「常識から疑え! 山川日本史 近現代史編 上 「アカ」でさえない「バカ」なカリスマ教科書 」
内容紹介
山川日本史のダメさを具体例をあげて批判。内容詳細と目次はこの記事の末尾を参照。
著者について
倉山満(くらやま・みつる)
1973年、香川県生まれ。憲政史研究者。
1996年、中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程を修了。
在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤研究員を務め、同大学で日本国憲法を教え、現在に至る。
2012年、希望日本研究所所長を務める
著書に、『誰が殺した?日本国憲法!』(講談社)、『財務省の近現代史』(光文社)、
『嘘だらけの日米近現代史』『嘘だらけの日中近現代史』『嘘だらけの日韓近現代史』(扶桑社)、
『間違いだらけの憲法改正論議』(イーストプレス)などがある。
理数系ブログのはずなのに歴史ブログ化するのではないかと心配されている方もいると思うが、実は僕も心配している。本書はタイトルだけの紹介にしようと思っていたが、読まずにはいられなかった。
こうなってしまったのは「NHK宇宙白熱教室」がもともとの原因だ。この番組の感想記事を書いているうちに、高校の地学や物理の内容が気になってきて「NHK高校講座の紹介」という記事を書くことになり、日本史と世界史の講座を見始めてしまい、山川の歴史の教科書を買ってしまったことを先日「山川の日本史と世界史の教科書」という記事で紹介した。そして芋づる式に見つかったのがこの山川日本史の批判本なのだ。脱線するにもほどがある。
8月に入ったので今月は広島や長崎、終戦関連のドキュメンタリー番組を見ることになるし、嫌が上でも集団的自衛権や日本のあり方を考える機会が増えるのだ。もし自分が学んできた歴史が間違っていたら判断を誤ることになるかもしれないからこの本を無視するわけにはいかない。
『山川日本史の本質は「アカ」ではなく「バカ」である』などという主張は過激極まりない。教科書検定がどうこうというレベルではなく、教科書全体が問題なのだという。だとしたら山川出版の教科書だけじゃなく、他の会社の教科書でも同じことだろう。僕が学んだ30年前の教科書から改悪されてしまったからでもなさそうだ。さらに言えば、テレビで放送されてきた日本史だって同じことになるのではないか?これは気になる。
だから読者の方にはお許しいただきたい。本書を含めて4冊ほど脱線させていただくことにする。科学ブログとしての人気が下がってしまうのは覚悟の上だ。
すぐ読めてしまう分量だったが、僕が受けた驚きは相当なものだった。本書で明かされる歴史は僕の知っている歴史とはずいぶん違うパラレルワールドのようだったからだ。「私があなたの母さんであることに変わりはないのだけど、あなたを生んだ本当の母親はこの人なのですよ。」と顔は似ているが性格がまったく違う女性を紹介されたようなものである。パラレルワールドのほうが筋がとおっていて真実に思えてきた。
それほど山川の日本史に書かれている歴史は「ダメ」なのだという。嘘が書かれているわけではなく「真実が語られていず」、「わかりにくく」、「意味不明」なのだと著者は具体的に例をあげながら主張している。山川日本史への痛烈な批判。それにとどまらず日本史学会をもバカ呼ばわりしているのだ。
それではどうダメなのだろうか?教科書が不親切でわかりにくいことは「数学の教科書が言ったこと、言わなかったこと:南みや子」という記事で取り上げたことがある。本書はその歴史教科書版だ。教科書をわかりにくくさせている理由として「権威主義的な記述」という共通点もあるが、歴史教科書固有の理由が加わることでわかりにくさは数学の教科書の比ではなくなっている。
著者は倉山満という憲政史家で、国士舘大学で教鞭をとられている。ホームページはこちら。
倉山満先生のホームページ:
http://www.kurayama.jp/
倉山先生の著書を検索:
単行本 Kindle版
高校時代を思い出してみると確かに僕は歴史の教科書を難しいと思っていた。年号と史実が箇条書きのように繰り返されているだけで、ひとつひとつの出来事の間の脈絡がつかめずに苦労していた。「しかし」とか「このようにして」とか「したがって」のような接続詞がほとんど省略されているから論理関係がつかみにくいのだ。歴史が暗記科目になるのは仕方がない、理解できないのは自分のアタマのせいだと当時の僕は思っていた。
先日30年ぶりに日本史の教科書を買って読んだところ、わかりにくさという点では高校時代と同じだった。昔より知恵や知識がつき、読解力や作文力も高校生の頃よりずっとマシになっているのにである。これを高校生が読んでも理解できないだろうなというのが現在の山川日本史を読んだ感想だ。
