「AI(人工知能)と物理学」2018年度日本物理学会科学セミナー
日時:2018年8月11日(土・祝)、12日(日)
場所:東京大学駒場キャンパス 数理科学研究科棟 大講義室
https://www.jps.or.jp/public/seminar/scisemi2018.php
1日目
はじめに:川村 光(日本物理学会会長)
情報処理技術としてのAI:中島 秀之(札幌市立大学 学長)
思考力を競うゲームの人工知能技術発展の歴史と現状:保木 邦仁(電気通信大学大学院情報理工学研究科 准教授)
広域宇宙撮像データを用いたビッグデータ宇宙論:吉田 直紀(東京大学大学院理学系研究科 教授)
量子コンピュータが人工知能を加速する:大関 真之(東北大学大学院情報科学研究科 准教授)
深層学習と時空:橋本 幸士 (大阪大学大学院理学研究科 教授)
2日目
深層学習とは何か、そしてどんなことが出来るようになっているのか:瀧 雅人(理化学研究所数理創造プログラム(iTHEMS) 上級研究員)
多層畳み込みニューラルネットワークで求めた量子相転移の相図:大槻 東巳(上智大学理工学部機能創造理工学科 教授)
人工知能と脳科学:甘利 俊一(理化学研究所脳神経科学研究センター 特別顧問)
量子力学の問題をニューラルネットワークで解く:斎藤 弘樹(電気通信大学大学院情報理工学研究科 教授)
AI は物理において何の役に立つか?:寺倉 清之(物質・材料研究機構 名誉フェロー・エグゼクティブアドバイザー)
おわりに:迫田 和彰(日本物理学会科学セミナー担当理事)
1日目の講演に続き、2日目は次のような講演が行われた。
2日目
深層学習とは何か、そしてどんなことが出来るようになっているのか:瀧 雅人(理化学研究所数理創造プログラム(iTHEMS) 上級研究員)
瀧先生は深層学習が機械学習の一例であることを述べ、機械学習に共通する考え方、そしていちばん単純な回帰マシンがデータを使ってどのように学習するかを解説された。次に深層学習のしくみをニューラルネットワーク、人工ニューロンの例を具体的に数式で示しながら紹介。1965年に甘利俊一先生がニューラルネットの学習法を初めて提唱して以来、長い歴史があった。歴史を示しながら2012年に大発展するまでのことを紹介された。
次に深層学習の性能がどのように改善していったかを、画像認識の分野を例にとり紹介。次に画像からキャプションを生成する例、白黒画像のカラー化やターナーの絵画をゴッホ風に変換するなど画像翻訳をする例を紹介された。
最後に深層学習がまだ完全でないことを敵対的事例を見せることで示してくださった。具体的にはパンダが写っている写真に敵対的画像を貼り付けるとパンダだと認識できなくなるという事例である。また、データによる学習だけだとバイアスがかかったものを学習することになり、画像を誤認識する原因になるということも解説された。
感想:画像認識技術を直接見せていただいたことで、問題点をよく理解することができた。深層学習は素晴らしい技術だが、まだまだ満足のいくものではない。ブラックボックス化したニューラルネットワークであるため、問題を解決する方法を見つけるのも至難の業なのだとわかった。
「これならわかる深層学習入門:瀧雅人」(Kindle版)
多層畳み込みニューラルネットワークで求めた量子相転移の相図:大槻 東巳(上智大学理工学部機能創造理工学科 教授)
「AIと物理学」というテーマに沿った講演内容だった。物性物理学の研究に深層学習を使うのだ。たとえば金属と絶縁体では波動関数が異なっている。金属相と絶縁体相それぞれにつき数千の固有関数を用意して、多層ニューラルネットワークに教師あり学習をさせるのである。つまり、理論的に計算される数千の値によって「金属」と「絶縁体」の違いを学習させるのだ。そして半金属についても同じことを行なう。この計算によって得られるのは「相図」であり、波動関数の3次元的な分布である。
学習(訓練)した結果を量子パーコレーションに適用する。アンダーソン・モデルで訓練した多層ニューラル・ネットワークを量子パーコレーションの波動関数に適用して相図を描き、金属か絶縁体かを判定させることができるのだ。また、同じ手法を3次元のトポロジカル絶縁体にも適用して相図を描く例も紹介された。
今のところ、この手法はよくわかっている問題に適用され、有効性が確認できたという研究が多いが、今後は未知の結果を出さないと一過性のブームで終わってしまうということを懸念されているという。
感想: 科学教養書がほとんどない専門分野の研究だけに、理解するのが難しかった。しかし金属と絶縁体の違いが、電子の波動関数の局在化と関係していることは、直観的に理解できるものだから、相図や3Dの分布を図示していただいたことで、深層学習がどのように利用されているのががわかった。
