「英語教育の危機 (ちくま新書):鳥飼玖美子」(Kindle版)
内容紹介:
センター試験廃止で「民間試験」導入、小学校英語、グローバル人材育成戦略……
2020年、この国の英語教育はどうなる?
子供たちの未来を左右する2020年施行の新学習指導要領からは、この国の英語教育改悪の深刻さが見てとれる。たとえば、中学校・高校では「英語は英語で教えなければならない」という無茶なルールを作り、小学校で「英語」は教科としてスタートするのに、きちんとした教師のあてはない。また学習指導要領以外にも、2020年度からは現在の「センター試験」は廃止されて、どれも入試として問題含みの「民間試験」を導入するという。どうして、ここまで理不尽なことばかりなのか?第一人者が問題点を検証し、英語教育を問いなおす。
2018年1月10日刊行、220ページ。
著者について:
鳥飼玖美子(とりがい くみこ): ウィキペディアの記事
東京都生まれ。立教大学名誉教授。上智大学外国語学部卒業、コロンビア大学大学院修士課程修了、サウサンプトン大学大学院博士課程修了(Ph. D.)。NHK「ニュースで英会話」監修およびテレビ講師。著書に『英語教育論争から考える』『戦後史の中の英語と私』『通訳者と戦後日米外交』(みすず書房)、『危うし! 小学校英語』(文春新書)、『歴史をかえた誤訳』(新潮文庫)、『国際共通語としての英語』『本物の英語力』『話すための英語力』(講談社現代新書)などがある。
鳥飼先生の著書検索: 書籍版 Kindle版
鳥飼先生の講演: 動画を検索
10年ほど前に「英語の授業は英語で - 新学習指導要領案」という記事を書いたことがある。このとき発表された新学習指導要領では、小学校5、6年生から英語を教えるだけでなく、中学と高校では英語だけを使う英会話の授業を始めるということだった。「そんな無茶な!」という気持で書いたのがこの記事だった。すでにこの方針で授業が行われ始めてずいぶん経つわけである。その後どうなったのだろうと気になっていた。
また、今年になってから気になっているのは2020年から行われる大学入試制度が問題だらけだということ。数学に関しては「次期学習指導要領(高等学校、数学、情報)について思うこと」という記事を書いたことがある。特にいまニュースやSNSで話題になっているのは大学入学共通テストの英語の試験についてだ。センター試験が廃止され、この新しい試験制度が来年から施行されようとしている。
本書はこの大学入学共通テストの英語に関して、そして日本の英語教育の現状に非常な危機意識をもっている鳥飼玖美子先生が昨年初めにお書きになった本だ。鳥飼先生は英語教育の第一人者として知られているが、もともとは有名な同時通訳者である。僕は受験生の頃から大学時代にかけて文化放送の「百万人の英語」というラジオ番組で先生の授業を聞いていた。他にはこの番組で鳥飼先生のほか、國弘正雄先生とJ・B・ハリス先生の授業を聞いていた。(「百万人の英語」の録音を検索)
「まえがき」と章立て
本書の「まえがき」で鳥飼先生は次のようにお書きになっている。少し長いが引用しておこう。
「英語教育改革がここまで来てしまったら、どうしようもない。もう英語教育について書くのはやめよう、と本気で思った。それなのに書いたのがこの本である。
英語教育についての書を何冊も刊行し、あちこちの講演で語ってきて、もうやめよう、と思うようになったのは、英語についての思い込みの岩盤は突き崩せないと悟り、諦めの境地に達したからである。
どんなに頑張って書いても話しても、人々の思い込みは強固である。曰く「グローバル時代だから英語を使えなければ」「でも日本人は、英語の読み書きは出来ても話せない」「文法訳読ばかりやっている学校が悪い」「だから、英語教育は会話中心に変えなければ」という信条を多くの人たちが共有している。
そうではない、英語をコミュニケーションに使うというのは、会話ができれば良いというものではない、しかも今の学校は文法訳読でなく会話重視で、だからこそ読み書きの力が衰えて英語力が下がっている、といくら説明しても、岩盤のような思い込みは揺るがない。政界、財界、マスコミ、そして一般世論は、ビクともしない。
結果として的外れの英語教育改革が繰り返され、行きついた先は、教える人材の確保も不十分なまま見切り発車する小学校での英語教育であり、大学入試改革と称する民間英語試験の導入である。ここまで来てしまったら打つ手はない。英語教育について書いたり話したりは無駄な努力だと考えざるをえなかった。
それでも、何とか気力を奮い立たせて本書を書いた。この危機的状況にあって、言うべきことは言っておこうと考え直したからである。英語教育における改革は不断に必要だが、それには英語教育の実態や改革の成果などを十分に検証した上で議論を尽くすべきであろう。皆さんにも英語教育の課題を知っていただき考えていただくほかはないと考えるに至り、現状分析と批判を提示し私なりの代案も示した。
