「隠れていた宇宙(下):ブライアン・グリーン」
内容
量子力学、超ひも理論、ランドスケープ宇宙、ホログラフィック理論……物理学の先端をそれぞれに切り拓いた、あるいはいま切り拓きつつある理論を各々突き詰めていくと、不思議なことに、必ずと言っていいほど「私たちのいる宇宙から見えないところに別の(多くの)宇宙がある」という結論が導かれる。現代はある意味で、「多宇宙の世紀」なのだ。これらの見えない宇宙を実験で確かめるすべは、今はまだない。しかし、これだけあちこちの科学者から報告される多宇宙=多世界=並行世界を、私たちはどう考えるべきか? 科学的な観測事実の裏付けのないものはやはり、物理研究の対象と見なすべきではないのか? いやむしろ、これだけ数学の確固たる裏付けをともなったものはリアルな、実在のものと考えるべきではないのか……『エレガントな宇宙』『宇宙を織りなすもの』で、普通の言葉で先端理論をわかりやすく解説すると定評のある、グリーン待望の本格的科学解説。2011年刊行。
著者について
ブライアン・グリーン
物理学者・超弦理論研究者。コロンビア大学物理・数学教授。研究の第一線で活躍する一方、超弦理論をはじめとする最先端の物理学を、ごく普通の言葉で語ることのできる数少ない物理学者の一人である。
超弦理論を解説した前著『エレガントな宇宙』は、各国で翻訳され、全世界で累計100万部を超えるベストセラーとなった。
翻訳者について
大田直子
翻訳家。東京大学文学部社会心理学科卒。訳書にサックス『音楽嗜好症』、リドレー『繁栄』(共訳)、オレル『明日をどこまで計算できるか?』(共訳、以上早川書房刊)、サトゥリス『徒歩で行く150億年の旅』、メレディス『インドと中国』、ロオジエ『関係の法則』ほか多数。
監修者について
竹内薫
1960年東京生。科学作家。1983年東京大学教養学部教養学科、1985年同理学部物理学科卒。マギル大学(カナダ)哲学科・物理学科修士課程を経て、1992年博士課程修了。Ph.D(高エネルギー物理学専攻)。一般読者にもわかりやすく手に取りやすい先端科学の解説本には定評があり、近年ではテレビやラジオでも科学解説者として活躍中。著書に『シュレ猫がいく! ブレーンワールドへの大冒険』『「超ひも理論」とはなにか』『ゼロから学ぶ超ひも理論』『物質をめぐる冒険』『世界が変わる現代物理学』『99.9%は仮説』ほか多数。訳書にテイラー『奇跡の脳』、ホーガン『科学の終焉』、マクスウェル『電気論の初歩』ほか多数。
理数系書籍のレビュー記事は本書で243冊目。
多宇宙(マルチバース)の理論については物理学者の間でも判断が大きくわかれ、それを嫌悪し、反対の立場をとる学者もいる。一般の人にとっても受け入れがたいことは容易に想像がつくし、僕も本書を読みながら「主張するのは勝手だけど、とりとめもないそんな妄想を今の段階で議論しても意味があるの?」という思いが何度も頭をもたげてきた。
これは科学なのか?検証したり、何かを予測することのできる理論なのか?と問うことすら時間の無駄に思えてならない。
けれども多宇宙理論を肯定しているのは著者のグリーン博士だけではない。多くの科学者が真面目にこの分野に取り組んでいることが紹介されている。数学に裏付けられた現代物理学は、いくつもの別のルートを辿り、そのほとんどが行き着く先が、それぞれタイプは異なるのだが「多宇宙」という点で一致している。
下巻では新たに量子多宇宙、ホログラフィック多宇宙、シミュレーション多宇宙、究極の多宇宙という4つのタイプの多宇宙が紹介されるのだが、猪突猛進する前に立ち止まって次のような考察を読者に示している。(第7章「科学と多宇宙--推論、説明、予測」)
- 仮説や理論が科学と呼べるためには何が必要か?
- 多宇宙は観測不能か?