「大学生のための基礎物理学:大槻東巳」
「現代物理最前線2(不規則電子系の金属-絶縁体転移)」
人工知能と脳科学:甘利 俊一(理化学研究所脳神経科学研究センター 特別顧問)
人工知能研究の第一人者、ニューラル・ネットワークの発案者、大御所の登場である。甘利先生は1日目、2日目を通じて僕の席の左側前方5メートルあたりの関係者席で講演を聞いていらっしゃった。先生の著書はこれまで「情報理論:甘利俊一」や「脳・心・人工知能 数理で脳を解き明かす:甘利俊一」という記事で紹介している。
甘利先生のお話は時をはるかに遡って138億年前のビッグバンから始まった。悠久の時の流れの後、地球誕生、生命の誕生を経て、5億年前にようやく脳や神経系が発生する。そして人類の誕生は700万年前だ。この大きな時の流れは、物質の法則から生命の法則、さらに文明の法則への過程でもある。このようにして私たちの脳には心や情報が備わっていった。
次に先生は人工知能と脳のモデルを比較しながらそ歴史を説明された。1956年に始まった第一次ブーム、1970年に始まった第二次ブームを経て、2010年の第三次ブームに至って現在さかんに研究されている深層学習や確率推論が行われるようになったのである。
ここから解説は数式を使った専門的なものになった。ニューロンの数理モデルの発展を紹介し、そのフェーズごとにしくみや長所を説明していく。言葉による説明は理解できるものの、会場にいた多くの受講者には数式は理解できないものだったのではないかと思われる。僕は数学専攻だったので、どうにかついていくことができたが、モデルが実際どのように学習を実現していくのかは想像できなかった。たとえて言えば漸化式を見て、数列のひとつひとつを思い浮かべることが困難なのと似ている。
最後の3分の1ほどから数式なしの説明に戻り、講演は会場の大多数が理解できるものになった。数理脳科学の目的、人工知能は何をどう実現するか、意識や自由意志の話、人工知能が脳に学ぶべきこと、心を持ったロボットがつくれるか、人工知能と倫理、社会への影響、シンギュラリティ、日本のAIの進むべき道、人工知能と未来社会の設計などについてである。
感想:「人工知能が暴走するのではなく、人間が人工知能を暴走させるのだ。」とおっしゃっていたのが印象的だった。商売や経済優先、欲に目が眩んでそうしてしまうことへの警鐘としておっしゃっていた。
「脳・心・人工知能 数理で脳を解き明かす:甘利俊一」(Kindle版)(紹介記事)
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量子力学の問題をニューラルネットワークで解く:斎藤 弘樹(電気通信大学大学院情報理工学研究科 教授)
斎藤先生の講演も「AIと物理学」というテーマに沿ったものだった。量子力学の波動関数をニューラルネットワークで近似するというものだ。
先生はまず量子力学の初歩、1次元のシュレディンガー方程式や基底状態、調和振動子を解説し、ニューラルネットワークで関数近似を行なう方法を紹介する。
次の多変数関数に方法を一般化して説明された。多粒子系の波動関数がニューラルネットワークで表現できるのだ。ニューラルネットワークを多層化し、隠れユニットの数を増やせばどのような関数も表現できるのだが、意外と少数の隠れユニットで実現できることが確認された。
この方法によって何ができるのかが重要である。まず1次元の量子多体問題、スピン系の基底状態の計算のシミュレーションを紹介された。次に格子系への応用を紹介。
この方法のメリットは汎用性が非常に高いことである。さまざまな波動関数が同種のネットワークで表現できるからだ。ネットワークを訓練することで粒子数が違う場合の入力データも扱えることになる。これが汎化性能である。
今後の課題としては、時間発展や励起状態を計算できるようにすること、他のさまざまな量子多体系に応用することがあるそうだ。
感想:数式が比較的やさしいものだったので、容易に理解することができた。しかし、この手法が使われて新しい何かがわかるようになったのかが僕にはよくわからなかったので、次のような質問をさせていただいた。
「この方法が導入される前には、どのような方法がとられていたのでしょうか?」という質問だ。先生は「これまではモンテカルロ法を使って計算していた。」と教えてくださった。なるほどとは思ったが、考えてみるとモンテカルロ胞では「訓練」や「学習」はすることができない。今回紹介されたニューラルネットワークの方法とモンテカルロ法では一長一短があるのだなと僕は思った。
AI は物理において何の役に立つか?:寺倉 清之(物質・材料研究機構 名誉フェロー・エグゼクティブアドバイザー)
寺倉先生の講演も「AIと物理学」というテーマに沿った内容だった。先生のご専門は物性物理学、特に新物質や新材料の研究である。