一般読者にはなじみがない新学習指導要領をあえて取り上げたのは、学校の先生たちは、このような指針に沿って英語を教えることになるのだ、と知っていただきたいからである。英語教育の専門家であっても、これほどの英語を教えるにはどうしたら良いだろうと悩むような内容が記載されている。英語教員の心中を察して余りある。
学習指導要領では「批判的思考」の育成を掲げているが、学校現場では、文科省や教育委員会には逆らえないと感じている教員が多いし、学習指導要領を批判することに否定的な感情を抱く英語教員もいて、疑問や不安の声はなかなか表に出ない。しかし、肝心の教師が批判を避けていると現場の声が伝わらず、教育は良くならない。
被害を受けるのは生徒たちである。特に可哀想なのが小学生である。何も分からない子供たちが、あまり自信のない先生から中学レベルの英語を習う。嫌いにならなければ誠に幸いであるが、中学に進む頃には英語嫌いになっている児童が今より増える懸念がある。ゆとり教育のように、始まった途端から軌道修正を余技なくされることになるかもしれないが、一人の子供にとっては間に合わあない。その子が受ける英語教育は、たった一回きりなのである。救いようのない気持ちにならざるをえない。何とかしなければ、と本書を書きながら思い続けた。
英語教育の問題は、実は日本の将来に関わることであり、未来を担う世代をどう育てるかの問題である。先が見通せない不確実な時代、これまでにもまして多様性に満ちた世界に生きることになる世代を、どのように育てるのか、皆で考えていただきたい、というのが本書に託した私の願いである。」
そして章立てはこのとおり。
序章 英語教育は今、どうなっているのか?
第1章 英語教育「改革」史
第2章 2020年からの英語教育―新学習指導要領を検証する
第3章 大学入試はどうなるのか?―民間試験導入の問題点
第4章 「コミュニケーションに使える英語」を目指して
感想と解説
僕が中学で英語を学び始めたのは1975年。世代的には「読み書きと文法しか習わなかった」ことになるが、幸い中学2年のときに出会った同級生のおかげで、英語好きになりラジオ講座に集中して、高校生の頃には日常英会話は自由にできるようになった。つまり英語は独学でマスターし、その後も仕事を通じて学び続けたからビジネス英語は問題なしというレベルになった。僕の勉強法はとにかく教科書や教材の丸暗記、オウムのように喋ること、そしてディクテーションである。それを繰り返しているうちに喋れるようになった。またNHKで放送されている外国語学習の放送も継続的に活用していた。(英語学習のためのページを開く)
しかし、たいていの大人は僕と同様「読み書きと文法だけの授業」を受けた世代だから、日本の英語教育では英語は話せない、会話重視にすべきだと信じ込んでいるのだと思う。
そして、実際に会話重視の授業が行われてきた結果が惨憺たるものであることを知らない。会話力は身に付かず、逆に読み書きの能力が低下してしまったのだ。基礎的な英語力が身についておらず、英文科、英語学科なのに原書を読めない学生が入学してくるため、中学レベルの英語から教えなおす授業を行っている大学すらあるという。
問題の本質は根深いことが本書を読んで理解できた。学習指導要領はおよそ10年ごとに改正されるのだが、過去10年の結果に関する検証や行われておらず、十分な議論もなされないまま、新たな方針が思いつきのように打ち出され施行されていく。これを何度も繰り返しているのだという。これが「序章 英語教育は今、どうなっているのか?」と「第1章 英語教育「改革」史」に書かれていることだ。そして省庁間や省内での定期的な人事異動によって、せっか議論をしたとしても引き継がれないという状況がある。
今回の改正では現在小学校高学年に児童に対して行われている授業を中学年で行い、中学レベルの英語を高学年で教えることになるという。学習指導要領には1980年代から一貫して「読み、書き、リスニング、会話」の4技能による総合的コミュニケーションの育成が重要だと書かれているが、実際には会話重視に偏重しているという。
また、文部科学省は「コミュニケーションを行う目的・場面・状況などに応じて理解したり伝え合ったりする能力を育成する」という目標を掲げて会話の授業をするよう指導している。その方針に従い中学校で会話の授業は日本人の先生によって行われている。熱心でやる気のある先生もいれば、上手にできなくて苦心惨憺の先生もいる。