- 多宇宙理論は何に立脚しているか?
- 多宇宙理論は何かを予測し、意味のある役割を果たせるのか?
これらの点について詳細な説明と議論が尽くされるのであるが、結論として次のようになると本書では主張されている。
- 仮説や理論が科学と呼べるための必要条件については意見が分かれているが、一般的には「検証可能性」や「予測可能性」だと言われている。
- 多宇宙は直接観測不能であるが、そのうちのいくつかのタイプは間接的な形でその存在や性質を検証することができる可能性がある。
- 多宇宙理論は、既存の物理学と数学、そして現在仮説段階の物理理論と数学的な推論に立脚している。
- 多宇宙理論は私たちの宇宙や他の多宇宙について何かを予測できるようになる可能性がある。
書いてあることの理解はできたが、僕は机上の空論というか砂上の楼閣の設計図が正しいことを延々と聞かされている気分になった。それでも著者は猪突猛進するのではなく、反対意見を意識しながら研究をしていることはわかったので、その後を読み進もうとする気持ちの糸はつながったままでいられるのだ。
そして4つのタイプの多宇宙の紹介が始まる。
量子多宇宙
この多宇宙は、いわゆるエヴェレット3世が波動関数の収縮、観測問題という量子力学の解釈をめぐる困難を解消するために発案した「多世界」のことで、他のタイプの多宇宙のように遠くにある宇宙ではない。それではどこにあるのかと聞かれてしまうと答には困ってしまうわけであるが。。。エヴェレットの多世界は提唱された当時から反発を呼び、1980年代には「トンデモ理論」としてのレッテルを貼られていた。しかし、近年の物理学の発展によってこの理論の信ぴょう性が浮上し、再び議論の舞台に浮上しているのだ。
僕自身はこの多世界論のことをタイムパラドックスを解決するという文脈で知ったが、そのときの説明は短すぎて「トンデモ理論」だという印象を強く持った。ところが本書での説明はとても詳しく、ボルンの確率解釈や観測問題など一般的に受け入れられている量子力学の解釈が抱える問題と対比して解説されているので、多世界解釈を受け入れることが論理的には自然で美しいのだということがよくわかる。
ホログラフィック多宇宙
上巻、下巻を通じてこの箇所が僕にとっていちばん有益だった。無限の彼方にある2次元の面にある情報(つまり1と0のビット)が私たちの3次元宇宙と等価であるというのが「ホログラフィー原理」であり、このことは「大栗先生の超弦理論」でも紹介されていたが、本書ではさらに詳しい解説がされている。
その発想の元はブラックホール表面にある情報の問題である。ホーキング放射、ホーキングパラドックスについてとても詳しく知ることができたのがよかった。NHKの「神の数式」で紹介されていたように、ブラックホールの謎の熱の問題は超弦理論によって解決されていたのだが、これの詳細も解説されている。
この世界の本質が「情報」であるという考え方だけでも突飛であるのに、本質はむしろ「情報」のほうにあり、この世界のほうが幻影だという考え方は衝撃的だ。この世界(空間と時間)は連続だという考え方は量子の世界では大いに怪しくなる。空間の最小体積は「プランク体積」というものになり、その体積が保持できる情報の量が1ビットであると予想されている。
常識的に考えればブラックホールが蓄えることのできる情報量は体積に比例すると思われるがそうではない。不思議なことに情報量はブラックホールの表面積に比例しているのだ。
ある特定の体積の領域が保持できる情報量には限界があり、限界を超えるとその領域はブラックホールになってしまうという説が特に興味深かった。
ホログラフィック宇宙の理論的根拠は超弦理論である。蓄える情報の違いにより無限の数の多宇宙が生成されると予想されているのだ。
シミュレーション多宇宙
この多宇宙のことが僕はいちばん受け入れがたかった。シミュレーション多宇宙とはコンピュータによって作られる「仮想現実」のことだ。映画「トータル・リコール」の世界である。コンピュータの中の仮想世界の中には私たちの世界と同様の世界や、まったく異なる世界が存在し、そこには意思を持つ生命が「生きて」いる。その世界もコンピュータがあり、新たな仮想現実の世界を生み出し、仮想世界生成の連鎖は無限に続く。
私たちは「仮想現実でない世界」に生きていると信じているが、果たしてそう言い切れるだろうか?この世界が仮想でないという証拠を提示することができるだろうか?