でも本書を読むと山川日本史を理解不能にしている「省略」は接続詞の省略どころではないことがわかって愕然とした。歴史の流れを理解するためには欠かせないほど重要な出来事や人物のことがぼろぼろに抜け落ちているのである。たとえて言えばジグソーパズルでかなりたくさんのピースが欠けているようなものである。これでは全体の絵図の印象が変わるのはもちろん、何が描かれているのかもわからなくなってしまう。山川教科書(そしてその他の教科書も)そんな状態なのだという。
それではなぜこのような教科書が出来上がってしまったのだろうか?倉山先生は7つの理由をあげて、それぞれいくつかの具体例を示している。
1) 教科書の編纂者はとにかく文句をつけられるのがイヤ。
2) 20年前の通説を書く。
3) イデオロギーなどどうでもいい。
4) 書いている本人も何を言っているのかわかっていない。
5) 下手をすれば書いていることを信じていない。
6) でも、プライドが高い権威主義的記述をする。
7) そして、何を言っているのかさっぱりわからない
ここでは3つ紹介しよう。
たとえば鎌倉幕府の成立年。僕が高校生のときには1192年という年号を覚えさせられたが、今は1192年は源頼朝が征夷大将軍になった年と教えられる。現在の教科書で鎌倉幕府の成立年を調べるとあいまいな記述で誤魔化されていて、実際に何年に成立したのかわからないのだ。ウィキペディアの「鎌倉幕府」という項目を調べると成立年については5つの学説があり決着がついていない。それならそう書けばよいものを、ぼやかしているからなのだ。それは批判されるのを回避するための自己保身であり、学説を唱えている学者の面子を保つためである。もし自分が教科書を書く立場になったらと想像してみるとよい。特に執筆を他の学者と分担した場合、互いに迷惑をかけると問題になるから、たとえ実際におきた史実でも、誰かひとりが反対すれば書かないでおくというのがいちばん安心であることが容易にわかるだろう。そのようにして、重要なことはどんどん抜け落ちたり、ぼやかされてたりしていくのである。
2つめはペリーの浦賀来航がきっかけとなり開国せざるを得なくなったという例。教科書に書かれているのは何隻もの黒船にびびった江戸幕府がアメリカの軍事力に圧倒されて開国したという流れであるが、実際のところはそうではない。当時のアメリカは建国間もない時期であり、国際的にはほとんど影響力のない小国だった。今でいえばインドやパキスタンのようなものだと本書には書かれている。その当時の大国とはイギリスとロシアであり、江戸幕府はそのことをちゃんと理解していた。そしてこのどちらかの国に攻め滅ぼされるのを警戒していたのだ。イギリスとロシアのどちらについても、もう一方の国から攻められてしまう。そこで幕府は仕方なくアメリカにつくことを選択したというわけなのだ。教科書はまったくそのことに触れていない。これは日本史の教科書を書いている学者に世界史的な視点、知識が欠如しているためだと本書では説明されている。
3つめは明治時代の板垣退助に代表される自由民権運動の話。教科書だけ読むと天皇が事実上の実権を握っていた明治時代に発生した民主主義の萌芽として印象付けられるのだが、その実態は私たちがイメージしているのとは全く違っていたことが本書で述べられている。当時の自由民権運動支持者というのはほとんど「ごろつき」の連中ばかりで、とんでもなく過激な主張をして議会を混乱させていたそうなのだ。日清戦争を経て、日露戦争に至っては、あろうことにロシア大陸の西の彼方にあるサンクトペテルブルグまで攻め滅ぼせ!などという当時の常識からみてもトンデモナイ主張を繰り返す連中だったという。「自由民権運動の実態はごろつきだった。」などと本当のことを書けないから教科書はわかりにくくなってしまったのだ。本書を読めば日本がどのようにして日清、日露、第一次世界大戦をするに至ったかということがよく理解できるようになる。
本書の章立ては次のとおり。この上巻では近代史と現代史のうち第一次世界大戦までのことが流れに沿って解説されている。
はじめに---山川教科書がダメな理由
序章:イデオロギー以前の教科書問題
第1章:明治維新をわからなくさせている二つのタブー
第2章:日本近代史上最大のタブーは大日本帝国憲法
第3章:外交の成功がなぜか語られない日清・日露戦争
第4章:外国の悪口は書かないからわかりにくき第一次世界大戦とワシントン体制
終章:「アカ」でさえない「バカ」が日本の歴史教育をダメにした
著者によると「歴史学の役割は自国を正当化することである。」なのだそうだ。なんだか田母神さんみたいだなと思った。大ざっぱにいえば田母神さん流の歴史教科書とは「新しい歴史教科書」のようなものだし、その対極にあるのは世間で「自虐史観に満ちた」と呼ばれている家永先生タイプの歴史教科書ということになる。もちろんその歴史観を支持する人たちは「自虐的」とは言わずに「日本は侵略のための悪い戦争をしたのだから反省して、この不幸な戦争を二度とおこさないようにしよう。」というわけである。