しかし、その内容は小学生の「買い物ごっこ」を英語でやっているだけだ。中学3年生の教室内で繰り広げられているのは「魚屋さん」「八百屋さん」「花屋さん」などの店を設定して行うやり取りだ。そこでは「ハウマッチ?」「ワオー!」「チープ、チープ、プリーズ」などのブロークン英語が行き交い、文部科学省が目標に掲げる「英語文化で規範となる話し方の規則を学び、適切に英語を使いコミュニケーションを図る能力」とは程遠い。
僕個人の考えを言えば、文法や単語の知識なしに英会話や英語学習はあり得ないと思う。日本語と英語の文法が大きくかけ離れているわけだから文法の学習は重要だ。生活に必要な単語数はどうしたって暗記に頼らざるを得ない。学校の授業時間数では全く足りない。英語の学習はどのようなものであれ、家で毎日自習することが必要だ。学校の授業は自習をする動機付け、モチベーションアップにつながるようなものであるのがベストだと思うのだ。せっかくの時間を子供のお遊びのような会話の授業で浪費するのは、まったく無駄である。
政府が掲げる「グローバル人材育成戦略」に沿って大学の授業も変わることになる。英語以外の授業も英語で講義を行うようにするようになっているそうだ。ところが、実際に行われているのは海外である程度の経験を積んだ日本人の教師による英語での講義なのだという。著者はこれを「和製グローバル人材育成」だと批判している。こうなってしまったのは、予算を削減した結果の英語ネイティブ教員不足のためだ。その結果、掲げた大きな目標とはかけ離れた表面的な改革にどどまっているそうだ。
第3章から「大学入学共通テスト」の問題が指摘される。まず、最大の問題がセンター試験を廃止した後に行われる「民間試験」の導入だ。試験業者は複数あるが、どれをとってみても高校までの授業内容に沿って作られた英語試験ではない。TOEFLは留学生向けの試験であるし、TOEICはビジネス英語の能力を測るための試験だ。その他の試験も大学入試のために作られた試験ではない。
また、検定料は自己負担。親への経済的負担がかかる。そして民間の試験業者により年間の実施回数がまちまち、試験会場が少ない業者があるため、受験生が住んでいる地域から遠すぎるケースがでてくる。つまり受験生にとって極めて不公平、不公正な状況が生じるのだ。
本書刊行後の話
本書が刊行されて以降、今日までに次のようなニュースがあった。
- 記述式問題を含め答案の採点を民間業者が採用する大学生アルバイトが行うことがわかった。(まとめページ)
- 東大と京大が民間英語試験を使わないことを表明した。(ニュース記事)
- TOEICが英語民間試験から撤退することを発表した。(解説記事)
- 英語民間試験にはケンブリッジ英検、英検CBTとS-CBT(新型英検)、GTEC、IELTS 、TEAP 、TEAP CBT、TOEFL iBTの7つが使われることになる。(ニュース記事)
- 全国高校長協会が英語民間検定試験の不安解消求め要望書を提出した。(ニュース記事)
- 民間英語試験の利用は中止すべき…大学教授ら請願。(ニュース記事)
最大の被害者は高校生、受験生である。SNS上でも英語民間試験に反対する人のツイートが目立っている。これに対する柴山文部科学大臣(@shiba_masa)は8月16日に「サイレントマジョリティは賛成です。」というツイートをされた。(ツイートを開く)これはつまり「物言わぬ大多数の人は英語民間試験に賛成である。」という意味で、批判にはまったく耳を貸すつもりはないということだ。
来年から実施されるにもかかわらず詳細はまだ決まっていないため、高校や受験生、現場の教師たちは大混乱している。英語民間試験が行われるようになると、高校の授業もそれを意識して授業内容が大きく歪められることになる。
ちなみに英検で受験する場合、予約開始は来月だ。見切り発車であることは明らかだ。同種の試験を2回受けても、1回ずつ違う試験を受けてもよいのだという。どのようにしたら公平性を保てるのか、さっぱりわからない。
最新の情報は、以下のタグでツイート検索していただきたい。またKIT Speakee Project(@KITspeakee)によるツイートは、情報が整理されていて読みやすい。
ツイッター検索: #英語民間試験 #民間英語試験 #英語民間試験いらない #大学入試共通テスト #大学入学共通テスト
おわりに
この国の英語の入学試験と英語教育が破壊されようとしている。小中高のお子さんや受験生をもつ方や教育関係者でないと教育問題には関心をもたないのかもしれない。そして教育関係者だとしても英語以外を担当している先生には関心がない問題なのかもしれない。けれども、教育は将来の日本の社会、方向を決めるとても大切な問題だ。ぜひ関心をもってほしい。