本書のこの部分では、このようにSFの世界そのもののような多宇宙論が展開されるのである。
しかし、ここで重要なのはコンピュータが描き出しうる世界というのは「計算可能な宇宙」であるということだ。アラン・チューリングによってコンピュータ・アルゴリズムによって解くことができる問題とそうでない問題についての研究が行なわれたが、計算不能の多世界はシミュレーション多宇宙からは除外されるのである。
究極の多宇宙
究極の多宇宙とは「考えられうる限りのすべて種類の宇宙」のことである。この多宇宙はシミュレーション多宇宙を論じる前に紹介されていた。著者が大学生の頃に受講した哲学の講義を担当された教授から提示された話の中で持ち出されたのがその発端である。
「考えられうる限りのすべての種類の宇宙」の例として本書では「モッツァレラチーズだけでできた宇宙」があげられている。何でもありだ。きりがない。「不思議の国のアリスの世界そのままの宇宙」だってよいわけだし、「スターウォーズの世界」でも、「ロボットだけが生活している宇宙」も「究極の多宇宙」の仲間だ。「チョコレートだけでできた世界」や「何も無い世界」というのでもOK。
さすがにグリーン博士も、このような多宇宙は科学ではないとおっしゃっている。それはそうなのだが、なぜこのような多宇宙論を持ち出す必要があるのだろうか?
それは無限にある多宇宙の可能性のうち、意味のあるものと意味のないものを区別するよりどころを示すためである。シミュレーション多宇宙の説明では「計算可能性の有無」がその基準になり、その他の多宇宙では「数学による裏付けができるかどうか」、「論理的な整合性」が基準になる。
究極の多宇宙という明らかに非科学的なトンデモ宇宙の極限と対比されることで、これまで紹介されてきた他の多宇宙の論理的な枠組みがまっとうで、正しいもののように思えてきてしまうのが可笑しかった。
本書の最後では、上巻、下巻を通じて取り上げた多宇宙のことがまとめとしてもう一度紹介され、それが科学であることの説明が再び主張されている。
グリーン博士のとてつもない話の本ばかり続いたので、地に足がついた本を読みたくなった。次の本は普通の教科書にしよう。
単行本と文庫版、そしてKindle版も出ているのでぜひ読んでみてほしい。
単行本:
「隠れていた宇宙(上):ブライアン・グリーン」
「隠れていた宇宙(下):ブライアン・グリーン」
文庫版:
「隠れていた宇宙(上)文庫版:ブライアン・グリーン」
「隠れていた宇宙(下)文庫版:ブライアン・グリーン」
翻訳のもとになった英語版20011年に出版された。Kindle版もでている。
「The Hidden Reality: Brian Greene」
関連ページ:
多元宇宙論が検証可能に?(ナショナルジオグラフィック ニュース)
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20110810002
関連記事:
隠れていた宇宙(上):ブライアン・グリーン
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/4a1abbca21c0188f43d7d72af39287f2
エレガントな宇宙:ブライアン・グリーン
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/404c24b68f57609900bc3d7a030333d5
宇宙を織りなすもの(上):ブライアン・グリーン
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/9a33e8f5ee79057972cf86c7b20c5218
宇宙を織りなすもの(下):ブライアン・グリーン
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「隠れていた宇宙(下):ブライアン・グリーン」
第7章:科学と多宇宙--推論、説明、予測
- 科学の本質
- 手が届く多宇宙
- 科学と手の届かないものI--観測不能な宇宙を持ち出すことは、科学として正当と認められるのか?
- 科学と手の届かないものII--原理はここまでにして、実際問題として何に立脚するのか?
