「豆腐小僧双六道中ふりだし:京極夏彦」(Kindle版)
内容紹介:
江戸郊外のとある廃屋に、いつのまにやら棲みついていた1匹の妖怪、豆腐小僧。豆腐を載せた盆を持ち、ただ立ちつくすだけの妖怪である自分は、豆腐を落としたとき、ただの小僧になるのか、はたまた消えてしまうのか―。思い悩んだ小僧は、自らの存在理由を求めて旅に出る!軽快な講談調で、小僧が出会う鳴屋や死神、鬼火との会話の中から現れてくる妖怪論。妖怪とは、いったい何なのか?妖怪入門としても必読の痛快作。
2010年10月刊行、710ページ。(単行本は2003年12月刊行)
著者について:
京極夏彦(きょうごくなつひこ): 公式ホームページ
小説家、意匠家。1963年北海道生まれ。94年、かねてよりアイデアを温めていた妖怪小説『姑獲鳥の夏』で小説家デビュー。『魍魎の匣』で第49回日本推理作家協会賞、『嗤う伊右衛門』で第25回泉鏡花文学賞、『覘き小平次』で第16回山本周五郎賞、『後巷説百物語』で第130回直木賞を受賞。
著書: Amazonで検索
電車の中で笑いをこらえながら読む本というのは、そう滅多にない。高校生のとき通学中に読んだ「吉里吉里人:井上ひさし」以来だ。
通勤電車での立ち読みならなんとか笑いをこらえられる。しかし、席に座ってしまうとまずいことになる。真顔を保っていても腹筋だけはくっくくっくと引きつるから、隣の人に震えが伝わり「ああ、笑っているな。」と気づかれてしまうのだ。
本書の半分くらいまでは数行おきにお腹が震えるからたまらない。爆笑ではなくクスッという笑いの波状攻撃にみまわれるのだ。
豆腐小僧とは江戸時代の草双紙や黄表紙にたびたび描かれていた妖怪のこと。今なら癒し系キャラクターというところだ。頭がでかい割りに物を知らず、間抜けな小僧である。人畜無害で豆腐を載せたお盆を持つこと以外に能がない。
愛らしく、同情を誘うこのキャラクターがこの作品の主人公である。廃れて誰もいない豆腐屋にふと湧いてしまった彼は、自分がなぜ存在するのか、自分はどこから来たのかと無い頭をひねる。もちろん答はでてこない。豆腐を落とせばただの小僧になってしまう。そんな妖怪はいるはずがないから、自分は消えてしまうのではないかと心配し、お盆を持つ手につい力が入る。
そうこうするうちに、若い町娘と若旦那が秘め事をするために廃屋に入ってきた。妖怪とは人間の想念や感情によって生じる「概念」であり、概念なのだから人間には豆腐小僧は見えない存在だ。ただし気配は感じている。
目の前で繰り広げられる春画そのものの光景に豆腐小僧は目を奪われる。しかし性に関する知識が皆無だから、何が起きているのかわからない。女は男に組み伏せられ、男の目は血走っている。殺そうとしているようではないし、ただじゃれ合っているのとも違う。女のなまめかしい脚や身体を凝視しているうちに、豆腐小僧の顔はほんのり赤く染まる。何が起きているのかとんちんかんな想像をめぐらせているうちに、男はぐったりと果てて動かなくなってしまった。
ああ、女の人って怖いものだということを豆腐小僧は黄表紙に書かれていたことを思い出す。男がその女に取り食われまて死んでしまったのではないかと、見当はずれな勘違いをしている。
目的を果たした男はやがて我を取り戻し、周囲の様子を気にし始める。さきほどから何かおかしい。誰かに見られている気がする。そう思うと急に怖くなってきた。娘を放ったらかしにして、逃げ出してしまう。
後に残された女も「したたか」だ。生娘のように振舞っていたのは男がいるときだけだ。ひとりになった女はだらしなく両足を投げ出し、一糸まとわない女体を豆腐小僧にさらしている。
このように始まる物語。講談調のひょうひょうとした語り口と、豆腐小僧のとぼけた味わいが、おかしみを誘わずにはいられない痛快作だ。地震を説明するための妖怪「鳴屋(やなり)」や、死を悟った人間のけじめとして現れる「死神」。そのほか、狸や狐など、その由来や役割が、コミカルな物語に託して論じられる。
「なぜ、手前は豆腐を持っているんでしょうか?」自己の存在理由、存在意義にうすーく不安を抱く小さな妖怪が数々の異種妖怪に出会って馬鹿にされながらも経験を積んでいく。このシリーズの1作目は豆腐小僧が「世間」を少しずつ知っていく立志篇だ。
この小説は映画化され、2011年4月に公開された。東日本大震災の翌月である。(試写会のときにも震災について言及している。[動画])
それに伴い文庫本のカバーはオリジナルのものにかぶせて、次のようなカバーが使われている。中古で買うときはこのカバーがついているかどうかに注意してほしい。
全部で3冊ある。
「豆腐小僧双六道中ふりだし:京極夏彦」(Kindle版)
「豆腐小僧双六道中おやすみ:京極夏彦」(Kindle版)
「豆腐小僧その他:京極夏彦」(Kindle版)
映画のDVD&ブルーレイはこちら。本のほうは「豆腐小僧」、映画は「豆富小僧」である。映画は観ていないが、予告編を見る限り小説のほうが数段面白いと思う。
「豆富小僧 DVD&ブルーレイ」