本書の「第4章 「コミュニケーションに使える英語」を目指して」で鳥飼先生は、英語教育はどうあるべきかというご自身のお考えを専門家らしい知見で紹介している。ここでは伏せておくので、気になる方は本書をお読みいただきたい。しかし、差し当たりは現在直面している問題の解決に全力を尽くすべきだと僕は思った。
本書に書かれているのは1970年代以降の英語教育史である。その根っこはどうなっているのか、時代を遡って英語教育の歴史を知りたくなった。8月ということもあり戦争関係の番組を見聞きすることが多い。これは英語教育、英語以外の外国語教育の視点から、幕末以降の日本の近代史・現代史を紹介する本だ。次はこれを読むことにした。
「英語と日本軍 知られざる外国語教育史:江利川春雄 」(Kindle版)
関連記事:
英語の授業は英語で - 新学習指導要領案
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/f40af01f96de42d43000248e8b310478
次期学習指導要領(高等学校、数学、情報)について思うこと
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/89d69b96a16b12ec3901564f09785874
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「英語教育の危機 (ちくま新書):鳥飼玖美子」(Kindle版)
まえがき
序章 英語教育は今、どうなっているのか?
- 「コミュニケーションに使える」英語教育への大変身
- 「英語は英語で」教えよう
- 「英語で授業」のDVD
- 大学入学者の英語力低下
- 小学校英語の導入
- 民間英語試験の導入
第1章 英語教育「改革」史
- 見果てぬ夢を追って
文科省は慢性改革病
英語教育改革の内なる蹉跌
- 英語教育改革の歩み
平泉・渡部論争
「平泉・渡部論争」の社会的意義
臨時教育審議会
1989年学習指導要領改訂
「「英語が使える日本人」育成のための行動計画」
- 「グローバル人材育成戦略」
「グローバル人材育成」のための英語教育
国をあげての危機感
文科省「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」(2013)
「スーパーグローバル大学創成支援事業」
和製グローバル人材育成
表面的な改革
「専門の講義を英語で」という陥穽
第2章 2020年からの英語教育―新学習指導要領を検証する
- 新学習指導要領とはどんな内容か?
「学習指導要領」とは何?
2020年からの新学習指導要領--全体の方針
「思考力・判断力・表現力」
「学びに向かう力」
「これからの時代に求められる資質・能力」
- 新学習指導要領に見る英語教育
小学校での英語教育
「目標」
何を育成するのか
高度な小学校英語
- 新学習指導要領の課題
実施にあたっての課題
「英語の授業は英語で」の是非
「英語で授業」の何が問題か
「英語で英語を教える」のは時代遅れ
「音声指導をどうするのか」
教員養成と教員研修のあり方
習得語彙の大幅な増加
複言語主義の理念なくCEFRを部分的に導入
理念なきCEFR導入の問題点
「やり取り」(interaction)という技能の追加
- その他の事柄
国語教育との連携
文法はコミュニケーションを支える
発音記号
筆記体
新学習指導要領から、その後へ
第3章 大学入試はどうなるのか?―民間試験導入の問題点
- 変わるセンター試験
「大学入学共通テスト」に民間試験!?
現実を把握せず論評するメディア報道
- なぜ民間試験は問題か
民間検定試験は目的が違う
目的基準テストと集団基準テストの違い
検定料の負担がかかる
高校英語教育は検定試験を目的とする受験勉強になる
大学での現状は数値で測定できない
第4章 「コミュニケーションに使える英語」を目指して
- コミュニケーションとは何か
「コミュニケーションに使える英語」
学習指導要領に見る「コミュニケーション」
文化とコミュニケーション
- コミュニケーション能力と異文化能力
「コミュニケーション能力」の四要素
「コミュニケーション能力」と「異文化能力」
ベネットとディアドーフのモデル
「異なる文化を理解する」は可能か
グローバル都市ロンドンと寛容性
- 異文化コミュニケーションと協同学習
異文化コミュニケーションと国際共通語としての英語
これからの英語教育への試案
「内容中心の指導法」
「内容と言語統合学習」
4つのC
自律性と共同学習
共同学習と能力別クラス
今後の課題
あとがき
参考文献
内容紹介:
センター試験廃止で「民間試験」導入、小学校英語、グローバル人材育成戦略……
2020年、この国の英語教育はどうなる?