- 多宇宙における予測I--多宇宙を構成する宇宙は、それ自体は手の届かないものでも、予測をするという点で意味のある役割を果たせるのか?
- 多宇宙における予測II--原理はここまでにして、実際問題として何に立脚するのか?
- 多宇宙における予測III--人間原理
- 多宇宙における予測IV--何が必要か?
- 無限の割り算
- 反対派からのさらなる異論
- 謎と多宇宙--私たちは多宇宙から、ほかではえられない説明能力を与えられるのか?
第8章:量子測定の多世界--量子多宇宙
- 量子論における実在(リアリティ)
- 二者択一の謎
- 量子波
- 早まるな
- 線型性とその不満
- 多世界
- 二つの話の話
- いつ「もう一つの宇宙」になるのか
- 最先端の不確定性
- 予想される問題
- 確率と多世界
- 予測と理解
第9章:ブラックホールとホログラム--ホログラフィック多宇宙
- 情報
- ブラックホール
- 第二法則
- 第二法則とブラックホール
- ホーキング放射
- エントロピーと隠れた情報
- エントロピー、隠れた情報、ブラックホール
- ブラックホールの隠れた情報を突き止める
- ブラックホールだけでない
- 細則
- ひも理論とホログラフィー
- 並行宇宙か並行数学か?
- 結び--ひも理論の未来
第10章:宇宙とコンピュータと数学の実在性--シミュレーション多宇宙と究極の多宇宙
- 宇宙を創造する
- 思考の成分
- シミュレーションされた宇宙
- あなたはシミュレーションのなかで生きているのか?
- シミュレーションの向こうを見る
- バベルの図書館
- 多宇宙の合理的説明
- バベルのシミュレーション
- 実在(リアリティの根源)
第11章:探求の限界--多宇宙と未来
- コペルニクスのパターンは基本なのか?
- 多宇宙を持ち出す科学理論は検証可能か?
- 私たちが出会った多宇宙論を検証できるか?
- 多宇宙は科学的説明の本質にどう影響するのか?
- 数学を信じるべきなのか?
監修者あとがき
参考文献
原注
内容
量子力学、超ひも理論、ランドスケープ宇宙、ホログラフィック理論……物理学の先端をそれぞれに切り拓いた、あるいはいま切り拓きつつある理論を各々突き詰めていくと、不思議なことに、必ずと言っていいほど「私たちのいる宇宙から見えないところに別の(多くの)宇宙がある」という結論が導かれる。現代はある意味で、「多宇宙の世紀」なのだ。これらの見えない宇宙を実験で確かめるすべは、今はまだない。しかし、これだけあちこちの科学者から報告される多宇宙=多世界=並行世界を、私たちはどう考えるべきか? 科学的な観測事実の裏付けのないものはやはり、物理研究の対象と見なすべきではないのか? いやむしろ、これだけ数学の確固たる裏付けをともなったものはリアルな、実在のものと考えるべきではないのか……『エレガントな宇宙』『宇宙を織りなすもの』で、普通の言葉で先端理論をわかりやすく解説すると定評のある、グリーン待望の本格的科学解説。2011年刊行。
著者について
ブライアン・グリーン
物理学者・超弦理論研究者。コロンビア大学物理・数学教授。研究の第一線で活躍する一方、超弦理論をはじめとする最先端の物理学を、ごく普通の言葉で語ることのできる数少ない物理学者の一人である。
超弦理論を解説した前著『エレガントな宇宙』は、各国で翻訳され、全世界で累計100万部を超えるベストセラーとなった。
翻訳者について
大田直子
翻訳家。東京大学文学部社会心理学科卒。訳書にサックス『音楽嗜好症』、リドレー『繁栄』(共訳)、オレル『明日をどこまで計算できるか?』(共訳、以上早川書房刊)、サトゥリス『徒歩で行く150億年の旅』、メレディス『インドと中国』、ロオジエ『関係の法則』ほか多数。
監修者について
竹内薫