現在この議論が繰り返されているのは日中戦争や太平洋戦争についてのことだが、この上巻の範囲に含まれるのは日清、日露、第一次世界大戦だ。これらの戦争が侵略戦争だったのか、やむなく戦争をするに至ったのかということは教科書を読むだけでははっきりわからない。山川教科書は自虐史的でも、自尊史的のどちらもないのだ。これら3つの戦争時代の自虐的、自尊的な事柄は省かれてしまっているからわかりにくくなっているのだ。本書では詳しく解説している。
田母神さんが近代史について話したり書いたりしたことがあるかどうか僕は知らないが、本書が繰り広げる批判は、近代史以降の歴史認識に対する甘さや誤解、無知についてのものであり、仮に3つのグループに分けて自虐史派、自尊史派、山川日本史派(中道派?)と呼んだとき、どのグループの歴史認識に対してもあてはまる批判である。NHKの戦争ドキュメンタリー番組は中道よりも自虐史派寄りということだろう。
注意:僕は「自虐史派」という言葉を使っているが、言葉が短くて便利だから使っているだけで、自虐的だからよくないと言っているわけではい。僕自身はどちらかというと「自虐史派=反省すべきことがあったら反省して未来に活かしたい派」である。そうなったのはおそらくNHKの戦争ドキュメンタリー番組の影響であり、確固たる信念があるわけではない。だからそのことについて議論しても、まっとうな議論にはならない。(そのようなわけでコメント欄から議論をふっかけていただくと「暖簾に腕押し」のようなことになるだけなのでやめましょう。)
本書を読んで倉山先生が解説している近代史の認識が本当なのだろうなと僕は概ね思うようになった。でも先生のお考えに全面的に賛成というわけではない。反対なのは先生の目指す歴史教科書についての一部についてだ。
先生が主張されているのは「自分の国に誇りが持てるようにするための教科書にすべきだ。」ということである。歴史学の役割は自国を正当化することであり、それが世界の標準だというわけだ。そういうことなら僕もそれでいいと思う。しかし、2つほど注文をつけたい。
1)日本史の教科書は事実のみを記載すべきだ。先生は「神話」から始めるべきだと主張されているが、神様が天と地上を行き来するのはフィクションであり、事実ではない。天皇が神の末裔だというのも書くべきではないと思う。フィクションだということを断ったうえで紹介するのなら構わないと思うが、それは国語の教科書の「昔のSF」というジャンルに入れるべきだろう。
2)自国のためになることという意味では、失敗した歴史も含める必要があると思う。自虐史としてではなく、国を建設的な方向に「失敗学」による教訓として活かすという意味においてだ。成功例や英雄の活躍のことばかり書いてある教科書は胡散臭い。この点、倉山先生は「たとえ歴史上の失敗をしていたとしても捻じ曲げたり、否定したりして自国に有利な記述をすべき。」と主張されている。
ざっと紹介させいただいた。下巻は昭和に入ってからの日本史だ。教科書に書かれていないことはますます増えていることだろう。もうひとつのパラレルワールドはどのような世界なのだろうか?読む前から楽しい。
「常識から疑え! 山川日本史 近現代史編 上 「アカ」でさえない「バカ」なカリスマ教科書 」
「常識から疑え! 山川日本史 近現代史編 下 「研究者もどき」がつくる「教科書もどき」 」
なお社会人の勉強しなおし用として2009年以降山川出版から刊行された「もういちど読む」シリーズの日本史と近代史の教科書は倉山先生の師匠の鳥海靖先生がお書きになったもので、教科書にくらべて真実の歴史に近い記述になっているそうだ。アマゾンのレビューでは「教科書がカラーなのにこちらは白黒だ。」とか「記述量が教科書にくらべて少ない。」など不評だったので「山川の日本史と世界史の教科書」の記事では紹介しなかった。
お読みになりたい方はこちらからどうぞ。倉山先生によると山川出版も教科書の記述の不十分さを認識していて、これが山川出版として刊行できるぎりぎりの線なのだそうだ。ただし、よほど注意して読まないと教科書との違いは一般読者には区別がつかないと思う。
「もういちど読む山川日本史」
「もういちど読む山川日本近代史」
「もういちど読む山川世界史」
「もういちど読む」シリーズのKindle版を: 検索する
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「常識から疑え! 山川日本史 近現代史編 上 「アカ」でさえない「バカ」なカリスマ教科書 」
内容紹介(上巻)
あのカリスマ教科書の内容を徹底解剖!