子供たちの未来を左右する2020年施行の新学習指導要領からは、この国の英語教育改悪の深刻さが見てとれる。たとえば、中学校・高校では「英語は英語で教えなければならない」という無茶なルールを作り、小学校で「英語」は教科としてスタートするのに、きちんとした教師のあてはない。また学習指導要領以外にも、2020年度からは現在の「センター試験」は廃止されて、どれも入試として問題含みの「民間試験」を導入するという。どうして、ここまで理不尽なことばかりなのか?第一人者が問題点を検証し、英語教育を問いなおす。
2018年1月10日刊行、220ページ。
著者について:
鳥飼玖美子(とりがい くみこ): ウィキペディアの記事
東京都生まれ。立教大学名誉教授。上智大学外国語学部卒業、コロンビア大学大学院修士課程修了、サウサンプトン大学大学院博士課程修了(Ph. D.)。NHK「ニュースで英会話」監修およびテレビ講師。著書に『英語教育論争から考える』『戦後史の中の英語と私』『通訳者と戦後日米外交』(みすず書房)、『危うし! 小学校英語』(文春新書)、『歴史をかえた誤訳』(新潮文庫)、『国際共通語としての英語』『本物の英語力』『話すための英語力』(講談社現代新書)などがある。
鳥飼先生の著書検索: 書籍版 Kindle版
鳥飼先生の講演: 動画を検索
10年ほど前に「英語の授業は英語で - 新学習指導要領案」という記事を書いたことがある。このとき発表された新学習指導要領では、小学校5、6年生から英語を教えるだけでなく、中学と高校では英語だけを使う英会話の授業を始めるということだった。「そんな無茶な!」という気持で書いたのがこの記事だった。すでにこの方針で授業が行われ始めてずいぶん経つわけである。その後どうなったのだろうと気になっていた。
また、今年になってから気になっているのは2020年から行われる大学入試制度が問題だらけだということ。数学に関しては「次期学習指導要領(高等学校、数学、情報)について思うこと」という記事を書いたことがある。特にいまニュースやSNSで話題になっているのは大学入学共通テストの英語の試験についてだ。センター試験が廃止され、この新しい試験制度が来年から施行されようとしている。
本書はこの大学入学共通テストの英語に関して、そして日本の英語教育の現状に非常な危機意識をもっている鳥飼玖美子先生が昨年初めにお書きになった本だ。鳥飼先生は英語教育の第一人者として知られているが、もともとは有名な同時通訳者である。僕は受験生の頃から大学時代にかけて文化放送の「百万人の英語」というラジオ番組で先生の授業を聞いていた。他にはこの番組で鳥飼先生のほか、國弘正雄先生とJ・B・ハリス先生の授業を聞いていた。(「百万人の英語」の録音を検索)
「まえがき」と章立て
本書の「まえがき」で鳥飼先生は次のようにお書きになっている。少し長いが引用しておこう。
「英語教育改革がここまで来てしまったら、どうしようもない。もう英語教育について書くのはやめよう、と本気で思った。それなのに書いたのがこの本である。
英語教育についての書を何冊も刊行し、あちこちの講演で語ってきて、もうやめよう、と思うようになったのは、英語についての思い込みの岩盤は突き崩せないと悟り、諦めの境地に達したからである。
どんなに頑張って書いても話しても、人々の思い込みは強固である。曰く「グローバル時代だから英語を使えなければ」「でも日本人は、英語の読み書きは出来ても話せない」「文法訳読ばかりやっている学校が悪い」「だから、英語教育は会話中心に変えなければ」という信条を多くの人たちが共有している。
そうではない、英語をコミュニケーションに使うというのは、会話ができれば良いというものではない、しかも今の学校は文法訳読でなく会話重視で、だからこそ読み書きの力が衰えて英語力が下がっている、といくら説明しても、岩盤のような思い込みは揺るがない。政界、財界、マスコミ、そして一般世論は、ビクともしない。
結果として的外れの英語教育改革が繰り返され、行きついた先は、教える人材の確保も不十分なまま見切り発車する小学校での英語教育であり、大学入試改革と称する民間英語試験の導入である。ここまで来てしまったら打つ手はない。英語教育について書いたり話したりは無駄な努力だと考えざるをえなかった。
それでも、何とか気力を奮い立たせて本書を書いた。この危機的状況にあって、言うべきことは言っておこうと考え直したからである。英語教育における改革は不断に必要だが、それには英語教育の実態や改革の成果などを十分に検証した上で議論を尽くすべきであろう。皆さんにも英語教育の課題を知っていただき考えていただくほかはないと考えるに至り、現状分析と批判を提示し私なりの代案も示した。