1960年東京生。科学作家。1983年東京大学教養学部教養学科、1985年同理学部物理学科卒。マギル大学(カナダ)哲学科・物理学科修士課程を経て、1992年博士課程修了。Ph.D(高エネルギー物理学専攻)。一般読者にもわかりやすく手に取りやすい先端科学の解説本には定評があり、近年ではテレビやラジオでも科学解説者として活躍中。著書に『シュレ猫がいく! ブレーンワールドへの大冒険』『「超ひも理論」とはなにか』『ゼロから学ぶ超ひも理論』『物質をめぐる冒険』『世界が変わる現代物理学』『99.9%は仮説』ほか多数。訳書にテイラー『奇跡の脳』、ホーガン『科学の終焉』、マクスウェル『電気論の初歩』ほか多数。
理数系書籍のレビュー記事は本書で243冊目。
多宇宙(マルチバース)の理論については物理学者の間でも判断が大きくわかれ、それを嫌悪し、反対の立場をとる学者もいる。一般の人にとっても受け入れがたいことは容易に想像がつくし、僕も本書を読みながら「主張するのは勝手だけど、とりとめもないそんな妄想を今の段階で議論しても意味があるの?」という思いが何度も頭をもたげてきた。
これは科学なのか?検証したり、何かを予測することのできる理論なのか?と問うことすら時間の無駄に思えてならない。
けれども多宇宙理論を肯定しているのは著者のグリーン博士だけではない。多くの科学者が真面目にこの分野に取り組んでいることが紹介されている。数学に裏付けられた現代物理学は、いくつもの別のルートを辿り、そのほとんどが行き着く先が、それぞれタイプは異なるのだが「多宇宙」という点で一致している。
下巻では新たに量子多宇宙、ホログラフィック多宇宙、シミュレーション多宇宙、究極の多宇宙という4つのタイプの多宇宙が紹介されるのだが、猪突猛進する前に立ち止まって次のような考察を読者に示している。(第7章「科学と多宇宙--推論、説明、予測」)
- 仮説や理論が科学と呼べるためには何が必要か?
- 多宇宙は観測不能か?
- 多宇宙理論は何に立脚しているか?
- 多宇宙理論は何かを予測し、意味のある役割を果たせるのか?
これらの点について詳細な説明と議論が尽くされるのであるが、結論として次のようになると本書では主張されている。
- 仮説や理論が科学と呼べるための必要条件については意見が分かれているが、一般的には「検証可能性」や「予測可能性」だと言われている。
- 多宇宙は直接観測不能であるが、そのうちのいくつかのタイプは間接的な形でその存在や性質を検証することができる可能性がある。
- 多宇宙理論は、既存の物理学と数学、そして現在仮説段階の物理理論と数学的な推論に立脚している。
- 多宇宙理論は私たちの宇宙や他の多宇宙について何かを予測できるようになる可能性がある。
書いてあることの理解はできたが、僕は机上の空論というか砂上の楼閣の設計図が正しいことを延々と聞かされている気分になった。それでも著者は猪突猛進するのではなく、反対意見を意識しながら研究をしていることはわかったので、その後を読み進もうとする気持ちの糸はつながったままでいられるのだ。
そして4つのタイプの多宇宙の紹介が始まる。
量子多宇宙
この多宇宙は、いわゆるエヴェレット3世が波動関数の収縮、観測問題という量子力学の解釈をめぐる困難を解消するために発案した「多世界」のことで、他のタイプの多宇宙のように遠くにある宇宙ではない。それではどこにあるのかと聞かれてしまうと答には困ってしまうわけであるが。。。エヴェレットの多世界は提唱された当時から反発を呼び、1980年代には「トンデモ理論」としてのレッテルを貼られていた。しかし、近年の物理学の発展によってこの理論の信ぴょう性が浮上し、再び議論の舞台に浮上しているのだ。