世界の教科書を比較して分かった!
山川教科書の常識は世界の非常識!
日本の歴史教育どこがおかしいのか?
それは、アメリカ型の歴史教育にせよ、欧州型の歴史教育にせよ、
「疑わしきは自国に有利に」
「本当にやった悪いことはなおさら自己正当化せよ」です。
そもそも歴史学の役割は、自国を正当化することにあるのです!
高校の歴史の教科書、というと、圧倒的に多くの日本人が思い浮かべるのは、山川出版社の教科書のはずです。現在の教科書シェアでいうと、山川出版社の『詳説日本史B』は、実に六割もの占有率です。日本史を学ぶ高校生の3人に2人が、山川日本史を使っているわけです。
また、最近では、山川の日本史・世界史教科書を一般向けに編集しなおした「もういちど読む」シリーズがベストセラーになりました。
高校時代に山川の教科書に慣れ親しんだ人が多いからこそなのでしょうが、「とりあえず山川教科書なら間違いない」というイメージがうかがえます。
一方で、昨今の日中関係・日韓関係の悪化とともに、日本人の歴史認識が問題となることが増えています。
そんなときに必ず出てくるのが、日本の悪口ばかり書いてある歴史教科書がそもそもいけない、という主張です。これは本当なのでしょうか。そうだとすると、歴史教科書の事実上の標準である山川日本史には、日本の悪口ばかりが書かれているのでしょうか。
そうではありません。たしかに、日本史学会はマルクス主義者が作ったようなものですし、山川日本史にも左翼思想の残滓は散見されます。しかし、この教科書が日本の悪口を正面切って書くような過激な教科書ではないことは本書を読めばわかります。
では、山川日本史は、「自虐史観」にさほど毒されていないまっとうな教科書なのでしょうか。残念ながら、それも違います。この問いに関してはよりいっそう強く「違います」と言わなくてはいけません。
ただ、そのダメさは保守派の人たちがいうような思想的に偏向している、といったレベルのダメさではない。事態はもっとひどいのです。
某権威筋が小社の新刊『常識から疑え!山川日本史』(倉山満著)について「訴える」と関係筋に語っているらしい。
この本は、タイトルで提示しているように、高校日本史教科書の六割を占めて"常識"とも言うべき位置にある山川出版社の『詳説 日本史B』を批判的に解読し、教科書業界の裏側にまで入り込んで分析したものである。
どのように訴えるというのだろう?
内容は過激な中にも真実を多く含んだ最良の日本史の解説本だと自負している。
小社はどんな圧力にも屈しない。
堂々と裁判でも何でも受けて立つつもりである。
どうかこの成り行きにご注目ください!
「弾圧されるということは、正しいことを伝えているという証です」(倉山満談)
歴史とは民族の結束のために必要な政治の道具であり、支配の道具であり、そして外交の武器である。山川日本史に代表される日本の教科書がダメなのは歴史観以前の記述力の問題、そしておかしな日本史学会のあり方と日本史学者の能力の問題だ。
目次
はじめに---山川教科書がダメな理由
序章:イデオロギー以前の教科書問題
- 山川日本史がダメな理由
- 大学受験で日本史を選択してはいけない理由
- 将軍の名前も答えられないタコツボ化
- 歴史学の役割は自国を正当化することである
第1章:明治維新をわからなくさせている二つのタブー
- アメリカコンプレックスが生んだ「ペリー来航」の幻想
- ペリーの航路さえ知らずに歴史を語る人々
- 幕末政治は三枚の図で理解できる
- 薩長同盟は「同盟」か?