先生はまず物理研究の方法を歴史をたどる形で解説された。科学の発展の初期においては帰納的方法(+仮説的推論)がとられ、原理や法則が確立してくると演繹的方法の時代を迎える。そして現代は情報技術、自動化技術の発展により新帰納的方法の時代を迎えている。現代の科学研究の4本柱は「実験」、「理論」、「計算科学」、「データ科学」であるという。
このことを踏まえ、次に新奇物質探索の話が始まる。1957年にBCS理論が発表された後、物性物理の終焉説がおこったそうだ。ところが1972年、P.W.アンダーソンの「More is different.」という言葉に象徴されるように、物性物理は悲観論から回復し、その後カーボンナノチューブやフラレン、銅酸化超伝導体、鉄系超伝導体、トポロジカル絶縁体など次々と新物質が発見されていく。つまり物質を設計する時代になった。
物質・材料から因果関係を演繹し、その物性や機能を導くことを順問題とすると物質・材料設計は「逆問題」である。つまり求められる物性や機能を設定し、相関関係を使うことで帰納的に原因が解明され、どのような物質や材料になるかが求められる。これをするために用いられるのが機械学習であり、深層学習なのだ。
具体的には、次のような体系で分類される方法で行う。
そして実際に行わている次の方法が詳しく解説された。
- 回帰解析を利用した物質設計
- モンテカルロ木探索+RNNによる分子設計
- AI(クラスター解析による周期表の再現)
AIによってわかるのは相関関係である。因果関係ではない。チコ・ブラーエは膨大な観測結果(ビッグデータ)をケプラーに遺した。ケプラーが得たのは観測データの相関関係である。それにもかかわらずケプラーが惑星の3法則を導き、これがニュートンの万有引力の法則や力学3法則に結びついたわけだが、AIはケプラーやニュートンが成し遂げたように因果関係を明らかにしたブレイクスルーを可能にしてくれるわけではない。この話がとても印象的だった。
そして、先生は次のように総括された。
AIを使っても全く新奇な物質の発見や因果律の根本の発見という物理の根幹のところへの処方箋は相変わらず見えない。今のAIは問題解決のための専用人工知能である。人間の知能のような、意味もわかり問題設定もできるのは汎用人工知能である。
とすると、汎用人工知能が開発されない限り上の2つの物理の根幹の問題がAIで解決されることはないのだが、それでもAIは役立つ。大きな革新は、小さい成果の積み重ねの上に実現するとしたら、AIはそれらの積み重ねに貢献することによって、人間の知能による革新に役立つことは考えられる。
感想: 最先端の研究へAIが応用されているという意味で、とても説得力がある内容だった。そのぶん難しく、そして2日目の最後の講演ということで疲れて集中するのが大変だった。新物質の設計ということ自体が僕には目新しいし、同じ手法が新薬の設計や有機化学にも使えるのかなと思ったりした。もし僕が研究できる立場になることができるとしたら、2日間の講演内容の中で、これがいちばんやりたいことだと思う。
「物質の電子状態 上」
「物質の電子状態 下」
「固体‐構造と物性 (現代物理学叢書)」
「物質科学の発展〈3〉破壊・フラクチャの物理」
2日目の講演はこのようなものだった。
GPUマシンでないふつうのパソコンでも、人工知能を試す実験がたくさんあることがわかったので、僕の興味は倍増した。とりあえず将棋AIを研究していこう。画像認識も面白そうだ。
各講演の最後の10分間は質疑応答にあてられていた。活発に質問が飛んでいたが、質問する多くの方が決められたように「素朴な質問ですが。。。」と前置きして質問していたのが可笑しかった。素朴な質問って素人の質問ということなのだろうけれど、素朴でない質問というのはどういうものだろう?とか考えてしまう。辞書をひくと「深く検討されていない単純な質問、常識的な物事に対する疑問の投げかけなどを指す表現。」ということのようだ。
知的刺激に満ちた2日間を過ごすことができました。講演をしてくださった先生方、日本物理学会の担当者、会場でのスタッフのみなさま、ありがとうございました。
その他
東大駒場キャンパスの敷地には古風な建物がいくつかある。昭和の初めに建てられたものであることが「東京大学の建造物(駒場Iキャンパス)」というページを見るとわかる。この記事を書いている今日は終戦記念日だ。これらの建物は東京大空襲で被災をまぬがれたことを思うと貴重であり、後世に遺してもらいたいと思った。このように恵まれた環境で学べる東大生は幸せである。
1日目の講演会の前に撮影した写真を載せておこう。
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