僕自身はこの多世界論のことをタイムパラドックスを解決するという文脈で知ったが、そのときの説明は短すぎて「トンデモ理論」だという印象を強く持った。ところが本書での説明はとても詳しく、ボルンの確率解釈や観測問題など一般的に受け入れられている量子力学の解釈が抱える問題と対比して解説されているので、多世界解釈を受け入れることが論理的には自然で美しいのだということがよくわかる。
ホログラフィック多宇宙
上巻、下巻を通じてこの箇所が僕にとっていちばん有益だった。無限の彼方にある2次元の面にある情報(つまり1と0のビット)が私たちの3次元宇宙と等価であるというのが「ホログラフィー原理」であり、このことは「大栗先生の超弦理論」でも紹介されていたが、本書ではさらに詳しい解説がされている。
その発想の元はブラックホール表面にある情報の問題である。ホーキング放射、ホーキングパラドックスについてとても詳しく知ることができたのがよかった。NHKの「神の数式」で紹介されていたように、ブラックホールの謎の熱の問題は超弦理論によって解決されていたのだが、これの詳細も解説されている。
この世界の本質が「情報」であるという考え方だけでも突飛であるのに、本質はむしろ「情報」のほうにあり、この世界のほうが幻影だという考え方は衝撃的だ。この世界(空間と時間)は連続だという考え方は量子の世界では大いに怪しくなる。空間の最小体積は「プランク体積」というものになり、その体積が保持できる情報の量が1ビットであると予想されている。
常識的に考えればブラックホールが蓄えることのできる情報量は体積に比例すると思われるがそうではない。不思議なことに情報量はブラックホールの表面積に比例しているのだ。
ある特定の体積の領域が保持できる情報量には限界があり、限界を超えるとその領域はブラックホールになってしまうという説が特に興味深かった。
ホログラフィック宇宙の理論的根拠は超弦理論である。蓄える情報の違いにより無限の数の多宇宙が生成されると予想されているのだ。
シミュレーション多宇宙
この多宇宙のことが僕はいちばん受け入れがたかった。シミュレーション多宇宙とはコンピュータによって作られる「仮想現実」のことだ。映画「トータル・リコール」の世界である。コンピュータの中の仮想世界の中には私たちの世界と同様の世界や、まったく異なる世界が存在し、そこには意思を持つ生命が「生きて」いる。その世界もコンピュータがあり、新たな仮想現実の世界を生み出し、仮想世界生成の連鎖は無限に続く。
私たちは「仮想現実でない世界」に生きていると信じているが、果たしてそう言い切れるだろうか?この世界が仮想でないという証拠を提示することができるだろうか?
本書のこの部分では、このようにSFの世界そのもののような多宇宙論が展開されるのである。
しかし、ここで重要なのはコンピュータが描き出しうる世界というのは「計算可能な宇宙」であるということだ。アラン・チューリングによってコンピュータ・アルゴリズムによって解くことができる問題とそうでない問題についての研究が行なわれたが、計算不能の多世界はシミュレーション多宇宙からは除外されるのである。
究極の多宇宙
究極の多宇宙とは「考えられうる限りのすべて種類の宇宙」のことである。この多宇宙はシミュレーション多宇宙を論じる前に紹介されていた。著者が大学生の頃に受講した哲学の講義を担当された教授から提示された話の中で持ち出されたのがその発端である。
「考えられうる限りのすべての種類の宇宙」の例として本書では「モッツァレラチーズだけでできた宇宙」があげられている。何でもありだ。きりがない。「不思議の国のアリスの世界そのままの宇宙」だってよいわけだし、「スターウォーズの世界」でも、「ロボットだけが生活している宇宙」も「究極の多宇宙」の仲間だ。「チョコレートだけでできた世界」や「何も無い世界」というのでもOK。
さすがにグリーン博士も、このような多宇宙は科学ではないとおっしゃっている。それはそうなのだが、なぜこのような多宇宙論を持ち出す必要があるのだろうか?