豆富小僧 予告編
映画『豆富小僧』特報映像
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江戸郊外のとある廃屋に、いつのまにやら棲みついていた1匹の妖怪、豆腐小僧。豆腐を載せた盆を持ち、ただ立ちつくすだけの妖怪である自分は、豆腐を落としたとき、ただの小僧になるのか、はたまた消えてしまうのか―。思い悩んだ小僧は、自らの存在理由を求めて旅に出る!軽快な講談調で、小僧が出会う鳴屋や死神、鬼火との会話の中から現れてくる妖怪論。妖怪とは、いったい何なのか?妖怪入門としても必読の痛快作。
2010年10月刊行、710ページ。(単行本は2003年12月刊行)
著者について:
京極夏彦(きょうごくなつひこ): 公式ホームページ
小説家、意匠家。1963年北海道生まれ。94年、かねてよりアイデアを温めていた妖怪小説『姑獲鳥の夏』で小説家デビュー。『魍魎の匣』で第49回日本推理作家協会賞、『嗤う伊右衛門』で第25回泉鏡花文学賞、『覘き小平次』で第16回山本周五郎賞、『後巷説百物語』で第130回直木賞を受賞。
著書: Amazonで検索
電車の中で笑いをこらえながら読む本というのは、そう滅多にない。高校生のとき通学中に読んだ「吉里吉里人:井上ひさし」以来だ。
通勤電車での立ち読みならなんとか笑いをこらえられる。しかし、席に座ってしまうとまずいことになる。真顔を保っていても腹筋だけはくっくくっくと引きつるから、隣の人に震えが伝わり「ああ、笑っているな。」と気づかれてしまうのだ。
本書の半分くらいまでは数行おきにお腹が震えるからたまらない。爆笑ではなくクスッという笑いの波状攻撃にみまわれるのだ。
豆腐小僧とは江戸時代の草双紙や黄表紙にたびたび描かれていた妖怪のこと。今なら癒し系キャラクターというところだ。頭がでかい割りに物を知らず、間抜けな小僧である。人畜無害で豆腐を載せたお盆を持つこと以外に能がない。
愛らしく、同情を誘うこのキャラクターがこの作品の主人公である。廃れて誰もいない豆腐屋にふと湧いてしまった彼は、自分がなぜ存在するのか、自分はどこから来たのかと無い頭をひねる。もちろん答はでてこない。豆腐を落とせばただの小僧になってしまう。そんな妖怪はいるはずがないから、自分は消えてしまうのではないかと心配し、お盆を持つ手につい力が入る。
そうこうするうちに、若い町娘と若旦那が秘め事をするために廃屋に入ってきた。妖怪とは人間の想念や感情によって生じる「概念」であり、概念なのだから人間には豆腐小僧は見えない存在だ。ただし気配は感じている。
目の前で繰り広げられる春画そのものの光景に豆腐小僧は目を奪われる。しかし性に関する知識が皆無だから、何が起きているのかわからない。女は男に組み伏せられ、男の目は血走っている。殺そうとしているようではないし、ただじゃれ合っているのとも違う。女のなまめかしい脚や身体を凝視しているうちに、豆腐小僧の顔はほんのり赤く染まる。何が起きているのかとんちんかんな想像をめぐらせているうちに、男はぐったりと果てて動かなくなってしまった。
ああ、女の人って怖いものだということを豆腐小僧は黄表紙に書かれていたことを思い出す。男がその女に取り食われまて死んでしまったのではないかと、見当はずれな勘違いをしている。
目的を果たした男はやがて我を取り戻し、周囲の様子を気にし始める。さきほどから何かおかしい。誰かに見られている気がする。そう思うと急に怖くなってきた。娘を放ったらかしにして、逃げ出してしまう。
後に残された女も「したたか」だ。生娘のように振舞っていたのは男がいるときだけだ。ひとりになった女はだらしなく両足を投げ出し、一糸まとわない女体を豆腐小僧にさらしている。
このように始まる物語。講談調のひょうひょうとした語り口と、豆腐小僧のとぼけた味わいが、おかしみを誘わずにはいられない痛快作だ。地震を説明するための妖怪「鳴屋(やなり)」や、死を悟った人間のけじめとして現れる「死神」。そのほか、狸や狐など、その由来や役割が、コミカルな物語に託して論じられる。
「なぜ、手前は豆腐を持っているんでしょうか?」自己の存在理由、存在意義にうすーく不安を抱く小さな妖怪が数々の異種妖怪に出会って馬鹿にされながらも経験を積んでいく。このシリーズの1作目は豆腐小僧が「世間」を少しずつ知っていく立志篇だ。
この小説は映画化され、2011年4月に公開された。東日本大震災の翌月である。(試写会のときにも震災について言及している。[動画])
それに伴い文庫本のカバーはオリジナルのものにかぶせて、次のようなカバーが使われている。中古で買うときはこのカバーがついているかどうかに注意してほしい。
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「豆富小僧 DVD&ブルーレイ」
豆富小僧 予告編
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