一般読者にはなじみがない新学習指導要領をあえて取り上げたのは、学校の先生たちは、このような指針に沿って英語を教えることになるのだ、と知っていただきたいからである。英語教育の専門家であっても、これほどの英語を教えるにはどうしたら良いだろうと悩むような内容が記載されている。英語教員の心中を察して余りある。
学習指導要領では「批判的思考」の育成を掲げているが、学校現場では、文科省や教育委員会には逆らえないと感じている教員が多いし、学習指導要領を批判することに否定的な感情を抱く英語教員もいて、疑問や不安の声はなかなか表に出ない。しかし、肝心の教師が批判を避けていると現場の声が伝わらず、教育は良くならない。
被害を受けるのは生徒たちである。特に可哀想なのが小学生である。何も分からない子供たちが、あまり自信のない先生から中学レベルの英語を習う。嫌いにならなければ誠に幸いであるが、中学に進む頃には英語嫌いになっている児童が今より増える懸念がある。ゆとり教育のように、始まった途端から軌道修正を余技なくされることになるかもしれないが、一人の子供にとっては間に合わあない。その子が受ける英語教育は、たった一回きりなのである。救いようのない気持ちにならざるをえない。何とかしなければ、と本書を書きながら思い続けた。
英語教育の問題は、実は日本の将来に関わることであり、未来を担う世代をどう育てるかの問題である。先が見通せない不確実な時代、これまでにもまして多様性に満ちた世界に生きることになる世代を、どのように育てるのか、皆で考えていただきたい、というのが本書に託した私の願いである。」
そして章立てはこのとおり。
序章 英語教育は今、どうなっているのか?
第1章 英語教育「改革」史
第2章 2020年からの英語教育―新学習指導要領を検証する
第3章 大学入試はどうなるのか?―民間試験導入の問題点
第4章 「コミュニケーションに使える英語」を目指して
感想と解説
僕が中学で英語を学び始めたのは1975年。世代的には「読み書きと文法しか習わなかった」ことになるが、幸い中学2年のときに出会った同級生のおかげで、英語好きになりラジオ講座に集中して、高校生の頃には日常英会話は自由にできるようになった。つまり英語は独学でマスターし、その後も仕事を通じて学び続けたからビジネス英語は問題なしというレベルになった。僕の勉強法はとにかく教科書や教材の丸暗記、オウムのように喋ること、そしてディクテーションである。それを繰り返しているうちに喋れるようになった。またNHKで放送されている外国語学習の放送も継続的に活用していた。(英語学習のためのページを開く)
しかし、たいていの大人は僕と同様「読み書きと文法だけの授業」を受けた世代だから、日本の英語教育では英語は話せない、会話重視にすべきだと信じ込んでいるのだと思う。
そして、実際に会話重視の授業が行われてきた結果が惨憺たるものであることを知らない。会話力は身に付かず、逆に読み書きの能力が低下してしまったのだ。基礎的な英語力が身についておらず、英文科、英語学科なのに原書を読めない学生が入学してくるため、中学レベルの英語から教えなおす授業を行っている大学すらあるという。
問題の本質は根深いことが本書を読んで理解できた。学習指導要領はおよそ10年ごとに改正されるのだが、過去10年の結果に関する検証や行われておらず、十分な議論もなされないまま、新たな方針が思いつきのように打ち出され施行されていく。これを何度も繰り返しているのだという。これが「序章 英語教育は今、どうなっているのか?」と「第1章 英語教育「改革」史」に書かれていることだ。そして省庁間や省内での定期的な人事異動によって、せっか議論をしたとしても引き継がれないという状況がある。
今回の改正では現在小学校高学年に児童に対して行われている授業を中学年で行い、中学レベルの英語を高学年で教えることになるという。学習指導要領には1980年代から一貫して「読み、書き、リスニング、会話」の4技能による総合的コミュニケーションの育成が重要だと書かれているが、実際には会話重視に偏重しているという。
また、文部科学省は「コミュニケーションを行う目的・場面・状況などに応じて理解したり伝え合ったりする能力を育成する」という目標を掲げて会話の授業をするよう指導している。その方針に従い中学校で会話の授業は日本人の先生によって行われている。熱心でやる気のある先生もいれば、上手にできなくて苦心惨憺の先生もいる。