- 国民国家を解体したい人たち
- 明治維新を可能にした「文化的な天皇」
第2章:日本近代史上最大のタブーは大日本帝国憲法
- 「衆議院が弱かった」という大嘘
- 大日本帝国憲法を理解できない憲法学者
- 「暴走」が起きるのは憲法のせいではない
第3章:外交の成功がなぜか語られない日清・日露戦争
- 「アカでさえないバカ」による意味不明の記述
- 「三国干渉」の真相
- ヒーローなき日露戦争史は意味不明
- ハーグ密使事件どころではない1907年の重要性
第4章:外国の悪口は書かないからわかりにくき第一次世界大戦とワシントン体制
- 「外国の悪口は書かない」という不文律の弊害
- 世界を引っ掻き回した狂人、ウッドロー・ウィルソン
- 教科書が助長する「英米一体」の幻想
終章:「アカ」でさえない「バカ」が日本の歴史教育をダメにした
- 歴史教育なくして「グローバル人材」は育たない
- 教科書検定を廃止せよ
- 世界を知っていた先人たち
- 山川日本史の本質は「アカ」ではなく「バカ」である
内容紹介
山川日本史のダメさを具体例をあげて批判。内容詳細と目次はこの記事の末尾を参照。
著者について
倉山満(くらやま・みつる)
1973年、香川県生まれ。憲政史研究者。
1996年、中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程を修了。
在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤研究員を務め、同大学で日本国憲法を教え、現在に至る。
2012年、希望日本研究所所長を務める
著書に、『誰が殺した?日本国憲法!』(講談社)、『財務省の近現代史』(光文社)、
『嘘だらけの日米近現代史』『嘘だらけの日中近現代史』『嘘だらけの日韓近現代史』(扶桑社)、
『間違いだらけの憲法改正論議』(イーストプレス)などがある。
理数系ブログのはずなのに歴史ブログ化するのではないかと心配されている方もいると思うが、実は僕も心配している。本書はタイトルだけの紹介にしようと思っていたが、読まずにはいられなかった。
こうなってしまったのは「NHK宇宙白熱教室」がもともとの原因だ。この番組の感想記事を書いているうちに、高校の地学や物理の内容が気になってきて「NHK高校講座の紹介」という記事を書くことになり、日本史と世界史の講座を見始めてしまい、山川の歴史の教科書を買ってしまったことを先日「山川の日本史と世界史の教科書」という記事で紹介した。そして芋づる式に見つかったのがこの山川日本史の批判本なのだ。脱線するにもほどがある。
8月に入ったので今月は広島や長崎、終戦関連のドキュメンタリー番組を見ることになるし、嫌が上でも集団的自衛権や日本のあり方を考える機会が増えるのだ。もし自分が学んできた歴史が間違っていたら判断を誤ることになるかもしれないからこの本を無視するわけにはいかない。
『山川日本史の本質は「アカ」ではなく「バカ」である』などという主張は過激極まりない。教科書検定がどうこうというレベルではなく、教科書全体が問題なのだという。だとしたら山川出版の教科書だけじゃなく、他の会社の教科書でも同じことだろう。僕が学んだ30年前の教科書から改悪されてしまったからでもなさそうだ。さらに言えば、テレビで放送されてきた日本史だって同じことになるのではないか?これは気になる。
だから読者の方にはお許しいただきたい。本書を含めて4冊ほど脱線させていただくことにする。科学ブログとしての人気が下がってしまうのは覚悟の上だ。
すぐ読めてしまう分量だったが、僕が受けた驚きは相当なものだった。本書で明かされる歴史は僕の知っている歴史とはずいぶん違うパラレルワールドのようだったからだ。「私があなたの母さんであることに変わりはないのだけど、あなたを生んだ本当の母親はこの人なのですよ。」と顔は似ているが性格がまったく違う女性を紹介されたようなものである。パラレルワールドのほうが筋がとおっていて真実に思えてきた。
それほど山川の日本史に書かれている歴史は「ダメ」なのだという。嘘が書かれているわけではなく「真実が語られていず」、「わかりにくく」、「意味不明」なのだと著者は具体的に例をあげながら主張している。山川日本史への痛烈な批判。それにとどまらず日本史学会をもバカ呼ばわりしているのだ。
それではどうダメなのだろうか?教科書が不親切でわかりにくいことは「数学の教科書が言ったこと、言わなかったこと:南みや子」という記事で取り上げたことがある。本書はその歴史教科書版だ。教科書をわかりにくくさせている理由として「権威主義的な記述」という共通点もあるが、歴史教科書固有の理由が加わることでわかりにくさは数学の教科書の比ではなくなっている。
著者は倉山満という憲政史家で、国士舘大学で教鞭をとられている。ホームページはこちら。
倉山満先生のホームページ:
http://www.kurayama.jp/
倉山先生の著書を検索:
単行本 Kindle版