それは無限にある多宇宙の可能性のうち、意味のあるものと意味のないものを区別するよりどころを示すためである。シミュレーション多宇宙の説明では「計算可能性の有無」がその基準になり、その他の多宇宙では「数学による裏付けができるかどうか」、「論理的な整合性」が基準になる。
究極の多宇宙という明らかに非科学的なトンデモ宇宙の極限と対比されることで、これまで紹介されてきた他の多宇宙の論理的な枠組みがまっとうで、正しいもののように思えてきてしまうのが可笑しかった。
本書の最後では、上巻、下巻を通じて取り上げた多宇宙のことがまとめとしてもう一度紹介され、それが科学であることの説明が再び主張されている。
グリーン博士のとてつもない話の本ばかり続いたので、地に足がついた本を読みたくなった。次の本は普通の教科書にしよう。
単行本と文庫版、そしてKindle版も出ているのでぜひ読んでみてほしい。
単行本:
「隠れていた宇宙(上):ブライアン・グリーン」
「隠れていた宇宙(下):ブライアン・グリーン」
文庫版:
「隠れていた宇宙(上)文庫版:ブライアン・グリーン」
「隠れていた宇宙(下)文庫版:ブライアン・グリーン」
翻訳のもとになった英語版20011年に出版された。Kindle版もでている。
「The Hidden Reality: Brian Greene」
関連ページ:
多元宇宙論が検証可能に?(ナショナルジオグラフィック ニュース)
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20110810002
関連記事:
隠れていた宇宙(上):ブライアン・グリーン
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/4a1abbca21c0188f43d7d72af39287f2
エレガントな宇宙:ブライアン・グリーン
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/404c24b68f57609900bc3d7a030333d5
宇宙を織りなすもの(上):ブライアン・グリーン
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/9a33e8f5ee79057972cf86c7b20c5218
宇宙を織りなすもの(下):ブライアン・グリーン
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第7章:科学と多宇宙--推論、説明、予測
- 科学の本質
- 手が届く多宇宙
- 科学と手の届かないものI--観測不能な宇宙を持ち出すことは、科学として正当と認められるのか?
- 科学と手の届かないものII--原理はここまでにして、実際問題として何に立脚するのか?
- 多宇宙における予測I--多宇宙を構成する宇宙は、それ自体は手の届かないものでも、予測をするという点で意味のある役割を果たせるのか?
- 多宇宙における予測II--原理はここまでにして、実際問題として何に立脚するのか?
- 多宇宙における予測III--人間原理
- 多宇宙における予測IV--何が必要か?
- 無限の割り算
- 反対派からのさらなる異論
- 謎と多宇宙--私たちは多宇宙から、ほかではえられない説明能力を与えられるのか?
第8章:量子測定の多世界--量子多宇宙
- 量子論における実在(リアリティ)
- 二者択一の謎
- 量子波
- 早まるな
- 線型性とその不満
- 多世界
- 二つの話の話
- いつ「もう一つの宇宙」になるのか
- 最先端の不確定性
- 予想される問題
- 確率と多世界
- 予測と理解
第9章:ブラックホールとホログラム--ホログラフィック多宇宙
- 情報
- ブラックホール
- 第二法則
- 第二法則とブラックホール
- ホーキング放射
- エントロピーと隠れた情報
- エントロピー、隠れた情報、ブラックホール
- ブラックホールの隠れた情報を突き止める
- ブラックホールだけでない
- 細則
- ひも理論とホログラフィー
- 並行宇宙か並行数学か?
- 結び--ひも理論の未来
第10章:宇宙とコンピュータと数学の実在性--シミュレーション多宇宙と究極の多宇宙
- 宇宙を創造する
- 思考の成分
- シミュレーションされた宇宙
- あなたはシミュレーションのなかで生きているのか?
- シミュレーションの向こうを見る
- バベルの図書館
- 多宇宙の合理的説明
- バベルのシミュレーション
- 実在(リアリティの根源)
第11章:探求の限界--多宇宙と未来
- コペルニクスのパターンは基本なのか?
- 多宇宙を持ち出す科学理論は検証可能か?
- 私たちが出会った多宇宙論を検証できるか?
- 多宇宙は科学的説明の本質にどう影響するのか?
- 数学を信じるべきなのか?
監修者あとがき
参考文献
原注