しかし、その内容は小学生の「買い物ごっこ」を英語でやっているだけだ。中学3年生の教室内で繰り広げられているのは「魚屋さん」「八百屋さん」「花屋さん」などの店を設定して行うやり取りだ。そこでは「ハウマッチ?」「ワオー!」「チープ、チープ、プリーズ」などのブロークン英語が行き交い、文部科学省が目標に掲げる「英語文化で規範となる話し方の規則を学び、適切に英語を使いコミュニケーションを図る能力」とは程遠い。
僕個人の考えを言えば、文法や単語の知識なしに英会話や英語学習はあり得ないと思う。日本語と英語の文法が大きくかけ離れているわけだから文法の学習は重要だ。生活に必要な単語数はどうしたって暗記に頼らざるを得ない。学校の授業時間数では全く足りない。英語の学習はどのようなものであれ、家で毎日自習することが必要だ。学校の授業は自習をする動機付け、モチベーションアップにつながるようなものであるのがベストだと思うのだ。せっかくの時間を子供のお遊びのような会話の授業で浪費するのは、まったく無駄である。
政府が掲げる「グローバル人材育成戦略」に沿って大学の授業も変わることになる。英語以外の授業も英語で講義を行うようにするようになっているそうだ。ところが、実際に行われているのは海外である程度の経験を積んだ日本人の教師による英語での講義なのだという。著者はこれを「和製グローバル人材育成」だと批判している。こうなってしまったのは、予算を削減した結果の英語ネイティブ教員不足のためだ。その結果、掲げた大きな目標とはかけ離れた表面的な改革にどどまっているそうだ。
第3章から「大学入学共通テスト」の問題が指摘される。まず、最大の問題がセンター試験を廃止した後に行われる「民間試験」の導入だ。試験業者は複数あるが、どれをとってみても高校までの授業内容に沿って作られた英語試験ではない。TOEFLは留学生向けの試験であるし、TOEICはビジネス英語の能力を測るための試験だ。その他の試験も大学入試のために作られた試験ではない。
また、検定料は自己負担。親への経済的負担がかかる。そして民間の試験業者により年間の実施回数がまちまち、試験会場が少ない業者があるため、受験生が住んでいる地域から遠すぎるケースがでてくる。つまり受験生にとって極めて不公平、不公正な状況が生じるのだ。
本書刊行後の話
本書が刊行されて以降、今日までに次のようなニュースがあった。
- 記述式問題を含め答案の採点を民間業者が採用する大学生アルバイトが行うことがわかった。(まとめページ)
- 東大と京大が民間英語試験を使わないことを表明した。(ニュース記事)
- TOEICが英語民間試験から撤退することを発表した。(解説記事)
- 英語民間試験にはケンブリッジ英検、英検CBTとS-CBT(新型英検)、GTEC、IELTS 、TEAP 、TEAP CBT、TOEFL iBTの7つが使われることになる。(ニュース記事)
- 全国高校長協会が英語民間検定試験の不安解消求め要望書を提出した。(ニュース記事)
- 民間英語試験の利用は中止すべき…大学教授ら請願。(ニュース記事)
最大の被害者は高校生、受験生である。SNS上でも英語民間試験に反対する人のツイートが目立っている。これに対する柴山文部科学大臣(@shiba_masa)は8月16日に「サイレントマジョリティは賛成です。」というツイートをされた。(ツイートを開く)これはつまり「物言わぬ大多数の人は英語民間試験に賛成である。」という意味で、批判にはまったく耳を貸すつもりはないということだ。
来年から実施されるにもかかわらず詳細はまだ決まっていないため、高校や受験生、現場の教師たちは大混乱している。英語民間試験が行われるようになると、高校の授業もそれを意識して授業内容が大きく歪められることになる。
ちなみに英検で受験する場合、予約開始は来月だ。見切り発車であることは明らかだ。同種の試験を2回受けても、1回ずつ違う試験を受けてもよいのだという。どのようにしたら公平性を保てるのか、さっぱりわからない。
最新の情報は、以下のタグでツイート検索していただきたい。またKIT Speakee Project(@KITspeakee)によるツイートは、情報が整理されていて読みやすい。
ツイッター検索: #英語民間試験 #民間英語試験 #英語民間試験いらない #大学入試共通テスト #大学入学共通テスト
おわりに