高校時代を思い出してみると確かに僕は歴史の教科書を難しいと思っていた。年号と史実が箇条書きのように繰り返されているだけで、ひとつひとつの出来事の間の脈絡がつかめずに苦労していた。「しかし」とか「このようにして」とか「したがって」のような接続詞がほとんど省略されているから論理関係がつかみにくいのだ。歴史が暗記科目になるのは仕方がない、理解できないのは自分のアタマのせいだと当時の僕は思っていた。
先日30年ぶりに日本史の教科書を買って読んだところ、わかりにくさという点では高校時代と同じだった。昔より知恵や知識がつき、読解力や作文力も高校生の頃よりずっとマシになっているのにである。これを高校生が読んでも理解できないだろうなというのが現在の山川日本史を読んだ感想だ。
でも本書を読むと山川日本史を理解不能にしている「省略」は接続詞の省略どころではないことがわかって愕然とした。歴史の流れを理解するためには欠かせないほど重要な出来事や人物のことがぼろぼろに抜け落ちているのである。たとえて言えばジグソーパズルでかなりたくさんのピースが欠けているようなものである。これでは全体の絵図の印象が変わるのはもちろん、何が描かれているのかもわからなくなってしまう。山川教科書(そしてその他の教科書も)そんな状態なのだという。
それではなぜこのような教科書が出来上がってしまったのだろうか?倉山先生は7つの理由をあげて、それぞれいくつかの具体例を示している。
1) 教科書の編纂者はとにかく文句をつけられるのがイヤ。
2) 20年前の通説を書く。
3) イデオロギーなどどうでもいい。
4) 書いている本人も何を言っているのかわかっていない。
5) 下手をすれば書いていることを信じていない。
6) でも、プライドが高い権威主義的記述をする。
7) そして、何を言っているのかさっぱりわからない
ここでは3つ紹介しよう。
たとえば鎌倉幕府の成立年。僕が高校生のときには1192年という年号を覚えさせられたが、今は1192年は源頼朝が征夷大将軍になった年と教えられる。現在の教科書で鎌倉幕府の成立年を調べるとあいまいな記述で誤魔化されていて、実際に何年に成立したのかわからないのだ。ウィキペディアの「鎌倉幕府」という項目を調べると成立年については5つの学説があり決着がついていない。それならそう書けばよいものを、ぼやかしているからなのだ。それは批判されるのを回避するための自己保身であり、学説を唱えている学者の面子を保つためである。もし自分が教科書を書く立場になったらと想像してみるとよい。特に執筆を他の学者と分担した場合、互いに迷惑をかけると問題になるから、たとえ実際におきた史実でも、誰かひとりが反対すれば書かないでおくというのがいちばん安心であることが容易にわかるだろう。そのようにして、重要なことはどんどん抜け落ちたり、ぼやかされてたりしていくのである。
2つめはペリーの浦賀来航がきっかけとなり開国せざるを得なくなったという例。教科書に書かれているのは何隻もの黒船にびびった江戸幕府がアメリカの軍事力に圧倒されて開国したという流れであるが、実際のところはそうではない。当時のアメリカは建国間もない時期であり、国際的にはほとんど影響力のない小国だった。今でいえばインドやパキスタンのようなものだと本書には書かれている。その当時の大国とはイギリスとロシアであり、江戸幕府はそのことをちゃんと理解していた。そしてこのどちらかの国に攻め滅ぼされるのを警戒していたのだ。イギリスとロシアのどちらについても、もう一方の国から攻められてしまう。そこで幕府は仕方なくアメリカにつくことを選択したというわけなのだ。教科書はまったくそのことに触れていない。これは日本史の教科書を書いている学者に世界史的な視点、知識が欠如しているためだと本書では説明されている。
3つめは明治時代の板垣退助に代表される自由民権運動の話。教科書だけ読むと天皇が事実上の実権を握っていた明治時代に発生した民主主義の萌芽として印象付けられるのだが、その実態は私たちがイメージしているのとは全く違っていたことが本書で述べられている。当時の自由民権運動支持者というのはほとんど「ごろつき」の連中ばかりで、とんでもなく過激な主張をして議会を混乱させていたそうなのだ。日清戦争を経て、日露戦争に至っては、あろうことにロシア大陸の西の彼方にあるサンクトペテルブルグまで攻め滅ぼせ!などという当時の常識からみてもトンデモナイ主張を繰り返す連中だったという。「自由民権運動の実態はごろつきだった。」などと本当のことを書けないから教科書はわかりにくくなってしまったのだ。本書を読めば日本がどのようにして日清、日露、第一次世界大戦をするに至ったかということがよく理解できるようになる。
本書の章立ては次のとおり。この上巻では近代史と現代史のうち第一次世界大戦までのことが流れに沿って解説されている。
はじめに---山川教科書がダメな理由
序章:イデオロギー以前の教科書問題
第1章:明治維新をわからなくさせている二つのタブー
第2章:日本近代史上最大のタブーは大日本帝国憲法
第3章:外交の成功がなぜか語られない日清・日露戦争
第4章:外国の悪口は書かないからわかりにくき第一次世界大戦とワシントン体制
終章:「アカ」でさえない「バカ」が日本の歴史教育をダメにした
