話は予想外のほうへ進む。増補新訂版で追加された性に関する記述だ。アンネが書いたのは漠然とした性ではなく女性の性器についての具体的かつ詳細な解説だった。「あれまー、そこまで書いてしまうか!」と呆気にとられながら僕は読むことになった。このあたりは、さすがに子供向けのアンネの伝記には書けるはずがない。
才能に恵まれたアンネだったから、亡くならずにすんでいたら、おそらく作家か知的な職業に就いて活躍していたことだろう。隠れ家生活の間にも、アンネは童話を何篇か書いていて、日本語でも文庫化されている。文学と歴史が得意で知識が豊富、数学の代数は苦手で嫌いな女の子だった。
アンネと同じ1929年に生まれた著名人にはオードリー・ヘプバーン、草間彌生、前田武彦、高野悦子、イメルダ・マルコス、中坊公平、磯村尚徳、早坂暁、若山富三郎、ミヒャエル・エンデ、向田邦子、奈良岡朋子らがいる。もしアンネが存命であれば現在92歳だ。
隠れ家生活に入った1943年にはアウシュビッツ絶滅収容所は完成していて、そこでユダヤ人の虐殺が行われていることは噂レベルでアンネの家族は知っていた。隠れ家にいた7人は毎日英国のBBCのラジオ放送に耳を傾け一喜一憂していたし、連合国軍が上陸しナチスドイツを滅ぼすことを願っていた。しかし、ぎりぎりのところで間に合わずに7人は逮捕されてしまったのだ。アンネと姉が亡くなった収容所が連合国軍に解放されたのは死からわずか2カ月後のことである。
アンネの一家は最初アウシュビッツに送られ、そこで母が亡くなる。アンネと姉は別の収容所に移送された。そこは(積極的に収容者を殺す)絶滅収容所ではなかったが、十分な食料が与えられず病気を蔓延させたままにしているベルゲン・ベルゼン強制収容所だった。チフスで姉が亡くなり、それまで必死に看病していたアンネの気力が折れたものと思われるが、姉の死から2、3日後にアンネもチフスで亡くなっている。2人の遺体は他の犠牲者とともに埋められたため、見つかっていない。
隠れ家生活をしていた7人のうち父のオットー・フランクだけがアウシュビッツから生還することができた。隠れ家に戻り、大事に保管されていた娘の貴重な日記を世に送り出すことができたのは、彼が生還できたからである。
元気な頃のアンネを偲ぶことができる動画がひとつだけ残されている。窓から乗り出し、結婚式へ向かう隣人を眺めているのが隠れ家に行く1年前、12歳の頃のアンネである。
Anne Frank, seen from window
高解像度に変換した動画も、YouTubeで公開されている。
【HD】アンネ・フランク 実際の映像 - Anne Frank real footage(YouTubeで再生)
日記はオランダ語で書かれているため、日本語版のほか英語版、フランス語版のKindle版を紹介しておこう。Amazon.co.jpから読めるKindle版のフランス語書籍は少ないから、フランス語学習者には貴重な本である。
「アンネの日記 増補新訂版:アンネ・フランク」(Kindle版)
「The Diary of a Young Girl (English Edition)」
「Le Journal d'Anne Frank (French Edition)」
関連本として、次の2冊をお勧めする。「アンネ・フランクの記憶」は、小川洋子さんが生前のアンネと関わりをもった人へのインタビューをして、記録として残した本である。他人からみたアンネがどのような女の子だったかを知ることができる。そして、もう1冊はアンネ自身が書いた童話集。幸い日本語に翻訳されている。
「アンネ・フランクの記憶:小川 洋子」(Kindle版)
「アンネの童話:アンネ・フランク」(Kindle版)
関連記事:
夜と霧: ヴィクトール・E・フランクル
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/c249c3d7021a338c73a074de78a30147