この国の英語の入学試験と英語教育が破壊されようとしている。小中高のお子さんや受験生をもつ方や教育関係者でないと教育問題には関心をもたないのかもしれない。そして教育関係者だとしても英語以外を担当している先生には関心がない問題なのかもしれない。けれども、教育は将来の日本の社会、方向を決めるとても大切な問題だ。ぜひ関心をもってほしい。
本書の「第4章 「コミュニケーションに使える英語」を目指して」で鳥飼先生は、英語教育はどうあるべきかというご自身のお考えを専門家らしい知見で紹介している。ここでは伏せておくので、気になる方は本書をお読みいただきたい。しかし、差し当たりは現在直面している問題の解決に全力を尽くすべきだと僕は思った。
本書に書かれているのは1970年代以降の英語教育史である。その根っこはどうなっているのか、時代を遡って英語教育の歴史を知りたくなった。8月ということもあり戦争関係の番組を見聞きすることが多い。これは英語教育、英語以外の外国語教育の視点から、幕末以降の日本の近代史・現代史を紹介する本だ。次はこれを読むことにした。
「英語と日本軍 知られざる外国語教育史:江利川春雄 」(Kindle版)
関連記事:
英語の授業は英語で - 新学習指導要領案
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「英語教育の危機 (ちくま新書):鳥飼玖美子」(Kindle版)
まえがき
序章 英語教育は今、どうなっているのか?
- 「コミュニケーションに使える」英語教育への大変身
- 「英語は英語で」教えよう
- 「英語で授業」のDVD
- 大学入学者の英語力低下
- 小学校英語の導入
- 民間英語試験の導入
第1章 英語教育「改革」史
- 見果てぬ夢を追って
文科省は慢性改革病
英語教育改革の内なる蹉跌
- 英語教育改革の歩み
平泉・渡部論争
「平泉・渡部論争」の社会的意義
臨時教育審議会
1989年学習指導要領改訂
「「英語が使える日本人」育成のための行動計画」
- 「グローバル人材育成戦略」
「グローバル人材育成」のための英語教育
国をあげての危機感
文科省「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」(2013)
「スーパーグローバル大学創成支援事業」
和製グローバル人材育成
表面的な改革
「専門の講義を英語で」という陥穽
第2章 2020年からの英語教育―新学習指導要領を検証する
- 新学習指導要領とはどんな内容か?
「学習指導要領」とは何?
2020年からの新学習指導要領--全体の方針
「思考力・判断力・表現力」
「学びに向かう力」
「これからの時代に求められる資質・能力」
- 新学習指導要領に見る英語教育
小学校での英語教育
「目標」
何を育成するのか
高度な小学校英語
- 新学習指導要領の課題
実施にあたっての課題
「英語の授業は英語で」の是非
「英語で授業」の何が問題か
「英語で英語を教える」のは時代遅れ
「音声指導をどうするのか」
教員養成と教員研修のあり方
習得語彙の大幅な増加
複言語主義の理念なくCEFRを部分的に導入
理念なきCEFR導入の問題点
「やり取り」(interaction)という技能の追加
- その他の事柄
国語教育との連携
文法はコミュニケーションを支える
発音記号
筆記体
新学習指導要領から、その後へ
第3章 大学入試はどうなるのか?―民間試験導入の問題点
- 変わるセンター試験
「大学入学共通テスト」に民間試験!?
現実を把握せず論評するメディア報道
- なぜ民間試験は問題か
民間検定試験は目的が違う
目的基準テストと集団基準テストの違い
検定料の負担がかかる
高校英語教育は検定試験を目的とする受験勉強になる
大学での現状は数値で測定できない
第4章 「コミュニケーションに使える英語」を目指して
- コミュニケーションとは何か
「コミュニケーションに使える英語」
学習指導要領に見る「コミュニケーション」
文化とコミュニケーション
- コミュニケーション能力と異文化能力
「コミュニケーション能力」の四要素
「コミュニケーション能力」と「異文化能力」
ベネットとディアドーフのモデル
「異なる文化を理解する」は可能か
グローバル都市ロンドンと寛容性
- 異文化コミュニケーションと協同学習
異文化コミュニケーションと国際共通語としての英語
これからの英語教育への試案
「内容中心の指導法」
「内容と言語統合学習」
4つのC
自律性と共同学習
共同学習と能力別クラス
今後の課題
あとがき
参考文献