著者によると「歴史学の役割は自国を正当化することである。」なのだそうだ。なんだか田母神さんみたいだなと思った。大ざっぱにいえば田母神さん流の歴史教科書とは「新しい歴史教科書」のようなものだし、その対極にあるのは世間で「自虐史観に満ちた」と呼ばれている家永先生タイプの歴史教科書ということになる。もちろんその歴史観を支持する人たちは「自虐的」とは言わずに「日本は侵略のための悪い戦争をしたのだから反省して、この不幸な戦争を二度とおこさないようにしよう。」というわけである。
現在この議論が繰り返されているのは日中戦争や太平洋戦争についてのことだが、この上巻の範囲に含まれるのは日清、日露、第一次世界大戦だ。これらの戦争が侵略戦争だったのか、やむなく戦争をするに至ったのかということは教科書を読むだけでははっきりわからない。山川教科書は自虐史的でも、自尊史的のどちらもないのだ。これら3つの戦争時代の自虐的、自尊的な事柄は省かれてしまっているからわかりにくくなっているのだ。本書では詳しく解説している。
田母神さんが近代史について話したり書いたりしたことがあるかどうか僕は知らないが、本書が繰り広げる批判は、近代史以降の歴史認識に対する甘さや誤解、無知についてのものであり、仮に3つのグループに分けて自虐史派、自尊史派、山川日本史派(中道派?)と呼んだとき、どのグループの歴史認識に対してもあてはまる批判である。NHKの戦争ドキュメンタリー番組は中道よりも自虐史派寄りということだろう。
注意:僕は「自虐史派」という言葉を使っているが、言葉が短くて便利だから使っているだけで、自虐的だからよくないと言っているわけではい。僕自身はどちらかというと「自虐史派=反省すべきことがあったら反省して未来に活かしたい派」である。そうなったのはおそらくNHKの戦争ドキュメンタリー番組の影響であり、確固たる信念があるわけではない。だからそのことについて議論しても、まっとうな議論にはならない。(そのようなわけでコメント欄から議論をふっかけていただくと「暖簾に腕押し」のようなことになるだけなのでやめましょう。)
本書を読んで倉山先生が解説している近代史の認識が本当なのだろうなと僕は概ね思うようになった。でも先生のお考えに全面的に賛成というわけではない。反対なのは先生の目指す歴史教科書についての一部についてだ。
先生が主張されているのは「自分の国に誇りが持てるようにするための教科書にすべきだ。」ということである。歴史学の役割は自国を正当化することであり、それが世界の標準だというわけだ。そういうことなら僕もそれでいいと思う。しかし、2つほど注文をつけたい。
1)日本史の教科書は事実のみを記載すべきだ。先生は「神話」から始めるべきだと主張されているが、神様が天と地上を行き来するのはフィクションであり、事実ではない。天皇が神の末裔だというのも書くべきではないと思う。フィクションだということを断ったうえで紹介するのなら構わないと思うが、それは国語の教科書の「昔のSF」というジャンルに入れるべきだろう。
2)自国のためになることという意味では、失敗した歴史も含める必要があると思う。自虐史としてではなく、国を建設的な方向に「失敗学」による教訓として活かすという意味においてだ。成功例や英雄の活躍のことばかり書いてある教科書は胡散臭い。この点、倉山先生は「たとえ歴史上の失敗をしていたとしても捻じ曲げたり、否定したりして自国に有利な記述をすべき。」と主張されている。
ざっと紹介させいただいた。下巻は昭和に入ってからの日本史だ。教科書に書かれていないことはますます増えていることだろう。もうひとつのパラレルワールドはどのような世界なのだろうか?読む前から楽しい。
「常識から疑え! 山川日本史 近現代史編 上 「アカ」でさえない「バカ」なカリスマ教科書 」
「常識から疑え! 山川日本史 近現代史編 下 「研究者もどき」がつくる「教科書もどき」 」
なお社会人の勉強しなおし用として2009年以降山川出版から刊行された「もういちど読む」シリーズの日本史と近代史の教科書は倉山先生の師匠の鳥海靖先生がお書きになったもので、教科書にくらべて真実の歴史に近い記述になっているそうだ。アマゾンのレビューでは「教科書がカラーなのにこちらは白黒だ。」とか「記述量が教科書にくらべて少ない。」など不評だったので「山川の日本史と世界史の教科書」の記事では紹介しなかった。
お読みになりたい方はこちらからどうぞ。倉山先生によると山川出版も教科書の記述の不十分さを認識していて、これが山川出版として刊行できるぎりぎりの線なのだそうだ。ただし、よほど注意して読まないと教科書との違いは一般読者には区別がつかないと思う。
「もういちど読む山川日本史」
「もういちど読む山川日本近代史」
「もういちど読む山川世界史」
「もういちど読む」シリーズのKindle版を: 検索する
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「常識から疑え! 山川日本史 近現代史編 上 「アカ」でさえない「バカ」なカリスマ教科書 」
内容紹介(上巻)
あのカリスマ教科書の内容を徹底解剖!
世界の教科書を比較して分かった!
山川教科書の常識は世界の非常識!
日本の歴史教育どこがおかしいのか?
それは、アメリカ型の歴史教育にせよ、欧州型の歴史教育にせよ、
「疑わしきは自国に有利に」
「本当にやった悪いことはなおさら自己正当化せよ」です。
そもそも歴史学の役割は、自国を正当化することにあるのです!
高校の歴史の教科書、というと、圧倒的に多くの日本人が思い浮かべるのは、山川出版社の教科書のはずです。現在の教科書シェアでいうと、山川出版社の『詳説日本史B』は、実に六割もの占有率です。日本史を学ぶ高校生の3人に2人が、山川日本史を使っているわけです。
また、最近では、山川の日本史・世界史教科書を一般向けに編集しなおした「もういちど読む」シリーズがベストセラーになりました。
高校時代に山川の教科書に慣れ親しんだ人が多いからこそなのでしょうが、「とりあえず山川教科書なら間違いない」というイメージがうかがえます。
一方で、昨今の日中関係・日韓関係の悪化とともに、日本人の歴史認識が問題となることが増えています。
そんなときに必ず出てくるのが、日本の悪口ばかり書いてある歴史教科書がそもそもいけない、という主張です。これは本当なのでしょうか。そうだとすると、歴史教科書の事実上の標準である山川日本史には、日本の悪口ばかりが書かれているのでしょうか。
そうではありません。たしかに、日本史学会はマルクス主義者が作ったようなものですし、山川日本史にも左翼思想の残滓は散見されます。しかし、この教科書が日本の悪口を正面切って書くような過激な教科書ではないことは本書を読めばわかります。
では、山川日本史は、「自虐史観」にさほど毒されていないまっとうな教科書なのでしょうか。残念ながら、それも違います。この問いに関してはよりいっそう強く「違います」と言わなくてはいけません。
ただ、そのダメさは保守派の人たちがいうような思想的に偏向している、といったレベルのダメさではない。事態はもっとひどいのです。
某権威筋が小社の新刊『常識から疑え!山川日本史』(倉山満著)について「訴える」と関係筋に語っているらしい。
この本は、タイトルで提示しているように、高校日本史教科書の六割を占めて"常識"とも言うべき位置にある山川出版社の『詳説 日本史B』を批判的に解読し、教科書業界の裏側にまで入り込んで分析したものである。
どのように訴えるというのだろう?
内容は過激な中にも真実を多く含んだ最良の日本史の解説本だと自負している。
小社はどんな圧力にも屈しない。
堂々と裁判でも何でも受けて立つつもりである。
どうかこの成り行きにご注目ください!
「弾圧されるということは、正しいことを伝えているという証です」(倉山満談)
歴史とは民族の結束のために必要な政治の道具であり、支配の道具であり、そして外交の武器である。山川日本史に代表される日本の教科書がダメなのは歴史観以前の記述力の問題、そしておかしな日本史学会のあり方と日本史学者の能力の問題だ。
目次
はじめに---山川教科書がダメな理由
序章:イデオロギー以前の教科書問題
- 山川日本史がダメな理由
- 大学受験で日本史を選択してはいけない理由
- 将軍の名前も答えられないタコツボ化
- 歴史学の役割は自国を正当化することである
第1章:明治維新をわからなくさせている二つのタブー
- アメリカコンプレックスが生んだ「ペリー来航」の幻想
- ペリーの航路さえ知らずに歴史を語る人々
- 幕末政治は三枚の図で理解できる
- 薩長同盟は「同盟」か?
- 国民国家を解体したい人たち
- 明治維新を可能にした「文化的な天皇」
第2章:日本近代史上最大のタブーは大日本帝国憲法
- 「衆議院が弱かった」という大嘘
- 大日本帝国憲法を理解できない憲法学者
- 「暴走」が起きるのは憲法のせいではない
第3章:外交の成功がなぜか語られない日清・日露戦争
- 「アカでさえないバカ」による意味不明の記述
- 「三国干渉」の真相
- ヒーローなき日露戦争史は意味不明
- ハーグ密使事件どころではない1907年の重要性
第4章:外国の悪口は書かないからわかりにくき第一次世界大戦とワシントン体制
- 「外国の悪口は書かない」という不文律の弊害
- 世界を引っ掻き回した狂人、ウッドロー・ウィルソン
- 教科書が助長する「英米一体」の幻想
終章:「アカ」でさえない「バカ」が日本の歴史教育をダメにした
- 歴史教育なくして「グローバル人材」は育たない
- 教科書検定を廃止せよ
- 世界を知っていた先人たち
- 山川日本史の本質は「アカ」ではなく「バカ」である